またね
祭りが始まってから数日。 ライゼンは一年で最も活気に満ちた季節を迎えていた。
朝は焼きたてのパンの香りが街中へ広がり、昼になれば各国の商人が店先で声を張り上げる。夕方には大道芸人の周囲へ人だかりができ、夜になっても酒場から笑い声が絶えることはない。
そんな街を、レインたち四人は毎日のように歩いていた。
「レインさん、あれは何ですか?」
イリシアが指差した先では、大きな鉄板の上で串焼きが香ばしい音を立てている。
「ライゼン名物の香辛料焼きですね。」
「美味しいですか?」
「好き嫌いは分かれます。」
「では食べます!」
「今、好き嫌いが分かれると言いましたよね?」
「だからこそ気になります!」
勢いよく串焼きを受け取ったイリシアは、一口頬張る。
次の瞬間。
「か、辛いですっ!」
目を潤ませながら慌てて水を探す姿に、レインは苦笑して飲み物を差し出した。
「だから言ったじゃないですか。」
「こんなに辛いとは思いませんでした……。」
その様子にエレアは肩を震わせ、リーヴェも小さくため息をつく。
「お嬢様は、本当に好奇心だけで行動されますね。」
「失敗も経験です。」
「その前向きさだけは昔から変わりません。」
四人の間に自然と笑いが広がった。
祭りを歩けば、イリシアは何にでも興味を示した。
魔導具店では職人へ次々と質問を投げ掛け、説明していた職人が途中から額へ汗を浮かべるほどだった。
「そこまで詳しいなら、お嬢ちゃんが作った方が早いんじゃないか?」
「まだ勉強中です!」
「勉強中でそこまで分かるのか……。」
職人は最後には苦笑しながら、新作の魔導具まで見せ始めていた。
別の店では、リーヴェへ似合いそうな髪飾りを真剣な表情で選び始める。
「先生、この色はどうでしょう?」
「結構です。」
「こちらは?」
「結構です。」
「では――」
「全部結構です。」
即答され、イリシアは少しだけ肩を落とす。
「残念です……。」
「お気持ちだけいただきます。」
そのやり取りを見ていたレインとエレアは思わず笑みを交わした。
事件の影は、少しずつ街から薄れ始めていた。
もちろん、裏では衛兵隊や三大商人たちが後始末に追われている。
だが表通りでは、誰もが世界商談会を楽しみに笑顔を浮かべ、商売に励んでいた。
昼過ぎ。
四人は屋台で買った焼き菓子を手に、広場の木陰で一息ついていた。
イリシアは焼き菓子を頬張りながら、ふとレインを見上げる。
「レインさん。」
「はい。」
「冒険者のお仕事って、毎日こんなに平和なんですか?
レインは笑いながら首を振った。
「本来は、護衛や討伐、採集、探索など色々あります。」
「魔物討伐もですか?」
「もちろん。」
その瞬間、イリシアの瞳が輝いた。
「見てみたいです!」
リーヴェは予想していたように小さく息を吐く。
「お嬢様。」
「まだお願いしただけです。」
「その先も予想できます。」
「先生は鋭すぎます。」
少し頬を膨らませるイリシアだったが、諦める様子はない。
「お願いします。冒険者の戦いを一度見てみたいんです。」
レインはエレアへ視線を向けた。
エレアも少し考えたあと、小さく頷く。
「危険の少ない依頼なら問題ないと思います。」
リーヴェも静かに口を開く。
「条件があります。」
「はい!」
「前へ出ないこと。」
「はい!」
「レイン殿とエレア殿の指示には必ず従うこと。」
「もちろんです!」
返事だけは誰よりも早かった。
リーヴェは苦笑する。
「では、お任せいたします。」
レインも頷いた。
「それでは冒険者ギルドへ行きましょう。街の近くで終わる依頼を探します。」
「ありがとうございます!」
イリシアは嬉しそうに立ち上がる。
「冒険者の依頼、楽しみです!」
「見学ですよ。」
「……見学、楽しみです!」
