第七騎士団
ゼルヴァード王が立ち上がると、室内の空気が静かに動いた。
非公式の会談とはいえ、国王が席を立つというだけで場の重みは変わる。レインも遅れずに立ち上がり、深く頭を下げる。
「よろしくお願いいたします」
「ああ。よろしく頼む」
交わされた言葉は短い。だが、その一言には形式だけではない重みがあった。王国の未来に関わる役目を、この場で一人の少年へ託す。その事実を、部屋にいる誰一人として軽く受け止めてはいなかった。
ゼルヴァード王はオルヴェインへ視線を向ける。
「後は任せた」
「承知いたしました」
続いてエレアを見る。
「頼んだぞ」
「お任せください」
満足そうに頷くと、ゼルヴァード王は振り返ることなく部屋を後にした。重厚な扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
その余韻が消えるのを待つように、今度はアレクシスが静かに腰を上げた。
「では、わしも失礼しよう」
レインは改めて頭を下げる。
「一年間、本当にお世話になりました」
「うむ」
学園長は穏やかに頷いた。その眼差しは学園長ではなく、一人の騎士として若者を送り出す者のものだった。
「学校で教えられることは、もう教えた。これから先は、自ら見て、自ら考え、自ら決断するのじゃ」
「はい」
「迷うこともあるじゃろう。だが、迷えるうちはまだ考えておる証拠じゃ。考えることだけはやめるな」
「肝に銘じます」
アレクシスは満足そうに目を細めると、それ以上言葉を重ねることなく部屋を後にした。
室内に残ったのは、オルヴェイン、エレア、そしてレインの三人だけだった。
「では、参りましょう」
オルヴェインの一言で空気が切り替わる。
三人は部屋を出て王城の奥へ歩き始めた。
最初の回廊には豪奢な絵画や花瓶が並び、窓から柔らかな陽光が差し込んでいる。しかし進むにつれて装飾は姿を消し、磨き上げられた石壁と最低限の照明だけが続く無機質な通路へと変わっていった。
途中、近衛騎士が守る区画を二度通過する。
彼らはオルヴェインとエレアの姿を確認すると即座に敬礼し、無言で道を開けた。誰一人として余計な質問はしない。レインの若さを見ても驚きを表情へ浮かべる者もいなかった。その姿勢だけで、この区画を守る者たちも選び抜かれた精鋭だと分かる。
さらに奥へ進むにつれ、人の気配は薄れていく。
その代わり、見えない視線だけが増えていた。
誰もいない廊下。
それでも、どこかから観察されている感覚がある。
敵意ではない。
殺気でもない。
ただ侵入者を決して見逃さない、冷静な監視だった。
レインは足を止めることなく歩き続けた。
隣を歩くエレアが小さく口を開く。
「気づきましたか」
「はい。視線を感じます」
「第七騎士団の区画です。味方であっても、誰にも気づかれず通れる場所ではありません」
その言葉に、レインは改めて理解した。
ここは王城の中でありながら、表の王城とは別世界なのだ。
やがてオルヴェインが一枚の重厚な木製扉の前で足を止める。
扉には七本の剣を組み合わせた紋章が刻まれていた。
アルディア王国第七騎士団。
騎士団でありながら、その名が人々の口に上ることは少ない。
彼らが立つ戦場は国境だけではない。
諸国の宮廷、商会の帳簿、傭兵団の酒場、敵国の貴族屋敷――剣ではなく情報が勝敗を左右する場所こそ、彼らの戦場だった。
第七騎士団が秘匿しているのは組織の存在ではない。
誰が動き、どこへ潜り、何を掴み、何を流すのか。
その実態だけが、王国最上位の秘匿事項だった。
エレアが扉を二度叩く。
「失礼します」
「入れ」
低く落ち着いた声が返る。
扉が開くと、広い執務室が姿を現した。
豪華さは一切ない。
中央には巨大な机が据えられ、西大陸全図や国境地帯、交易路、港湾を記した地図が何枚も広げられている。壁際には資料棚が並び、封蝋付きの報告書や色分けされた書類が整然と収められていた。
十名ほどの隊員が資料の整理や情報の照合を行っていたが、オルヴェインの姿を認めた瞬間、その手が止まる。
誰も慌てない。
ただ全員が同時に状況を理解し、次の命令を待つ姿勢へ移った。
机に広げられていた地図へ伏せ紙が置かれ、報告書は裏返される。
見せるべき情報と隠すべき情報を、一瞬で切り分ける。
その動きだけで、この部屋が王国情報機関の中枢であることが伝わってきた。
部屋の奥から二人の男が歩み寄る。
先頭に立つのは五十代半ばほどの壮年だった。
飾り気のない軍服に剣を帯びているが、その威圧感は武人というより戦争そのものを動かしてきた者の静かな貫禄だった。
隣を歩く四十代前半ほどの男も無駄のない所作で足を止める。
二人はオルヴェインへ一礼した。
「ようこそお越しくださいました。本日はどのようなご用件でしょうか」
「急な訪問になりました」
「問題ありません」
壮年の男は短く応じると室内を見渡す。
「全員、手を止めて集まれ」
隊員たちは即座に中央へ集まった。
宰相自らが足を運び、さらにエレア・レインフォードまで同行している。
それだけで通常の案件ではないと理解していた。
