寄り添う二人
【アルバート家 朝のリビング】
昨夜、酔っぱらってしまったアリスを運んでくれたアドルフとリリアに、ヒイロたちは晩ご飯をご馳走していた。
しかし、リリアは完全に酔いが回っていた。
「これ……おいしい……」
そう呟きながら野菜ジュースを半分ほど飲んだところで、リリアはそのまま眠ってしまった。
「寝ちゃったよねぇ」
「仕方ないな。そろそろ帰るか」
アドルフは眠ってしまったリリアを軽々とかつぎ上げると、そのまま帰っていった。
そして、その夜。
ヒイロはアリスと一緒に眠ることになった。
ただでさえアリスは寝相が悪い。
そんな彼女が酔っぱらっているのだから、もしカルーアやサーシャが一緒に寝ていたら、寝返りや寝ぼけた動きで怪我をさせられてもおかしくない。
そう判断したヒイロが、自分がアリスの隣で寝ることにしたのだった。
そして翌朝。
「もう姉さんったら。昨日は本当に危なかったんだよ。理解してるのかい?」
朝食の席で、カルーアから説教を受けているアリス。
しかし当の本人はというと、
「あ、カルーアごめんねぇ。知らない間に酔ってたみたいぃ。テヘ♪」
と、いつもの調子で軽く謝るだけだった。
「もう、軽すぎるんだよ。兄さんからも一言言ってやってよ。……ん? どうしたの、兄さん?」
アリスがあまりにも軽く受け止めているように見えたため、カルーアはヒイロにも注意してもらおうと話を振った。
だが、ヒイロは何か別のことを考えているようだった。
「お兄ちゃん、どうしたのぉ?」
アリスもヒイロの様子がいつもと違うことに気づき、声をかける。
「姉さんが昨日、兄さんのことを酔っぱらいながら何度も殴ったり蹴ったりしたから、体が痛いんじゃないの?」
「えぇっ!?お兄ちゃん、ごめんねぇ」
カルーアに言われ、アリスは慌ててヒイロに謝った。
「いや、違うんだ」
そこでようやく話の流れに気づいたヒイロが、首を横に振る。
「鉱石が、このままだと足りなさそうなんだ」
「どういうことですの?」
サーシャも話に加わる。
「昨日、サーシャと一緒に街の素材屋へ買い出しに行っただろ?」
「ええ、たっぷり買いましたの」
「ゴブリンの大群が街を襲ったことで、たくさんの修理依頼が来ただろ? 思っていた以上に損傷の大きいものが多くてな。昨日買った分だけじゃ、全然足りそうにないんだ」
「じゃあ、また取りに行ったほうがいいんじゃないかなぁ?」
アリスが言う。
「そうだな。今から行けば、昼過ぎにはエルドラ山脈に着けるだろう。じゃあ、久しぶりに四人で出かけるか! ミルくん、留守番を頼めるかい?」
ヒイロがミルへ声をかける。
しかし――。
「サーシャさん、これすごく美味しいです!こんなに美味しい朝食は初めてです!めちゃくちゃ美味しいですよ♪」
ミルはサーシャが作った朝食に夢中になっており、ヒイロの話がまったく耳に入っていなかった。
「まあ、そんなに褒めていただけるなんて嬉しいですの。でも、お兄さまのお話を聞いてあげてくださいね?」
「え? あ、すいません」
ミルは慌ててヒイロへ向き直った。
ヒイロは改めて事情を説明すると、ミルに留守番を頼むことにした。
こうして、ヒイロ、カルーア、サーシャ、アリスの四人は、久しぶりに採集へ向かうことになった。
【エルドラ山脈の中腹手前】
四人は馬車を止め、これから先の道を見つめていた。
「ここからは前回とはルートを変えて、裏側に回っていきたいんだが……問題は馬をどうするかなんだよな」
「連れて行けないんですの?」
サーシャが尋ねる。
「ここから鉱石の群生地までは、険しい道がしばらく続くからな。馬を連れて行くのは難しい」
