100.笛
ロイは床に尻もちをついたまま、ジャッキーを凝視した。
ジャッキーは鳴くことはせず、羽をはばたかせたりもせず、静かにしている。窓からのわずかな星明かりで、頭を右や左にかしげながら、こちらを見ているのは分かる。ロイは一旦、タマーラの方を見た。軽く寝息を立てていて、ジャッキーに気づいている様子はない。
ロイは再びジャッキーの方を見上げ、左手で手招きする。するとジャッキーは鉄格子の間をなんとか抜け、小屋のなかに入ってきた。
「ジャッキー」
ロイはごくごく小さな声で言い、左手でジャッキーの羽をなでる。ジャッキーも異様な状況を感じとり、ごくごく小さくさえずり、ロイに体を寄せてくる。その体温が手のひらにじわじわ伝わってきて、ロイは思わず涙ぐむ。
「ありがとう」
ジャッキーが首にさげたヌマグチをロイの腹の上に乗せてきた。ロイには暗くてよく見えないが、触った感じのイボイボ感で、それがヌマグチだと分かった。
ロイはそっとヌマグチを開けた。すると、なかからネバグモ達が這い出てきた。ロイは鳥肌が立ち、思わず悲鳴を上げた。
「何?」
暗闇で、タマーラがむくりと起きあがった。
その頃、スカイとオリバーはニルヒンドの村はずれに野宿し、火を囲んでいた。
「ジャッキー、遅いな。どこまで探しにいったんだろう」
スカイは、オリバーがテンジクネズミを串焼きにするのを見ながら、頬杖をつく。ニルヒンドの村でも尋ねて回ったが、ロイの行方は分からずじまいだった。
「よし、晩飯できたぞ」
オリバーがそう言って串焼きを差し出してくる。スカイはそれを受けとって食べ、夜空を見あげる。ロイの幻が見えて、胸がぎゅっと締めつけられる。
「お前のアイディアで、きっとロイは見つかる。とにかく祈って待とう」
オリバーも串焼きにがっつきながら、ぶっきらぼうに言ってくる。
「うん……」
スカイは食べるのをやめ、目に溜まった涙が引っこむのを待つ。
「悪かったな」
「何が?」
「……イライラしてたこと」
オリバーはきまり悪くて、メガネの鼻あてをぐいっと押しあげる。スカイはそれを見て、串焼きの残りを食べきり、温かいお湯で流しこんだ。
「いいよ。俺こそごめん」
そう言ってスカイは立ちあがる。こんなとき、ロイがいたら何か冗談を言ってなごませてくれるのに。スカイはひどく寂しかった。それに、真面目なオリバーと二人きりだと何だか気まずい。弓を手に取り、近くの木に向かって矢を放ちはじめた。
スカイが射撃の練習をしている間、ヤバネスズメバチの根城ではゲイルが燭台を持ち、広間の様子にため息をついていた。目の前にはハイランドハニーの残りと割れた蜜壺の残骸、さらに生き絶えた兵士達の姿があった。
「だから言ったのに」
ゲイルは、生きている兵士達の方に向き直る。
「明朝、私は女王陛下のところへ伺う。お前達はあの人間の子ども二人を連れてきなさい」
「はっ」
ゲイルは奥の寝所へ向かった。
その頃、ロイは赤屋根の小屋のなかで奮闘していた。
タマーラがロウソクに火をつけようとしている間、ロイは不自由な体で、なんとか這いあがり、自分自身とジャッキーをベッドのなかに押しこんだ。ヌマグチも隠そうとしたのに、ロウソクの明かりが先に点いてしまった。その瞬間、ロイはタマーラと目が合った。恐ろしい複眼に、自分の姿がいくつも映し出されている。
「どうしたの」
タマーラは怒るでもなく、優しくするでもなく、眠気まじりに言う。
「べ、別に。あ、悪夢を見ただけだ」
ロイは冷や汗をかきながら、目をそらす。
「それは何」
「別に。何でもない」
ロイは不安になって、ヌマグチに目を落とす。タマーラはあくびをしながらヌマグチを手に取り、じっと観察する。ロイが動揺を隠して見守っていると、視界の隅で布団が動いた。
「何? 何を隠してるの」
タマーラも布団の動きに気づく。
「だから、何でもないよ」
