第28話 傷痕の先
山と孫六が拠点へ戻った頃には、
夜になっていた。
焚き火の火が揺れている。
戦場から離れたはずなのに、
どこか落ち着かない夜だった。
⸻
「お、帰ってきたか」
弥助が手を上げる。
鉄は酒瓶を片手に笑った。
「死んでねぇな」
「期待外れだったか?」
孫六が軽く返す。
鉄が鼻で笑う。
玄だけは壁にもたれたまま、
静かに山を見た。
「……問題なさそうだな」
山は小さく頷く。
それだけで十分だった。
⸻
「で?」
弥助がニヤつく。
「情報屋の話、
どうだったよ」
「別に普通だ」
山は短く返す。
「普通の顔してる奴は、
そんな遠い目しねぇよ」
孫六が肩をすくめる。
弥助が吹き出した。
鉄も小さく笑う。
山は少しだけ眉を寄せる。
だが、
悪い気分ではなかった。
⸻
脳裏に浮かぶ。
『山狐殿は戦えない』
『なのに前へ出る』
『自分まで傷付こうとする』
雷姫の声。
静かな目。
真っ直ぐな言葉。
⸻
不思議だった。
この世界に来てからずっと、
他人は自分に興味がないと思っていた。
利用するか、
利用されるか。
それだけだと。
だから、
自分自身のことも諦めていた。
どうせ誰も見ない。
どうせ誰も理解しない。
そう思っていた。
⸻
だが。
雷姫は、
山の“中”を見ようとしてきた。
それが、
山には分からなかった。
戸惑う。
怖さもある。
だが同時に——
少しだけ。
ほんの少しだけ、
救われた気がしていた。
⸻
「……旦那?」
孫六の声で現実に戻る。
「顔やばいですよ?」
「別に普通だ」
「いや絶対違うでしょ」
弥助が笑う。
鉄も肩を揺らした。
玄だけは静かに山を見ていた。
その空気が、
少しだけ心地よかった。
⸻
同じ頃。
白蓮側。
夜道を進む一団。
馬上の雷姫は静かだった。
隣を歩く副将が口を開く。
「……それで」
雷姫は視線を向ける。
副将は続けた。
「山狐は、
どういう男でした」
夜風が吹く。
雷姫は少しだけ黙り——
静かに答えた。
「不思議な男だった」
副将は黙って聞いている。
「山狐殿は戦えない」
「だが、
前に出る」
「自分が傷付くことを、
まるで躊躇しない」
雷姫は小さく息を吐いた。
「理解できない」
そう言いながら——
ほんのわずかに笑みが漏れる。
「だが、
嫌いではない」
副将が少し目を丸くした。
雷姫自身も、
少しだけ驚いたように目を伏せる。
⸻
「……変わりましたな」
副将が小さく呟く。
雷姫は否定しなかった。
夜道を、
静かに馬が進んでいく。
⸻
その夜。
山は一人、
寝台に横になっていた。
薄暗い天井を見上げる。
静かな夜。
そして——
脳裏に浮かぶ。
『山狐殿は戦えない』
『なのに前へ出る』
『自分まで傷付こうとする』
雷姫の声。
⸻
今まで。
誰かに、
そんな風に見られたことはなかった。
理解されたわけじゃない。
全部を話したわけでもない。
それでも。
少しだけ。
胸の奥の重さが、
軽くなっていた。
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気づけば。
山は久しぶりに、
深く眠っていた。
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数日後。
蒼鷹領。
重い鉄の音が響いていた。
鎖。
並ばされる奴隷たち。
以前より厳重だった。
過去に脱走者が出たからだ。
そのせいで、
見せしめに処分された者もいる。
だから今は、
鉄で縛る。
恐怖で縛る。
⸻
その中には、
痩せ細った者もいれば——
盗賊のような目をした者たちもいた。
生きるために奪ってきた者。
戦に流れ着いた者。
全員まとめて、
“使い潰す駒”だった。
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その様子を見下ろす男。
真壁義臣。
蒼鷹の武将。
大柄な男だった。
顔には古傷。
目は鋭い。
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その背後。
ゆっくりと足音が響く。
「準備はどうだ」
鷹司景冬だった。
空気が変わる。
奴隷たちが顔を伏せる。
真壁は頭を下げた。
「問題ありません」
「脱走者は?」
「数名逃げましたが、
大勢に影響はありません」
「残った者たちには、
十分理解させております」
景冬は静かに奴隷たちを見る。
まるで人ではなく、
道具を見るような目。
⸻
「黒曜は弱っている」
景冬が言う。
「今なら奪える」
真壁は静かに頷いた。
「奴隷兵を先に出せ」
「使い潰せ」
「その後、
本隊が押し込む」
静かな命令。
そこに、
命への感情は一切ない。
⸻
「はっ」
真壁が頭を下げる。
景冬はそれ以上何も言わず、
背を向けた。
⸻
さらに数日後。
情報屋の拠点。
「蒼鷹が動く」
情報屋が静かに言った。
空気が変わる。
鉄が眉をひそめる。
弥助が舌打ちした。
玄だけは静かに目を閉じる。
⸻
蒼鷹。
その名だけで、
嫌な記憶が蘇る。
捨て駒。
奴隷。
前線送り。
見捨てられた戦場。
そして——
脳裏に浮かぶ。
崖。
氷牙との敗戦。
⸻
山は拳を握る。
怖い。
また失うかもしれない。
また間違えるかもしれない。
また、
誰かを見捨てるかもしれない。
⸻
情報屋は山を見る。
「無理にとは言わねぇ」
「嫌なら降りろ」
弥助も何も言わない。
鉄も。
玄も。
孫六も。
誰も、
山に押し付けない。
⸻
静かな沈黙。
山は目を閉じる。
逃げたい気持ちはある。
だが——
ゆっくり顔を上げる。
「……行く」
小さく呟く。
「過去と決別する」
「もう、
使われる側には戻らない」
⸻
静かな夜。
焚き火の音だけが響いている。
弥助は黙って短刀を研いでいた。
玄は壁にもたれ、
静かに目を閉じている。
鉄は酒を飲みながら、
珍しく口数が少ない。
孫六だけが軽く笑う。
「……なんか嫌な戦になりそうだなぁ」
誰も否定しない。
⸻
蒼鷹。
その名は、
全員にとって過去だった。
捨て駒。
罪人。
敗残兵。
奪われた名前。
切り捨てられた命。
忘れたくても、
忘れられないものばかりだ。
⸻
山は静かに拳を握る。
怖くないわけじゃない。
むしろ怖い。
また、
あの頃に戻りそうで。
また、
誰かを切り捨てそうで。
また、
自分を見失いそうで。
⸻
それでも。
「……行く」
小さく呟く。
逃げたくない。
もう、
“使われる側”には戻らないために。
⸻
焚き火が揺れる。
誰も笑わない。
だが、
誰も止めなかった。
五人は静かに、
同じ方向を見ていた。
(続く)
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