第80話 少しずつ
朝。
砦には、いつものように活気が戻っていた。
「そっちもう少し寄せろ!」
迅の声が飛ぶ。
「おう、これでどうだ?」
丸太を抱えた鉄が笑う。
「まだ右だ右!」
「細けぇなぁ!」
そんなやり取りに、あちこちから笑い声が上がる。
医療小屋の中で、新八は静かにその声へ耳を傾けていた。
昨日まで身体を起こすことさえ苦しかったが、今日は少し違う。
ゆっくりと立ち上がると、志乃が振り返った。
「熱は下がったけど、まだ無理は駄目だからね。歩くくらいならいいけど、働こうなんて考えないこと」
新八は小さく頭を下げる。
「分かりました。本当に……お世話になります」
志乃は薬草を袋へ詰めながら肩を竦めた。
「治すのが私の仕事なんだから、そんなに気にしなくていいよ」
そう言って外へ出ていく。
新八は少しだけ笑みを浮かべ、その後を追うように医療小屋を出た。
⸻
外へ出ると、鉄が真っ先に気付いた。
「おっ、歩けるようになったか!」
「はい。ようやく少しだけ」
「それなら上出来だ!」
鉄は豪快に笑う。
その横では弥助が薪を割っていた。
「焦んなよ。身体が戻る前に倒れたら意味ねぇからな」
「はい」
素直に頷く新八へ、迅も笑い掛ける。
「ここじゃ怪我人は大人しくしてるのも仕事だからな。遠慮せず休んどけ」
三人の言葉に、新八は戸惑ったように目を伏せた。
「……ありがとうございます」
それ以上、言葉が出てこなかった。
⸻
昼。
新八は砦の中をゆっくり歩いていた。
外柵の補修。
畑の手入れ。
矢倉の見張り。
誰もが黙々と動いている。
だが、不思議と空気は重くない。
笑い声が絶えないのだ。
その様子を見ていると、山が近付いてきた。
「少し歩けるようになったみたいだな」
「はい。もうだいぶ楽になりました」
「それなら良かった」
山は少し考える。
「……何か手伝いたそうな顔してるな」
新八は思わず苦笑した。
「助けて頂いたまま何もしないというのは、どうにも落ち着かなくて」
山もつられて笑う。
「じゃあ、薪を運ぶくらい頼もうかな。無理しない程度でいい」
「はい!」
思わず声が弾む。
その返事に鉄が吹き出した。
「そんな嬉しそうに返事することかよ!」
⸻
だが、実際にやってみると簡単ではなかった。
薪を抱え過ぎて落としそうになる。
慌てて拾おうとして、今度は足をもつれさせる。
「危ねぇ危ねぇ!」
鉄が支えた。
「一気に持とうとするからだ。少しずつ運べばいい」
弥助も笑う。
「欲張るな。薪は逃げねぇよ」
迅が肩を揺らした。
「最初から上手くやれる奴なんかいねぇって」
周囲から笑いが起こる。
新八も思わず笑ってしまった。
こんな失敗をして笑われたのは初めてだった。
責められることも、怒鳴られることもない。
ただ笑って終わる。
それが、妙にくすぐったかった。
⸻
少し離れた場所。
義信はその様子を静かに見つめていた。
新八は皆と笑っている。
鉄も。
弥助も。
迅も。
自然に受け入れ始めていた。
だが――
(やはり……)
胸の奥に残る違和感だけは消えない。
理由は分からない。
敵意を感じる訳でもない。
何か証拠がある訳でもない。
それでも。
(何かが引っ掛かる)
その感覚だけは拭えなかった。
⸻
夕方。
矢倉の上から孫六が声を掛ける。
「おーい、新八さん」
見上げると、孫六がこちらを覗き込んでいた。
「薪、一束落としてるっすよ」
「あっ!」
慌てて拾い上げる。
「すみません、気付きませんでした」
孫六は肩を竦めた。
「そんな何回も謝らなくていいっすよ。鉄さんたちなら十回くらい落としても笑って終わりですし」
「おい、聞こえてるぞ!」
鉄が下から怒鳴る。
その声に砦中が笑いに包まれた。
新八も、自然と笑っていた。
⸻
夜。
焚き火の火が静かに揺れている。
鉄は酒を飲みながら上機嫌で笑い、弥助が呆れたように突っ込む。
迅もそれを見て笑っていた。
少し離れた場所で、新八はその光景を眺めていた。
山が隣へ腰を下ろす。
「少しは慣れたか?」
新八は焚き火を見つめたまま頷く。
「はい……こんな風に誰かと笑ったのは、本当に久しぶりです」
山は小さく笑った。
「そうか。それなら良かった」
それ以上は聞かない。
新八も、それ以上は話さない。
静かな時間だけが流れていく。
少し離れた場所では、義信が焚き火を見つめていた。
皆が新八を受け入れ始めている。
悪いことではない。
それでも。
胸の奥に残る違和感だけは、今日も消えなかった。
(私の考え過ぎなら、それでいい)
義信は静かに息を吐く。
そう願いながら、燃え続ける焚き火を見つめていた。
(続く)
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