少し言い直したイリシアに、三人は思わず笑った。
こうして四人は、祭りの賑わいを背に冒険者ギルドへ向かった。
冒険者ギルドへ入ると、祭りの期間らしい活気が迎えてくれた。
依頼を受ける冒険者、護衛契約を結ぶ商人、素材を買い取る職員。広いロビーは朝から人で埋まり、受付には長い列ができている。
「こんなにいつも賑やかなんですか?」
イリシアは周囲を見回しながら小さく息を漏らした。
「世界商談会の期間は特にです。」
エレアが答える。
「普段の倍近い依頼が集まります。」
レインは掲示板の前へ歩み寄り、一枚ずつ依頼書へ目を通していく。
護衛依頼。 採集依頼。 遺跡調査。 魔物討伐。
内容を確認しながら視線を動かし、一枚の依頼書の前で足を止めた。
「これにしましょう。」
依頼書にはこう書かれていた。
『街道東部・ゴブリン討伐 推定五〜七体 街道利用者への被害あり Dランク以上推奨』
「街から近いですね。」
エレアも依頼書を確認する。
「距離も半日ほどですし、お嬢様の見学にはちょうど良いでしょう。」
リーヴェも異論はなかった。
「私も問題ありません。」
レインは依頼書を受付へ持っていく。
受付嬢は内容を確認すると、四人を見回した。
「こちらの依頼ですね。」
「はい。」
「最近目撃情報が増えていますので、お気を付けください。」
依頼票を受け取ると、レインたちはそのままギルドを後にした。
ライゼン東門を抜けると、祭りの喧騒は少しずつ遠ざかっていく。
石畳は土の街道へ変わり、周囲には緩やかな草原が広がっていた。
さらに歩みを進めると、背の高い木々が並ぶ東の森が姿を現す。
「ここからですね。」
レインは周囲を見渡しながら歩幅を少し緩めた。
「森へ入ったら一列で進みます。」
「はい。」
イリシアは素直に頷く。
森へ足を踏み入れると、空気がひんやりと変わった。
木漏れ日が地面へ降り注ぎ、小鳥のさえずりだけが静かに響いている。
「静かですね。」
「だからこそ気付きやすいんです。」
レインはしゃがみ込み、柔らかな土を指差した。
「これを見てください。」
「足跡ですか?」
「ええ。」
イリシアも隣へしゃがみ込む。
「人の足跡ではありません。」
レインは指先で輪郭をなぞる。
「三本指。大きさも小さい。ゴブリンですね。」
イリシアは何度も見比べる。
「私には全然分かりません……。」
「最初は皆そうです。」
レインは笑いながら立ち上がった。
「経験を積めば自然と見分けられるようになります。」
その時だった。
エレアが歩みを止める。
「……いました。」
全員の空気が一瞬で切り替わる。
少し離れた茂みの向こう。
木々の隙間から、小柄な緑色の魔物が姿を現した。
一匹。
その後ろからさらに二匹。
粗末な棍棒を持ち、周囲を警戒するように歩いている。
イリシアは思わず息を呑んだ。
「本物の……ゴブリン。」
レインは静かに剣の柄へ手を添える。
「では、少しだけ冒険者らしいところをお見せします。」
そう言って一歩踏み出した。
レインが一歩踏み出した。
次の瞬間には、先頭のゴブリンが倒れていた。
残る二匹もエレアの風魔法で体勢を崩され、その隙を逃さずレインが一気に間合いを詰める。
剣閃が二度走り、戦闘は終わった。
森へ再び静寂が戻る。
「……終わったんですか?」
イリシアが呆然と呟く。
「終わりました。」
「私、何も見えませんでした……。」
レインは困ったように苦笑した。
「ゴブリン相手ですから。」
「そういう問題じゃありません!」
エレアが小さく笑う。
「レイン、少し速すぎましたね。」
「次はもう少し加減します。」
「約束ですよ?」
「善処します。」
リーヴェも穏やかに口元を緩めた。
「お嬢様、冒険者は相手を早く制圧することが何より重要です。長引かせるほど危険になります。」