ロイの抵抗もむなしく、タマーラは勢いよく布団をひきはがす。ジャッキーが怯えて鳴き、素早く飛び出した。
「何、この鳥」
タマーラは目にも留まらぬ速さでジャッキーの首根っこを捕まえ、自分の顔にぐんと近づける。ジャッキーは怖がってピーピー鳴く。ヌマグチは、ロイの足元に転がりおちた。
「やめろ。そいつを離せ」
「こんばんは、鳥さん。夜食の材料になりにきたの?」
タマーラがおかしくてくすくす笑い、ジャッキーの首を締めあげる。ジャッキーは激しく痙攣する。ロイは手を伸ばしてとめようとしたが、手足の自由がきかない。そのとき、何かが左手に触れた。
ヌマグチから逃げ出したネバグモ達だ。ロイは意を決して、ネバグモの胴体を左手でつかみあげた。その腹部をタマーラの顔面に向ける。タマーラはすぐに理解できず、一瞬、反応が遅れる。
「え?」
ネバグモが勢いよく腹から糸を噴き出した。タマーラは叫び声をあげながら、顔面を糸で巻かれた。ロイはさらにネバグモの体の向きを変え、今度は胴体を巻かせた。タマーラは手からジャッキーを取り落とし、バタバタと床の上でもだえたが、もう声もあげられなかった。
ロイが不自由な体でベッドから降りようとすると、いきなりドア開いた。茶髪女のポーリーンが仁王立ちして、ロイをにらんでいる。だが、ポーリーンは足元でもだえる、簀巻きにされたタマーラに驚き、すぐにひざまづいた。
「陛下!? 陛下でいらっしゃいますか」
ポーリーンの問いかけに、タマーラは無言で答える。
「お前、陛下に何を……」
ポーリーンがロイにつかみかかる前に、ロイは再びネバグモを捕まえ、腹を向けた。腹から発射された糸が、ポーリーンもたちどころに簀巻きにしてしまった。
ロイは息を整えながら、ネバグモを放した。二人の蜂人の呻き声を聞きながら、ベッドを不器用に降り、左手と右足だけで這った。首を絞められ、今にも死にそうなジャッキーが、目の前で痙攣している。
「ジャッキー。頼む。死ぬな」
ロイは汗と涙と鼻水を垂れ流し、声を振りしぼる。ジャッキーはもう、声を出すことも出来ない。ロイはあたりを素早く見回す。何か道具になるものはないか。そばで簀巻きの蜂人二人がもぞもぞと動きつづけている。早く脱出しなければ。机の上に、何かが置いてあるのが見えた。
ロイは左腕だけで机の脚にしがみつき、上体を起こした。それから机の天板に左腕を乗せた。そこには、まだむいてないパパイヤが二つと果物ナイフ、それに葦笛が置いてあった。ロイはナイフと葦笛をまとめて机から振り落とし、床でそれらを拾った。さらに、どうにかドアノブを回し、ドアを開放した。
ロイはゆっくり這いながら、ジャッキーの体を自分の顎や頭で少しずつ押しやり、小屋の外へ出した。自分もどうにか這い出し、草の上に寝転んだ。それから星明かりの下で、左腕だけで葦笛をつかんだ。横向きになったまま口を吹き口にあて、息を送り込んだ。
葦笛からは音が出た。どの穴をふさげばどの音が出るかは、タマーラが吹いていたので全部記憶している。ロイはそれで「蓬莱」の旋律を吹いた。左手だけだと上手くできない。汗ですべって、笛を草の上に取り落とした。
ロイは、転がっていく笛をなんとかつかまえ、這いながらジャッキーのもとへ戻った。それからジャッキーの胸あたりに耳をあててみた。耳のいいロイには、まだ心音が聞こえた。そこで、ロイはどうにか上体だけ起こして、笛の足部を近くの大きな石と自分の右足とで挟みこんだ。さらに、吹き口をくわえて固定し、左手だけで演奏を試みた。リズムはいい加減になってしまうが、それでも「蓬莱」を吹くことはできた。
ロイは懸命に吹きながら、目はジャッキーを追いかけた。ジャッキーはときどきビクッと動くが、瀕死であることに変わりはない。どうか復活してくれ。ジャッキー。お前がいたから逃げられたんだぞ。ロイは祈った。涙がとめどなく溢れた。葦笛を繰り返し繰り返し、吹きつづけた。




