ノルガルト侯国内戦へ
レインとエレアは階段を下り、一階の食堂へ足を踏み入れた。
朝の宿は今日も活気に満ちている。世界商談会の開催中とあって、商人たちは朝食を囲みながら今日の商談相手や相場の話に花を咲かせ、各国から訪れた旅人たちも慌ただしく宿を出入りしていた。
そんな喧騒の中、一人の青年が静かに立ち上がる。
年の頃は二十代半ば。質素な旅装束に剣を帯びた姿は、どこにでもいる旅人にしか見えない。
青年はレインたちの前まで歩み寄ると、小さく頭を下げた。
「レインさん、エレアさんですね。」
「はい。」
「第七騎士団本部から伝令です。」
それだけ告げると、それ以上は何も話さなかった。
レインは食堂を一瞥する。
周囲では商人たちの笑い声が飛び交い、誰一人こちらへ注意を向けてはいない。だが、この場で話す内容ではないことは明らかだった。
「部屋へ行きましょう。」
「お願いします。」
三人は再び二階へ上がる。
部屋へ入ると、エレアが静かに扉を閉め、魔法陣を展開した。
淡い光が室内を包み込み、外の喧騒がゆっくりと遠ざかっていく。
「防音結界、完了しました。」
青年は懐から一本の革筒を取り出し、レインへ差し出した。
「本部から預かった書状です。」
「内容は私も知りません。お二人へ直接渡すよう命じられています。」
「ご苦労さまでした。」
礼を述べて革筒を受け取ると、レインは封印へ魔力を流した。
王家と第七騎士団だけが用いる封印紋が淡く輝き、静かに解かれる。
中から書状を取り出し、目を通したレインの表情が引き締まった。
「……ノルガルト侯国で内乱。」
エレアも書状を受け取り、素早く文面を追う。
そこには昨夜未明に届いた急報が簡潔にまとめられていた。
親カルドニア派の諸侯が一斉に挙兵。
侯都では王党派との戦闘が始まり、国内各地でも武力衝突が発生。ノルガルト侯国は事実上、内乱状態へ突入したと記されている。
そして最後に、第七騎士団への命令があった。
『ライゼンへ滞在中のノルガルト王族と接触し、状況を確認せよ。安全を確保し、以後の行動は現地判断を優先する。』
部屋へ静寂が落ちる。
レインは書状を机へ置き、小さく息を吐いた。
「予想より悪い状況ですね。」
「ええ。」
エレアも静かに頷く。
「侯都だけではありません。各地で同時に挙兵したとなれば、相当前から準備されていたのでしょう。」
レインは腕を組み、しばらく考え込んだ。
「まずは王族との接触ですね。」
「保護ではなく、最初は状況確認が優先です。」
「王族側も混乱しているはずです。いきなり名乗って保護を申し出ても、簡単には信用されません。」
エレアも同意する。
「滞在先は書状に記されていますが、正面から訪ねるだけでは警戒されるでしょう。」
世界商談会の最中である。
各国の護衛や諜報員が入り乱れる今、不自然な接触はかえって相手を危険へさらしかねない。
数秒考えた後、レインが顔を上げた。
「ガストンさんですね。」
エレアも小さく笑みを浮かべる。
「私も同じ考えでした。」
ガストンはライゼン三大商人の一人。
各国の王侯貴族や要人との繋がりも深く、ノルガルト王族とも面識がある。
彼を介した方が、王族側も警戒せず話を聞く可能性が高い。
「まずはガストンさんへ事情を説明しましょう。」
「ええ。それが一番自然です。」
レインは書状を革筒へ戻し、伝令へ向き直った。
「命令は確かに受領しました。本部へは、これより任務を開始すると伝えてください。」
「承知しました。」
青年は一礼すると、防音結界が解かれるのを待って静かに部屋を後にした。
再び宿の賑わいが聞こえてくる。
世界商談会は今日も何事もないように続いている。
だが、その平穏の裏では、一つの国家が崩れ始めていた。
レインは静かに扉を開く。
「行きましょう。」
「はい。」
二人は足早に階段を下り、ガストンの待つベルグ商会へ向かった。




