冒険者ギルドライゼン支部副支部長
「入りたまえ」
落ち着いた声に促され、レインとエレアは副支部長室へ足を踏み入れた。
室内は客人を迎える応接室というより、ライゼン支部の実務を取り仕切る執務室と呼ぶ方が相応しい造りだった。壁一面には自由都市連合全域の詳細な地図が掛けられ、街道や集落、商会の倉庫が集まる地域に、色分けされた無数の印が打たれている。
大きな机の上には処理途中らしい書類が積み上げられ、背後の棚にも依頼書や報告書、古びた資料が隙間なく並んでいた。日々この街で起こる事件や依頼、その裏側にある事情までもが、最後にはこの部屋へ集まってくるのだろう。
机の向こうに座る男は、五十代半ばほど。
無駄を削ぎ落とした体に、使い込まれた革鎧という質素な身なりだった。腰に武器こそ差していないが、部屋へ入った瞬間から伝わってくる存在感は、受付や酒場で見かける冒険者たちとは明らかに違う。
幾度となく死線を越え、それでも生き残ってきた者だけが纏う、静かな威圧感があった。
男は二人を見つめたあと、口元へ穏やかな笑みを浮かべる。
「まずは礼を言わせてくれ。東区にあった盗品の集積所を見つけ、衛兵へ引き渡してくれたそうだな。衛兵隊から報告は受けている」
レインは軽く頭を下げた。
「依頼を遂行しただけです」
「そう答えると思っていた」
男は小さく笑うと、背もたれへ深く腰を預けた。
「改めて名乗ろう。俺はライゼン冒険者ギルド副支部長、ヴァルケイン。昔はSランク冒険者として各地を歩いていた」
その名乗りを受け、レインとエレアも揃って一礼する。
元Sランク冒険者。
その経歴を聞けば、室内に満ちる静かな圧にも納得がいった。現役を退き、ギルドの役職へ就いてから長いのだろうが、戦う者としての鋭さは今も失われていない。
ヴァルケインは二人を見比べながら続けた。
「実を言えば、お前たちがライゼンへ来た時から少し気になっていてな。アルディア王国の支部へ、登録の確認だけ取らせてもらった」
レインの眉が僅かに動く。
「先日、二人揃って冒険者登録を済ませたばかりだと聞いている」
静かな声だった。
しかし、登録したばかりの新人二人が、ほかの冒険者たちが避け続けていた窃盗依頼を受け、その日のうちに盗品の集積所まで突き止めた。それを不自然に思うのは当然だった。
レインもエレアも言葉を返さない。
ヴァルケインは二人の反応を確かめるように見つめていたが、やがて追及することなく笑みを深めた。
「安心しろ。登録内容を疑っているわけじゃない。ただ、長く冒険者を続けていると、嫌でも分かるようになることがある」
そう言って、二人へ真っ直ぐ視線を向ける。
「お前たちは、ただのCランク冒険者じゃない」
その一言だけで十分だった。
レインもエレアも表情一つ変えない。言い訳をすることも、過剰に警戒することもなかった。その落ち着きこそが、ヴァルケインの抱いた疑念を裏付けている。
それでも、元Sランク冒険者はそれ以上踏み込まなかった。
「何者なのかは聞かん。聞くつもりもない。事情があってこの街へ来たのだろう。それだけ分かれば十分だ」
「ありがとうございます」
レインが礼を述べると、ヴァルケインは満足そうに頷いた。
「冒険者には、人に話せない事情を抱えた者も多い。過去を隠したい者もいれば、身分を捨てて名を変えた者もいる。依頼を果たし、余計な問題を持ち込まない限り、ギルドは必要以上に詮索しない。それが昔からの決まりだ」
そう告げたヴァルケインは椅子から立ち上がり、壁へ掛けられたライゼンの地図へ歩み寄った。
「せっかくだ。この街のことを少し話しておこう」
地図の中央、ライゼンの首都を示す印を指先で軽く叩く。
「ここは王や貴族が支配する都市じゃない。評議会はあるが、実際に街を支えているのは三人の大商人だ。その下には数え切れないほどの商会が連なり、物流も金融も市場も、すべてが巨大な商業網で結ばれている」
「三人の大商人……ですか」
レインが思わず聞き返すと、ヴァルケインは少し意外そうな顔をした。
「知らなかったのか?」
「はい」
隣に立つエレアが、ゆっくりとレインへ顔を向けた。
「……レイン」
声は静かだったが、明らかに呆れが含まれている。
「各国の主要都市と有力商会については、出発前に資料を渡しましたよね」
「読みました」
「読んだだけですね」
間を置かずに返され、レインは僅かに視線を逸らした。
「必要になった時に覚えようかと」
「その考え方を改めてください。情報も立派な武器です」
「今、必要になったので覚えます」
「そういう問題ではありません」
二人のやり取りを見ていたヴァルケインは、堪えきれずに笑い声を漏らした。
「なるほど。良い相棒だ」
「相棒というより、手の掛かる部下のような気がしてきました」
「否定はしません」
レインが素直に認めると、エレアは小さく息を吐いた。
ヴァルケインはしばらく楽しそうに笑っていたが、やがて地図へ向き直る。
