アリス覚醒
【アルバート家の庭】
「アリス、まだ動けるだろう?」
ヒイロはソードを構えたまま、目の前のアリスに声をかけた。
「だ、だってぇ……見えちゃうんだもん///」
アリスは真っ赤になった顔を両手で隠そうとしながら、恨めしそうにヒイロを見つめた。
つい先ほどまで、彼女は二本のソードを自在に操り、ヒイロを押し込むほどの勢いを見せていた。
ところが、パジャマが水に濡れて身体に張りついた途端、すっかり調子を崩してしまったのだ。
剣を構えることも忘れ、恥ずかしさから身を縮めている。
そんなアリスを前にしても、ヒイロの表情は真剣なままだった。
「アリス。お前は、自分がパーティーの中でどんな役割を担っているのか、分かっているか?」
「えっ? そ、それは……アタシが前衛で、みんなを守る役目だってこと?」
「そうだ」
ヒイロはゆっくりと頷いた。
「じゃあ、もし戦闘中にお前が動けなくなったら、どうなると思う?」
「そ、それは……」
「後衛にいるカルーアとサーシャが危険にさらされるんだ」
その言葉に、アリスの表情から少しずつ笑みが消えていく。
もちろん、アリスだって妹たちを守りたいと思っている。
姉として二人を大切にしているし、自分が先頭に立って戦うことにも誇りを持っていた。
だからこそ、ヒイロが何を伝えようとしているのか、理解できないわけではなかった。
それでも、今のアリスには恥ずかしさを押し殺して戦い続けることが難しい。
「……でも、お兄ちゃん。こんな格好で戦うなんて、やっぱり恥ずかしいよぉ……」
「恥ずかしいと思うこと自体が悪いわけじゃない」
ヒイロは静かに答えた。
「だが、戦闘中にその感情に負けて動けなくなったら、どうなる?」
「……」
「お前が動けなくなったせいで、二人が傷つくかもしれない。それでも、お前は戦うのをやめるのか?」
「そんなこと……!」
アリスは思わず顔を上げた。
妹たちが傷つく。
そんな未来など、考えたくもなかった。
「俺は以前、ゼノスから聞いたんだ。俺たちの親が、どうやって命を落としたのかをな」
ヒイロの声が、わずかに低くなった。
その言葉を聞いたアリスは、息を呑んだ。
自分たちの親が、かつて冒険者として共に戦っていたことは知っている。
そして、全員が命を落としたことも。
しかし、その時に何が起きたのか、詳しい事情までは知らなかった。
「俺の父さんも、お前の父さんも、カルーアの母さんも、サーシャの父さんも……みんな同じパーティーだった」
ヒイロは視線を落とし、当時の出来事を思い返すように言葉を続けた。
「ゼノスとの戦いで、最初に倒されたのは俺の父さんだったそうだ。父さんが倒れたことで、パーティーの陣形は崩れた。そこからは、あっという間だったらしい」
「……そんな」
「前衛が倒れれば、後ろにいる仲間を守れなくなる。どれだけ強い仲間がいても、一人が崩れたことで全員が危険になることだってあるんだ」
ヒイロは再びアリスを見つめた。
「だから、お前に同じことを繰り返してほしくない」
アリスは言葉を失った。
自分が戦えなくなったら、妹たちが危険になる。
それは、今まで何度も考えてきたことだった。
しかし、目の前のヒイロが語る過去の悲劇は、その現実をこれまで以上に重く突きつけてくる。
「……アタシの活躍が、三人の未来にかかっているの?」
「ああ」
ヒイロは迷わず答えた。
「もちろん、何があっても絶対に勝てるなんて保証はない。だが、どんな状況でも戦い続けられる強さを身につければ、守れるものだって増えるはずだ」
「……」
「アリス。お前は長女だ。そして、俺たちのパーティーの前衛だ。だからこそ、どんな状況でも歯を食いしばって戦えるようになってほしいんだ」
ヒイロの言葉には、厳しさだけではなく、強い願いが込められていた。
もう二度と、大切な仲間たちが目の前で命を落とすような悲劇を繰り返したくない。
その思いを、ヒイロはアリスに伝えようとしていた。
「もし、お前が動けなくなって……カルーアとサーシャが目の前で倒れたら、どうする?」
「えっ……?」
「二人がお前の名前を呼んでいるのに、お前が動けなかったら?」
