野外演習
ランキング戦の解禁から一か月。
アルディア王立騎士学校を包む空気は、入学当初とは大きく変わっていた。
放課後になれば、校内のどこかで必ず剣のぶつかり合う音が響く。大小合わせて十を超える訓練場は連日のように使用され、生徒たちは順位を上げるために挑み、自分の順位を守るために戦い、時には敗れていた。
ランキング戦によって決まる順位は、決して固定されたものではない。
今日まで十位だった者が敗れ、翌日には順位を落としていることもある。逆に、三十位台にいた者が格上を破り、一気に上位へ食い込むことも珍しくなかった。
一度戦った相手へ再び挑むには三か月の期間を空ける必要があるが、挑戦できる相手は一人ではない。毎日のようにどこかで試合が行われ、校舎に掲示された順位表も頻繁に書き換えられていた。
勝者は歓声を浴びる。
敗者は悔しさを抱えたまま、再び剣を握る。
結果に納得できないのなら、次は勝てるように強くなればいい。
それが、アルディア王立騎士学校だった。
競争の中へ放り込まれたことで、生徒たちの成長も早まっていた。
入学試験では目立たなかった者が、訓練を重ねて頭角を現す。一方で、持って生まれた才能だけに頼っていた者は次第に追いつかれ、順位を落としていく。
教官たちも、その変化を当然のものとして受け入れていた。
ここでは家柄も、入学時の評価も、いつまでも自分を守ってはくれない。
実力主義。
それが、この学校の根幹にある考え方だった。
その中で、ワルも着実に順位を上げていた。
レインとのランキング戦に敗れた日から、訓練量を増やしている。
早朝の走り込みに始まり、授業後には一人で剣を振る。休日も以前のように休むことは少なくなり、訓練場が空いていれば足を運ぶようになった。
敗北が悔しくなかったわけではない。
今でもレインの姿を見かければ、あの日の試合を思い出す。自分が攻め続け、勝っていると思っていたにもかかわらず、最後は一瞬で剣を弾かれた。
だが、以前のようにレインの存在そのものへ苛立つことはなくなっていた。
一度、本気で戦ったからこそ分かる。
あの日の敗北は偶然ではない。
レインは自分の攻撃を凌ぎながら、勝負を決める瞬間を待っていた。認めるのは癪だったが、少なくともあの時は自分よりレインの方が強かった。
ならば、やるべきことは単純だ。
次に戦う時までに、追い越せばいい。
今のワルにあるのは、以前のような一方的な敵意ではなかった。
次こそは勝つ。
その思いが、毎日の鍛錬へ向かわせていた。
そんなある日のホームルーム。
教室へ入ってきたバルトは、出席簿を教卓へ置くと、生徒たちの会話が完全に止まるのを待たずに口を開いた。
「来週から三日間、野外訓練を行う」
その一言で、教室の空気が変わった。
ランキング戦や順位の話をしていた生徒たちも口を閉じ、互いの顔を見合わせる。
野外訓練。
入学時の説明で、そのような授業があることは聞かされていた。しかし、実際に行われるのは今回が初めてだった。
何をするのか分からず教室がざわつく中、ロイが真っ先に手を挙げた。
「野外訓練って、具体的には何をするんですか?」
「行軍、野営、補給、警戒任務だ」
バルトは簡潔に答えた。
生徒たちの表情が、わずかに曇る。
もっと派手な内容を想像していたのだろう。森で魔物を討伐したり、班同士で戦ったりする訓練を期待していた者も少なくない。
その反応を見たバルトは、教卓の前で腕を組んだ。
「勘違いするな」
低い声が響き、教室が静まった。
「入学式の時も話したが、騎士は剣や魔法を振るうだけの仕事ではない」
バルトは生徒たちを見渡しながら続ける。
「戦場では兵站が止まれば、どれほど強い軍でも動けなくなる。補給が途絶えれば、兵は剣を振るう前に飢える。夜の警戒を怠れば、眠っている間に敵の襲撃を受ける。行軍に耐えられない者は、戦場へ到着することすらできん」
先ほどまで物足りなさそうな顔をしていた生徒たちも、今は誰一人として口を挟まなかった。
「お前たちは騎士候補生だ。ならば騎士に必要なことを学んでもらう。俺たちが育てたいのは、目の前の敵と戦うことしかできない剣闘士ではない」
バルトの言葉は、ランキング戦ばかりに意識を向けていた生徒たちへ強く刺さった。
個人の強さは重要だ。
剣術や魔法の技量がなければ、戦場で生き残ることはできない。
だが、騎士へ求められるものはそれだけではない。
どれほど強くても、仲間と共に行動できなければ軍の中では役に立たない。補給や警戒を軽視すれば、自分だけでなく周囲まで危険へさらすことになる。
「詳しい装備と集合時間は後で伝える。三日間だからといって、遠足気分で来るな」
そう告げると、バルトは何事もなかったように出席確認を始めた。
しかし、生徒たちの意識はすでに野外訓練へ向いていた。
