101.二時間の死闘
ロイの演奏ぶりは、散々だった。
音はすぐに裏返るし、まともな音色は出やしなかった。この葦でできた笛は癖があるというか、素直に音が出ないなと、ロイは苦戦した。どうやったらタマーラのように吹けるのか。いや、自分だってサウン族だ。音楽性には自信がある。オリバーも言ってたじゃないか。僕は天才だ。
ロイは自分を奮い立たせ、唇の形や力の入れ方を少しずつ変えてみた。くわえ方や、息のスピード、息の量も変えてみた。すると、それによって出る音、出ない音があるのが分かった。きちんと出せれば澄んだ音が出る。ロイは吹きながら研究を急いだ。どんなに辛くても、ジャッキーを見捨てることはできなかった。
ロイが演奏しつづけること、数十分が経過した。下手くそなりに、音程をとることができるようになり、それっぽい「蓬莱」が吹けるようになってきた。ジャッキーは相変わらず虫の息だ。だが、何となく自分の右腕と左足の痛みが弱まってきたことに、ロイは気づいた。
イーヨの「蓬莱」がジャッキーだけでなく、自分自身にも効いてきたのだ。ロイは投げ出していた左足を曲げ、あぐらをかいた。同じく投げ出していた右腕を、そろそろと笛にあてがってみた。指はまだ動かず、右肘を曲げるのが精一杯だが、笛そのものを支える手伝いはできた。ロイは大きく頷き、一旦深呼吸した。それからジャッキーを見つめ、演奏を再開した。
再開後も、左手だけで笛の穴をふさいで演奏した。だが、右手の支えができたせいで安定感が増し、ほんの少しだけ、曲のリズム通りに吹くことができた。ジャッキーを見ると、胸の動きが少しだけ大きくなっている。ロイは耳を澄まし、笛の音だけでなく、心臓が鼓動する音も捉えた。大丈夫だ。ロイは自分に言い聞かせた。見れば、ロイの周りだけ草がすくすく伸びている。ロイは笛の効果を信じて、無心で吹きつづけた。
吹きはじめて一時間が経過した。最初は十センチほどしかなかった周囲の草が、三十センチほどまでに伸びていた。そのなかで、ロイはまだ演奏を続けた。通常なら、こんなに長く継続できない。しかも、初めて触る楽器だ。だが、体力を回復させる楽曲「蓬莱」がそれを可能にした。ロイの折れた手足はめきめきと回復し、痛みが減っていった。試しに右手の指を動かしてみた。なんとか笛の穴をふさぐことに成功した。ロイはゆっくりながらも、正確なリズムで演奏することにチャレンジした。ジャッキーの心音は、より大きくなっていた。
吹きはじめて一時間半が経過した。のびきった草花に囲まれ、ロイは汗だくだったが、手足の痛みが完全に消え、少しスピードを上げて吹けるようになった。目尻を流れる汗を感じながら、ジャッキーの方を見た。両翼をわずかに動かし、ピルルルと鳴いている。だが、その体の震えがまだ収まっていない。あともう一息だ。ロイは誠心誠意、ジャッキーのために演奏を続けた。
吹きはじめて二時間が経過した。折れた左足も、笛を持つ右手の動きも完全に復活し、まるで水を得た魚のように、ロイは精力的に演奏した。本来の「蓬莱」を音感、リズム感、豊かな情感をもって、全力で演奏してみせた。もう目をつぶってでも吹けた。ロイはまぶたのなかで、イマジネーションの世界に浸った。
ああ、そうだ。こんな感じだ。蓬莱。サウン族に伝統的に伝わる、美しい曲。サウン族なら誰もが知ってる名曲。心が凪のように穏やかになる。脳内に白い砂浜と、水平線が広がった。そこには貝殻も流木も落ちてなければ、船もないし、歩く人もいない。何もない。何もないのに、とても安らぎ、とても豊かだ。
ロイはジャッキーを救う使命感と同じくらい、未知の楽器に挑戦する意欲に燃えていた。音楽を渇望する心を、笛で満たしていた。
いつの間にか、ロイの周りにはのびきった草花だけでなく、鳥や小動物が集まっていた。皆、「蓬莱」が心地いいのだ。ロイは目を閉じたまま吹き、心のなかで穏やかに笑った。演奏できる喜び、その幸せに浸っていた。それからゆっくり、目を開けた。草地の上にちょこんと立ち、こちらを見つめるジャッキーと目が合った。
「ジャッキー!」
ロイは感極まって涙があふれ、笛を取り落とした。手を伸ばし、ジャッキーを抱きしめた。ジャッキーも嬉しくてビービー鳴いた。抱きしめた途端、ロイは激しい睡魔に襲われ、泥のように眠った。
顔を照らす太陽光を感じ、ロイは目を覚ました。あたりは草ぼうぼうだ。一瞬、どこにいるか分からなかったが、そばには赤い屋根の、ほったて小屋がある。自分が監禁されていた場所だ。ドアは開け放たれたままで、中に糸でぐるぐる巻きにされた蜂人がまだ寝転がっている。
ロイは手元にあるヌマグチを開けた。なかにはネバグモがいて、相変わらず気味が悪かった。だが、オリバーが飼い慣らした甲斐があって、ロイに向かって糸を噴射することはなかった。ロイはそれ以外に何かが入っているのに気づき、手探りでなかを漁った。出てきたのは皮袋に入った水とマスの干物、さらに漆喰の瓦礫が二枚と、鉛筆が出てきた。
「なんだ、これ」
ジャッキーと水を分け合いながら、ロイは鉛筆を持ってひとりごとを言う。鉛筆を見たことがないので、ロイはそれがどう使うものか理解できない。今度は瓦礫に目を落とした。一枚はまっさらだが、もう一枚にはグリフィダ語が書かれている。きちんとした、スカイの字だ。
「……そっか」
ロイは周りをひとしきり観察すると、鉛筆を手に取り、瓦礫に文字を書きはじめた。
同じ頃、スカイはオリバーとともにニルヒンドの村を出発した。これから坂道をさらに下り、サンドレドの村へと向かう。道の途中で、スカイははたと歩みをとめた。とっさにオリバーの前に出て、弓を構えた。女性が四人、行く手をはばむように立っている。どの女性も肌の色が白く、明らかに現地人ではない。自分達と同じ外国人だ。
「弓を下ろせ」
女性の一人が冷たく笑いかけてくる。
「何者だ」
スカイは弓を下ろさず、今にも矢を放とうとする。
「仲間の命が惜しかったら、持ってる蜂蜜をすべてよこせ」