「や、やめてよぉ……」
アリスは首を振った。
想像したくなかった。
いつも自分を頼ってくれる妹たち。
時には喧嘩をしても、最後には笑い合える大切な家族。
そんな二人が、自分の目の前で傷ついていく。
自分を呼びながら、助けを求めている。
それなのに、自分は恥ずかしさに負けて動けない。
そんなことが、本当に起きてしまったら……。
「ダメぇ!!」
アリスの叫びが、アルバート家の庭に響き渡った。
その瞬間だった。
アリスの瞳が、鮮烈な赤色に染まった。
「姉さん……?」
様子を見守っていたカルーアが、思わず声を漏らす。
アリスの頭から、ぴんと尖った狼の耳が現れた。
続いて、腰のあたりから大きな尻尾が伸びる。
身体の筋肉が膨れ上がり、普段の彼女とは明らかに違う姿へと変化していった。
「アリス!?」
ヒイロは警戒しながら、彼女の様子を見つめた。
獣人化したアリスの身体からは、凄まじい力があふれ出している。
しかし、その表情には、いつものアリスらしい明るさがない。
「アリス姉さまが意識を……また前みたいになっちゃいますの!」
サーシャが悲鳴に近い声を上げた。
以前にも、アリスが獣人化した際に意識を失い、暴走しかけたことがあったのだ。
今の状態も、あの時と同じなのだろうか。
アリスは手にしていたソードを地面に落とすと、ヒイロに向かって飛びかかった。
「アリス、待て!」
ヒイロは攻撃をかわしながら、彼女に呼びかけた。
だが、アリスの動きは止まらない。
大きく振りかぶられた拳が、ヒイロの身体を狙って迫ってくる。
「お前は、何のために強くなろうとしているんだ!」
ヒイロは必死に呼びかけた。
「カルーアとサーシャを守るためだろう! だったら、二人を守ることを考えろ!」
「グルルル……!」
アリスは唸り声を上げながら、再びヒイロに襲いかかった。
「アリス! お前ならできる! 自分の力を取り戻せ!」
ヒイロの言葉が、庭に響く。
その時だった。
「ワオーン!」
アリスが大きく吠えた。
そして――。
赤く輝いていた瞳に、少しずつ理性の光が戻っていく。
「……っ!」
アリスは踏み込んだ足を止め、目の前のヒイロを見つめた。
自分が何をしていたのか。
どうしてここにいるのか。
少しずつ、意識がはっきりしてくる。
「……お兄ちゃん?」
その声を聞いた瞬間、カルーアは目を見開いた。
「えっ……姉さん? 意識が戻ったの?」
アリスは自分の手を見下ろした。
大きくなった身体も、頭の上にある狼の耳も、腰から伸びる尻尾も、そのままだった。
いつもなら、意識を失ってしまうはずの獣人化。
しかし、今回は違った。
アリスは、自分の意思で立っていた。
「……アタシ、ちゃんと分かるよ。自分が何をしているのか」
アリスはゆっくりと拳を握りしめた。
その表情には、まだ戸惑いが残っていた。
けれど、目の前のヒイロを見つめる瞳には、確かな意志が宿っている。
「お兄ちゃん……アタシ、もう一度戦いたい!」
アリスの言葉に、ヒイロは笑みを浮かべた。
「ああ。来い、アリス!」
今度は、ヒイロも本気で構えた。
獣人化したアリスがソードを握り、地面を蹴る。
先ほどまでとは比べものにならない速度で、ヒイロとの距離を一気に詰めた。
「はあああっ!」
アリスのソードが唸りを上げる。
ヒイロはそれを受け流し、反撃を繰り出す。
だが、アリスは怯まなかった。
攻撃をかわし、身体をひねり、再び踏み込む。
獣人化によって強化された身体能力を、少しずつ自分の意思で制御し始めていた。
それでも、ヒイロは簡単には倒れない。
互いに攻防を繰り返すうちに、時間だけが過ぎていく。
そして――。
およそ一分後。
「……はぁ、はぁ……」
庭に、荒い息遣いが響いた。
地面に倒れているのは、ヒイロだった。
その前に立っているアリスは、獣人化した姿のまま、呆然と彼を見下ろしている。
「……やれた?」
信じられないというように、アリスは呟いた。
自分がヒイロに勝った。
しかも、意識を保ったまま獣人化し、その力を使って戦い抜いたのだ。
「……あ!? お兄ちゃん、大丈夫!?」
