第39話 薬師
蒼鷹本陣。
重い空気が流れていた。
誰も口を開かない。
ただ。
玉座の前で、
真壁義臣だけが頭を下げている。
血に汚れた鎧。
折れた鞘。
敗走の跡が、
そのまま残っていた。
⸻
「……負けたのか」
低い声。
鷹司景冬が、
静かに言った。
真壁は額を地へ擦りつける。
「申し開きもございません……!」
次の瞬間。
景冬が立ち上がった。
轟音。
蹴りが、
真壁の顔面へ叩き込まれる。
真壁の身体が転がった。
周囲の兵たちが震える。
景冬の目には、
怒気が宿っていた。
「寡兵相手に、
進軍を止められただと?」
「しかも、
奴隷兵まで反旗を翻した?」
冷たい声。
「貴様、
どれだけ恥を晒せば気が済む」
真壁はすぐに起き上がり、
再び平伏する。
「申し訳ございません!!」
「次は必ず——!!」
「次?」
景冬が笑った。
だが。
その笑みは冷たい。
「山狐一匹、
捻り潰せぬ程度でよく吠える」
真壁の拳が震える。
屈辱。
怒り。
そして——
憎悪。
脳裏に浮かぶのは、
黒布の男。
山狐。
(……殺す)
必ず。
次こそ。
絶対に。
真壁は頭を下げたまま、
奥歯を噛み締めた。
⸻
その頃。
村外れ。
焚き火の前。
女は静かに気配を感じ取っていた。
森が揺れる。
誰か来る。
その瞬間。
無意識に、
手が短刀へ伸びる。
警戒。
逃げる準備。
だが——
現れたのは、
数人の男たちだった。
先頭。
黒布を巻いた男。
その姿を見た瞬間。
女の目が細くなる。
「……山狐?」
山は止まる。
静かに女を見る。
薬袋。
腰の小瓶。
乾燥薬草。
そして——
微かに漂う薬の匂い。
山が口を開く。
「お前が、
俺を探してた奴か」
女は少しだけ迷い、
短刀から手を離した。
「……志乃」
短く名乗る。
「薬師やってる」
弥助が眉を上げた。
「薬師?」
鉄は女を見て、
小さく鼻を鳴らした。
「随分物騒な薬師だな」
志乃は睨む。
「一人旅で無防備な女が、
生き残れると思う?」
刺々しい声。
だが。
怯えてはいない。
山はそのまま聞く。
「なんで俺を探してた」
焚き火が揺れる。
志乃は少し黙り——
やがて口を開いた。
「……利用出来ると思った」
弥助が眉を上げる。
志乃は続ける。
「山狐」
「真壁を追い詰めたって聞いた」
「だから来た」
その目には、
怒りが残っている。
「私は戦えない」
「でも、
助けることは出来る」
腰の薬袋へ触れる。
「薬も使える」
「傷も診れる」
「毒も扱える」
そして。
真っ直ぐ山を見る。
「だから、
真壁を殺せるなら使えばいい」
「私は、
真壁を殺せる奴に付く」
空気が静かになる。
山の脳裏に、
真壁の姿が浮かぶ。
奴隷兵を盾にした男。
命乞いのために、
平然と人を利用した男。
逃げた後、
人質まで斬った男。
山は小さく息を吐いた。
そして——
短く言う。
「分かった」
志乃の目が揺れる。
「……いいのか?」
「役に立つなら、
理由はどうでもいい」
山が言う。
弥助が笑った。
「相変わらず拾うなぁ」
鉄も肩を竦める。
「そのうち隊が増えまくるぞ」
玄だけは、
静かに志乃を見ていた。
視線が鋭い。
観察している。
⸻
山は志乃へ向き直る。
「ただ」
志乃が顔を上げる。
「拠点は男ばっかだ」
「元野盗も多い」
迅たちが気まずそうな顔をした。
山は続ける。
「何もないとは思う」
「でも、
もし何かあったら——」
その目が細くなる。
「自分の身は、
自分で守れ」
志乃は少し黙り——
小さく鼻で笑った。
「言われなくても」
そのまま短刀を軽く回す。
「簡単に殺られる気はない」
弥助が吹き出した。
「気強ぇなぁ」
「うるさい」
即答。
そのやり取りに、
少しだけ空気が緩む。
⸻
山は踵を返した。
「行くぞ」
夜の森へ、
山たちが歩き出す。
その後ろを。
薬袋を揺らしながら、
志乃も静かについていった。
焚き火だけが、
後ろで小さく揺れていた。
(続く)
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