118.神子
スカイは草の上に手をついたまま、リクを見上げた。
リクはスカイの前に膝をつき、向き合っている。最初は肩にあったリクの手が、下方に移動し、背中をなでてくる。さらに脇腹をなで、最後には口のなかをこじあけてきた。
何を確認しているのかは、スカイにも分かった。蜂人かどうかだ。手が震える。唇が震える。スカイはのどがカラカラになって、気が動転しそうだ。目の前にいるリクは複眼だけでなく、背中に八枚の羽が生え、脇腹から中足も生えている。だが、スカイが怯えている理由はそれだけではない。自分がこの蜂人と、意思疎通できている事実に怯えているのだ。
「俺も蜂人だ」リクは単刀直入に言い、表情のない顔を向けてくる。「蜂人同士は体に触れば会話できる。蜂が触角同士をくっつけて話すようにな。他の奴に悟られないよう会話したいときにはこれのほうが便利だ。そんなことも知らなかったのか」
「俺は……」
蜂人じゃない。そう言いたかった。だけど、言えるのだろうか。父はハートフォードの領民を殺して食っていた。ルークも。……そう。きっと、バイオレットも。
「リクはどうして、人間と一緒に暮らしてるんだよ」
スカイは草を握りしめ、精一杯にらみつける。
「それはこっちのセリフだ」
リクの言い草はそっけない。
「俺は人間だ。生まれてから、ずっと」スカイの胸が、ズキズキと痛んだ。「目だってお前みたいに蜂の目じゃない。羽だって。足だって……」
「お前は劣性種なんだろ。羽化もしてないし、毒針も生えてない。でも、普段は人間を食ってんだろ?」
「っざけんな」
スカイは激昂した。唸り声をあげ、リクの着物の襟をつかみ、殴ろうとした。だが、リクの片手がスカイの拳をさえぎる。
「違うのか。なら、何を食ってる」
リクははっきりとした声で尋ねる。今度は口を動かして話している。それもグリフィダ語だ。スカイは驚愕と動揺をないまぜにして、目を見開く。
「お前みたいな化け物には分からねえよ」
「へえ。どうしても人間だって思いたいんだな。人間なのに、口も動かさず、会話できてるのにな」
ああ……。そうだ、なぜ俺はこんな奴と会話できる。知らない。だけど、俺は人間だ。スカイの目に、涙がたまってくる。リクの手のひらから拳を放し、肩をふるわせる。
「父は蜂人だ。でも母は人間だ。だから……。俺は……」
「へー、ハーフか。ならまあ、蜂人の血が薄いのかもな」
リクはなるほどと頷く。
「お前こそ、どうして人間と暮らしてる」
スカイは手で涙をぬぐう。
「蜂人とも暮らしてるよ」
リクのその言葉に、スカイはサッと青ざめ、背後に見える護平の家を見やった。
「誰」
「カイ。あいつは俺のきょうだいだ」
スカイは急いで護平の家に駆け戻ろうとした。だが、リクにがっちり腕をつかまれた。
「離せ!」
スカイは叫んだ。
「大丈夫だよ。俺もカイも、生きてる人間は食べない」
「んなもん、信じられるか」
「信じろよ。だって護平様は、俺らの正体を知ってる」
意味が分からない。どういうことだ。あの長も蜂人なのか。
「あのじいさん達は蜂人を恨んでいるのに、どうして蜂人なんかとつるんでるんだよ」
「そうか。お前のなかには『人間対蜂』しかないんだな」
「そうじゃなかったら何だっていうんだよ」
スカイはムキになって、リクをにらむ。にらみながら、また涙がにじんでくる。リクは静かにスカイを見つめ、手招きをする。
「来いよ。仕事にいく」
リクとスカイが森の奥へ入っていく頃、護平は囲炉裏に鉄鍋をおいて、調理を始めた。巨大樹の森でくんできた湧き水と、平原の民と物々交換した米、それに畑で採れた根菜をあわせ、煮立たせた。出来上がった雑炊を椀に入れ、ロイ達に供した。
「この白い粒々は何なの」
ロイが木製のスプーンを椀に入れ、不思議がって尋ねると、護平は静かにほほ笑む。
「米だ。豊穣の神が我々に与えた、恵みだよ。野菜はネギと白菜を使ってる」
「ふうん」
ロイは米というものがいまいち好きになれなかった。それよりもルビテナ村で腹一杯食べさせられた、ライ麦パンの方が遥かに美味いと思った。だけど、アイスノウの脂っぽい鮭や、ソラミエの大ネズミに比べたらなんぼかマシだった。
「美味い。俺らの国にも、この白菜に似たキャベツという野菜があるが、それよりもっと肉厚だな」
ロイとは違って、オリバーは雑炊を気に入り、何杯もおかわりを要求する。ロイはスプーンを置いて、護平とオリバーの通訳に徹することにした。
「ここにいるカイとリクは、我が村の神子だ」
護平は隣のカイを一瞥した後、天井から吊るされた鉤棒ごしに、正面のオリバーを見る。
「神子というのは?」
オリバーも見つめかえす。
「神に仕え、この地を守護する。人間を超える、特別な存在だ」
「神……。この地の神は何という神なんだ」
「母家樹に鎮座する神、ヘカトンケイル神」
護平は合掌する。
「守護とは、具体的には蜂や賊からこの地を防衛するって認識であってるか」
「ああ。そうだな。我々は戦わなければならない。先祖代々護ってきた母家樹を奪還するのだ。あのおぞましい虫に……人間が狩られていい理由などない」
囲炉裏の炎に護平の顔は赤々と照らされる。その瞳は怒りの色を灯していたが、そのなかに何かを思いつめたような色をオリバーは見つける。それが分からず、黙って相槌をうつ。
「戦士なんだな。だから二人とも、剣を持ってる」
オリバーはカイのかたわらに置かれた刀を指さすと、カイは緊張して頷く。
「カイとリクの武力は他の者の比ではないぞ。なあ、カイ」
護平は豪快に笑う一方で、カイは笑わず、やけに生真面目に頭を下げるだけだ。オリバーは、カイのぎこちない態度が気になりながらも、あえて別の話題を振ることにする。
「なあ、カイ。俺らはヤミツバキの蜂蜜がほしい。花の咲いてる場所は分かったが、蜂の巣の場所が分からないんだ。教えてくれないか」
その頃、スカイはリクについて、どんどん森の奥深くへ入っていった。真っ暗で何も見えないと思ったのに、リクは上手く野生のハネコを利用し、歩いている。
「仕事って何だよ」
「どうせ信じられないだろうが、俺とカイはロドガワ族の神子だ」
「は?」
スカイは険悪な調子で尋ねる。
「人間にはできない役目を仰せつかってる。たとえば──」
そう言って、リクは茂みの前にしゃがみこんだ。その所作があまりに静かで美しく、スカイは思わず見入ってしまった。リクは茂みの隙間を、音も立てずに入っていく。スカイもそれに続く。
ハネコが照らし出したその先の光景に、スカイは思わず息を飲んだ。およそ百匹のヤバネスズメバチが、泉のなかで溺死していた。
「なんなの、これ」
スカイは呆然としながら尋ねる。
「駆除作業さ」