その日を境に、一年生たちの話題も少しずつ変わっていく。
放課後になっても、教室で聞こえてくるのはランキング戦の話ばかりではなかった。
「三日分の荷物って、どれくらい重いんだろうな」
「上級生に聞いたら、途中で肩が痛くなるって言ってたぞ」
「演習地には魔物が出るらしい」
「それ、本当か?」
「知らない。去年は何人か途中で脱落したって話もある」
真偽の分からない噂まで含め、教室や食堂では野外訓練についての話が飛び交った。
何を持っていけばいいのか。
野営では、どのような場所で眠るのか。
食事は自分たちで用意するのか。
警戒任務は夜通し行うのか。
誰も経験したことがないからこそ、期待と不安の両方が膨らんでいく。
ランキング戦が個人の実力を競う場なら、野外訓練は集団の中で騎士として動くための第一歩となる。
生徒たちも、言葉にはしなくとも、その違いを感じ始めていた。
そして一週間後。
まだ夜が明けきらない早朝、一年生たちは校庭へ整列していた。
全員が軍用の背負い袋を背負い、腰には訓練用の剣を下げている。普段の制服ではなく、動きやすさを重視した訓練服の上から簡易防具を身につけており、その姿は入学したばかりの頃よりも騎士候補生らしく見えた。
校庭の端には、補給物資を積んだ荷馬車が数台並んでいる。
教官たちも普段とは違い、鎧や外套を身につけ、腰には武器を携えていた。
朝もやの中に並ぶ人と馬。
まだ静かな校舎。
出発を待つ長い隊列。
その光景は、学校の授業というより、これから任地へ向かう小規模な部隊を思わせた。
「思ってたより、本格的だな……」
ロイが周囲へ聞こえない程度の声で呟いた。
「遠足じゃないって言われただろ」
隣に立つガレンが答える。
「分かってるけど、荷馬車まで用意されてるとは思わないだろ」
ロイはそう言いながら、肩に食い込む背負い袋の紐を直した。
反対側では、エリオットが黙ったまま装備を確認している。背負い袋の口が閉じられているか、剣帯が緩んでいないか、一つずつ確かめていた。
ガレンも荷馬車に積まれた木箱や水樽へ視線を向けている。
「補給用の荷物が多いな」
「百人以上が三日過ごすんだから、それくらい必要なんじゃないか?」
ロイの答えに、ガレンは小さく頷いた。
レインは二人の会話を聞きながら、校門の先へ目を向けていた。
夜明け前の王都。
人通りの少ない街道。
さらにその先には、王都の外へ続く道が伸びている。
今回の目的地は、王都から東へ離れた場所にある東方演習地だった。
朝に出発し、到着は夕刻。
日帰りの訓練とは比べものにならない距離を、装備を背負ったまま歩くことになる。
すでに緊張した表情を浮かべている者もいれば、まだ遠足にでも行くように楽しそうな顔をしている者もいた。
少し離れた場所では、ワルが一人で背負い袋の紐を締め直していた。
以前なら、レインが平然としている姿を見れば、それだけで気に障っていただろう。
だが今は、ちらりと視線を向けただけで、すぐに自分の装備へ意識を戻した。
ランキング戦とは違う。
今回競うべき相手はレインではない。
三日間の訓練を、誰よりも良い結果で終える。
それが今のワルの目標だった。
やがて、各クラスを担当する教官たちが隊列の前へ立つ。
Bクラスの前に立ったバルトは、生徒たちの装備と整列状態を順番に確認した。紐が緩んでいる者には締め直させ、不要な荷物を持ち込んだ者からはその場で取り上げる。
最後の確認を終えると、バルトは全員を見渡した。
「これより、三日間の野外訓練を開始する」
低く響く声に、それまで小声で話していた生徒たちも口を閉じる。
「目的地は東方演習地。到着予定は夕刻だ。各クラス単位で行動し、隊列を乱すな。教官の許可なく列を離れることも禁止する」
バルトは一度言葉を切り、まだ余裕を見せている生徒たちへ鋭い視線を向けた。
「途中で歩けなくなった者は荷馬車へ乗せる。ただし、それがどのような評価になるかは自分で考えろ」
何人かの表情が引きつった。
朝から夕方までの行軍。
しかも装備を背負ったまま進まなければならない。
出発する前から、これまでの授業とは違うことを誰もが感じ始めていた。
「出発する」
バルトが短く号令を出した。
先頭のクラスから、ゆっくりと隊列が動き始める。
訓練用の武具と三日分の荷物を背負った一年生たちが、次々と校門を抜けていく。補給用の荷馬車も車輪を鳴らしながら、その後へ続いた。
昇り始めた朝日が、王都の街並みを少しずつ照らしていく。
その中を進む長い隊列は、規模こそ小さいものの、一つの軍隊のようにも見えた。
アルディア王立騎士学校一年生による、初めての野外訓練。
ランキング戦を通じて個人の強さを競ってきた生徒たちは、ここから初めて、集団の中で騎士として行動することを学ぶ。




