夜襲
夕食を終えた野営地には、ようやく一日の終わりを迎えた安堵が漂っていた。
朝から続いた行軍は想像以上に過酷だったらしく、生徒たちの表情には疲労の色が濃い。
焚き火の周りでは食器を洗う者、寝床を整える者、荷物へ寄り掛かったまま動こうとしない者。それぞれが思い思いに束の間の休息を味わっていた。
「もう無理だ……」
ロイが荷物へ背中を預け、大きな欠伸を漏らす。
「まだ寝るな」
「いや、あと十分で限界だ」
隣でガレンが呆れたように笑う。
「夕食食べたばかりだぞ」
「食べたから眠いんだよ……」
そんなやり取りに、近くの生徒たちから小さな笑いが漏れた。
張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。
だが、その輪の外では、一人だけ休もうとしない人物がいた。
アルベルト・フォン・グランツだった。
彼は野営地の外周をゆっくり歩きながら、昼間決めた警戒線を一つずつ見直していく。
見張りの位置。
焚き火との距離。
荷馬車から各テントまでの動線。
どれも大きな問題はない。
普通なら、これで十分なはずだった。
それでも足は止まらない。
胸の奥で、小さな違和感だけが消えずに残っていた。
風が森を抜ける。
枝葉が揺れ、夜の虫が鳴く。
どこを見ても異常はない。
それなのに、何かが引っ掛かる。
「……見張りを一人増やろう」
近くにいた生徒が不思議そうに振り返る。
「何かあったのか?」
「いや……」
アルベルトは森へ視線を向けたまま、小さく首を振る。
「分からない。ただ、嫌な感じがする」
その言葉だけで、生徒は余計なことを聞かなかった。
「分かった」
短く返事をすると、そのまま持ち場へ向かっていく。
一方、焚き火から少し離れた場所では、レインも静かに森を見つめていた。
夜風が頬を撫でる。
目を閉じるまでもない。
森の奥では、無数の気配がゆっくりと動いていた。
魔物。
しかも、一匹や二匹ではない。
レインは眉をわずかに動かす。
違和感があった。
本来なら縄張りごとに散っているはずの魔物たちが、今夜は妙に一方向へ偏っている。
まるで何かに追われるように。
あるいは、誰かに誘導されるように。
レインは小さく息を吐いた。
……やはり、そういうことか。
教官たちの姿は見えない。
だが、気配は消えていない。
おそらく、どこかで全体を見ている。
ならば、この状況で動くべきなのは自分ではない。
試されているのは、一年生たちだ。
時間だけが静かに過ぎていく。
焚き火の炎は少しずつ小さくなり、森の闇はさらに濃さを増していった。
「……あれ?」
見張りに立っていた一人が、小さく声を漏らした。
その一言に、近くの生徒たちが森へ目を向ける。
暗闇の奥。
赤い光が、一つ。
ゆらりと浮かぶ。
誰かが息を呑んだ。
その隣に、もう一つ。
さらに、もう一つ。
気づけば赤い光は次々と増え、木々の隙間を埋め尽くしていく。
誰も声を出せなかった。
あれが何なのか。
理解してしまったからだ。
闇の中で揺れる無数の赤い瞳。
その全てが、野営地だけを見つめている。
「ま、魔物だ!」
悲鳴にも似た叫びが、静まり返っていた森を切り裂いた。
その瞬間だった。
野営地の空気が一変する。
休んでいた生徒たちが飛び起き、慌てて武器へ手を伸ばす。
誰かが荷物を倒し、誰かが悲鳴を上げる。
恐怖は炎よりも早く広がっていった。
「おい……嘘だろ……」
ロイの顔から血の気が引く。
森の奥では、なおも赤い光が増え続けていた。
あの数は、一クラスだけで相手にするような数ではない。
「落ち着け!!」
野営地全体へ響き渡る声。
アルベルトだった。
「武器を取れ!」
「昼間決めた配置につけ!」
「荷馬車前へ集合!」
「勝手に前へ出るな!」
矢継ぎ早に飛ぶ指示。
混乱していた生徒たちが、その声に引き寄せられるように動き始める。
森の奥で、一斉に枝が折れた。
重い足音。
大地を震わせる咆哮。
次の瞬間――
闇の中から、無数の魔物が野営地へ雪崩れ込んできた。




