97.地図
ロイは小屋のなかで、目を覚ました。
「起きた?」
銀髪の女性が、すぐそばでこちらを見ている。ロイはがばっと起き上がり、あたりを見回す。ここはどこだ。どこかの小屋のなかのようだが。木のドアと小さな窓、それに自分が寝ていた粗末なベッドを見て、頭をぼりぼりとかく。なんだか頭がひどくぼんやりする。寝過ぎだろうか。
「僕、いつの間に寝てたの?」
ロイが女性に尋ね、窓の方を見た。淡い光が差し込んでいるのが見える。
「あなた、歩くの疲れたっていうから。蜂蜜をあげたら、いきなり寝ちゃうんだもの」
女性は小さな蜜壺を手にとってみせる。その壺には、花の絵が彫られている。ロイはそれをどこかで見た気がするが、思い出せない。
「そうなんだ。僕、一晩中ここにいたの?」
「ええ」
「早く戻らないと。ここ、どこ?」
「ふふふ。うん」
「うんって?」
「戻る必要はないよ」
女性はにっこり笑って、起きあがろうとするロイの両肩に手を置き、押し戻す。
「え? だってほら、お土産は」
ロイは少し驚いて、女性の顔をのぞき込む。淡い水色の瞳が見つめ返してくる。
「お土産はもう、目の前にあるもの」
女性が言う意味が、ロイにはちっとも分からない。何を言ってるんだ、この人は。
「なんで? スカイとオリバーがきっと心配して──」
ロイが再び立ち上がり、ドアに右手を伸ばしたときだった。女性がとっさにその右肘をつかみ、渾身の力をこめてねじ曲げた。目の前に星が飛ぶほどの痛さに、ロイは絶叫した。信じられない。見れば、右肘がおかしな角度で曲がり、ぶらぶらしている。
「君はさあ、そのままでいてもらえるかなあ」
急に、別の声が響いた。ロイはドアの方を見る。別の女性が二人入ってきて、こちらを見下ろしている。一人は黒髪、もう一人は茶髪だ。黒髪の女性の方が、葦でできた縦笛を面白がって吹く。が、目は笑っていない。
「ご苦労様、ゲイル。それって、りんごの蜂蜜なんだよね? りんご好きの大公の機嫌取りにちょうどいいや。すぐに届けて」
「はっ」
銀髪のゲイルはすぐに床にひざまづき、頭を垂れた後、壺を持って小屋から出た。ロイがあっけにとられてドアの方を見ていると、黒髪の女性が笑うのをやめた。ロイは痛みに打ちふるえながら、その女性の瞳を見る。徐々に白目の部分が消え、瞳の数が増え、やがて複眼となった。
「君、グリフィダから来たんでしょ」
ロイの喉はからからだ。何も言えず、口を開けたままわなわなと震える。
「自己紹介してよ」
黒髪の女性はロイの折れ曲がった手を、縦笛でつつく。ロイは激痛で今にも失神しそうだ。冷や汗を垂れ流し、必死の思いで女の複眼を見る。小さな個眼のひとつひとつに、怯える自分自身が映し出されている。
黒髪の女性は茶髪の女性を軽くあごでしゃくり、くすくす笑い出した。
「自己紹介もできないの? しょうがないなあ。じゃあ、私からしてあげる。こっちは部下のポーリーンで、私はタマーラ。これでも一応、ヤバネの女王だよ」
一方、ケチューラ村では、スカイとオリバー、村の子どもの父親が、絵のやりとりを続けていた。
「知っているぞ。その銀髪の女乞食は数日前にきたんだ。ぼろぼろの格好で、仕方ないから我々は衣服を与えた。うちの村も貧しいけど仕方ない、蜂蜜も少し、分けてやったのさ」
父親はそうは言ったものの、それを絵で説明するのは難しい。目の前にいる異国人の少年二人の身振り手振りを見る限り、どうやらこの銀髪の女と、金髪の少年を探しているようだ。どうしたものかと悩んだ挙句、足元にある白い板を手に取った。それは古くなった漆喰壁の瓦礫だ。父親は、それに地図を描くことにした。
「いいか。ここがケチューラだ」
父親はケチューラ、ケチューラと連呼しながら、瓦礫の上端に小さな丸を描いた。
「この村から南側の斜面をくだっていくと、村が三つある。イチクレンド村、ニルヒンド村、サンドレド村だ」
父親は次に、上端の丸から下に向かって、別の丸を三つ、縦並びに描いた。スカイとオリバーは父親の発音にならい、イチクレンド、ニルヒンド、サンドレドと復唱した。
「そうだ。このあたりは川がほとんどない。しかも今は乾季で、雨は降らないんだ。きっと彼らも喉が渇く。村だったら井戸があるから、彼らはいずれかを訪れるだろう」
父親はそう言って、そばにある井戸と、地図内の三つの丸を交互に指差した。スカイとオリバーは、しきりに頷いた。さらに父親は、オリバーが鉛筆と瓦礫を欲しがっているのを理解し、それらを手渡した。
「うむ。これを使って、ほかの村の者とも意思疎通をはかるといい」
スカイとオリバーは父親に手を振り、村を後にした。
その日の夕方だった。ケチューラ村から一番遠い、サンドレドの村で、若い男性二人が放牧の仕事を終え、それぞれ帰宅しようとしていたところだった。
「おい、誰だ、あの女」
背の低い男性が指をさす。そこには銀髪で巻毛の女性が立ちつくしている。
「外国人みたいだな。肌が白くて、いい女だ」
背の高い男性は女性の見た目に興奮したが、背の低い男性はまったくテンションがあがらず、鼻息をもらす。
「そうか? 気味悪い。なんだ、あの青い目は」
「おい女、どうした。なにか用か」
今度は背の高い男性が、女性に話しかける。女性は喉に手を当て、舌を突き出してくる。
「なんだ? 喉でも渇いたってか」
背の高い男性は手招きして、井戸のある方へ歩く。女性もそれについていく。
「おい。おれは嫁がうるせえから先、帰ってるぞ」
「おお」
背の低い男性が自宅のある方へ帰っていったので、背の高い男性が井戸のロープを引き、バケツで水を汲み上げた。すると女性は皮袋を取り出し、そこにバケツの水を流しこんだ。男性は女性の横顔に見とれた。外はすっかり薄暗くなり、ほかの村人もいない。その状況が嬉しく、男性はワクワクして話しつづけた。
「あんた、綺麗だな。どこから来たんだ? その格好は見たことがあるな。もしかしてケチュー……」
男性はそれ以上言葉を発することができなかった。女性に喉元を噛みつかれ、その場で絶命した。




