登城
卒業式から三日後、レインは王都の西区を歩いていた。目指す先はアルディア王城である。ただし、騎士や文官が出入りする正門ではない。アレクシスから渡された短い書状には、城の西側にある通用門へ向かうよう記されていた。
通用門の周辺には、使用人や荷運びの姿があった。人払いをしているとはいえ、完全に人影を消せばかえって目立つのだろう。荷車はいつもより少なく、立つ兵士達も必要以上に周囲へ視線を向けない。
自然に見える。
だからこそ、意図が透けて見えた。
誰が何を見ないようにしているのか。それだけで、この場が厳重に管理されていることが分かる。
レインが門へ近づくと、横手の扉が静かに開いた。
「こちらです、レイン」
姿を現したのはエレアだった。銀髪を後ろでまとめ、落ち着いた濃紺の衣装を身に纏っている。副学長として見慣れた姿ではあるが、今日の彼女は学校にいた頃よりもさらに隙がない。
「お久しぶりです。」
「挨拶は中で構いません。今日、あなたがここへ来たことを知る者は限られています。」
「なるほど。」
「余計な視線を向けず、私の後ろを歩いてください。」
丁寧な口調だったが、その響きは命令そのものだった。
レインも何も言わず後に続く。
案内されたのは豪華な正面回廊ではなく、使用人達が行き交う裏通路だった。途中ですれ違う兵士も使用人も、誰一人としてレインへ目を向けない。
いや、正確には違う。
見ていないのではない。
見ないよう徹底しているのだ。
「随分と徹底していますね。」
「徹底するだけの理由があります。」
エレアは歩みを緩めることなく答えた。
「あなたとヴェルガストの関係が外へ漏れれば、王国だけの問題では済みません。」
その名に、レインはわずかに目を細める。
やはり今日の話は師匠についてらしい。
アレクシスが驚いた理由も、王城へ呼ばれた理由も、すべてそこへ繋がっている。
やがて二人は城の奥にある小さな会議室の前で足を止めた。
謁見の間ではない。
大臣達が集う会議室でもない。
外から見れば、重要書類を扱う控え室にしか見えない質素な部屋だった。
エレアが扉を叩く。
「エレアです。レイン・クロードをお連れしました。」
「入れ。」
低い声が返る。
扉が開き、レインは室内へ足を踏み入れた。
中央の長机には三人。
正面にはアルディア国王ゼルヴァード・アルディア。
その隣に宰相オルヴェイン・ザグラ。
そして少し離れた席に学園長アレクシスが座っていた。
エレアは静かに扉を閉め、国王の斜め後ろへ控える。
ゼルヴァード王は堂々たる体格の男だった。豪奢な装飾こそ身につけていないが、そこに座るだけで部屋全体の空気を支配している。
「レイン・クロード。」
「はい。」
「改めて名乗ろう。私はアルディア国王ゼルヴァードだ。」
「宰相のオルヴェイン・ザグラです。本日は非公式の場ですので、過度な礼は不要ですよ。」
「レイン・クロードです。」
レインが一礼すると、王は短く頷いた。
「座れ。」
「失礼します。」
席へ着いた瞬間、空気が変わる。
世間話をする場ではない。
そのことを、この場にいる全員が理解していた。
「まず確認したい。」
ゼルヴァード王は机の上で指を組み、レインを真っ直ぐ見据える。
「お前の師は、ヴェルガストと名乗っていたのだな。」
「はい。」
「どのような暮らしをしていた。」
レインは少し考えた。
「朝から酒を飲んで、昼寝をして、気が向けば狩りへ行く生活でした。」
室内が静まり返る。
オルヴェインが思わず聞き返した。
「……それが普段の姿ですか。」
「はい。あとは剣や魔法を教えてくれました。狩りや気配の読み方、罠の見抜き方、それから戦場では何を優先するべきかも。」
「戦場……。」
王が小さく呟く。
「自分の過去は語ったか。」
「酒を飲んでいる時に少しだけ。」
「どんな話だ。」
「国を一つ潰したとか、三つの国に追われたとか、龍に喧嘩を売って三日逃げ回ったとか。」
レインは苦笑した。
「全部、酔っぱらいの冗談だと思っていました。」
誰も笑わない。
レインだけが首を傾げる。
「……本当なんですか。」
「分からん。」
王は静かに答えた。
「我々が知るのは戦場に残された記録だけだ。だからこそ、お前の話を聞いている。」
「そうですか。」
「他に客は来なかったか。」
レインは首を横へ振りかけ――ふと思い出した。
「……一人だけいました。」
四人の視線が一斉に集まる。
「女性です。子どもの頃、一度だけ。」
「どんな人物だった。」
「この世の者とは思えないくらい綺麗な人でした。」
エレアの瞳がわずかに揺れる。
オルヴェインも無言になる。
「師匠とは昔からの知り合いみたいで、三日三晩ずっと酒を飲んでいました。」
「三日三晩……。」
アレクシスが思わず呟く。
「最後は二人とも泥酔でした。」
レインは懐かしそうに笑った。
「翌朝、見送りに外へ出たら、その人が龍の姿になって帰っていったんです。」
室内から音が消えた。
「白銀の龍でした。人の姿も龍の姿も、本当に綺麗で……でも酔っていたみたいで、ふらふら飛んで行きました。」
誰も口を開かない。
その断片だけで、四人は一つの存在を思い浮かべていた。
しかし、誰もその名を口にはしなかった。
王はゆっくり息を吐く。
「……最後に一つだけ聞こう。」
「はい。」
「なぜ騎士学校へ入学した。」
「師匠に言われたからです。」
「理由は。」
「『お前、暇だろ。二年くらい遊んでこい』って。」
一瞬、沈黙が落ちる。
「……それだけか。」
「はい。旅費も学費も置いてあったので、そのまま王都へ来ました。」
あまりにも自然な答えだった。
立身出世でもない。
騎士への憧れでもない。
ただ、育ての親に言われたから来た。
それだけだった。
ゼルヴァード王は静かに組んでいた手を解く。
「レイン・クロード。」
声色が変わる。
「ここから先は王国の機密だ。」
部屋の空気がさらに張り詰めた。
「お前の師が本当に我々の知るヴェルガストなのか、断定はできん。だが可能性だけでも十分危険だ。」
王は真っ直ぐレインを見据える。
「その事実が外へ漏れれば、大国は必ず動く。お前を狙う者も現れる。」
「……自分を、ですか。」
「そうだ。」
王は即答した。
「ヴェルガストの弟子というだけで価値が生まれる。その上、お前には実力がある。放っておく国はない。」
オルヴェインが続ける。
「北方情勢も不安定です。近い将来、大きな戦が起きても不思議ではありません。」
レインは静かに頷いた。
「つまり、自分と師匠の関係は隠したい、と。」
「その通りだ。」
王は一拍置く。
「そして王国は、お前の力を借りたい。」
レインは答えなかった。
その沈黙を見届けた王は、静かに言葉を続ける。
「忠誠を誓えとは言わん。国のために命を捨てろとも言わん。」
「……。」
「だが、これからの時代には、お前のような力が必要になる。」
エレアが口を開く。
「通常の騎士団では、あなたは必ず目立ちます。」
「だからこそ、表へ出ない部隊がある。」
ゼルヴァード王はレインを真っ直ぐ見据えた。
「レイン・クロード。」
静かな部屋に王の声だけが響く。
「第七騎士団へ入ってくれないか。」




