98.水
ロイがいなくなって二日目の朝、オリバーは、どうしようもなくイライラしていた。スカイはそれに気づかず、ケチューラ村からの坂道を急いでくだりながら、熱心に話しかけていた。
「あの人は多分、井戸が三ヶ所あるって言ってたんだよね。俺らも水の補給はしていこう」
「ああ」
「ロイ達のことも、そこで探してみろってことだね」
「ああ」
「ロイ、どうしてるかな。何でこんなことになったんだろ」
何でこんなことになっただと? オリバーは腹が立った。なぜ気づかなかった。あの女を見れば一目瞭然だったのに。フラミンゴの群れに見とれてるとは。目を離した自分がバカだった。だけど、スカイも同じくらいバカだ。苦虫を噛みつぶす思いで、オリバーはスカイとともに山の中腹に位置する村、イチクレンドの村に辿りついた。
「そうか。井戸じゃなくて、井戸がある村をあの人は伝えたかったのか」
スカイが感心して頷いている横で、オリバーはケチューラ村でもらってきた漆喰の瓦礫に、改めてロイと銀髪女の似顔絵を描いた。それをイチクレンドの村人達に見せたが、どの村人も首を傾げるばかりだった。スカイが別の瓦礫にヤバネスズメバチや蜂人の絵を描いてみせると、村人達は目に恐怖の色を宿し、あれこれまくし立てた。
「この感じだと、ヤバネの存在は知ってても、ロイ達のことは知らないみたいだ」オリバーは井戸を不機嫌に見つめてから、深くため息をつく。「俺が感じていた違和感はこれだ。あの女は村の人間じゃなかった」
「……グリフィダ語が話せるから?」
スカイが井戸で水くみしながら、困惑して訪ねる。
「あのな。そもそも、人種が全然違うだろ」オリバーは苛立って鉛筆で似顔絵を突きさす。「描いてて気づいた。あの女は銀髪に青い目。ヨルシア大陸じゃ珍しくない。でも、ここの人間はみんな黒髪に黒目だ」
「確かに」
スカイはオリバーの剣幕に威圧され、口ごもる。
「それなのに現地人と同じ格好をしてた。何のために? 現地人だと思わせるためにだ」
オリバーは激しく頭をかきむしるが、まだ意図が分からないスカイは首を傾げる。
「……どうして?」
「そうやって油断させる目的があったんだ。現にこいつとロイは二人揃っていなくなった。多分……さらわれたんだ」
「で、でも、どうして? それに、物盗りだったらオリバーをさらったほうがいいのに。ヌマグチ、持ってるし」
スカイはますます混乱して、オリバーの紫色のヌマグチを指差す。三人の荷物が入っているのはすべてそのなかだ。
「きっと、物盗りじゃないんだ。人身売買はどの国でもある。ロイはパッと見、女の子にも見えるしな。金になると思ったのかも……」
オリバーは歯ぎしりする。
「奴隷として売り飛ばすためにさらわれたの?」
「分からん。なんでお前、気づかねえんだよ」
オリバーが噛みつくと、スカイもムキになって目を吊り上げる。
「だって、分かんなかったよ」
「もっと注意深くなれよ」
「そんなこと言って、オリバーだってすぐ分かんなかったじゃん」
二人はしばらく口論した。だが、息を切らして、オリバーの方から打ち切った。それから、ケチューラでもらった地図に目を落とし、スカイをにらみつけた。だが、スカイはというと、言葉も通じないのに、イチクレンドの村人達に向かって、しきりに何かを訴えている。
「おら、もう行くぞ」
オリバーは怒ってスカイの手を引っぱった。
そこから十数キロ離れた、山のふもとにあるサンドレドの村では、大変な騒ぎが起きていた。村の井戸のそばで、若者の死体が見つかったのだ。それも体のあちこちが欠けていて、その無惨な姿に誰もがうめき声をあげた。
「何と、むごたらしい」
「何に襲われたんだ、これは」
「決まってる。また蜂が出たんだ」
村人は口々に言い合った。
