112.闇のなかの攻防
ロイは全身が凍りつき、息をとめた。
何者か。喉に冷たい剣の感触を感じながら、額に汗が垂れるのを感じた。眼球だけをひそかに動かす。焚き火の明かりで、剣が明るいオレンジ色に輝く。よく見ると、剣は少し変わった形をしている。ゆるやかに湾曲していて、こんな状況にも関わらず、その造形美にロイは見とれてしまう。同時に、そこに映る持ち主の顔に恐怖した。その鬼のような形相を見れば分かる。今、ほんのわずかでも動けば、持ち主は自分を瞬殺するだろう。
持ち主は小声で何か言った。だが、ロイにはその言語が理解できない。せめて体に触れて話し合えたら。ロイの汗が、剣を濡らした。
突然、ロイの目の前で空気が動いた。ジャッキーが素早く横切り、剣の持ち主の手を突いた。剣は回転しながら地に落ちた。持ち主は突かれたほうの手を抑え、バタバタと逃げていく。
「ジャッキー!」
飛び起きたスカイが叫ぶと、ジャッキーは体を翻して旋回し、スカイの前に着地した。スカイはすぐさま弓矢を肩にかけ、焚き火から一本、薪を抜き取ると、すぐさま飛び乗った。ジャッキーは素早く飛翔した。
「おい、スカイ!」
オリバーが地上から呼びかける。
「そこで待ってて!」
スカイは薪を松明にして前方を照らす。その明かりを頼りに、ジャッキーが巨大樹の木立のなかを縫うように飛ぶ。体の大きいジャッキーは、あちこち羽を木の枝にぶつける。一瞬先は闇なのに、果敢な飛びっぷりにスカイは勇気づけられる。そのまま身をまかせ、目を閉じた。
ほんのわずかな間だった。スカイの意識が遠くいざなわれ、まぶたの奥に、ルビテナ村の情景が広がった。
ゴライアク大陸に出発する前のことだ。スカイはガルシアの自宅の弓場で、修行をつけてもらっていた。
「次の技は覚えていて損はない。その本にも書いてあるが、『暗射』と呼ばれる技だ」
ガルシアは、スカイが手にしている本を指さした。
「俺達、ポアロン族の先祖はな。昼も夜もなく戦いに明け暮れたんだ。暗闇のなかでも弓は引ける。目で、そのものを追いかけるんじゃない。気配を追いかけるんだ」
「そんなことができるの」
スカイは驚いてガルシアを見つめた。ガルシアは目を瞑ったまま、弓を構えた。その姿勢のまま、数十秒が経過した。ガルシアはぴくりと動き、弓をぎりぎりと引いた。スカイはガルシアが矢を向けている方角を見た。そこには低木が生えていて、その根元に一羽のカモがうずくまっていた。
ガルシアは何もためらわず、矢を放った。矢はまっすぐ飛び、カモの胸に命中した。ガルシアは目をつぶったまま静かに笑い、やがて目を開けた。
「すごい」
スカイは口をぱくぱくして、それ以上言えなかった。
「な。できただろ。いいか、まず深呼吸だ。全身の毛穴、ひとつひとつを意識しろ。それらが空気に触れている感覚をまず、鍛えるんだ──」
ガルシアは丁寧に指導した。それから一週間、スカイはその困難な訓練に励んだ。
スカイの意識はルビテナ村から、再び現実に引き戻された。目を開けると、漆黒の森が広がっている。
あのときはあともう一歩でできそうというところで、出発のタイムリミットがきてしまった。今、実戦になって分かる。音。匂い。体温。そして空気の流れ。視界不良を、他の感覚器官が補う。暗がりを猛スピードで逃亡している刺客が、自分とそう体格の変わらない人間というところまでは察知できた。
あいつは何者なんだ。突然、俺達を襲ってきたりして。物盗りか。いや、そういう感じじゃない。だとすると、このへんの現地人か。俺らがこの土地に侵入したことを怒ってる? でも、それだけであんな剣でロイを殺そうとするなんて。じゃあ──。 十中八九、あいつは蜂人だ。
