救出された先で
私たちはドラゴンの背に乗ってその場をあとにした。ゴツゴツとした感触は正直なかなか大変だったけれど、ロクサーヌ様がずっと隣で支えてくれていたので、怖くはなかった。
王宮へは戻らず、直接アスタリスの屋敷に帰ることになった。庭先に降り立つと、執事や使用人たちが慌ただしく駆けつけてきた。私たちを下ろしたドラゴンは、再び夜空へと舞い上がって消えていく。
「そういえば、ヒース様やリリィたちに私が無事だと報告しなくてよいのでしょうか?」
「必要ない。まずは君の回復が最優先だ。あいつらには後で私から話をつけておく」
「そうですか、ありがとうございます。皆さんには心配をかけてしまいましたものね」
私が知らないあいだに起きていた騒動など、この時の私には知る由もなかった。
「ロクサーヌ様がいてくださらなければ、今頃どうなっていたか……」
つい先ほどの暗い恐山での出来事が蘇って、私は身震いした。
「さあ、話は後だ。まずは着替えを。使用人に何か持ってこさせよう」
そう言って、ロクサーヌ様は確かめるようにそっと私の肩を抱いた。その温もりが温かくて、私は顔が赤くなるのを感じながら、じんわりと胸が温かくなるのを感じていた。
(……気のせいかしら。助けていただいてからというもの、ロクサーヌ様がいつもより優しい気がするのだけれど)
普段はもう少し刺激が強い対応をされることが多いのに。やはり、心配をかけてしまったのかもしれない。
ありがたく彼の親切に甘えてゆっくりしよう——そう思った矢先に、逃げ出す直前のリリィとのやり取りの記憶が蘇ってきた。
『ロクサーヌ様が婚約したのは、あなた自身ではなくて、本物の悪役令嬢マリアンヌの方でしょう? あなたは彼を欺いて、たぶらかしているのよ』
その言葉を思い出して、ずんと胸が重くなった。
そうだった。私はロクサーヌ様を欺いたまま婚約者になっていた。もし彼が今も元のマリアンヌのことを思って側においてくれているのなら、このまま婚約を続けるわけにはいかない。
「ロクサーヌ様……。わたし、あなたにお話しなければならないことがあるのです」
私がおもむろに口を開くと、彼は私の雰囲気から何かを察したのか、少しだけ真剣な眼差しでこちらを見つめ返した。燭台の光に照らされた紫陽花色の瞳が、きらりと輝く。
「わかった。でもまずは身の回りを整えてからだ。話は後日ゆっくり聞こう」
そう言うと、ロクサーヌ様は私の世話をメイドたちに任せて部屋を去ってしまった。
* * *
ロクサーヌ様の言葉に甘えて、その日は湯浴みと食事を済ませるといつのまにか眠ってしまった。自分ではそこまで消耗した気はしていなかったけれど、誘拐されて知らない土地に縛り付けられていたのだ。疲弊しきっていたらしく、目を覚ますと翌日の昼頃になっていた。
昼食を取ってから、私はロクサーヌ様の部屋の扉を叩いた。中に入ると、ロクサーヌ様は執務机に腰かけて何か考え込んでいるようだった。
「マリアンヌ、来たのか」
彼は立ち上がって、私を手前のソファへと勧めてくれた。
私は、全てを打ち明けることに決めた。
「実は、ロクサーヌ様にずっと秘密にしていたことがあるのです。信じてもらえないかもしれないのですが——私は、マリアンヌではありません」
「マリアンヌではない?」
紫陽花色の瞳がきらりと光った。
「はい。話せば長くなるのですが、学園に入学する少し前に、私はある日突然マリアンヌとして生まれ変わってしまったようなのです。元々は別の世界の別の人間として生きていて、気がついたら自分がマリアンヌになっていました」
「……そのようなことは、聞いたことがないな。この世界に、誰かと入れ替わるような魔術は存在しない」
「そうみたいですね。学園の図書館や先生方にも相談して調べたのですが、そのような魔法は見つかりませんでした」
転生当初、自分の運命がほとんど破滅確定だと知った時から、元の世界に戻る方法をずっと探し続けていた。でも、どれだけ調べても戻る手がかりは見つからなかった。
「そんな折に、この地に追放されて、ロクサーヌ様に助けていただきました。でも、ロクサーヌ様が婚約を申し出てくださったのは、元々の許嫁である本物のマリアンヌのことを思ってのことですよね。だから、このまま婚約を続けるわけには——」
「そんなことは関係ない。私は君を思って婚約を勧めたのだ」
「えっ……?」
俯いていた私は、予想外の一言に顔を上げた。ロクサーヌ様は真剣な眼差しでこちらを見据えていた。
「屋敷でともに過ごす中で、私は君の素直な心に惹かれた。無邪気で、人助けを厭わない、心優しい君を愛しいと思っていた。婚約を取りやめて、ここからいなくなるなどとは、言わないでほしい」
「そ、それは……」
あまりに予想していなかった言葉に、私はしばし言葉を失った。
(一体どういうこと? ロクサーヌ様は元のマリアンヌのことが好きだったのではないの?)
「で、でも、よろしいのですか?」
「私を一体何だと思っている。確かに幼いマリアンヌとは許嫁同士だったが、それはずっとむかしの話だ。幼少期に一度顔を合わせたきりで、それ以来何の接点もなかった」
(そうだったの……!?)
「それに、彼女のあの気の強い性格は、幼いながらに私とは合わなかった」
ロクサーヌ様はそう言うと、おもむろに私を抱き寄せた。温かくて、体が熱くなる。
「では……このまま婚約を続けても、よいということですか?」
混乱しながらも、私は彼の腕の中でそう問いかけた。
「なぜ今更婚約破棄などしなければならない。前にも言ったはずだ——私との婚約を承諾した以上、もう後戻りはできないと」
そう言って、ロクサーヌ様はいつものあの妖艶な微笑みを向けてきた。私はその瞳に吸い込まれて、言葉を失ってしまった。
「確かに、あの日君が屋敷にやってきた時。久しぶりに再会した君は、幼い頃の記憶とは人が変わったようだと思った」
「……やはり、そうでしたか」
所詮は本物のマリアンヌにはなりきれなかったということか。ロクサーヌ様と幼い頃に接点があったなど、ゲームをプレイしていた私ですら知らなかったのだから、仕方ない。
「だが、長らく私を欺いていたというのは、捨て置けないな」
「やはりそうですよね……」
恐る恐る見上げると、ロクサーヌ様はいたずらっぽい笑みでこちらを見下ろしていた。
「償いに、一つだけ私の願いを聞き入れてもらおう。一日だけ私の言うことを何でも聞くこと。その日は拒絶を認めない」
「そんなことでよろしいのですか? わかりました、一日だけ何でも言うことを聞きます!」
すっかり浮かれていた私は、深く考えることもなく彼の要求を呑んでしまった。




