第9話 崩れる本陣
角笛の音は、まだ続いていた。
低く、長く。何度も、何度も。
(……おかしい)
山は足を止めた。
戦場の外れ。血と土の匂いが、風に乗って流れてくる。
だが——
(前じゃない)
音の方向が違う。
「……山?」
弥助が眉をひそめる。
山は答えず、耳を澄ませた。
(……後ろだ)
嫌な予感が、背中を撫でる。
その時——
「退け!! 退けぇ!!」
叫び声。
振り向くと、味方の兵が崩れるように走ってくる。
「何があった!?」
弥助が腕を掴む。
「本陣が——!」
息を切らしながら、兵は叫んだ。
「後ろから……やられた!!」
「……どこの陣だ!」
「鷹司様の本陣だ……!」
(……やっぱりか)
山は目を細める。
(前は餌)
(本命は——後ろ)
(本陣を潰された)
胸の奥が、冷たくなる。
(帰る場所が、消えた)
「どうする……」
弥助の声が低い。
周囲には、数人の生き残り。
全員が、不安そうにこちらを見ている。
(……見てるな)
一瞬、迷う。
(逃げるか——?)
だが——
(いや)
(ここで散ったら、全員終わる)
ゆっくりと顔を上げる。
「……本陣に向かう」
「は!?」
弥助が目を見開く。
「一番、状況が分かる場所だ」
「今そこ行くのは——」
「分かってる」
静かに言う。
「でも、このまま散ったら、もっと死ぬ」
沈黙。
弥助が小さく息を吐く。
「……行くぞ、って顔だな」
山は何も答えず、歩き出した。
だが——
その背中を見て、誰も離れなかった。
⸻
黒煙が、空を覆っていた。
(……あそこだ)
鷹司の本陣。
だが——
焼け落ちた天幕。転がる死体。
「……いねえな」
弥助が低く言う。
(当然か)
(ここで死ぬ奴じゃない)
(もう動いてる)
勝敗は、すでに決まっていた。
(完全にやられてる)
「……生きてる奴がいる」
弥助が顎で示す。
瓦礫の陰に、数人。
その中で——
山の視線が、一人の男で止まった。
返り血を浴びている。だが——
(傷がない)
(呼吸も乱れていない)
周囲の兵は怯え、震え、視線が定まっていない。
だが、そいつだけは——
(……落ち着いてるな)
戦場を見ている。
(生き残ったんじゃない)
(生き残る動きをしてる)
その時——
男の視線が、山と合った。
逸らさない。
(……分かってる目だ)
山は小さく息を吐く。
「おい」
声をかける。
男は静かに顔を向けた。
「名前は」
「……玄」
短い返答。
「動けるか」
「問題ない」
(いいな)
迷いがない。
(使える、じゃない)
(同じ側だ)
山は一瞬だけ視線を外し——
「……一緒に来るか」
玄は、わずかに目を細め——頷いた。
⸻
その時——
「……山」
弥助の声が低くなる。
「やばいぞ」
「何がだ」
「見ろ」
視線を向ける。
煙の向こう。黒い影が動いている。
(……敵か)
いや——
(違う)
(動きが揃ってる)
一定の間隔で、広がってくる。
(……掃討)
「囲まれてる……」
誰かが呟く。
じわじわと、外側から狭まる。
「掃討部隊だ……!」
「くそ、終わりだ……」
空気が一気に沈む。
(……速いな)
(完全に潰しに来てる)
「どうする!?」
弥助が叫ぶ。
視線が、また集まる。
(……来るなよ)
だが——
(もう、逃げ場はねえか)
視線を巡らせる。
煙、瓦礫、地形、敵の間合い。
(……あるか?)
思考が研ぎ澄まされる。
(正面突破は無理)
(バラけたら終わり)
(時間もない)
(なら——)
「……静かにしろ」
ざわつきが止まる。
「まだ、抜け道はある」
全員が息を呑む。
弥助がニヤリと笑う。
「出たな、それ」
玄は何も言わず、ただ山を見る。
(試すか)
(俺が——どこまでやれるか)
一歩、前に出る。
(これは——運じゃない)
(外したら、全員死ぬ)
ゆっくりと口を開く。
「いいか——」
その瞬間、包囲がさらに狭まる。
(時間がねえ)
だが——思考は止まらない。
(生きる)
(そのために、使う)
初めて——
“自分の意思で、戦場を動かそうとした”
(続く)
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