第27話 雨の下
雨だった。
強くはない。
だが、
静かに降り続いている。
山は外套を深く被り、
細い路地を歩いていた。
隣には孫六。
「だから嫌なんすよ、こういうの」
ぼやきながら周囲を見る。
「どう考えても罠くせぇ」
山は答えない。
分かっている。
そんなことは。
⸻
数刻前。
情報屋の男は、
煙管を弄びながら言った。
「白蓮側がお前に接触したがってる」
山は即答した。
「断る」
「だろうな」
男は笑う。
山は低く続けた。
「どう考えても罠だ」
「白蓮側が、
俺なんかに会う理由がない」
「あるさ」
男は机に文を置いた。
「お前さんが、
山狐だからだ」
山は眉を寄せる。
情報屋は静かに言った。
「安心しろ。
ここで誰かを売れば、
俺は終わりだ」
「黒曜も、
白蓮も、
蒼鷹も」
「誰も俺を使わなくなる」
山は黙る。
男は煙を吐いた。
「情報屋ってのはな、
誰にも付かねぇから生き残れる」
「一度でも裏切れば、
次の日には死体だ」
⸻
それでも山は警戒した。
「場所はお前のところだ」
「人数は最小」
「妙な動きしたら帰る」
男は肩を竦めた。
「好きにしろ」
⸻
そして今。
古びた建物の中は静かだった。
静かすぎる。
山は歩きながら、
無意識に視線を動かす。
入口。
窓。
奥へ続く廊下。
逃げ道。
「……三人」
小さく呟く。
壁の向こう。
隠している気配。
孫六も気付いていた。
「やっぱいるじゃないっすか」
小声。
山は答えない。
もしもの時、
ここから抜けられるか。
頭の中で距離を測る。
⸻
「奥だ」
情報屋が顎で示す。
山は息を浅くした。
その時。
奥から足音が聞こえた。
静かだ。
だが——
空気が張る。
山の肩がわずかに強張る。
孫六も壁から背を離した。
障子が開く。
先に現れたのは武将だった。
白蓮の副将。
その後ろから、
白が現れる。
雷姫。
山は目を細めた。
「……雷姫」
白蓮の将。
自分を追い詰めた女。
雷姫も山を見る。
静かな目だった。
敵を見る目ではない。
観察するような視線。
⸻
副将の視線が孫六へ向く。
孫六も笑った。
「……あ、生きてたんすね」
副将の眉がぴくりと動く。
肩の鎧には、
補修跡が残っていた。
以前、
孫六に射抜かれた場所。
完全には直していない。
敗北を忘れないためか。
あるいは——
次に返すためか。
「……あの時の礼は、
まだ返していない」
低い声。
孫六は鼻で笑った。
「先にそっちが、
うちの仲間やったんでしょ」
「その返ししただけっすよ」
空気が張る。
副将の目が細くなる。
「孫六」
山が低く言う。
「その辺にしとけ」
同時に。
「控えろ」
雷姫も副将を制した。
互いに視線を外さないまま、
ようやく場の空気が静まる。
⸻
「座れ」
情報屋が言う。
山は少し迷ってから座った。
だが、
完全には力を抜かない。
孫六は入口近く、
窓際へ位置を取った。
いつでも外へ抜けられる位置。
狭い室内で囲まれるのを、
嫌っている。
雷姫の副将も、
雷姫の背後へ下がった。
⸻
再び静寂。
雨音だけが響く。
やがて雷姫が口を開いた。
「聞きたいことがある」
山は眉を寄せる。
「……何だ」
雷姫は真っ直ぐ山を見た。
「なぜ、
そこまで苦しそうに指示を出す」
山の動きが止まる。
予想していなかった。
「戦だ」
雷姫は続ける。
「犠牲は出る」
「それなのに、
お前は毎回、
自分が斬られたみたいな顔をする」
山は答えない。
雷姫は静かに言った。
「なぜだ」
⸻
山は視線を落とす。