「三人のうち一人は、お前たちも会ったばかりだろう。ベルグ商会会頭、ガストン・ベルグ。信用を何より重んじる古参の大商人で、西部方面で商いに関わる者なら、あの名を知らぬ者はほとんどいない」
レインは僅かに目を見開いた。
「ガストンさんは、それほどの人物だったんですね」
その言葉を聞き、エレアが深々とため息をつく。
「先ほど会ってきたばかりですよね」
「大きな商会の会頭だとは分かっていました」
「ベルグ商会の建物を見て、それだけしか分からなかったのですか?」
「かなり大きいとは思いました」
「……そうですか」
諦めを含んだ返答に、ヴァルケインが再び声を上げて笑った。
「ガストンが自ら客として迎え入れる相手は滅多にいない。どうやら、あの男もお前たちを随分と気に入っているらしいな」
レインは返答に迷い、エレアへ視線を向けた。
「なぜ私を見るのですか」
「何と答えるべきかと思って」
「自分で考えてください」
「仲が良いな、お前たちは」
ヴァルケインはそう言いながら、地図の中央に近い区画へ指を滑らせた。
「二人目はアルヴェシオン商会会頭、ゼルディア・アルヴェシオン。金融と投資で財を築いた女だ。ライゼンの商会で、あいつから一度も金を借りたことがないと言い切れる者はほとんどいない」
地図には、商業区や倉庫街だけでなく、周辺都市へ伸びる街道にも同じ色の印が打たれていた。
「新しい商会へ資金を貸し、利益が見込める事業へ投資し、時には他国の商人にまで金を動かす。街の金は巡り巡って、最後にはアルヴェシオン商会を通るとまで言われている」
「それほどの資金力を持っているのですか」
今度はエレアが尋ねた。
「ああ。商会一つの資産だけなら、ベルグ商会やローグレイス商会を上回るとも言われている。ただし、ゼルディアが本当に恐ろしいのは金の多さじゃない。誰に金を貸し、誰から引き上げるべきかを見抜く目だ」
商人にとって、資金は血液のようなものだ。
利益が出ていても、支払いに必要な金が一時的に尽きれば商会は立ち行かなくなる。その流れを握るということは、表立って命令せずとも、多くの商人へ影響を与えられるということだった。
ヴァルケインの指先が、今度は地図の東側へ移る。
「そして三人目が、ローグレイス商会会頭、ヴァルゼイン・ローグレイス。港湾、倉庫、陸路、水路。ライゼンへ出入りする物流の大半に、何らかの形で関わっている」
「商品の流れを握っているのですね」
「その通りだ。ライゼンへ大量の品を運びたければ、良くも悪くもあの男を無視することはできん。ローグレイス商会の倉庫を使わず、傘下の運送商会にも頼らずに商売を続けることは、不可能ではないが難しい」
三つの印を結ぶように指を動かしながら、ヴァルケインは静かに続けた。
「信用のベルグ。金融のアルヴェシオン。物流のローグレイス。この三人が互いに競い合い、時には手を取り合うことで、今のライゼンは成り立っている」
レインは改めて地図を見つめた。
一つの都市を、三人の商人が支えている。
国王を頂点とし、貴族と騎士団が国を治めるアルディア王国とは、根本から異なる仕組みだった。
「三人の仲は良いのですか?」
レインの問いに、ヴァルケインは難しい顔をした。
「悪くはない。だが、良いとも言い切れんな。商売では遠慮なく利益を奪い合うし、相手の隙を見逃すような連中でもない。それでも、ライゼンそのものが傾きそうになれば手を組む程度には、この街のことを考えている」
「敵でもあり、味方でもあるということですか」
「商人同士の関係とは、そういうものだ」
ヴァルケインは地図から手を離し、二人へ向き直った。
「もちろん、三人とも表向きは立派な商人だ」
その言い方に、僅かな含みがあった。
「だからといって、すべてが綺麗というわけでもない」
室内の空気が静かに引き締まる。
先ほどまで浮かんでいた笑みは、ヴァルケインの顔から消えていた。
「ライゼンほどの商業都市になれば、裏社会との付き合いは避けられん。だが、これはライゼンだけの話じゃない。アルディア王国も、カルドニア王国も、ほかの国々も同じだ。貴族も豪商も、裏社会と一切関わらずに国や街を動かすことなど、現実には不可能だからな」
エレアも静かに話を聞いていた。
王国中枢に身を置いていた彼女だからこそ、その言葉が理想論ではなく、現実を語っていることを理解しているのだろう。
表の組織だけでは手が届かない場所がある。正規の商人が扱えない品もあれば、正規の手段では集められない情報もある。
それを利用する者がいる限り、裏社会は決して消えない。
「ただし、勘違いはするな」
ヴァルケインは二人へ視線を向けた。
「俺は三大商人が、直接裏社会を動かしていると言っているわけじゃない。少なくとも、俺が知る限りではな」
その言葉を補うように続ける。
