逃亡王女4
夜の帳がライゼンを包み始める頃、工房の地下では静かに移動の準備が進められていた。
王女と子どもたちは商家の家族を装う質素な服へ着替え、護衛たちも鎧を脱いで商会の従業員や荷役夫の姿へ変わる。
リング隊長は一人ひとりの様子を確認すると、レインへ静かに頷いた。
「いつでも出られます。」
「二組に分かれましょう。」
レインは短く答えた。
「私たちが先に宿へ戻ります。少し時間を空けて来てください。」
異論はなかった。
レインとエレアは先に工房を出ると、人の流れへ自然に溶け込みながら宿へ向かう。
世界商談会を目前に控えたライゼンは、夜になっても熱気が衰えることはない。商人や旅人が絶え間なく行き交い、この時間帯はかえって人目へ紛れやすかった。
宿へ戻ると、裏口ではグラディウスが腕を組んで待っていた。
「問題は。」
「ありません。」
レインが答えると、グラディウスは無言で頷き、裏口を開ける。
「部屋は空けてある。」
「ありがとうございます。」
それからしばらくして、時間を置いてリング隊長たちも到着した。
王女を先頭に、子どもたち、護衛たちが順番に裏口から宿へ入っていく。
誰一人声を発しない。
扉が閉まると、ようやく全員が小さく息を吐いた。
「こちらです。」
グラディウスに案内され、一行は宿の奥にある大部屋へ入る。
子どもたちは部屋の隅へ集まり、ようやく張り詰めていた緊張を解いたように腰を下ろした。
リング隊長は部屋を見渡し、レインへ向き直る。
「ここまで無事に来られたのは、お二人のおかげです。」
「まだ安心はできません。」
レインは静かに答えた。
「追っ手が諦めたとは思えませんから。」
その言葉に護衛たちの表情が引き締まる。
控えめなノックが響いたのは、その時だった。
グラディウスが扉を開く。
「来たぞ。」
姿を現したのはガストンだった。
部屋へ入ると王女へ丁寧に一礼し、護衛たちの姿を見渡して安堵したように息を吐く。
「ご無事で何よりです。」
「このたびは助力いただき、感謝いたします。」
王女が静かに頭を下げると、ガストンは穏やかに首を横へ振った。
「礼には及びません。この街へ来た客人を守るのも、ライゼンで商売をする者の務めですからな。」
柔らかな笑みを浮かべたガストンだったが、その表情はすぐに消えた。
部屋を見渡し、静かな声で切り出す。
「ただ、一つ問題が起きました。」
部屋の空気が張り詰める。
「つい先ほど入った情報です。」
「ノルガルト侯国で、王女殿下たちの失踪が正式に公表されました。」
リング隊長はゆっくりと拳を握り締めた。
「やはり……。」
ガストンは頷き、さらに続ける。
「しかも反体制派は、『王女殿下は何者かに誘拐された』と各地へ触れ回っとります。」
誰も口を開かなかった。
「この噂はすでに世界商談会にも流れ始めています。」
「各国の商人だけではありません。使節団や外交官も動き出すでしょう。」
レインは静かに目を閉じた。
ノルガルト侯国の内乱は、もはや一国だけの問題ではない。
世界商談会という舞台を巻き込みながら、大陸全体へ波紋を広げ始めていた。
しばらく沈黙が続いたあと、ガストンは穏やかな口調へ戻る。
「今夜は休みなされ。」
「明日からは、さらに忙しくなります。」
「ありがとうございます。」
王女は静かに頭を下げた。
宿の外では、祭りの音楽と人々の笑い声が今も夜の街へ響いている。
しかし、その賑わいとは裏腹に、大陸の情勢は静かに、そして確実に動き始めていた。




