防衛戦
森の闇が、揺れた。
次の瞬間、木々の隙間に無数の赤い瞳が灯る。
一つや二つではない。
闇そのものが動き出したかのように、数え切れない魔物たちが唸り声を上げ、一斉に野営地へ雪崩れ込んできた。
「来るぞ……!」
誰かが漏らした声は、直後に響いた獣の咆哮へかき消された。
群れを成した魔物と正面から戦った経験など、生徒たちにはほとんどない。
昼間、訓練の中で目にする魔物とは、まるで別物だった。
深夜の森。
逃げ場の見えない暗闇。
木々の間を埋め尽くす無数の影。
先頭の個体が倒れようと構わず、後続がその背を踏み越え、押し潰すように前へ出てくる。
それはもはや生き物の群れではない。
野営地を呑み込もうと迫る、黒い濁流だった。
だが、その濁流を前にしても、アルベルトは一歩も退かなかった。
「魔法組、前へ!」
鋭い号令が、夜の森を貫く。
「接敵前に数を削る!」
その声に弾かれるように、魔法を得意とする生徒たちが前へ出た。
誰もが緊張で顔を強張らせている。
杖を握る手は震え、呼吸も浅い。
それでも足を止める者はいなかった。
並んだ生徒たちが一斉に魔力を練り上げる。
夜の闇へ、幾重もの魔法陣が浮かび上がった。
火。
風。
光。
それぞれ異なる色を放つ魔法陣が、野営地の前方を照らしていく。
その間にも、魔物との距離はみるみる縮まっていた。
地面を蹴る音。
枝の折れる音。
喉の奥から響く唸り声。
全てが重なり合い、迫ってくる。
焦りから詠唱を噛む者もいた。
魔力の制御が乱れ、魔法陣が揺らぐ者もいる。
それでも、誰一人として術を解かなかった。
「放て!」
アルベルトの号令と同時に、数十の魔法が夜空へ放たれた。
火球が尾を引き、光弾が一直線に闇を裂く。
風の刃が木々を大きく揺らし、土塊が轟音とともに群れへ突き刺さった。
直後。
激しい爆発が、夜の森を昼間のように照らし出した。
先頭を走っていた魔物たちが、まとめて宙へ舞う。
炎に呑まれ、風刃に切り裂かれ、地面へ叩きつけられていく。
土煙が巻き上がった。
肉片が飛び散り、焦げた臭いが夜風に混じる。
だが、それでも群れは止まらなかった。
倒れた魔物を後続が踏み越え、その向こうから新たな影が次々と姿を現す。
確かに数は減った。
それでも、押し寄せる勢いは少しも衰えていない。
「まだ来る!」
恐怖の混じった声が上がる。
「第二射、急げ!」
アルベルトの声が、広がりかけた動揺を即座に断ち切った。
魔法組が我に返る。
一度目よりも早く杖を構え、再び魔力を練り上げていく。
恐怖は消えていない。
手の震えも止まってはいない。
それでも、身体はこれまで積み重ねてきた訓練を覚えていた。
魔法陣が次々と展開される。
「放て!」
二度目の一斉射。
閃光が夜を白く染めた。
続いて爆炎が広がり、森全体が震えるほどの轟音が響き渡る。
魔物の群れは再び大きく削られ、何体もの影が吹き飛んだ。
それでも、完全には止め切れない。
生き残った魔物たちが土煙を突き破り、ついに野営地の目前まで迫ってきた。
鋭い牙が覗く。
振り上げられた爪が、月明かりを反射する。
獣臭い息遣いが風に乗り、生徒たちの肌を刺した。
アルベルトは静かに剣を抜いた。
鋼が鞘を離れる音が、騒音の中でも不思議なほど鮮明に響く。
「前衛、抜刀」
短い命令に、ワルが真っ先に一歩前へ出た。
迷いなく剣を抜き、その刃へ魔力を流し込む。
隣にはガレン。
さらに前衛を任された生徒たちが次々と並び、野営地の前へ横一列の防衛線を作っていく。
誰の顔にも恐怖はあった。
目の前には、今にも飛びかかってきそうな魔物の群れ。
少しでも気を抜けば、牙や爪が身体へ届く距離だった。
それでも、退く者は一人もいない。
背後には、魔法を放った仲間たちがいる。
荷馬車がある。
テントの中には、まだ武器を取れていない者もいる。
自分たちがここを抜かれれば、その全てが魔物の群れへさらされる。
だから、この一線だけは譲れない。
アルベルトは迫り来る群れを真っ直ぐ見据え、剣先を前へ向けた。
「ここが最終防衛線だ」
低く、それでいて全員へ届く声だった。
「一体たりとも通すな」