ヒイロは周囲を見渡す。
「かといって、ここに馬車を置いていくと魔物に襲われる可能性がある。誰かが残って留守番する必要があるんだが……」
「へえぇ……!? だったら、留守番するのはアタシかカルーアになっちゃうじゃない!」
アリスが不満そうな声を上げた。
「任せてよ♪」
そんなアリスの前へ、カルーアが一歩進み出る。
「こんな時のために、いい魔法を覚えているんだ♪」
カルーアは馬車へ近づくと、地面に魔法陣を描き始めた。
魔法陣は馬二頭と馬車を囲むほどの大きさになった。
「【認識阻害】!」
カルーアが魔法を発動させる。
すると――。
「おお!?」
「すごいですの!」
「お馬さんたちが消えちゃったぁ!」
三人の目の前から、馬車がすうっと消えていった。
もちろん、本当に消滅したわけではない。
そこにあるはずの馬車も馬も、三人の目にはちゃんと映っている。
それなのに、「そこに馬車がある」という認識だけが、頭の中から抜け落ちてしまうのだ。
「あ、見えないけどお馬さんがいるぅ!」
カルーアに手を導かれたアリスが、何もない空間へ手を伸ばす。
すると、確かにそこには馬の頭があった。
「そう。これがアンコンシャスだよ」
カルーアは得意そうに説明する。
「そこにあるものを、そこにあると認識できなくする魔法なんだ♪」
「なるほど……」
ヒイロが感心する。
「近くに魔物が来ても、本当は目には馬車が映っているし、馬の匂いも嗅いでいる。でも、『ここに馬車が存在している』っていうことを認識できなくするんだよ」
「それは便利な魔法だな。どれぐらい効果は続くんだ?」
「そうだね……実際に測ったことはないから正確には分からないけど、五、六時間くらいは続くと思うよ」
「じゃあ、五時間以内に採取を終わらせて戻ることにしよう」
「うん♪」
そう答えたカルーアだったが、額にはわずかに汗が浮かんでいた。
馬二頭と馬車をまとめて認識阻害の範囲に入れたうえ、長時間効果を維持する。
中級程度の魔法とはいえ、まだ魔法を使い慣れていないカルーアにとっては、決して軽い魔力消費ではなかった。
それでもカルーアは何も言わず、三人とともに目的地へ向かって歩き始めた。
それから一時間ほど歩いた頃。
「よし、目的地に着いたぞ」
「ごめんなさいですの、お兄さま……」
ヒイロの背中には、サーシャが乗っていた。
途中の険しい道で足を挫いてしまったのだ。
サーシャはすぐに回復魔法を使ったものの、完全に痛みが引いたわけではない。
「険しい道が続いたから仕方がないよ。いくら魔法で治しても、すぐに完全に痛みがなくなるわけじゃないんだから」
「ですけど……」
「無理して歩くほうが危ないからな」
ヒイロは優しくそう言って、サーシャを背負ったまま歩いていた。
すると、少し先を一人で進んでいたアリスが大声を上げる。
「あ、コテージ見つかったよ!ここだよね!」
アリスが大きく手を振っている。
ヒイロたちはアリスのいるコテージへ向かった。
コテージの中に入ると、四人は軽くティータイムを取ることにした。
その後、サーシャと、彼女の護衛として残るアリスをコテージに置き、ヒイロとカルーアの二人だけで、そこから少し離れた鉱石の群生地へ向かうことになった。
コテージから十分ほど歩いたところ。
そこには、様々な鉱石が地面や岩肌から顔を覗かせる場所が広がっていた。
魔物の生息地でもあるため、カルーアは周囲を警戒しながら、ヒイロの採取を見守っていた。
「これは……かなり入ってるな」
ヒイロは大きな岩を見つけると、その岩に大量の鉱石が含まれていることに気づいた。
すぐに、のみとハンマーを取り出す。
カンッ!
カンッ!
