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戦えない俺は見捨てて生き残る——戦場の違和感だけで成り上がる転生戦国記  作者: 黒狐
第10章 喪失編

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第86話 選択

朝。


山隊砦は穏やかな空気に包まれていた。


完成した水堀には静かに水が流れ、見張りの兵が矢倉から周囲を見渡している。


志乃は薬草を仕分けながら、新八を振り返った。


「この薬草、昨日のでほとんど使っちゃったんだ。悪いけど、また採ってきてもらえる?」


新八は迷わず頷く。

「はい。任せて下さい」


「無理しなくていいからね。まだ傷も治りきってないんだから」


「大丈夫です。すぐ戻ります」


薬草の見本を受け取ると、新八は山へ軽く頭を下げ、砦を後にした。


その背中を見送りながら、山が小さく笑う。

「もう一人でも動けるようになったな」


弥助も頷いた。

「最初の頃とは顔つきが全然違う」


鉄は腕を組みながら笑う。

「そのうち俺より働くようになるんじゃねぇか?」


「それは流石にないでしょ」


志乃が呆れたように返すと、小さな笑いが広がった。


穏やかな朝だった。


誰も、この一日が山隊を大きく揺るがす始まりになるとは思っていない。


⸻


森。


新八は志乃から渡された見本を見比べながら、薬草を探して歩いていた。


(少しでも役に立ちたい)


助けられてばかりでは終わりたくない。


山たちに恩を返したい。


その思いだけで足を進めていた。


その時だった。


「……誰か……」


か細い女の声が風に乗って聞こえてきた。


新八は思わず足を止める。


少し離れた木陰に、一人の若い女が倒れていた。


着物は土で汚れ、苦しそうに身体を起こそうとしている。


「お願い……助けて……」


弱々しいその声に、新八の心臓が大きく鳴った。


(どうする)


身体が動かない。


もし賊だったら。

もし罠だったら。

頭ではそう考えてしまう。


だが、女がゆっくりと顔を上げ、新八と目が合った。


「お願い……」


その一言で、山の姿が脳裏に浮かぶ。


誰かに助けを求められた時、あの人は迷わなかった。


(俺も……)


(山さんみたいになりたい)


震える足を一歩踏み出す。


「だ、大丈夫ですか」


恐る恐る手を差し伸べた。


その瞬間だった。


「……合格ね」


女は何事もなかったように立ち上がると、着物についた土を軽く払い、小さく微笑んだ。


新八は固まる。


次の瞬間。


ガサッ!!


周囲の茂みから蒼鷹兵が一斉に姿を現した。


刀が新八へ向けられる。


「動くな」


逃げる間もない。


あっという間に取り囲まれた。


新八が震える中、兵たちは女へ向かって一斉に頭を下げる。


「蝶嶺様」


その光景を見た瞬間、新八の顔から血の気が引いた。


女は穏やかな笑みを浮かべたまま、新八へ視線を向ける。


「申し遅れました。蒼鷹軍副将、蝶嶺忌那です。つい先日、塚原殿の後任を拝命しました」


小さく笑う。


「もっとも……前任の塚原殿ほど甘くはありませんので、そのつもりで」


新八は何も言えなかった。


助けを求めていた女。

そう思っていた相手が、敵の副将だった。


蝶嶺は兵たちへ軽く目を向ける。


「ありがとう。後は私が話しますので、下がっていてください」


兵たちは静かに一礼し、その場を離れた。


辺りは再び静けさを取り戻す。


蝶嶺は新八の前へゆっくり歩み寄ると、穏やかな口調のまま尋ねた。


「山隊に助けられたそうですね」


新八は唇を噛んだまま何も答えない。


蝶嶺は気にした様子もなく微笑む。


「良い方々です。だからこそ……利用しやすい」


その一言だけで、新八の背筋を冷たいものが走った。


そして、蝶嶺は懐から小さな包みを取り出した。


白い粉だった。


「これを砦へ持ち帰ってください」


新八は包みと蝶嶺を交互に見た。


「……何ですか、それは」


「毒です」


あまりにも穏やかな口調だった。


まるで薬の説明でもするように、蝶嶺は続ける。


「井戸でも、水堀でも、食料でも構いません。少量で十分です」

「入れるだけで終わりますよ」


新八は勢いよく首を横へ振った。


「出来ません!」

「そんなこと……出来るわけないじゃないですか!」


蝶嶺は怒るどころか、小さく微笑んだ。


「そうでしょうね」

「だから、あなたを選んだのです」


新八は何も言えず俯く。




長い沈黙が流れた。




やがて、小さく震える声が漏れる。


「……分かりました」


「やります」


蝶嶺は満足そうに微笑んだ。


「ありがとうございます」


だが、新八の胸の内では別の考えが渦巻いていた。


(砦へ戻ったら全部話そう)


(山さんなら、きっと何とかしてくれる)


(そうすれば……)


その時だった。


蝶嶺がくすりと笑う。


「受け取るだけ受け取って、砦へ戻ったら山隊へ全て話そう……そうお考えですね?」


新八の身体が硬直した。


図星だった。


蝶嶺は懐から一枚の紙を取り出し、静かに地面へ広げる。


そこには小さな村の地図が描かれていた。


一軒だけ赤い印が付いている。


「……っ!」


新八の表情が変わる。


蝶嶺はその印へ指を添えた。


「あなた……最近山隊へ出入りしている新八という方ですね。蒼鷹領外れの村で育ち、お母様が今も一人で暮らしておられる」


新八の顔から血の気が引いていく。


「な……なんで……」


蝶嶺は静かに微笑んだ。


「調べるのが私の仕事ですから。安心してください、まだ手は出しておりません」


少しだけ間を置く。


「ですが、山隊へ全てを話した頃には……どうなっているでしょうね」


その一言だけで、新八の身体が震え始めた。


「や……やめてください」


「母は……関係ありません」


蝶嶺は首を傾げる。


「本当にそうでしょうか」


「あなたが選ばなければ、お母様が巻き込まれる。あなたが選べば、お母様は何も知らず平穏に暮らせる――私は選択肢を差し上げているだけですよ」


新八は歯を食いしばる。


「そんなの……そんなの選べるわけ……」


蝶嶺は包みを新八の掌へそっと乗せた。


「選びなさい」


「恩人を裏切るか、それとも母親を失うか」


「どちらも辛いでしょう。ですが、人は皆、何かを守るために別の何かを捨てながら生きています」


新八の目から涙が溢れた。


震える手で包みを握り締める。


母を守るか。


恩人を守るか。


どちらを選んでも、自分はもう元には戻れない。


⸻


その頃。


白蓮城。


一人の兵が深々と頭を下げていた。


「申し訳ございません! 雷姫を取り逃がしました!」


六道幻庵は静かに目を閉じる。


「……そうですか」


兵は恐る恐る続けた。


「ですが、副将・榊原景親は討ち取りました。こちらにも少なからず損害は出ましたが……」


しばらく沈黙が流れる。


やがて六道は小さく頷いた。


「ご苦労でした」


予想外の返事に兵は顔を上げる。


六道は窓の外へ目を向けたまま、小さく笑みを浮かべる。


「少し気になることがありましてね」


独り言のような声だった。


「私の読み違いであれば、それで結構」


「ですが……確かめる価値はありそうですね」


そこで言葉を切る。


六道は静かに立ち上がった。


「少し、外へ出て参ります」


兵は事情も分からぬまま頭を下げる。


「はっ!」


六道は静かに部屋を後にした。


⸻


新八は包みを強く握り締めた。


涙だけが止まらない。


自分はこれから。


何を失うのだろう。


(続く)

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