と思ったら、空を切り裂き、何かが自分に向かって飛んできた。矢か。いや、違う。皿? ナイフ? 違う。でも、金属質な何かだ。ヒューン、ヒューンと飛んでくる。刺客はただ逃げてるだけではない。逃げながら何かを投げつけ、スカイを攻撃している。そのコントロールは見事だ。スカイは鋭敏によけるものの、頬や耳に、小さな切り傷ができていく。ジャッキーが鋭く鳴き、体を翻した。スカイは振り落とされないようしがみつく。
殺すつもりはなかった。生け捕りにして、問い詰めてやるつもりだった。だけど向こうは自分を殺す気だ。殺らなければ殺られる。
ふと、刺客の逃げる速度がわずかに落ちた。スカイはそのチャンスを逃さず、目を閉じた。姿勢をすっと正し、意識を前方に集中した。それから松明を前方に放り、おごそかに弓をとり、矢をつがえた。
「ラコロシュテ・プレレクテ・ピカ。スコティーボ!」
闇夜をまっぷたつに切り裂くように、光り輝く矢が爆進した。
やった。成功だ。スカイは目を開けてガッツポーズをとる。よく見えないが、矢が刺客の体に刺さったのは感覚で分かる。だけどどういう理屈か、刺客はますますスピードを上げて、ついにはスカイを振り切ってしまった。
「くそ!」
スカイが悪態をついたときだった。大木の太い枝に激突した。そのはずみで、ジャッキーから転落した。
「くっ……。おい! ジャッキー!」
スカイは地上から叫んだ。だが、急に視界が奪われ、興奮したジャッキーは鳴きながら迷走し、どこかへ行ってしまった。
スカイは改めて、あたりの景色を見た。放り捨てた松明を探したが、地に落ちた衝撃で鎮火してしまったらしく、一面が漆黒の闇だ。巨木だらけで、月の光も届かない。
静かだ。どこからか、フクロウの鳴き声が聞こえる。スカイはさきほどの新技で集中力が切れ、周囲の気配を察知することはもうできない。手探りで立ちあがろうとしたが、急に足がぐらつき、また倒れてしまった。太ももに触ると、大きく腫れている。枝にぶつかったせいだ。力が入らない。
「おーい! ロイ! オリバー!」
大声で呼んでも、声は返ってこない。どうしたらいいのか。四つん這いになり、途方に暮れた。
そのときだった。何か、小さな光が二つ、闇に浮かんでいる。それが少しずつ、こちらに近づいている。緑色で、オリバーの目の色みたいだ。スカイは急に不安になり、怖くなった。あの光は何か。光はどんどん大きくなっている。スカイの顔の前まできたとき、とっさに手で払いのけた。光が一瞬消えた。
「ニャア」
何だ? 柔らかい、ふわふわしたものを自分の手がつかんでいる。スカイはその光がまぶしくて目をこらす。そして気づいた。
「ミケール!」
光の正体はミケールの目だ。スカイがそのまま抱きしめると、ミケールはニャアニャア鳴く。元の場所へ帰ろうとしているのだ。
「ああ、ごめん、行かないで。俺、足、ぶつけちゃって、歩けないんだよ」
そう言ったのに、言葉が通じないミケールは、まだニャアニャア鳴く。
「そんなに嫌がんないで。ここにいてよ。ロイ達を呼んでこられる?」
ミケールが鳴くのをぴたりとやめた。さっとスカイの腕から逃れると、背中の羽を動かし、闇のなかを飛んでいく。
「待って──」
そこでスカイは気づく。暗がりのなか、明かりに照らされ、一部の木々がぼんやりと浮かびあがった。
「スカイ! そこか!」
オリバーとロイが松明を持ち、こちらに駆けてきた。