そのサンドレドの村からほど近い岩間には、古代遺跡が建造されている。かつては先住民族の王族が暮らしていた石造の建物群で、今はヤバネスズメバチの一団が根城にしている。バイオレットはそのなかの大広間で長椅子に座り、ゲイルの差し出した蜜壺と皮袋をジロジロと見ていた。
「それは何?」
「飲み水と、蜂蜜でございます」
ゲイルが言うと、バイオレットは皮袋だけ受け取り、中の水を音を立てて飲んだ。
「で、そっちのはハイランドハニーなの?」
バイオレットは皮袋をかたわらに置き、「ヤバネスズメバチのすべて」のページをめくりながら尋ねる。
「はっ」
ゲイルは地面にひざまづいたまま、かしこまる。
「それを食べろって?」
「りんごから採れた蜂蜜ですので、大公殿下のお口にあえばと……」
「ふーん。でもそれ、すごく危ない蜜なんだよ。知っててそれ、言ってんの?」
バイオレットは本を開いて見せる。そこには七薬の調合法が詳細に書かれていて、材料の一つにハイランドハニーと記載がある。だが、文字が読めないゲイルはたじたじとするばかりだ。
「え? いえ、まさか、そんな。滅相もございません」
ゲイルが当惑して首を横に振るや否や、バイオレットは蜜壺を床に叩きつけた。粉々に砕けた壺とこぼれた蜜を見て、部下のヤバネススメバチ達はそれを凝視する。
「しかも、私達、ヤバネを殺す毒の材料なんだよ。分かってる?」
バイオレットはしゃがみこみ、ゲイルの襟をつかんだ。さらに、互いの鼻をくっつけてにらんだ。ゲイルは歯をがちがち言わせた。確かにこれは催眠剤として使える。そうやって人間の少年を眠らせ、誘拐したのだ。だが、味はいい。一度に大量に食べたり、匂いを嗅ぎ続けなければ問題はない。大公には喜んでもらえると思ったのに。
ゲイルの思惑など知らず、バイオレットは白けた顔でこちらをにらみつけてくる。そのバイオレットの黄緑色の目を、ゲイルは近距離で見つめる。人間の個眼から、蜂の複眼に変わった。
「確かにね。ハイランドハニー、甘酸っぱくていい匂いだよね。しばらくここに居なよ。何人生き残れるかな」
そう皮肉って、バイオレットはゲイルを床に叩きつけると、奥の部屋へと行ってしまった。ゲイルは慌ててそれを追いかけた。だが、残された部下達は追わなかった。バイオレットの忠告など耳に入らず、全員、目の色を変えて床の蜂蜜を舐めはじめた。
その頃、根城がある岩間とサンドレドの村の中間に位置する、赤屋根の小屋では、監禁されたロイがどうにか脱出しようと考えていた。女王蜂のタマーラはそんなロイの気持ちを見透かして、延々と話しかけていた。
「逃げようったって無駄だよ。この小屋の外ではポーリーンが見張ってる。兵士達も巡回してるしね。諦めなよ」
タマーラはそういって黒髪を手で払いのけ、桶の水をすくいとって飲む。
「水を……僕にもくれないか」
ロイは痛む右手をかばいながら懇願する。
「あんた達のことを教えてくれたらいいよ」
一方、タマーラは退屈してあくびをする。
「僕達のこと?」
ロイは言いながら、タマーラをそれとなく観察する。不気味な複眼と、背中から生えた八枚の羽、脇から生えた中足が、おぞましさを増幅させている。
「そう。あんた達が大陸をめぐり歩いて、私達、ヤバネを殺してるんだって聞いた。どうやって殺してるの」
「どうやってって……」
ロイは必死で考える。そのまま話せば、スカイは弓矢を武器にしてるし、オリバーはイーヨを拡声したり、ネバグモを使ったり、ナイフを投げたりしてる。話していいわけがない。特に、自分のイーヨのことは。
「ほかの人間と同じだよ。い、石を投げたりとか……」
「ふーん」
「もういいだろ。水をくれよ」
ロイはそう言って左手を前に突き出す。タマーラは不服だったが、桶をロイの方へ差し出した。ロイはそれを受け取ると同時に閃いた。すぐさま桶をタマーラの羽に投げつけ、水を浴びせた。




