大人の階段を登るアリス
【ギルド長室】
数分後。
ネネカが持ってきたのは、小さめのサイズに仕立てられた真っ赤なドレスだった。
「うわぁ……赤いドレス!」
アリスの目が輝く。
「私の好きな色! ねえ、着てもいい?」
「もちろんよ♪」
アリスは嬉しそうにドレスを抱え、その場で着替えようとした。
「ちょ、ちょっとアリスちゃん!?」
ネネカは慌ててアリスを止めた。旦那である、男のジュリアンが居る目の前で着替えようとしたからだ。
「全くアリスちゃんは……俺は受け付け室の方に居るから、着替え終わったら呼んでくれ」
「ジュリアンさん、どうしたんだろぅ?」
「……………」
アリスの無警戒さに呆れるネネカだった。
そして――。
「ねえ、似合ってる?」
くるりと回って見せる。
「うんうん、似合ってるわ」
ネネカが微笑む。
「おお、いい感じじゃねえか」
戻ったジュリアンも頷いた。
「本当?えへへ♪」
アリスは嬉しそうに笑った。
ネネカはジュリアンを指差す。
「いい? あなた。ちゃんとアリスちゃんの面倒を見るのよ?」
「分かってるよ」
ジュリアンは苦笑しながら答えた。
「ほら、じゃあアリスちゃん。行くぞ。離れるなよ」
「はい、ネネカさん。行ってくるねぇ~♪」
アリスはジュリアンの手を握った。
まるで自分も、今日から大人の仲間入りをするかのように――。
嬉しそうな笑顔で、二人は夜の町へ歩き出した。
【夜の酒場】
今夜の酒場は、商業ギルドが貸し切っているためか、いつもより静かな雰囲気だった。
広い店内には、冒険者ギルドのギルド長や街の有力者、商工会議所のメンバーなど、町の運営に関わる人々が集まっている。
ジュリアンは次々と知り合いに声をかけ、気さくに挨拶を交わしていく。
その後ろを、アリスがついて歩いていた。
最初は興味津々だった。
だが――。
「この件については、北西地区の商流を――」
「いや、それなら税率の見直しを――」
「しかし、今年度の予算では――」
だんだんと話の内容が難しくなってくる。アリスは首を傾げた。
「……分かんない」
そして、とうとう諦めた。
「私、ちょっとそこで座ってるねぇ」
「ああ。どこにも行くなよ」
「はーい」
ジュリアンは有力者たちとの話し合いへ戻っていった。
「もっと楽しい場所かと思ってたのになぁ……」
しばらくして、ウェイターがアリスのところへやって来た。
「何か飲まれますか?」
その様子を、少し離れた場所から観察していたスーツ姿の男がいた。
「君、私の分も頼みたいんだが」
男はメニューブックを開くと、ウェイターへ指を差した。
「私はこれと……彼女にはこれを持ってきてくれ」
「はい、分かりました」
ウェイターが下がっていく。
男はアリスへ笑顔を向けた。
「お嬢ちゃん、一人かい?」
「うん。ジュリアンさんと来たんだけど、難しいお話してるから、お休みしてるの」
「そうなんだ。じゃあ、おじさんとお話しして時間をつぶさないか?」
「え、いいのぉ?」
「私にも君ぐらいの娘がいてね」
男は、人当たりのいい笑顔を浮かべた。その笑顔を簡単に信じるアリス。
やがてウェイターが飲み物を運んでくる。
男は自分の酒を一口飲むと、アリスの前に置かれたグラスを指差した。
「それ、ジュースなんだ。甘くておいしいよ」
「ほんとぉ?」
何も知らないアリスは、グラスを手に取った。
「いただきまーす♪」
ごくごく。
「……んぅ!?」
アリスは首を傾げる。
「これ、イチゴの味がしておいひいねぇ♪」
男は笑った。
「そうだろう?」
「なんだか……体があちゅくなってきひゃ……」
男は、そんなアリスを人目につきにくい部屋の奥へ誘導していく。
「こっちの席のほうが落ち着くよ」
「うん……」
アリスは言われるまま席を移動した。
完全に酒が回り始めていた。
「アリスちゃん、大丈夫かい?」
「うん……だいじょぶぅ……」
その時だった。
アリスの頭から、ぴょこんと狼の耳が現れた。
さらに――。
大きな狼の尻尾まで姿を現す。
「お、おお……かわいいね。耳と尻尾が生えてきたね」
アリスは興奮すると、狼の耳と尻尾が現れる。
しかし今は、それだけ酔いが回っているということだった。
「うん……あちゅい……」
アリスはドレスのコートを脱いで、椅子へ掛ける。
「それでも暑いなぁ……」
ぱたぱたと服を動かす。
「そうか、暑いのか」
男が笑った。
「じゃあ、おじさんも手伝ってあげるよ♪」
男の手が伸びる。
アリスのスカートへ触れようとした――その瞬間。
