面倒持ち込むな
副支部長室を出ると、窓から差し込む夕方の陽射しが、長い廊下を赤く照らしていた。
受付へ戻ったレインとエレアは、案内してくれた受付嬢へ軽く礼を告げ、そのまま冒険者ギルドを後にする。
外へ出ても、ライゼンの街は一日の終わりとは思えないほどの賑わいを見せていた。店先では商人たちが客と値段を詰め、荷車が絶え間なく石畳を行き交っている。酒場からは早くも笑い声が響き、通りの一角では、明日の取引に使う品を確かめる商人たちが声を張り上げていた。
王都アルディアにも活気はある。
だが、この街は人の流れそのものが商売によって動いているように見えた。
しばらく大通りを歩いたところで、レインが小さく口を開く。
「予想以上でした」
「街ですか。それともヴァルケイン副支部長ですか」
「どちらもです」
レインは苦笑を浮かべた。
「ギルドも商人も、もっと分かりやすいものだと思っていました」
「実際は、どちらも多くの立場と利害が絡んでいます。表から見えるものだけで判断しない方がよいでしょう」
「ヴァルケイン副支部長は信用できますか?」
エレアはすぐには答えず、人の流れへ一度だけ視線を走らせた。
それを見たレインも、これ以上ここで話すべきではないと察する。
「続きは宿で話しましょう」
「はい」
二人はそれきり口を閉ざし、人通りの多い大通りを宿へ向かって歩き続けた。
◇
宿へ戻ると、食堂には夕食を取る宿泊客がまだ何人か残っていた。
主人は受付から二人を一瞥すると、いつものように短く尋ねる。
「食事か」
「お願いします」
それだけのやり取りで、主人は奥へ姿を消した。
二人が空いている席へ腰を下ろしてしばらく待つと、湯気の立つ料理が運ばれてくる。厚く切られた肉と豆の煮込みに、焼きたてのパン。派手さはないが、歩き回った後の体にはありがたい食事だった。
レインは一口食べ、自然と表情を緩めた。
「今日も美味しいですね」
「ええ」
エレアも静かに口へ運ぶ。
周囲には商人らしい男たちや、護衛を終えて戻った冒険者たちがいる。誰が何を聞いているか分からない場所で、昼間の出来事を話すつもりはなかった。
二人は食事だけを済ませると、主人へ礼を告げて二階の部屋へ戻った。
エレアは扉へ鍵を掛け、窓の外と廊下の気配を順に確かめる。誰かが聞き耳を立てている様子がないことを確認すると、右手をゆっくりと掲げた。
淡い魔力が指先から広がり、壁と天井、床を薄く包み込む。
光が溶けるように消えると、外から聞こえていた食堂の話し声や足音も途絶えた。遮音を目的とした結界魔法だった。
「これで大丈夫です」
レインは机へ地図を広げ、エレアも向かいの椅子へ腰を下ろす。
「まず、ヴァルケイン副支部長について整理しましょう」
「信用はできると思います」
レインの答えに、エレアは短く頷いた。
「私も同じ考えです。少なくとも、こちらの正体を暴こうとはしていませんでした」
「個人として協力するとも言っていました」
「ええ。ただし、あくまで個人としてです。ギルドには中立という立場がある以上、頼れる範囲には限界があります」
「厚意を当てにしすぎるべきではない、と」
「その認識でよいでしょう。必要な時に情報を求めることはできますが、こちらから立場を危うくさせるべきではありません」
レインは納得したように頷き、地図の中央へ視線を落とした。
「三大商人についてはどう見ますか?」
「現時点で、三人そのものが今回の盗品に直接関わっている可能性は低いと思います」
「ガストンさんは協力的でした」
「ええ。少なくとも、ガストン・ベルグ個人は私たちへ好意的です」
そこでエレアは言葉を切り、ベルグ商会の本店がある区画へ指を置いた。
「ただし、ガストン本人とベルグ商会全体は分けて考えるべきです」
「傘下の商会までは、本人の目が届かない」
「その通りです。ヴァルケイン副支部長の話では、問題があるとすれば三大商人本人ではなく、その下に連なる商会や業者でしょう」
レインは昼間に訪れた盗品集積所を思い返す。
捕らえた者たちは、誰も組織の全容を知らなかった。
盗品を運ぶ者。
倉庫で荷を受け取る者。
