第105話 守る者
雷姫が地面を蹴った。
白い閃光が走る。
一直線に敵陣へ飛び込んだ。
「来るぞ!」
黒装束の男たちが一斉に刀を構える。
次の瞬間。
「はあぁっ!」
鋭い一閃が先頭の男を薙ぎ払った。
金属音と共に男が吹き飛び、後ろの兵が慌てて距離を取る。
雷姫は止まらない。
返す刀で二人目を斬り伏せ、そのまま身体を捻って三人目の刃を受け流す。
一瞬で包囲が崩れた。
「今だ!」
雷姫の声が響く。
山は歯を食いしばり、その後を追う。
敵兵を押し退けながら、一歩、また一歩と前へ出る。
あと少し。
あと数歩で包囲を抜けられる。
そう思った、その時だった。
岩陰から一人の兵が飛び出す。
「もらった!」
山が振り向く。
遅い。
反射的になまくら刀を掲げる。
ガキィィィンッ!!
凄まじい衝撃が腕を貫いた。
刃は折れない。
だが勢いは殺し切れなかった。
滑った刀身が山の額を裂き、そのまま左頬まで一直線に走る。
熱い。
そう思った瞬間には、視界が真っ赤に染まっていた。
「……っ!」
血が左目へ流れ込み、景色が滲む。
足元が揺れた。
「山!」
雷姫が振り返る。
山は踏み止まろうとするが、左目は血で塞がれ、敵の姿がぼやけてしか見えない。
男は勝ち誇ったように笑う。
「終わりだ。」
刀を振り上げる。
山も刀を構えようとする。
だが腕が上がらない。
避けられない。
(……ここまでか。)
そう思った。
その瞬間だった。
ガキィィィン!!
白い影が割って入る。
雷姫だった。
山へ振り下ろされる刀を真正面から受け止め、火花を散らしながら弾き返す。
「山!」
雷姫が叫ぶ。
「立て!」
「雷姫!」
山はよろめきながら身体を起こす。
雷姫は山を背中へ庇うように立ち、次々と襲い掛かる兵を迎え撃った。
「走れ!」
「まだ戦える!」
「俺も一緒に――」
その声を掻き消すように、別方向から黒装束の男が飛び出した。
「隙あり。」
雷姫の目が動く。
山へ向けられた刃。
それを防ぐには、正面の敵へ背を向けるしかない。
迷いは無かった。
雷姫は山の前へ滑り込み、その刀を弾き飛ばす。
「ぐっ……!」
しかし。
その一瞬。
完全に無防備となった背中へ、別の男の刀が一直線に突き刺さった。
ズブリ――
鈍い音が響く。
刃は深く身体を貫き、胸元から赤い血が溢れ出す。
時間が止まった。
「……雷姫。」
山の喉から掠れた声が漏れる。
雷姫の身体が小さく震えた。
口元から一筋の血が零れ落ちる。
それでも。
彼女はゆっくりと山を振り返った。
その瞳には、まだ光が宿っていた。
雷姫は胸を貫く刀へ静かに視線を落とした。
赤い雫が、一滴、また一滴と地面へ落ちる。
それでも小さく笑う。
「……無事か。」
山は言葉を失っていた。
「何で……。」
震える声が漏れる。
「何で庇った……!」
雷姫は苦しそうに息を吐いた。
「当たり前だ。」
その声はもう弱々しい。
それでも、どこまでも雷姫らしかった。
「仲間を……見捨てられるか。」
男たちが再び距離を詰める。
「終わりだ!」
「まとめて斬れ!」
雷姫は胸へ突き刺さった刀を、自ら引き抜いた。
鮮血が大きく舞う。
それでも膝をつかない。
刀を握り直し、静かに構えた。
山は必死に支えようとする。
「雷姫!」
「傷を押さえろ!」
「まだ助かる!」
雷姫は小さく首を振った。
「……無理だ。」
自分の身体は、自分が一番よく分かっていた。
もう長くは保たない。
だが。
まだ倒れる訳にはいかなかった。
ゆっくりと山へ視線を向ける。
「山。」
「お前と旅が出来て……。」
少しだけ笑う。
「楽しかった。」
山の頬を涙が伝う。
「そんなこと言うな……。」