我に返ったアリスは、慌ててヒイロのそばに駆け寄った。
「ははっ……やるじゃないか、アリス」
ヒイロは苦笑しながら身体を起こすと、アリスの頭を優しく撫でた。
「よく頑張ったな」
「……えへへ」
アリスは照れくさそうに笑った。
その耳が、ぴくぴくと動いている。
尻尾も、嬉しそうに揺れていた。
「サーシャ、アリスの怪我を治してやってくれないか?」
「は、はいですの!」
サーシャは慌てて駆け寄り、回復魔法を唱え始めた。
アリスは妹の治療を受けながら、何度も自分の手を見つめていた。
自分は変われたのだ。
恥ずかしさに負けて動けなくなるだけではなく、大切な妹たちを守るために戦い続けることができた。
その事実が、何よりも嬉しかった。
「アリス、怪我が治ったら風呂に入ってこい。次はカルーアの訓練だ」
「うん! 分かったよ、お兄ちゃん!」
元気よく返事をしたアリスを見て、ヒイロは満足そうに頷いた。
こうして、三姉妹の長女アリスは、大きな一歩を踏み出したのだった。
【冒険者ギルド近く】
「さて……カルーアの訓練相手を探さないとな」
ヒイロはカルーアと並んで街を歩いていた。
アリスの訓練は無事に終わった。
次はカルーアの弱点を克服する番である。
しかし、ヒイロ自身は鍛冶職人だ。剣の扱いには慣れていても、魔法の訓練相手としては適任とは言い難い。
「兄さん、わたしの訓練相手を探しているんだよね?」
「ああ。俺は魔法を使えないからな。魔法の扱いに長けた相手が必要なんだ」
「そっか……」
カルーアは小さく頷いた。
もっとも、彼女の心は訓練相手のことだけを考えていたわけではなかった。
ヒイロと二人きりで街を歩く。
それだけで、胸の奥が少しだけ弾んでしまう。
いつもは姉妹が一緒にいることが多いから、こうして二人きりになる機会は意外と少ない。
(……なんだか、デートみたいで嬉しいな❤︎)
そんなことを考え、カルーアは頬をほんのりと染めた。
「どうした、カルーア?」
「な、何でもないよ、兄さん!」
「そうか?」
ヒイロは不思議そうに首を傾げたが、それ以上追及することはなかった。
しばらく歩いていると、見覚えのある人物が目に入った。
「あ、いたいた!」
ヒイロが声を上げる。
そこにいたのは、シャルルだった。
「シャルル!」
「ん? ヒイロじゃない。どうしたの?」
シャルルは振り返り、二人の姿を見て首を傾げた。
「ちょっと頼みがあるんだ。カルーアの魔法訓練に付き合ってくれないか?」
「エルフっ娘の?」
シャルルはカルーアに視線を向けた。
「うん。わたし、もっと魔法を上手に使えるようになりたいんだ」
カルーアは少し緊張しながらも、しっかりと答えた。
「なるほどね。それで、具体的には何をすればいいの?」
シャルルの問いに、ヒイロはにっこりと笑った。
「簡単だよ。二人で魔法を使って勝負してもらいたいんだ」
「魔法勝負ね……」
シャルルは腕を組み、少し考え込んだ。
カルーアも真剣な表情で頷く。
ところが、次の瞬間。
「それで、勝った方には、俺が一日ご奉仕するデートをプレゼントするのはどうだ?」
「「え、ご奉仕デート?」」
シャルルとカルーアの声が、見事に重なった。
二人は顔を見合わせ、それから同時にヒイロへと視線を戻す。
「ちょ、ちょっと待って! 何でそんな話になるのよ!?」
シャルルが思わず声を上げた。
「えっ!? ご奉仕デートって……兄さんと一日中、一緒にいられるってこと?」
カルーアの顔が、みるみる赤くなっていく。
そんな二人を前に、ヒイロは何食わぬ顔で頷いた。
「ああ。もちろん、訓練を頑張ってくれたお礼としてな」
「そ、そんな訓練があるの!?」
シャルルは呆れたように叫んだ。
カルーアはカルーアで、頬を赤くしたまま俯いている。
魔法の訓練をするだけのはずだったのに、いつの間にか妙な条件が追加されてしまった。
果たして、カルーアとシャルルの魔法勝負はどうなるのか。
そして、ヒイロの言う「ご奉仕デート」とは、一体どんな一日になるのだろうか。
新たな訓練が、思わぬ方向へと動き始めていた。
続く。




