第97話 並ぶ背中
朝。
東へ続く街道を、二人は並んで歩いていた。
空は高く澄み、風は穏やかだった。
鳥のさえずりが木々の間を渡っていく。
山は腰へ差した地図を取り出し、歩きながら目を通す。
しばらく黙って眺めた後、小さく口を開いた。
「この先に村がある。」
雷姫が隣から覗き込む。
「今日中に着けそうか。」
「多分な。」
短いやり取り。
それだけで話は終わる。
だが。
昨日までなら、山は「どこへ行くか」すら決められなかった。
少しだけ。
本当に少しだけだったが、自分から前を向こうとしていた。
雷姫はその変化に気付いていた。
何も言わない。
今は、それでいいと思った。
⸻
昼前。
街道の先で人だかりが見えた。
近付くと、一台の荷車がぬかるみへ車輪を取られていた。
老夫婦が必死に押している。
だが、びくともしない。
山は自然と足を止めた。
雷姫が横を見る。
「行くのか。」
山は少しだけ困ったように笑う。
「……困ってるみたいだからな。」
雷姫はため息を吐く。
「お前は本当に。」
そう言いながらも、先に荷車へ歩いて行った。
老夫婦が驚いて顔を上げる。
「すまんのう。」
「手を貸してもらえるかい。」
山は荷車の後ろへ回る。
「押します。」
雷姫は車輪の横へ立った。
「合図を。」
山が頷く。
「せーの。」
二人で力を込める。
ぬかるみが大きく音を立てた。
車輪が少し浮く。
「もう一回。」
「せーの!」
ズボッ、と音を立てて車輪が泥から抜けた。
荷車が前へ進む。
老夫婦がほっと胸を撫で下ろした。
「助かったよ。」
「本当にありがとう。」
山は照れくさそうに頭を掻く。
「大したことじゃないです。」
老爺は二人を見比べた。
「若い夫婦は力があるなぁ。」
「違う。」
「違う。」
また綺麗に声が重なった。
老夫婦は顔を見合わせる。
そして大笑いした。
「息ぴったりじゃないか。」
雷姫は僅かに眉を寄せる。
「だから違う。」
山も苦笑するしかなかった。
⸻
荷車を引き終えた老婦人が、荷の中を探り始める。
「これ。」
籠へ入った野菜を差し出した。
山は慌てて手を振る。
「いや、そんな。」
「礼だから受け取って。」
老婦人は笑う。
「助けてもらったままじゃ気が済まないんだよ。」
山は困ったように雷姫を見る。
雷姫は短く言った。
「受け取れ。」
「……いいのか。」
「断れば相手も困る。」
山は少しだけ考え、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。」
老夫婦は嬉しそうに笑った。
「旅は気を付けるんだよ。」
「はい。」
二人は再び歩き始めた。
しばらく無言だった。
やがて山が野菜の入った籠を見る。
「思わぬ収穫だったな。」
雷姫は少しだけ口元を緩めた。
「助けた甲斐があったな。」
「……そうだな。」
山も少しだけ笑う。
その笑顔は。
砦を失ってから初めて見せる、自然な笑顔だった。
雷姫は横顔を見つめる。
(……笑えるのだな。)
それだけで、少し安心した。
⸻
夕方。
二人は街道を外れた小高い丘で野営を始めた。
山が薪を集める。
雷姫が火を起こす。
もう何も言わなくても役割が決まっていた。
焚き火が灯る。
昼に貰った野菜を鍋へ入れる。
湯気が立ち上った。
「少し豪華だな。」
山が呟く。
雷姫も頷いた。
「昨日よりは。」
二人は向かい合って食べ始める。
静かな夕暮れだった。
山は火を見つめながら、小さく息を吐く。
(……こういう時間も。)
悪くない。
そう思ってしまった自分に、少し驚く。
すぐに首を振る。
(違う。)
(ただ、一緒に旅をしているだけだ。)
向かいでは雷姫も同じように焚き火を見つめていた。
(……おかしい。)
初めて会った時は、ただの敵だった。
山隊砦へ向かう途中は、義信の恩人だから気になった。
だが今は違う。
気付けば、無意識に山の姿を目で追っている。
傷は痛まないか。
ちゃんと食べているか。
そんなことばかり考えている自分がいた。
(……何だ、この感覚は。)
分からない。
戦しか知らずに生きてきた。
こんな気持ちになったことは、一度も無い。
雷姫は小さく息を吐いた。
(……ただの興味だ。)
そう、自分へ言い聞かせる。
だが。
気付けば二人とも。
昨日より自然に笑っていた。
東への旅は、まだ始まったばかりだった。
(続く)
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