「なるほど……。」
イリシアは倒れたゴブリンを見つめ、小さく頷く。
「戦いって、格好良く見せるものじゃなくて、生き残るためのものなんですね。」
「はい。」
レインは討伐証明となる右耳を手際よく回収し、剣を鞘へ収めた。
「依頼は終わりました。戻りましょう。」
四人は森を後にし、夕方前にはライゼンへ戻った。
冒険者ギルドで討伐報告を終えると、受付嬢は笑顔で報酬袋を差し出す。
「確認しました。依頼達成です。お疲れさまでした。」
「ありがとうございます。」
ギルドを出ると、西へ傾き始めた陽が街並みを赤く染めていた。
屋台からは夕食の香りが漂い、大道芸人の周りには昼間以上の人だかりができている。
「冒険者のお仕事って、毎日こんな感じなんですか?」
イリシアが歩きながら尋ねる。
「商隊護衛なら何日も街を離れることもありますし、危険な魔物討伐なら命懸けになることもあります。」
「大変なんですね。」
「だからこそ、依頼を終えて街へ戻ってくると少し安心するんです。」
その言葉にイリシアは静かに頷いた。
「少し分かった気がします。」
宿へ戻ると、食堂から香ばしい匂いが漂ってきた。
鍋をかき混ぜていたグラディウスが四人を見るなり口を開く。
「帰ったか。」
「ただいま戻りました。」
「ちょうど飯ができる。」
それだけ言うと再び鍋へ向き直る。
イリシアは小さく笑った。
「グラディウスさんって、優しいですよね。」
「言葉は少ないですけどね。」
エレアも微笑む。
やがて食卓へ並べられた料理を囲み、四人は今日一日の出来事を語り合った。
イリシアは魔物を初めて見た驚きを何度も話し、レインは森で見つけた足跡の見分け方を説明する。
リーヴェは時折補足を入れ、エレアは穏やかに話を聞いていた。
笑い声が絶えない夕食だった。
それから二日。
イリシアがアストレア魔導公国へ出発する前夜。
夕食を終えた四人は自然と応接室へ集まり、温かな紅茶を片手に、ライゼンでの思い出を語り合っていた。
祭りで食べた料理。
珍しい魔導具。
初めて見た冒険者の仕事。
どの話題も尽きることはなく、笑い声は夜遅くまで続いた。
やがて、話しながらソファへ寄り掛かっていたイリシアの返事が途切れる。
レインがそっと視線を向けると、小さな寝息が聞こえてきた。
いつの間にか眠ってしまっていた。
リーヴェは苦笑しながら毛布を掛ける。
「今日は、本当にはしゃぎ過ぎましたね。」
「それだけ楽しかったんでしょう。」
エレアが優しく微笑む。
リーヴェも静かに頷いた。
「ええ。このような表情で眠るお嬢様を見るのは久しぶりです。」
翌朝。
宿の前にはアストレア魔導公国へ向かう馬車が待っていた。
荷物を積み終えたイリシアは、何度もレインたちを振り返る。
「短かったですけど、本当に楽しかったです。」
「私たちもですよ。」
エレアが微笑む。
レインも頷いた。
「アストレアでも元気で。」
「はい!」
イリシアは満面の笑みで答える。
「今度は私がアストレアをご案内します!」
「その時はよろしくお願いします。」
「約束ですよ!」
「約束です。」
リーヴェも一歩前へ出て静かに頭を下げた。
「レイン殿、エレア殿。お二人には心から感謝しております。」
「こちらこそ、お世話になりました。」
互いに一礼を交わす。
やがて馬車がゆっくりと動き始めた。
窓から身を乗り出したイリシアは、大きく手を振る。
「また会いましょう!」
「ええ、また。」
レインとエレアも手を振り返す。
馬車は街道の彼方へ小さくなり、やがて見えなくなった。
ライゼンで過ごした数日間は終わった。
だが、それは別れではない。
アストレア魔導公国という新たな舞台で、四人が再び出会う日の始まりでもあった。




