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戦えない俺は見捨てて生き残る——戦場の違和感だけで成り上がる転生戦国記  作者: 黒狐
第10章 喪失編

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第87話 静かな一日

朝。


山隊砦は穏やかな空気に包まれていた。


完成した水堀には静かに水が流れ、見張りの兵が矢倉から周囲を見渡している。


山は身支度を整えながら迅へ声を掛けた。

「悪い。ちょっと情報屋のところへ行ってくる」


迅は軽く頷く。

「了解す。こっちは任せてください」


弥助が薪を肩へ担ぎながら笑った。

「今日も何も起きなきゃいいけどな」


山も苦笑する。

「それが一番だ」


そう言い残し、山は街へ向かった。


⸻


砦では、それぞれがいつもの仕事を始めていた。


弥助は斧を振り下ろし、黙々と薪を割っている。


乾いた音が、朝の砦へ心地良く響いた。


少し離れた場所では、鉄が酒瓶を片手に大きく息を吐く。

「くぅ〜、朝の一杯はうめぇな」


志乃は呆れたように振り返った。

「あんたはもう少し働きなさいよ」


鉄は胸を張る。

「ちゃんと働いてるぞ。休憩が多いだけだ」


弥助が思わず吹き出した。

「それを世間じゃサボりって言うんだよ」


「細けぇこと気にすんな!」


鉄が豪快に笑うと、周囲にも笑いが広がった。


⸻


矢倉では、孫六が弓を抱えたまま欠伸をしていた。


下から迅が声を掛ける。

「異常は?」


孫六は一度だけ周囲を見回し、気だるそうに手を振る。

「何もいないっす」


「平和ですねぇ」


「寝るなよ」


「努力します」


そう返した直後には、もう眠そうな顔になっていた。


⸻


新八は井戸で水を汲んでいた。


桶へ水を満たし、それを炊事場まで運ぶ。

「新八、その桶こっちお願い」


志乃に呼ばれ、新八はすぐ返事をした。

「はい!」


桶を受け渡す。


鉄がその様子を見て笑う。

「おぉ、よく働くじゃねぇか」


「ありがとうございます」


自然に笑って答える。


その姿を見た弥助が小さく頷いた。

「最初の頃より、ずいぶん砦に馴染んだな」


新八は照れくさそうに笑った。

「皆さんが良くしてくれるからです」


穏やかな空気。


笑い声。


誰もがいつも通りだった。


だが。


新八だけは違った。


桶を持ち直した拍子に、懐へ触れる。


布越しに伝わる、小さな包み。


蝶嶺から渡された毒。


その感触だけで胸が締め付けられる。


(どうすればいい……)


誰にも気付かれないよう、そっと手を離した。


⸻


その頃。


山は街道沿いの茶屋で情報屋と向かい合っていた。


情報屋は湯飲みを置き、小さく息を吐く。

「白蓮はまだ揉めてるらしい」

「宗明様が亡くなってから、城の出入りもずいぶん厳しくなったそうだ」


山は静かに耳を傾ける。

「それに雷姫の姿も見ねぇって話だ」


山の表情が少しだけ曇る。

「……雷姫が」


情報屋は肩を竦めた。

「詳しいことはまだ分からねぇ。噂程度だ」

「だが、城の中で何か起きてるのは間違いねぇだろうな」


少し間を置いて続ける。


「あと蒼鷹も少し動きがあった」

「この前討死した塚原茂光の後任が決まったらしい」


山は顔を上げる。

「後任か」


「ああ。ただ、まだ詳しいことまでは掴めてねぇ」

「名前も経歴も分からん」


「明日にはもう少し詳しい話が入ると思う」


情報屋は山を見る。

「悪いが、明日もう一回来てくれ」


山は静かに頷いた。

「分かった」


⸻


夕方。


山が砦へ戻ると、皆はいつも通り迎えてくれた。

「おかえり、頭」


迅が手を挙げる。

「何かありました?」


「大した話じゃない」


山は荷物を下ろしながら答えた。

「白蓮も蒼鷹も少し動きがあるみたいだ」


「詳しいことはまだ分からない」

「明日、もう一度情報屋のところへ行ってくる」


弥助が頷く。

「了解」


鉄は酒を飲み干しながら笑う。

「じゃあ今日は飯だ飯!」


「まだ飲む気か」


「飯にも酒は要るだろ」


「要らないわよ」


志乃が呆れると、また笑いが起きた。


いつもの山隊。


誰も疑わない。


誰も気付かない。


その輪の中で。


新八だけが笑えなかった。


皆の声が遠く聞こえる。


懐の毒が、まるで石のように重かった。


夜。


皆が休み始めた頃。


新八は一人、井戸の前へ立っていた。


静かな水面が月を映している。


新八はゆっくり懐へ手を入れた。


包みを握る。


震える。


その手は。


どうしても井戸の上へ伸ばすことが出来なかった。


(続く)

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