第19話 山狐
砦の内側。
「油は全部、外に出す」
山の一言に、弥助が顔をしかめた。
「は? せっかくの切り札だろ」
「残したままだと、逆に使われる」
短く返す。
「燃やされるのは、こっちだ」
玄が静かに頷く。
「理にかなっている」
兵たちが動き出す。
黒く濡れていた地面が、少しずつ乾いていく。
(これでいい)
山は小さく息を吐く。
(同じ手は通じない)
なら——
(次を作る)
⸻
砦の外。
細い山道。
両脇は崖。
「……ここ、使えるな」
弥助が見上げる。
「落とし放題じゃねぇか」
「玄」
山が呼ぶ。
「崖の上、兵を集めてほしい」
玄は一瞬だけ山を見る。
「落とすか」
「……頼む」
短く頷く。
「任せろ」
「……助かる」
山は視線を動かす。
「鉄」
「あ?」
「前に立ってくれ」
「危ねぇ役だぞ」
「……分かってる」
山は続ける。
「戦わなくていい。引きつけるだけでいい」
鉄は鼻で笑う。
「雑だな」
だが——
「まぁいい」
剣を肩に担ぐ。
「止めりゃいいんだろ」
⸻
「孫六」
「えぇ〜また俺っすか?」
気の抜けた声。
「頼みたい」
山は真っ直ぐ言う。
「一射だけでいい」
「……さっきも一射だけだったんすけどねぇ」
肩をすくめる。
「ま〜やりますけども」
軽い。
どこまでも軽い。
だが——
そのまま崖の影へ消える。
(見せない)
(気配も、位置も)
⸻
「弥助」
「おう」
「混乱したら——頼む」
ニヤッと笑う。
「ああ、そういうのは得意だ」
(伝わってる)
山はそれ以上言わない。
⸻
準備は整う。
山は小さく息を吐く。
(勝たなきゃ、終わりだ)
⸻
白蓮軍。
進軍。
空気が違う。
前回のような油の匂いが——ない。
(……消したか)
雷姫は静かに前を見る。
(同じ形はない)
だが——
違和感は消えない。
⸻
「おーい!!」
鉄の声が響く。
細道の先。
簡易の柵の向こう。
数人の兵を従えて立っている。
「来ねぇのかよ白蓮!!」
下品に笑う。
「雷姫ってのはよぉ!!」
「そんなに腰引けてんのか!!」
ざわつく白蓮兵。
鉄は止まらない。
「聞いてた話と違ぇなぁ!!」
「速いだけでビビってんのかよ!!」
弥助が小声で吹く。
「やりすぎだろあいつ」
⸻
白蓮側。
副将の一人が前に出る。
「……貴様」
怒気が滲む。
鉄は笑う。
「あ? 聞こえねぇなぁ」
「もっとでけぇ声で言ってみろよ」
さらに踏み込む。
「それとも——主の後ろで吠えるだけか?」
空気が張り詰める。
鉄は止まらない。
「雷姫サマはよぉ!!」
「部下に守られてりゃそれで満足か!!」
一拍。
——切れる。
「……殺せ」
副将の声。
雷姫は——止めない。
(遅い)
副将たちが前に出る。
柵を避けて——突っ込む。
その瞬間——
「っ!?」
先頭が消えた。
地面が崩れる。
「落とし穴だ!!」
遅い。
後ろが詰まり、連鎖して落ちる。
悲鳴。
混乱。
⸻
「今だ」
玄の声。
⸻
上から岩が落ちる。
轟音。
逃げ場はない。
細道に詰まった兵を、押し潰す。
「ぐあああ!!」
さらに——
煙。
「火だ!!」
弥助が兵糧に火を放つ。
黒煙が広がる。
視界が潰れる。
(崩れた)
山は確信する。
⸻
その中で——
「……はぁ」
孫六が、息を吐く。
「これだから仕事って終わんねぇんだよ……」
弓を引く。
——空気が変わる。
軽さが消える。
視線は一点。
落とし穴の縁。
這い上がろうとする副将。
迷いはない。
息を止める。
「……ッ」
弦が鳴る。
矢は——一直線。
「っ——!!」
副将の肩が裂ける。
鉄と——同じ場所。
「がっ……!」
崩れ落ちる。
致命ではない。
だが——
完全に“戦線から外す位置”。
孫六はすでに弓を下ろしている。
「……はい、終わり」
影へ戻る。
⸻
雷姫は、その一撃を見る。
(……同じ)
副将の肩。
裂かれた位置。
(先程、私が斬った場所)
偶然ではない。
狙っている。
(……届く、ということか)
あの距離。
あの混乱の中で。
正確に。
(いつでも、殺せる)
言葉ではない。
だが——
明確な“意思”が届く。
(……警告か)
静かに息を吐く。
⸻
煙の中から、山が現れる。
真正面。
逃げない位置。
⸻
「……まだやるか」
短く言う。
「ここで続ければ——無駄に死ぬだけだ」
雷姫は黙って見る。
山を。
戦場を。
「砦は落ちる」
山は続ける。
「でも、その代わりに——かなり削られる」
一拍。
「時間も、失う」
沈黙。
⸻
雷姫の中で、天秤が傾く。
攻略は可能。
だが——損害は大。
さらに——
(狙われている)
あの弓。
あの配置。
(……削られる)
時間も、戦力も。
(割に合わない)
結論。
「……退く」
⸻
白蓮軍が引く。
整然と。
だが確実に、損害を受けて。
⸻
すれ違いざま。
雷姫が、足を止める。
わずかに振り返る。
「……名は」
短く問う。
山は一瞬だけ考え——
「……山」
それだけ答える。
⸻
白蓮軍の中で、小さく声が広がる。
「山……?」
「さっきの奴か」
「まるで——」
誰かが呟く。
「狐みてぇに、現れて消えやがる」
一拍。
「……山狐」
⸻
山は何も言わない。
ただ、その場に立っている。
(……まだ終わってない)
だが——
(選べる)
それだけで、十分だった。
(続く)
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