第84話 雷姫逃亡
――燃えていた。
夜空を焦がす紅蓮の炎。
白蓮城の一角が、業火に包まれている。
「雷姫様、こちらです!」
榊原景親が叫ぶ。
煙が廊下を覆い、熱気が肌を焼く。
炎は柱を舐め、天井から火の粉が降り注いでいた。
雷姫は足を止め、燃え盛る城を振り返る。
「待て。まだ城には兵たちが残っている!」
「今はご無事でいることが先です! どうか、お急ぎ下さい!」
榊原がそう叫んだ直後、崩れ落ちた梁が二人の背後へ激しく落下した。
轟音が夜を震わせる。
――時は少し前に遡る。
⸻
その夜。
榊原景親は城内の見回りを終えようとしていた。
宗明亡き後の白蓮城は、どこか張り詰めた空気に包まれている。
兵たちも必要以上に口数が少なく、廊下には重苦しい静寂だけが流れていた。
その時だった。
奥の一室から、小さな話し声が聞こえてくる。
聞くつもりはなかった。
だが、聞こえてきた名に榊原の足が止まった。
「義信は取り逃がしましたが、雷姫だけでも逃すわけにはいきませんね」
六道幻庵の声だった。
別の男が低く笑う。
「宗明派を残しておく理由はありません。頃合いを見て始末しましょう」
「火でも放てば事故で済みますので誰も疑いますまい」
部屋の中から笑い声が漏れる。
榊原は拳を強く握り締めた。
(……本気か)
雷姫様まで消すつもりなのか。
榊原は踵を返すと、そのまま雷姫のいる離れへ走った。
⸻
雷姫は静かに書物へ目を落としていた。
突然開いた障子に視線を向ける。
「景親? 何事だ」
榊原は息を整える暇もなく頭を下げた。
「雷姫様、今すぐここをお離れ下さい」
雷姫は眉をひそめる。
「何を言っている。理由を言え」
榊原は密談で聞いたことをすべて話した。
六道。
強硬派。
そして、自分を狙う計画。
話を聞き終えた雷姫は静かに目を閉じる。
だが、その返事は変わらなかった。
「私は逃げぬ」
「雷姫様!」
榊原が思わず声を荒らげる。
雷姫は真っ直ぐ榊原を見つめ返した。
「私は白蓮四天王だ。ここで城を出れば本当に謀反人となってしまう。それでは宗明様へ顔向けできぬ」
榊原は一歩前へ出る。
「だからこそ生きて頂かなければなりません! 今ここで命を落とせば、本当に白蓮は終わってしまいます!」
雷姫は静かに首を振った。
「ならば戦う。私は逃げるために剣を握った訳ではない」
榊原は深く息を吸う。
そして静かに口を開いた。
「宗明様は、生前こう仰いました」
あの日の光景が脳裏に蘇る。
⸻
「景親。雷姫は真っ直ぐ過ぎるところがある。一度こうと決めたら、なかなか考えを曲げぬからな」
宗明は穏やかに笑っていた。
「だからこそ、そちが支えてやってくれ。止まるべき時は止め、進むべき時は迷わず背中を押す。それがお前にしか出来ぬ役目だ」
少しだけ空を見上げる。
「……雷姫を頼んだぞ」
⸻
榊原は真っ直ぐ雷姫を見つめた。
「私は宗明様より、あなたを託されました。どうか、生きて下さい」
雷姫は唇を噛む。
それでも首を縦には振らなかった。
⸻
その瞬間だった。
「火だぁ!!」
城内へ悲鳴が響く。
焦げ臭い匂いが一気に流れ込んできた。
榊原が障子を開く。
次の瞬間、炎が視界いっぱいに広がった。
「……!」
離れを囲むように火が回っている。
廊下も。
庭も。
逃げ道までも。
すべて炎が塞いでいた。
雷姫も息を呑む。
「これは……」
榊原は燃え上がる建物を見据えた。
「最初から、我らを逃がさぬつもりだったのでしょう」
雷姫は炎を見つめたまま、ゆっくりと目を閉じる。
やがて小さく頷いた。
「……分かった。生きよう。そして、生きて白蓮を取り戻す」
榊原は安堵したように息を吐く。
「そのお言葉を、お待ちしておりました」
その直後、柱が音を立てて崩れ落ちる。
「参ります!」
榊原は雷姫を先へ促し、燃え盛る廊下へ飛び出した。
こうして。
白蓮四天王・雷姫は、自らの国を追われる謀反人となった。
(続く)
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