「ガストンを見れば分かるだろう。あの三人ほどの立場にある者が、自ら盗品を集めて売りさばくような真似をする理由はない。失うものに対して、得られる利益が小さすぎる」
「問題なのは、その下ですか」
エレアの問いに、ヴァルケインは頷いた。
「そうだ」
三大商人の下には、多くの商会が連なっている。その商会の下には、さらに小さな商会や運送業者、倉庫の管理者、露店商人がいる。
一つの大商会が、すべてを直接管理しているわけではない。
「何百という商会のすべてへ、三人の目が届くわけじゃない。中には利益だけを追う者もいれば、裏社会へ商品を流す者もいる。誰かが手を貸し、別の誰かが見て見ぬふりをする」
ヴァルケインは机の上に置かれた一枚の報告書へ目を向けた。
「その積み重ねが、今日お前たちが見つけた盗品の集積所のような場所を生み出す」
今回捕らえた者たちも、巨大な犯罪組織の中枢にいるわけではないのだろう。
盗品を運ぶ者。
保管する者。
買い取る者。
売りさばく者。
それぞれが自分の役目だけを担い、全体を知らないまま利益を得る。誰か一人を捕らえたところで、すべての流れが止まるわけではない。
「商業都市ならではの問題ですね」
レインが呟くと、ヴァルケインは苦い笑みを浮かべた。
「そうとも言える。金と物が集まる場所には、必ずそれを不正な方法で奪おうとする者も集まる」
ヴァルケインは窓の外へ目を向けた。
夕暮れを迎えたライゼンは、昼間以上の活気を見せ始めていた。店先には魔導灯が灯り、仕事を終えた商人や冒険者たちが酒場へ吸い込まれていく。
多くの者にとって、この街は自由と成功の象徴なのだろう。
しかし、その華やかさを支える金の流れの陰には、表からは見えない場所も存在している。
「だから、この街の冒険者は窃盗依頼を嫌う」
ヴァルケインの声には、自嘲にも似た響きが混じっていた。
「魔物討伐や商隊護衛なら喜んで受ける。敵が分かりやすく、報酬も悪くない。だが窃盗事件を追うとなれば話は別だ」
「商会とぶつかる可能性があるからですか」
「ああ。盗品の流れを追えば、倉庫や運送業者、商会へ辿り着くことがある。相手が小さな商会だったとしても、その背後にどこがいるか分からん。下手に手を出せば、仕事を回してもらえなくなることもある」
冒険者も、街の商業から切り離されて生きているわけではない。
装備を買うにも、宿に泊まるにも、依頼を受けるにも金が必要になる。商隊護衛や倉庫警備といった仕事を出すのも、多くは商人たちだ。
街の商会から敵視されれば、冒険者として活動を続けることは難しくなる。
「一度目を付けられれば、この街で食っていけなくなる。だから依頼書を見ただけで避ける者も多い。情けない話だが、それが現実だ」
「命を懸けてまで受ける利点がない、ということですね」
エレアが冷静に言う。
「その通りだ。俺も無理に受けろとは言えん。魔物と違って、商会を相手にした問題は、依頼が終わったあとまで続くからな」
ヴァルケインは窓辺から離れると、再び二人の前へ戻った。
「ギルドは中立組織だ。証拠もないまま商会へ手を出すことはできん。ライゼンの経済を支える商人たちと全面的に対立すれば、ギルドそのものがこの街で活動できなくなる」
冒険者ギルドには力がある。
各国に支部を持ち、多くの冒険者を抱える巨大な組織だ。
それでも、何をしても許されるわけではない。国や街の事情を無視して動けば、中立組織としての立場を失う。
「今日の件も、衛兵が証拠を押さえた以上、ギルドとして正式に動くことはできる。だが、その背後にいる者を証拠もなく追うことはできん」
そこでヴァルケインは一度言葉を切った。
「……ただし、それはギルド副支部長としての話だ」
先ほどまでの穏やかな空気が消える。
元Sランク冒険者の鋭い眼光が、レインとエレアを真っ直ぐ射抜いた。
「ヴァルケインという一人の冒険者としてなら、話は別だ」
声を荒らげたわけではない。
それでも、その言葉には長年冒険者として生きてきた男の意志が込められていた。
「俺個人としては、人から奪った物で利益を得るような連中も、それを分かったうえで手を貸す連中も、まとめて叩き潰したいと思っている」
その口調に迷いはなかった。
おそらくヴァルケインは、これまでにも同じような事件を何度も見てきたのだろう。証拠が足りず、立場が邪魔をし、手を出せなかったことも一度や二度ではないはずだ。
「だから、お前たちが何者なのかは聞かん。何を目的にこの街へ来たのかも詮索しない」
ヴァルケインは静かに笑みを浮かべた。
「ただ一つだけ、覚えておいてくれ」
レインとエレアは何も言わず、その言葉を待った。
「ギルドとして手を貸せる範囲には限界がある。だが、俺が知っていることであれば、可能な限り教えよう」
それは表立った協力ではない。
ギルドの中立を守りながら、それでも二人へ可能な限り力を貸すという意思表示だった。
「俺個人は、お前たちを全面的に支持する」




