第102話 忍び寄る影
夕暮れが近付き始めた港町は、昼間とは少し違う賑わいを見せていた。
市場では店仕舞いの声が飛び交い、漁師たちは網を片付けながら酒場へ流れていく。
山も人混みに紛れるように歩き、一軒の酒場へ入った。
店内は潮と酒の匂いで満ちている。
空いていた隅の席へ腰を下ろし、軽く酒を頼む。
目的は酒ではない。
情報だった。
しばらくすると、近くの卓から話し声が聞こえてくる。
「聞いたか。」
「ああ、蒼鷹と賊がやり合った砦の話だろ。」
山は湯飲みへ口を付けたまま耳を傾ける。
「派手に燃えたらしいな。」
「結局、賊どもは全滅したって話だ。」
「蒼鷹軍も結構やられたらしいが、それでも最後は全部始末したそうだ。」
「山狐とかいう頭も死んだんだろ。」
「らしいな。」
「生きてたら、とっくに噂になってる。」
山は静かに目を閉じた。
(……そうか。)
やはり誰も知らない。
志乃が皆を助けていることも。
砦にまだ命が残っていることも。
世間では、山隊は全滅したことになっていた。
山は酒代を置くと、静かに立ち上がる。
これ以上いても欲しい情報は出て来ない。
酒場を後にし、人通りの多い通りを歩き始めた。
その時だった。
何となく。
背中へ視線を感じた。
山は歩調を変えず、店先の窓へ映る景色を横目で見る。
誰もいない。
気のせいか。
そう思いながら歩き続ける。
しばらくして路地へ入る。
宿への近道だった。
昼間は人通りもあった場所だが、夕暮れ時になると急に静かになる。
その瞬間だった。
「……囲め。」
低い声が響く。
山の足が止まる。
左右。
背後。
三方向から黒装束の男たちが現れた。
山は静かに辺りを見回す。
(追っ手か。)
男たちは無駄口を叩かない。
ただ静かに刀を抜いた。
一人が前へ出る。
「山狐。」
「ここで死んでもらう。」
山はゆっくり息を吐いた。
(蝶嶺だな。)
あの女なら、ここで終わらせようと考える。
そう思っていた。
山は腰のなまくら刀へ手を添える。
正面から戦えば勝てない。
逃げるしかない。
男たちが同時に踏み込んだ。
その瞬間、山は横へ飛ぶ。
「逃がすな!」
路地へ怒号が響く。
山は狭い裏路地を駆け抜けた。
後ろから足音が迫る。
一人。
二人。
三人。
一定の距離を保ったまま追って来る。
(町中では殺りにくい。)
(だから追い込む気か。)
山は角を曲がる。
さらに走る。
呼吸は乱れ始めていた。
それでも止まれない。
⸻
その頃。
雷姫は港を歩いていた。
岸壁。
船着場。
倉庫。
海へ続く細い道。
退路になりそうな場所を静かに頭へ入れていく。
「この先は崖だぞ。」
近くの漁師が何気なく声を掛けてきた。
「夜は危ねぇ。」
「足を滑らせりゃ、そのまま海だ。」
雷姫は小さく頭を下げた。
「教えて頂き感謝する。」
崖。
その地形だけは忘れないよう胸へ刻む。
やがて空が赤く染まり始めた。
雷姫は宿へ戻る。
山もそろそろ戻っている頃だと思っていた。
宿へ入り、店主へ軽く会釈をする。
そのまま二階へ上がった。
山の部屋の前。
静かだった。
雷姫は襖を軽く叩く。
返事はない。
「山。」
呼び掛けても返事はない。
襖を少し開ける。
荷物はそのまま。
部屋にも誰もいない。
雷姫は眉を寄せた。
「……遅い。」
情報を集めるだけなら、もう戻っていてもおかしくない時間だった。
嫌な胸騒ぎがする。
雷姫はしばらく部屋を見つめていた。
やがて静かに踵を返す。
「まさか……。」
呟くと同時に、防人御太刀を腰へ差した。
迷いは無い。
そのまま宿を飛び出し、夕暮れの町へ駆け出していった。
(続く)
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