ピタッ。
男の動きが止まった。
首筋に、冷たいものが触れている。
「おい」
背後から、低い声が響いた。
「その子に何をしているんだ?」
男の顔が青ざめる。
ゆっくり振り返る。
そこに立っていたのは――。
イシスの英雄、アドルフだった。
そして男の首筋には、アドルフの愛剣――クレリアソードが添えられていた。
クレリアソードは他の鉄製の類のソードとは違い、透き通るクレリアを主成分にしているのでソードの向こう側が見えるのだ。
「ひっ……」
そんなソードを持ち歩いているのは、この街の周辺ではアドルフただ一人だった。
アドルフの目は、笑っていなかった。
「その子は、僕の大切な友達の妹なんだ」
冷たい声が響く。
「今度、そんなことをしたら……首と胴体がお別れすることになるぞ」
「す、すみませんでした!」
男は慌てて立ち上がると、カウンターへ走っていった。
そして会計を済ませると、逃げるように酒場から出ていった。
その一部始終を見ていたアリスは――。
「あれぇ……?」
ふらふらと首を傾げる。
「アドルフひゃんだぁ……」
「アリス?」
「アドルフひゃんも、大人のパーテーに来たのぉ?」
「……そうだよ」
アドルフは呆れたように息を吐いた。
「どうやら、完全に酔ってるみたいだね」
アリスは椅子にもたれかかりながら、へらっと笑う。
「あれぇ……世界が回ってるぅ……」
今にも椅子から落ちそうだった。
「危ないな」
アドルフはアリスを支えると、そのまま背中に乗せた。
「ほら、僕がおぶっていくよ」
「ん……ありがとぉ」
アリスは抵抗することなく、アドルフの背中へ身を預けた。
その背中は暖かかった。
(アドルフさんの背中……暖かい)
アリスはぼんやりと思う。
(お兄ちゃんの背中とは、またちょっと違うけどぉ……安心できる背中だぁ……)
そう考えているうちに、アリスの意識はゆっくりと眠りへ落ちていった。
その頃。
ようやく難しい話を終えたジュリアンは、街の有力者たちと酒を楽しんでいた。
「わはははは!」
「冒険者ギルドも順調ですね♪」
酒場には笑い声が響いている。
そこへ――。
カツーン!
「ジュリアンさん」
「ん?」
「ちょっと聞きたいことがあるんですが?」
「なんだ? 誰か俺様に用事か?」
ジュリアンは振り返り――。
固まった。
「……」
そこに立っていたのは、アリスを背負ったアドルフだった。左手にはクレリアソードが握られている。
「うっ……」
ジュリアンの顔から血の気が引く。
「ア、アドルフ!? どうして……」
そして、背中のアリスを見る。
「あ……アリスちゃん……」
その瞬間。
ジュリアンは思い出した。
「……あぁ!」
完全に忘れていた。
予定の話し合いを無事に終わらせ、好きな酒を浴びているうちに……
そして同時に気づいた。
アドルフの目が――。
まるで獲物を仕留める獣のようになっていることに。
「す、すまなかった!」
ジュリアンは素早く身を翻した。
そして――。
床に額をこすりつける。
「話に夢中になって、アリスちゃんのことを忘れていた! 許してくれ!」
見事な土下座だった。
「ジュリアンさん」
アドルフの声は静かだった。
だからこそ怖い。
「こんなことを次に見かけたら……」
アドルフの目が鋭くなる。
「たとえジュリアンさんでも、僕は許しませんからね」
「もちろんだ!」
ジュリアンは額を床につけたまま答える。
「二度とこんなことはしない!」
しばらくの間、酒場にはジュリアンの土下座姿が残った。
「……彼女は僕が送ります。もう二度とないようにしてくださいよ?」
「分かった……本当にすまなかった」
アドルフはアリスを背負ったまま、酒場を出ていった。
夜の街を歩きながら、アリスは完全に眠っていた。
そして数分ほど歩いたところで――。
「……ん?」
アドルフが立ち止まる。
「何か忘れているような……」
しばらく考えた後。
「あっ!?」
アドルフの顔が青ざめた。
「酒場にリリアを置いてきたままだ!」
自分もジュリアンと同じミスをしていることに気が付いたアドルフ。
「やばい!」
アドルフはアリスを背負ったまま、慌てて酒場へ引き返していった。
その頃、酒場では――。
「ちょっと~……アドルはどこよ~?」
テーブルの上に座り、カクテルを片手に超ご機嫌な妖精が一人。
「もう……遅いんだからぁ~♪」
リリアは完全に酔っぱらっていた。
こうして――。
アリスの「大人の階段を登る夜」は、まだ終わりそうになかった。
続く。




