第30話 狐火
蒼鷹軍との距離は、
もう近かった。
森を抜ければ接触する。
だから——
山は、
早めに動いていた。
⸻
森の奥。
山は地面に膝をつき、
蒼鷹軍を見ていた。
兵数。
進行速度。
奴隷列の位置。
補給隊。
全部を見る。
視線だけが動く。
静かだった。
その周囲には、
玄、鉄、孫六。
そして弥助。
全員が、
張り詰めた空気を纏っている。
山は顔を上げる。
視線だけで合図した。
玄が小さく頷く。
鉄が鼻を鳴らす。
孫六が弓を持ち直した。
それだけで十分だった。
全員が動き出す。
⸻
「弥助」
山が呼ぶ。
弥助が視線だけ向けた。
「今回は、
お前は好きに動いていい」
短い沈黙。
弥助が口元を歪める。
「言われなくてもそうする」
普段通りの返答。
だが、
空気は軽くない。
山は小さく頷く。
(……それでいい)
⸻
玄は森の奥へ消える。
鉄は後方へ回る。
孫六は木々の間を移動した。
それぞれ、
持ち場へ散る。
黒曜側も、
山たちだけで行かせるつもりはなかった。
最低限の兵が付けられている。
とはいえ、
正規軍ほどの数ではない。
山たちは、
あくまで雇われに近い立場だった。
それでも、
正面からぶつかれる数ではない。
だから——
崩す。
⸻
山の脳裏に、
過去がよぎる。
⸻
「違っ——」
腕を掴まれる。
「弁解は無用だ。斬れ」
刀が抜かれる。
鋭い目。
綺麗すぎる鎧。
戦っていない武将。
功を欲し、
自分を利用しようとした男。
「役に立てば生かす。
役に立たねば斬る」
あの時。
山は、
何も出来なかった。
ただ、
踏み潰される側だった。
⸻
蒼鷹軍が止まる。
街道の中央。
そこに——
山が立っていた。
風が吹く。
兵たちがざわつく。
「……誰だ」
前へ出てきたのは、
大柄な男だった。
顔には古傷。
鋭い目。
重厚な鎧。
周囲の空気が変わる。
強い。
それだけで分かる。
男は山を睨む。
「貴様……
何者だ」
山は答えない。
男はさらに低く言った。
「退かぬなら、
そのまま轢き殺すぞ」
兵たちが殺気立つ。
その中で——
(……俺が)
山は静かに口を開いた。
「——山狐だ」
空気が止まる。
「山狐……!?」
「氷牙の……!」
兵がざわつく。
男の目が細くなる。
怒気が混じった。
「……貴様が」
低い声。
「氷牙が取り逃がした狐か」
男は一歩前へ出る。
「俺は真壁義臣」
蒼鷹侵攻軍総大将。
その声には、
武士としての誇りが滲んでいた。
「敗走した狐風情が、
よく姿を見せられたものだ」
視線が鋭くなる。
「鷹司景冬様も喜ばれる」
口元が歪む。
「山狐の首など、
良い献上品になる」
その目の奥には、
剥き出しの出世欲が見えていた。
山は静かに真壁を見る。
(……やっぱりだ)
蒼鷹の武将。
普通に戦えば、
また負ける。
だから——
揺らす。
感情を。
誇りを。
焦りを。
⸻
「……やれ」
真壁が低く命じた瞬間だった。
「迅ッ!!」
弥助が飛び出した。
一直線。
奴隷列へ向かって突っ込む。
「止めろ!!」
蒼鷹兵が動く。
同時に——
山は後ろへ下がった。
「逃がすな!!」
真壁が怒鳴る。
兵が山へ流れる。
その瞬間。
横から鉄隊が割り込んだ。
「悪ぃが、
そっちは通さねぇ」
激突。
金属音。
悲鳴。
隊列が乱れる。
⸻
そして——
山の姿が消えていた。
「……どこだ!」
蒼鷹兵が周囲を見る。
真壁の顔が歪む。
「探せ!!
あの狐を逃がすな!!」
怒声。
だが、
もう遅い。
山は、
別の位置へ動いていた。
⸻
森の奥。
玄は静かに伏せていた。
気配を消す。
まだ動かない。
まだ——姿を見せない。
脳裏によぎる。
⸻
「……話がある」
焚き火。
揺れる炎。
山の低い声。
「俺と弥助が前に出る」
鉄が眉をひそめる。
「またお前が囮かよ」
「最初だけだ」
山は静かに返した。
「その後、
俺は消える」
山は鉄を見る。
「俺が下がったら、
前を頼む」
鉄が鼻を鳴らす。
「最初からそのつもりだ」
山は小さく頷き、
次に玄を見る。
「玄」
「お前はまだ姿を隠しておいてくれ」
「機を見て、
自分の判断で動いてほしい」
短い沈黙。
玄は静かに頷いた。
⸻
現実へ戻る。
玄は目を細める。
(……来る)
蒼鷹兵が、
こちらへ流れ始めていた。
まだだ。
伏兵は、
見せない。
⸻
その頃。
弥助は奴隷列へ辿り着いていた。
「迅!!」
鎖の中。
痩せた男が顔を上げる。
そして。
「……弥助?」
目が見開かれる。
だが次の瞬間。
蒼鷹兵が間へ割り込んだ。
「近づくな!!」
槍が向く。
弥助の顔が歪む。
届きそうで、
届かない。
その瞬間——
森の奥で。
誰かが、
静かに動いた。
(続く)
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