全員が揃ったところで、オルヴェインが口を開く。
「まず、人事について伝えます」
室内の空気が静かに張り詰める。
「本日付で、エレア・レインフォードにはレイン・クロードの補佐として、第七騎士団へ加わっていただきます」
その名が告げられた瞬間、年長の隊員たちの表情がわずかに動いた。
総隊長ディートハルト・ゼルヴァインは一歩前へ進み、深く頭を下げる。
「お久しぶりです、エレア殿」
「こちらこそ。本日よりよろしくお願いいたします」
「再び共に任務へ就けることを光栄に思います」
短いやり取りだったが、それだけで古くからの信頼関係が伝わった。
オルヴェインは再び隊員たちへ向き直る。
「若い者は知らないでしょうが、エレア・レインフォードは二十歳で第三騎士団副長へ就任した王国史上最年少記録保持者です。その名は当時、各国の軍や情報機関にも広く知られていました」
室内は静まり返る。
「騎士学校の副学長就任により第一線から退いていましたが、情勢は変わりました。カルドニアとの緊張が高まる今、彼女を後方へ置いておく理由はありません。本日より現場へ復帰します」
隊員たちは黙って頷いた。
「なお、副学長には影武者を配置します。各国にはこれまで通り学園勤務を続けていると認識させます。この件の口外は一切禁止です」
「承知いたしました」
ディートハルトが代表して応じる。
「続いて、もう一つの人事があります。レイン、一歩前へ」
「はい」
レインは一歩前へ進み、隊員たちと向き合う。
集まった視線には好奇心も警戒もあった。
十代半ばの少年。
その顔を知る者は誰一人いない。
第七騎士団の隊員たちは、各国の王侯貴族や軍人、有力商人、傭兵団の幹部に至るまで、その顔と名を頭へ叩き込まれている。その彼らが知らないということは、少なくとも表の世界では無名の存在ということだった。
それでも、宰相が自ら連れてきた。
さらにエレア・レインフォードが補佐を務める。
その時点で、ただの新人であるはずがなかった。
「本日付で、第七騎士団へ配属となる、レイン・クロードです」
レインは静かに一礼する。
「初めましてレイン・クロードです。本日よりよろしくお願いいたします」
若い声だった。
しかし、不思議と頼りなさは感じさせない。
部屋に集う歴戦の隊員たちの視線を真正面から受け止めながら、必要以上に気負うことも、臆することもなかった。
ディートハルトが一歩前へ出る。
「第七騎士団総隊長、ディートハルト・ゼルヴァインだ」
隣の男も続く。
「副隊長、ヴァルグリム・オルフェスです」
「よろしくお願いいたします」
レインが頭を下げると、ディートハルトは小さく頷いた。
「歓迎しよう。ここは派手な武勲を競う場所ではない。だが、この国を陰から支えるという点では、どの騎士団にも劣らぬ誇りを持っている」
「はい」
「君も今日から、その一員だ」
短い歓迎の言葉だったが、それだけで十分だった。
オルヴェインは部屋を見渡し、静かに口を開く。
「以上で人事は終了です」
一拍。
誰も口を開かない。
室内の空気が、わずかに変わった。
宰相自ら足を運び、エレア・レインフォードの現場復帰を正式に告げ、新人一人を紹介する。
それだけのために、この場が設けられたとは誰も思っていない。
オルヴェインは一人ひとりの顔を見渡し、声を落とした。
「ここから先は、この場にいる者だけが知る内容になります」
隊員たちの表情が自然と引き締まる。
「以後の内容は、エレアの現場復帰と同じく、王国最上位の秘匿事項として扱ってください」
「承知いたしました」
ディートハルトが即座に応じる。
それに続き、隊員たちも一斉に姿勢を正した。
「承知いたしました」
オルヴェインは静かに頷く。
「諸君らへ伝えるのは一点のみです」
執務室が静まり返る。
「レイン・クロードの経歴、能力、出自。そのすべてを秘匿します」
隊員たちの視線が一斉にレインへ向いた。
新人の素性を伏せること自体は珍しくない。
だが、宰相自らそこまで断言する例など聞いたことがなかった。
オルヴェインは一拍置く。
「諸君らが知る必要があるのは、一つだけです」
誰も動かない。
「彼は――王国が秘匿する、非公式の上位超越者です」
静寂が落ちた。
誰一人として声を上げない。
だが、隊員たちの目だけが変わる。
レインを見据える視線が、一瞬で「新人を見る目」から「戦力を測る目」へと変わっていた。
ディートハルトも静かにレインを見つめる。
その眼差しに驚きはない。
ただ、王国が今日まで伏せ続けてきた切り札を、自らの目で確かめるように観察していた。
やがて彼は、ゆっくりと口を開く。
「……一つ、確認してもよろしいでしょうか」
「構いません」
「非公式ということは、我々が把握している王国所属の超越者とは別枠。その理解でよろしいでしょうか」
「その認識で間違いありません」
短い返答だった。
しかし、その一言だけで十分だった。
王国には、まだ公になっていない戦力が存在する。
しかも、それは戦場の均衡を覆し得る上位超越者。
その事実の重みを、この場の全員が理解していた。