指示された相手へ渡す者。
それぞれが自分の仕事だけを担い、上にいる人間の顔すら知らされていない。実際、衛兵へ引き渡す前に簡単な確認をした時も、聞き出せた情報は僅かだった。
「昼間捕らえた運び屋が口にした倉庫についてですが」
レインが地図の東区外れへ指を置く。
「今夜、別の荷が運び込まれると言っていました」
「ただし、本人もその倉庫を直接使ったことはなく、仲間から聞いただけでした」
「だから衛兵には、確かな情報としては伝えられなかった」
「場所と証言自体は報告してあります。ですが、今夜本当に誰かが現れるかまでは分かりません」
捕らえた男が知っていたのは、東区外れにある古い倉庫へ、時折夜中に荷が持ち込まれるという噂だけだった。
盗品の集積所と関係があるのか。
別の商会が使っているだけなのか。
そもそも情報自体が正しいのか。
確証は何一つない。
だからこそ、衛兵隊も証拠なしに踏み込むことはできず、レインとエレアもヴァルケインへ報告した以上のことは話していなかった。
「今夜は突入ではなく、確認だけですね」
「はい。誰が出入りしているかを見るだけです」
「戦闘になった場合は?」
「こちらから仕掛けるつもりはありません。ただし、相手が襲ってくるなら話は別です」
レインは静かに頷いた。
二人が今夜向かう目的は、倉庫を制圧することではない。
荷が運び込まれるのか。
誰が倉庫を使っているのか。
どの商会や運送業者とつながっているのか。
まずはそれを確かめる。
「倉庫の場所は、大通りから外れています」
エレアは地図の細い道へ指を滑らせた。
「正面から近づけば目立ちます。東側の細い路地を使い、裏手から確認しましょう」
「見張りがいた場合は避けますか?」
「人数と配置次第です。こちらの存在に気づかれていないなら、そのまま観察を続けます」
「追跡できそうなら?」
「荷を運び出した者を追います。ただし、無理はしません。今夜だけですべてを突き止める必要はありませんから」
レインは地図を畳み、椅子から立ち上がった。
「では、行きましょう」
「ええ」
エレアが結界を解くと、食堂から聞こえる微かな話し声が部屋へ戻ってきた。
二人は昼間とは異なる黒い外套を羽織り、顔が目立たないようフードを深く被る。武器は外から見えにくい位置へ収め、余計な荷物は部屋へ残した。
一階へ降りると、主人は受付で帳簿を閉じるところだった。
足音に気づき、二人の外套姿へ目を向ける。
「出るのか」
「少し街を見てきます」
レインが答えると、主人はフードの奥に隠れた二人の顔を交互に見た。
昼間も外へ出ていた二人が、わざわざ着替えて夜の街へ向かう。
何か事情があることくらいは分かったのだろう。
それでも主人は理由を尋ねなかった。
ただ、閉じかけた帳簿へ手を戻しながら、低い声で告げる。
「……面倒事は持ち帰るなよ」
「努力します」
エレアが真顔で答えると、主人は僅かに眉を動かした。
「持ち帰るつもりがある返事に聞こえるな」
「そのようなつもりはありません」
「ならいい」
主人はそれ以上何も言わず、帳簿へ視線を落とした。
レインとエレアも余計な説明はせず、静かに宿を出る。
夜風が石畳の上を吹き抜け、昼間の熱を少しずつ冷ましていた。
大通りにはまだ多くの人が残り、店先の魔導灯が通りを明るく照らしている。だが、二人が東区へ近づき、商店の並ぶ通りを外れるにつれて、人の姿は次第に少なくなっていった。
表通りから一本外れただけで、街の空気は大きく変わる。
建物の間隔は狭くなり、閉ざされた倉庫や古い商会の事務所が目立ち始める。灯りの消えた窓が並び、遠くから聞こえる大通りの喧騒も、ここまではほとんど届かない。
レインとエレアは並んで歩かず、僅かに距離を取って進んだ。
互いの位置を確認できる範囲を保ちつつ、二人組だと悟られにくくするためだ。
昼間捕らえた運び屋が口にした、東区外れの古い倉庫。
今夜、本当に荷が運び込まれるのか。
そこへ現れるのは、ただの運送業者か。
それとも、昼間の盗品集積所につながる者たちか。
その答えを確かめるため、レインとエレアは夜の東区へ静かに足を踏み入れた。