少し黙ってから、
小さく笑った。
乾いた笑いだった。
「……苦しまない方がおかしいだろ」
雷姫は黙る。
山は続けた。
「俺が言ったせいで、
人が死ぬんだぞ」
「分かってる」
「戦なら仕方ないってことくらい」
「でも——」
そこで言葉が止まる。
山は拳を握った。
「慣れたくない」
静かな声だった。
⸻
雷姫は山を見る。
理解できないものを見るように。
「軍師なら、
割り切るべきだ」
山は苦く笑う。
「俺、
軍師になりたくてやってるわけじゃない」
雷姫の眉が僅かに動く。
山は続けた。
「戦えないからだよ」
「俺には、
これしか出来なかった」
「だからやってるだけだ」
⸻
雨音。
静かに続く。
雷姫は問いを重ねる。
「なら、
なぜ前に出る」
「お前は、
何度も自分を危険に晒している」
「前の砦戦もそうだ」
山の目がわずかに動く。
雷姫は続けた。
「私が撤退しなければ、
お前は死んでいた」
「斬られていたか」
「あるいは、
砦ごと燃えたか」
静かな声。
「どちらにせよ、
お前は自分を犠牲にしすぎる」
山は視線を逸らした。
少し黙る。
やがて、
ぽつりと言った。
「……嫌なんだよ」
雷姫は目を細める。
山は続けた。
「他人にだけ行けって言うの」
「自分だけ安全なのも」
「そんなの、
押し付けてるみたいで」
⸻
雷姫は理解できなかった。
戦とは役割だ。
前へ出る者。
後ろで指揮する者。
それぞれ違う。
だが目の前の男は、
そこに苦しんでいる。
まるで——
自分が生きること自体に、
罪悪感を抱いているみたいに。
⸻
「お前は変わっている」
雷姫が言う。
その口元に、
ほんの僅か笑みが浮かんだ。
山は苦笑した。
「よく言われる」
「褒めてはいない」
「知ってる」
少しだけ。
空気が緩む。
⸻
そして雷姫は、
静かに言った。
「白蓮へ来る気はないか」
山の目が細くなる。
孫六も視線を向けた。
雷姫は続ける。
「お前の力は、
黒曜では削られる」
「白蓮なら、
もっと活かせる」
命令ではない。
脅しでもない。
ただ、
真っ直ぐな言葉だった。
⸻
山は黙る。
雨音だけが続く。
やがて、
自嘲気味に笑った。
「……活かせる、か」
小さく呟く。
「結局、
どこでも同じだろ」
雷姫は黙って聞いている。
「必要な間だけ使う」
「用済みになれば終わりだ」
「自由がないなら、
どこも変わらない」
その声には、
諦めが混じっていた。
⸻
雷姫はすぐに否定できなかった。
白蓮は理想だけでは回らない。
策略もある。
切り捨てもある。
綺麗事だけで、
国は守れない。
それを雷姫自身、
知っている。
⸻
沈黙。
やがて雷姫が立ち上がる。
「……今日はそれだけだ」
山は眉を寄せた。
「それだけ?」
「ああ」
雷姫は山を見る。
静かな目だった。
「ただ、
お前が何者か知りたかった」
そう言って、
踵を返す。
⸻
障子の前で、
雷姫は足を止めた。
振り返らないまま言う。
「山狐」
山の肩がわずかに揺れる。
「お前は、
もっと自分を大事にしろ」
山は答えられなかった。
障子が閉まる。
雨音だけが残る。
⸻
山はしばらく動かなかった。
やがて孫六が小さく息を吐く。
「……なんなんすか、あの人」
山は答えない。
ただ、
閉じられた障子を見ていた。
白蓮の雷姫。
敵のはずなのに。
どうしてか——
少しだけ、
理解された気がした。
(続く)
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