岩を叩くたびに、鉱石の欠片が少しずつ剥がれていく。
ヒイロは真剣な表情で作業を続けていた。
そんな彼の横顔を見つめながら、カルーアは小さく頬を赤らめる。
(うん……やっぱり兄さんはかっこいいな)
真剣に仕事をする姿。
いつも自分たち三姉妹に優しくしてくれる姿。
(アリスとサーシャが好きになるのも、納得しちゃうよ)
カルーアはそんなことを考えながら、周囲への警戒を続けていた。
その時だった。
「……?」
カルーアの長い耳が、微かな音を捉える。
シュル……シュルシュル……。
「……何の音かな?」
カルーアはすぐに周囲を見渡した。
そして――。
「兄さん!」
ヒイロが採取している岩の上。
そこに三匹の魔物がいた。
蛇のような胴体。
そして、ピラニアを思わせる無数の鋭い歯が並んだ大きな口。
ハブニアンだ。
「危ない!」
カルーアは反射的に手を伸ばした。
「【雷撃】!」
バリィッ!!
青白い雷撃が走り、三匹のハブニアンを吹き飛ばす。
「ありがとう、カルーア。助かったよ」
「兄さん、無事でよかったね」
カルーアはほっと胸を撫で下ろす。
しかし――。
カルーアの額に、また一筋の汗が流れた。
先ほどの【認識阻害】。
そして今の【雷撃】。
まだ戦える。
けれど、魔力には限りがある。
特に、まだ魔法を使い慣れていない自分が、馬車全体を覆うほどの大規模な認識阻害を維持した直後なのだ。
「大丈夫か?」
「うん。このくらいなら平気だよ♪」
カルーアは笑顔を見せた。
「このまま私が警戒しているから、兄さんは遠慮なく採取していていいよ♪」
そう言って首を少し傾げ、にっこりと笑う。
ヒイロはそんなカルーアに頷くと、再び採取作業へ戻った。
だが――。
「……待って、兄さん」
カルーアの表情が変わった。
「さっきのだけじゃない」
「え?」
「もっと大量にいるよ!!」
「なんだって!?」
二人は慌てて周囲を見渡した。
すると、岩陰や木々の向こうから、次々とハブニアンが姿を現してくる。
一匹。
二匹。
三匹。
……その数は、二十匹を超えていた。
「そんな……!」
カルーアが息を呑む。
「あんなにたくさんいたら、退治できそうにないよ……」
「マジか……。すごい数だな」
ヒイロも周囲を見渡す。
ハブニアンたちは、二人を獲物と認識したのか、地面を這いながらぐんぐん距離を縮めてきている。
「こいつら、すばやい。さすがに危険だな」
「兄さん……」
カルーアは魔力を集中させようとする。
しかし、今から二十匹以上をまとめて相手にするには、残された魔力では足りない可能性がある。
何体かを撃退できたとしても、すべてが接近する前に倒しきることはできない。
ヒイロは周囲を見渡した。
逃げ道を探す。
そして、その視線の先に――。
「……あれだ!」
少し離れた場所を、かなり大きな川が流れている。
流れは急だ。
安全とは到底言えない。
だが、迫り来るハブニアンの群れを相手にするよりは、まだ可能性がある。
ヒイロはカルーアへ向き直った。
「ヤツらは水場を嫌う。すまない、カルーア。一緒に飛び込むぞ!」
「え? えぇ!?」
次の瞬間。
カルーアの身体がふわりと浮いた。
「きゃっ!」
ヒイロがカルーアを抱き上げたのだ。
「兄さん!?」
「しっかり掴まってろよ!」
ヒイロはそのまま川へ向かって走り出す。
「ちょ、ちょっと待って兄さん! あの川、流れが――!」
「分かってる!」
ヒイロは足を止めない。
そして――。
ザッパァァン!!
二人の身体は、激しい水飛沫を上げながら川へ飛び込んだ。
「きゃああああっ!」
急流に飲まれた二人の身体は、あっという間に下流へと押し流されていく。
カルーアは必死にヒイロへしがみついた。
ヒイロもまた、カルーアを離さないように強く抱きしめる。
その先に待っているものが何なのか――。
二人には、まだ分からなかった。
続く。




