第29話 過去の鎖
黒曜を出てから、
半日ほどが過ぎていた。
山たちは、
蒼鷹領へ向かっていた。
空は曇っている。
風も冷たい。
誰も、
あまり喋らない。
⸻
「今回の役目は、
蒼鷹の進軍阻止だ」
玄が低く言う。
「弱った黒曜を狙って、
蒼鷹が動き始めた」
鉄が舌打ちする。
「ほんと、
どこも嗅ぎつけるの早ぇな」
「戦なんてそんなもんだ」
玄は短く返す。
「弱ったところを喰う」
山は黙ったまま歩いていた。
脳裏に浮かぶ。
氷牙。
崩された策。
崖。
落ちていく兵。
(……負けた)
あの戦いは、
始まる前から、
すでに崩されていた。
誘導され、
閉じ込められ、
逃げ場を潰された。
そして——
仲間を死なせた。
山は拳を握る。
(同じことはさせない)
静かに、
胸の奥で呟く。
⸻
弥助は前を歩いていた。
だが、
様子が違う。
普段なら、
何かしら軽口を叩く。
鉄を煽るか、
孫六に突っ込むか。
そういう空気が、
今日はない。
言葉は少ない。
視線だけが、
妙に鋭い。
山はそれを見ていた。
⸻
夕方。
山たちは街道脇で、
短く休憩を取る。
その時だった。
ガサッ——
茂みが揺れる。
全員の視線が動く。
鉄が剣に手をかけた。
「誰だ」
返事はない。
だが次の瞬間。
茂みから、
数人の男が転がるように出てきた。
痩せている。
服は汚れ、
顔色も悪い。
その腕には——
縄の跡。
奴隷。
「待ってくれ……!
殺さねぇで!
俺らは逃げてきただけだ……!」
必死だった。
息も乱れている。
何日も、
まともに食っていない顔だった。
⸻
弥助の目が細くなる。
「……お前ら」
男たちも、
弥助を見た。
そして。
「……弥助?」
空気が止まる。
男の目が見開かれる。
「お前……
生きてたのか……!」
弥助が眉をひそめる。
「なんだ、
お前らだったのか」
その声は、
普段より低かった。
「盗賊崩れか」
玄が呟く。
男の一人が苦く笑う。
「崩れも何も、
蒼鷹に捕まって奴隷行きだ」
「逃げてきた」
弥助が短く聞く。
「……迅は?」
その瞬間。
男たちの空気が変わった。
視線が落ちる。
嫌な沈黙。
山はそれを見逃さない。
⸻
「……捕まった」
低い声。
「逃がそうとしたんだが」
「俺らだけ逃げる形になった」
弥助が動かない。
男は続ける。
「今、
前線送りにされる奴隷の中にいる」
「蒼鷹軍の補給隊と一緒だ」
山の視線が、
弥助へ向く。
弥助は黙っていた。
だが。
拳だけが、
強く握られていた。
⸻
「……生きてんだな」
ぽつりと漏れる。
その声は、
安堵に近かった。
男が頷く。
「何度ぶん殴られても、
また立ち上がるような奴だったからな」
弥助が、
小さく息を吐く。
「……そうかよ」
だが。
その目の奥には、
消えない重さが残っていた。
⸻
移動を再開する。
空気は重い。
しばらくして。
山が隣を歩く弥助に言った。
「迅ってのは」
弥助は少し黙る。
そして、
前を向いたまま答えた。
「昔の連れだ」
短い返答。
だが、
それで終わらなかった。
「盗賊やってた頃から、
ずっと後ろついてきた」
「弟分みてぇなやつだ」
山は黙って聞く。
弥助は続ける。
「要領悪くて、
無茶ばっかして」
「放っとくと勝手に死にかける」
鉄が小さく笑う。
「弥助と似てんな」
「俺ほどじゃねぇ」
即答だった。
だが、
少しだけ空気が軽くなる。
⸻
「でも」
弥助の声が落ちる。
「蒼鷹に捕まったなら、
碌な扱いはされてねぇ」
その一言だけで、
空気が戻る。
山は視線を前へ向ける。
蒼鷹。
自分たちを、
捨て駒として使った国。
前線に押し込み、
死ねばそれまで。
生き残っても、
また使うだけ。
脳裏に浮かぶ。
血。
騎馬隊。
踏み潰される人間。
そして——
「利用させてもらう」
初めて会った頃の、
弥助の声。
⸻
山は静かに息を吐く。
(……同じか)
過去が、
まだ追ってくる。
逃げても、
終わらない。
なら。
今度は、
越えるしかない。
⸻
夜。
山たちは森の中で火を囲んでいた。
弥助が立ち上がる。
「ちょっと見回ってくる」
山は一瞬だけ見る。
弥助は、
そのまま暗闇へ消えていった。
足音が遠ざかる。
山は火を見る。
揺れる炎。
そして。
ゆっくり顔を上げた。
⸻
「……話がある」
空気が変わる。
玄が静かに山を見る。
鉄も、
孫六も口を閉じた。
山は続ける。
「俺は、
前と同じ失敗はしない」
低い声だった。
だが、
迷いはなかった。
「助けられる命があるなら、
助けたい」
「弥助の知り合いも含めてだ」
鉄が眉を上げる。
「……簡単に言うなぁ」
「簡単じゃない」
山は即答する。
「作戦を話す」
玄が静かに頷く。
鉄が腕を組む。
孫六が目を細める。
火が揺れる。
その中で——
山は、
静かに口を開いた。
鉄が低く言う。
「……それ、
弥助には言わねぇのかい」
山は少しだけ黙る。
焚き火の音だけが響く。
やがて、
静かに口を開いた。
「……もし、
目の前に大切な奴がいたら」
「弥助は冷静じゃいられなくなる」
鉄も、
孫六も、
何も言わない。
山は続ける。
「それで周りが見えなくなる可能性もある」
「……巻き込まれるかもしれない」
「だから、
今は言わない」
玄が静かに山を見る。
「自由に動かせるためか」
山は頷く。
「……ああ」
「弥助には、
弥助の動きをしてほしい」
沈黙。
その言葉の意味を、
全員が理解していた。
山はさらに続ける。
「可能なら救う」
「救える可能性があるなら、
その動きをする」
「でも——」
火が、小さく爆ぜる。
「不可能だと判断したら、
弥助には悪いが……
見捨てる」
空気が静まる。
重い。
だが、
誰も否定しない。
玄は火を見たまま言う。
「人は、
抱えてるものが近くにあるほど、
判断を誤る」
短い言葉。
だが重い。
玄は続ける。
「特に、
失いたくない相手ならな」
火が小さく爆ぜる。
山は何も言わない。
玄もそれ以上は語らない。
けれど——
その場の全員が、
玄の言葉の重さを理解していた。
山は何も答えない。
代わりに、
拳をゆっくり握る。
鉄が小さく息を吐く。
「弥助のために言わないってことか」
「あいつの為に色々考えてんだな」
山は少しだけ目を細める。
「考えてねぇよ」
少しぶっきらぼうに返す。
その時だった。
ずっと黙っていた玄が、
低く口を開く。
「……いや」
全員の視線が向く。
玄は静かに焚き火を見たまま言った。
「考えてる奴の顔だ」
短い言葉。
だが、
妙に重かった。
山は何も返さない。
ただ、
火を見つめたまま黙っていた。
(続く)
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