96.鉛筆
スカイとオリバーはハイランドアップルの木を前に、その白くギザギザした花を見上げた。
「わあ、蜜蜂が集まってる。ちょうど今が旬なんだ」
スカイが指さすところには、丸々太った蜜蜂、デススプリングビーが踊るように飛び、花びらの中に頭を突っ込んでいる。なんだか甘酸っぱくて優しい、蠱惑的な香りのする木だ。頭もなんだかぼんやりする。スカイは少し目をとろんとさせて、その木を見つめた。
そこへ、村の子ども達がスカイの手を引いて、そばにある小さな建物を指さす。さらに、スカイが前日にあげたオオルリミツバチの巣板のかけらを持ち、それをブンブン振りまわしている。
「何?」
「行ってみよう」
スカイとオリバーは分からないなりに、その建物に近づいた。
その建物は民家と同じく、藁葺き屋根の建物だった。ただ、この小屋がほかと少し違うのは、民家が立つエリアと離れたところに立っていることと、壁があるのは南以外の三方向だけで、その壁は白い漆喰でできていることだ。子どもがしきりに手招きするので、スカイはそれを見てハッとした。大きな丸太がいくつも並び、その周りには蜜蜂が飛び交っている。一人の壮年男性が、口と鼻を布で覆い、丸太の中をメンテナンスしているのが見えた。
「もしかしてこれって……」
スカイが言いかけたとき、男性が激しい剣幕で怒鳴りつけた。びっくりしたスカイとオリバーは少し離れたところから遠巻きに、その男性の行動を見守った。
「オリバー。あれ、巣箱だ」
「へえ。あのぶっとい切り株が?」
「うん。丸太をくり抜いて、蜜蜂に巣を作らせてるんだ」
スカイは男性に睨まれながらも、作業風景から目を離せない。
「そんなに怒ることないじゃんか、父ちゃん」
小さな男の子が、父親の男性に向かって頬をふくらます。
「何度も言ってるだろ。これは危険な仕事なんだ。木にも、小屋にも近づくな。お前達は向こうで遊んでろ」
「旅人のお兄ちゃん達に、父ちゃんのかっこいいとこ、見せたかっただけだよ」
「いいから、あっちへ行け」
子どもの父親は養蜂家だ。日頃、この土地最高の蜂蜜「ハイランドハニー」をつくることに精を出している。あいにく、今年はほぼ収穫ゼロだ。それというのもあの恐ろしい巨大蜂が出るようになったためだ。また、いつ、村が襲われるかも分からない。
父親はため息をついた。まったく、神はなぜあのような生き物を我が村によこしたのか。だが幸い、ケチューラ族は「選ばれし民」である。神が我々の先祖にハイランドアップルの苗木と、デススプリングビーを授けたのだ。それらの扱いにはどの民族よりも長けている。採れた蜜はほんの一滴、舐めるだけで怪我の痛みが減るし、不眠症の者はぐっすり眠ることができる。こんな妙薬はほかにない。
だが、その香りを嗅ぎ続けていたら五分ともたずに昏睡状態に陥る。十五分も経てばまっすぐあの世行きだ。あの巨大蜂はそれを知らない。だから、奴らは無鉄砲に村を襲いながら、その場で果ててしまったのだ。おかげで他の村よりは巨大蜂の被害が少ないと、父親は理解している。
もうじき蜜が溜まる。そしたら巨大蜂がまた村を襲ってくるのだろう。今度はどうにか蜜は守りながら、蜂を駆逐したい。
すると、スカイが身振り手振りで何かを訴えている。父親はグリフィダ語は分からないにしろ、スカイが何を言いたいのかは分かった。ハイランドハニーを欲しがっているのだ。
この異国人が振る舞った青い蜂蜜にはたまげた。気味の悪い色をしているが、食味はいい。それに何より、飢えている自分達をたくさんの食料で救ってくれたのも事実だ。父親は濃灰色の小さなスティックを手に取り、漆喰の白壁に絵を描き始めた。
「いいだろう、分けてやろう。だが、一度にたくさん舐めてはダメだ」
父親はそういって、両手でたくさんの蜂蜜を口に入れる人間の絵を描いてみせる。それを指差し、顔をしかめ、首を横に振る。スカイはそれを見て、真剣な顔で頷く。オリバーは目を見開き、父親の持つスティックを凝視する。
「こうやって嗅ぐのも危険だ。舐めないときは蓋をしておけ」
今度は、父親は、やや誇張された鼻の長い人間が蜜壺を嗅ぐ絵を描いてみせる。それも同様に指差し、顔をしかめ、首を横に振ってみせる。スカイもまた首を縦に振る。
「分かったか。扱いには気をつけろ」
父親はそう言って、巣板を一枚、切り取る。それを小さな壺に入れ、布で封をすると、スカイに持たせた。するとオリバーが興奮して早口でまくしたてた。
「なんだ。異国の言葉は分からんよ」
オリバーは最初に、壺に彫られた図柄を見てああだこうだと言い続ける。父親はそれが何かは知っている。この村に昔から伝わるハイランドアップルの花の紋様だ。蜂蜜を入れる蜜壺にはすべてこの図を施すのが村のしきたりになっている。さらにオリバーは、しきりに父親が持っているスティックを指差し、喋り続けている。
「これが欲しいのか?」
父親はスティックをオリバーに手渡した。
一方、オリバーはそれを受け取ると、漆喰壁の余白に勢いよく絵を描き始めた。スカイはその猛然とした描きっぷりに目を奪われた。
「オリバー。その棒、なんなのかな」
「鉛筆だ」
「鉛筆?」
「そう。黒鉛と粘土でできてる」
オリバーが脇目も振らず、せっせと描いているのは人物画だ。シャツとベストを着て、半ズボンと膝まである靴下、先の尖った靴を履いている。オリバーはさらに、父親にもらった蜜壺に手を突っ込んだ。手にべっとりついた黄金色の蜂蜜で、その人物の髪を塗った。
「親父。これが俺らの友達、ロイだ。見なかったか。探してるんだ」
オリバーは絵を指差し、父親の肩を強く揺さぶった。だが、父親は怪訝な顔をするばかりで、いい反応をしない。
「じゃあ、こいつは」
オリバーは今度は女の絵を描いた。ケチューラの村人と同じつばの長い帽子に、縞模様のポンチョを着た女だ。さらにヌマグチから瓶を取り出した。たった一つだけ残った、しろがね蜜だ。今度はその銀白色の蜜を指ですくいとり、女の髪を塗った。
すると父親は目をむき、あっと声を上げた。




