第36話 火種
蒼鷹軍が、
森の向こうへ消えていく。
敗走。
もう戻ってこない。
兵たちは互いに支え合いながら、
傷だらけで去っていく。
誰も振り返らない。
⸻
しばらく。
戦場には、
静かな風だけが流れていた。
やがて——
「……勝った」
誰かが呟いた。
小さな声。
だが。
その一言をきっかけに、
空気が揺れた。
「生きてる……」
「蒼鷹が退いた……!」
奴隷兵たちの間から、
少しずつ声が漏れ始める。
そして。
一人が泣いた。
それをきっかけに、
堰を切ったように歓声が上がる。
「助かった……!!」
「終わった……!」
「本当に……!」
泣く者。
笑う者。
崩れ落ちる者。
長く押し潰されていた感情が、
一気に溢れていた。
⸻
弥助は、
その光景を見ていた。
その横で。
迅が、
震える手を握り締めている。
「……生き残ったな」
弥助が言う。
迅は苦く笑った。
「あぁ」
声が掠れている。
「まだ……
信じられねぇけどな」
弥助が鼻で笑う。
「俺もだ」
その瞬間。
迅が頭を下げた。
深く。
「……来てくれて、
助かった」
周囲の奴隷兵たちも、
次々と頭を下げていく。
弥助が少し困った顔をした。
「礼なら、
俺じゃねぇよ」
視線が向く。
森の影。
そこに、
山が立っていた。
黒い布が、
静かに揺れている。
山は何も言わない。
ただ、
敗走していく蒼鷹軍を見ていた。
氷牙戦の敗北。
逃げるしかなかった夜。
守れなかった命。
張り詰め続けていたものが、
ようやく少しだけ緩む。
勝った。
今度は、
止め切った。
寡兵で。
格上相手に。
ちゃんと、
戦いを終わらせた。
だが——
脳裏には、
森で見つけた亡骸が残っている。
助け切れなかった。
全部は救えなかった。
山は静かに目を閉じる。
そして。
小さく息を吐いた。
⸻
その頃。
迅が、
山の方を見ていた。
少し迷う。
だが——
意を決したように歩き出す。
「……山狐」
弥助たちも視線を向ける。
迅は頭を下げた。
「俺たち、
これから行く場所がねぇ」
静かな声。
「だから——」
一瞬、
迷う。
だが。
槍を握り直した。
「俺たち、
あんたの傘下に入る」
弥助が目を見開く。
迅は続けた。
「俺たち、
元は盗賊崩れが多い」
「汚ぇ仕事も出来る」
「戦うことも出来る」
「だから……
役には立てるはずだ」
弥助が吹き出した。
「なのに捕まってんのかよ」
迅が顔をしかめる。
「うるせぇ」
周囲から、
小さく笑いが漏れる。
さっきまでの殺気が、
少しだけ和らいだ。
迅は息を吐き、
真面目な顔へ戻る。
「俺たちのねぐらがある」
「山の中だ」
「今後、
蒼鷹とやり合うなら使える」
弥助が驚く。
「拠点まで渡すのかよ」
迅は頷いた。
「あいつらに戻る気はねぇ」
「もう、
後戻りは出来ねぇからな」
山は迅を見る。
周囲の奴隷兵たちも、
不安そうに、
だが真っ直ぐこちらを見ていた。
山は少しだけ考え——
静かに頷いた。
「……分かった」
その瞬間。
迅たちの顔から、
力が抜けた。
⸻
その後。
山たちは、
迅たちのねぐらへ向けて動き始める。
森の奥。
蒼鷹でも、
まだ正確な場所を掴めていない隠れ場。
元々、
迅たちが密売や盗品の受け渡しに使っていた場所だった。
だからこそ、
隠れるには都合がいい。
玄が周囲を警戒する。
鉄は肩を回しながら歩く。
「やっと一息つけんな」
孫六は木の上を移動していた。
弥助は迅たちと並んで歩いている。
そして。
山は最後尾で、
静かに周囲を見ていた。
まだ終わっていない。
蒼鷹軍も。
真壁も。
必ずまた来る。
だが——
今は、
この勝利だけを受け止めた。
⸻
その頃。
雷霆城。
「蒼鷹軍、
撤退した模様です」
副将、
榊原景親が頭を下げる。
雷姫は静かに盤面を見ていた。
「……本当にやったのね」
小さな呟き。
景親が続ける。
「寡兵で蒼鷹軍を押し返すなど、
常識では考えられません」
雷姫は薄く笑う。
「常識で動くなら、
山狐なんて呼ばれてないわ」
静かな声。
だが。
その目には、
確かな興味があった。
「次は、
どんな戦を見せるのかしらね」
⸻
一方。
影月城。
久我景定は、
静かに報告を聞いていた。
「蒼鷹軍、
進軍失敗」
「真壁義臣は撤退したとのこと」
景定は目を細める。
「……寡兵で、
よく止めたものだ」
部下が続けた。
「なお、
報告によれば——」
「山狐本人は、
この戦で一人も斬っていないとのことです」
景定の指が止まる。
沈黙。
そして——
小さく鼻で笑った。
「甘いな」
冷たい声。
「戦場で、
手を汚さず生き残れるほど甘くはない」
だが。
景定は盤面へ視線を落としたまま、
静かに呟く。
「……それでも、
勝ったか」
その声だけは、
少しだけ興味を含んでいた。
⸻
森の奥。
山たちの姿が、
闇へ消えていく。
蒼鷹軍との戦いは終わった。
だが——
山狐の戦は、
まだ始まったばかりだった。
(続く)
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