「帰ろう。」
「一緒に帰ろう。」
「まだ行きたい場所だってあるだろ!」
雷姫は静かに海の方を見る。
青い水平線。
港町。
初めて見る景色。
「……ああ。」
「もっと。」
「色んな景色を見てみたかった。」
「お前と歩く旅も……悪くなかった。」
山は何も言えなかった。
喉が締め付けられ、声にならない。
雷姫は静かに息を吸う。
「だから。」
「ここから先は。」
「お前が見て来い。」
その一言で。
雷姫の迷いは消えた。
男たちが一斉に襲い掛かる。
「殺せぇっ!」
雷姫は地面を蹴った。
「はあああああああっ!!」
凄まじい踏み込みだった。
血を撒き散らしながら、それでも刀は鈍らない。
一人。
また一人。
男たちが斬り伏せられていく。
「なっ……!」
「まだ動けるのか!」
誰も近付けない。
白蓮四天王。
その名に偽りは無かった。
雷姫は最後の力を振り絞る。
包囲が大きく崩れた。
その先には。
海へ続く崖。
雷姫は山の腕を掴んだ。
「走れ!」
山は首を振った。
「俺だけ行けるかよ……。」
「お前を置いていくなんて……できるかよ。」
「今度は俺が……」
「俺が守る番だろ……!」
「山!」
雷姫が初めて怒鳴った。
山の身体が止まる。
雷姫は静かに微笑んだ。
「生きろ。」
その笑顔は。
山が初めて見る、本当に穏やかな笑顔だった。
次の瞬間。
雷姫は山の胸を思い切り押した。
「生き延びろ!」
山の身体が大きくよろめく。
足場が消える。
崖の外へ身体が投げ出された。
「雷姫ぃぃぃ!!」
必死に手を伸ばす。
雷姫も手を伸ばす。
二人の指先は。
あと少し届かなかった。
ドボォォォンッ!!
激しい水柱が上がる。
荒れ狂う海が山を飲み込んでいく。
男たちは崖下を覗き込む。
「落ちた!」
「この高さだ!」
「助からん!」
雷姫はその声を聞き、小さく息を吐いた。
「……そう思っていろ。」
ゆっくりと刀を構え直す。
足元は血で染まり。
呼吸も浅い。
視界も霞む。
それでも。
まだ立っていた。
「来い。」
静かな一言だった。
男たちは互いに顔を見合わせる。
誰もすぐには踏み込めない。
その姿は、あまりにも鬼気迫っていた。
やがて一人が叫ぶ。
「もう限界だ!」
「囲め!」
「一気に行くぞ!」
男たちが四方から迫る。
雷姫はもう自分の身体が限界なのを理解していた。
それでも刀を握る。
「……まだだ。」
一人。
また一人。
迫る刃を弾き、斬り伏せる。
だが、動くたびに血が溢れる。
足元が揺れる。
それでも。
山を逃がすために。
白蓮で共に戦った仲間たちのために。
最後の一歩を踏み込む。
最後に残った男が刀を振り下ろす。
雷姫も同時に刀を振る。
互いの刃が交差する。
男が倒れる。
しかし雷姫の身体もまた、大きく揺れた。
「……そうか。」
小さく呟く。
もう身体は動かなかった。
握っていた刀が、手から滑り落ちる。
カラン。
乾いた音が響く。
「……山。」
「お前は……生きろ。」
「そして……もし会えたなら。」
「白蓮の皆を……頼む。」
誰も聞く者はいない。
それでも。
雷姫は最後まで、守る者だった。
そして静かに膝をつき。
前へ倒れた。
⸻
冷たい海。
荒れる波。
山の身体は流されていた。
意識はもう朦朧としている。
(雷姫……。)
最後に見えたのは。
血塗れになりながらも、最後まで立ち続けていたあの背中だった。
その姿が。
暗い海の底へ沈むように消えていく。
山の意識もまた。
ゆっくりと闇へ落ちていった。
(続く)
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