誘拐されたマリアンヌ
私が目を覚ましたのは、何かが揺れるガタつき音と、底から突き上げるような衝撃のせいだった。
薄目を開けてみると、あたりは暗くてなにも見えない。体を起こして状況を確かめようとしたところで、自分の両手が後ろ手に縛られていることに気がついた。
(……ここは、一体)
しばらくして目が夜目に慣れてくると、自分が粗末な荷馬車の荷台に乗せられていることがわかった。家畜でも運ぶような大型の荷馬車で、床には薄汚れた藁が敷き詰められている。視線を前方に向けると、御者台側の壁際に、数人の人影が座り込んでいるのが見えた。
「あなたたちは、誰?」
声を上げると、男たちは私が目を覚ましたことに気づいて振り向いた。
「気がついたのか」
「あなたたちは何者ですか。どうして私はここにいるの?」
改めて考えてみても、自分が拘束されてこんな知らない場所へ運ばれている理由がまるでわからなかった。記憶を手繰り寄せれば、確かに私は王妃様に招かれて王宮に滞在していたはずで——。
そこで、あることを思い出した。
昼過ぎのことだ。リリィとの会話が終わり、私が部屋を出た直後のことだった。人気のない廊下の角を曲がったところで、突然数人の男たちに囲まれた。王宮の中で、白昼堂々。あっという間の出来事だった。
その前にリリィと何を話していたかといえば——。
「いいこと? あなたが偽物のマリアンヌだってことをみんなにバラされたくなかったら、これからも私の言うことを聞くことね」
二人きりになるなり、リリィはそう言い放った。
「それは、リリィ、あなただって同じではないの?」
「言ったでしょう? リリィは平凡な庶民の娘だったから、学園に入学する前にゲームの登場人物と接点なんてないの。だから私は誰も騙していることにならない。でもあなたは違うわ」
彼女の言い分はこういうことだった。リリィは元々天涯孤独で、学園入学前は他の登場人物と接点がなかった。だから誰も彼女が別人だと気づかない。一方の私はロクサーヌ様と幼い頃から面識があるため、話が違うというわけだ。
(バラしたければ好きにすればいい)
そう思いはしたものの、みんなが混乱するのも困る。私は大人しく彼女の話を聞くことにした。
「とにかく、さっさとロクサーヌと婚約を破棄して」
「……わかったわよ」
ロクサーヌ様のところへ行けと言ったのはリリィ自身なのに、今度は離れろと言う。呆れながら部屋を出た直後に、あの男たちに囲まれた、というわけだった。
* * *
「あなたたち、昼間私を誘拐した……」
「ようやく気づいたようだな」
男たちはニヤニヤ笑いながら私を見下ろしている。
「ここはどこなの。私をどうするつもり?」
「お嬢ちゃんには悪いが、この先にある恐山の頂上で死んでもらう」
「そんな……どうして! 私がなにをしたというの?」
立ち上がって掴みかかろうとしたけれど、後ろ手に縛られた体ではすぐにもたついて倒れ込んでしまった。男たちはそれを見てさらに嘲笑う。
「お嬢ちゃんに恨みはないがね。さるお方からの依頼なのさ。金さえもらえれば、お前がどうなろうが俺たちには関係ない」
「そんな……」
私は言葉を失った。いったい誰が、こんなことを。
こんな時、魔法薬の調合しか取り柄のない私は、分が悪すぎる。戦闘能力を持たない私では、力技で来られたらどうにもならない。
(もし彼らに薬を盛ることができれば——)
そう考えても、後ろ手に縛られた今の状況ではどうしようもなかった。
* * *
男たちが言っていた恐山は、ゲームのクライマックスで舞台となる場所だった。ゲームでは、リリィたちがそこでロクサーヌ様の使い魔であるレッドドラゴンと激突し、そのままロクサーヌ様本人にも打ち勝ってエンディングを迎える。
そんな恐山には、ドラゴンの他にも数々の凶悪な魔物が潜んでいるという。人々はおろか、魔力を持つ魔道士や騎士たちでさえ、めったに立ち入ることのない異界の地だ。
「恐山に捨て置かれて、生きて帰ったやつはいない」
男の一人が残酷な笑みを浮かべた。
「生身の人間が足を踏み入れたら、たちまち魔物の餌食だ。骨も残らない。もっとも、俺たちは武装しているし、このあたりには何度も来ている。庭みたいなものさ」
どれだけ訴えても、男たちは聞く耳を持たなかった。
* * *
馬車は険しい勾配の荒道をガタガタと進み続け、やがて激しい衝撃とともに停車した。
男たちに引きずられるようにして馬車から降ろされると、眼前には草木の一本も見当たらない、岩ばかりが広がる荒廃した土地が横たわっていた。
夜空に浮かぶ月は、あたりに漂う邪悪な瘴気に染まって赭色に怪しく輝いている。轟々と響く風の音に混じって、遠くから魔物の咆哮が聞こえてくるような気がした。見える範囲に生き物の気配はまるでないのに、魔物が物陰に潜んでこちらを伺っているような、妖しい気配だけが漂っていた。
「ほ、本当にここに置き去りにするの……?」
「残念だったな」
男たちはそれだけ言うと、傍らの岩に私の鎖を繋ぎ止め、荷馬車に乗り込んでそのまま引き返してしまった。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
私の叫び声は、容赦なく吹き付ける強風にかき消されてしまった。
* * *
岩に繋がれた鎖はどうやっても解けなかった。助けを呼ぼうにも、あたりに人の気配は皆無だ。私は途方に暮れてその場にへたり込んだ。
「このままじゃ……本当に魔物の餌になってしまう」
ヒース様が連れ去られた時も、確かここ恐山のどこかだったと思う。あの時の彼のように攻撃魔法が使えれば時間を稼げるかもしれないけれど、生憎そのような心得は私にはない。
移動魔法も使えない。あれは原則として、魔法陣を施した入口から発動するもので、一方通行だ。帰り用の入口がなければ帰れない。
(前回はロクサーヌ様の強大な魔力で力技で帰ってきたけれど……)
ため息をついた。ロクサーヌ様たちは今頃どうしているだろうか。私を探してくれているだろうか。見つけ出してくれたら嬉しいけれど、まさか恐山の果てにいるとは思いもしないだろう。
そもそも、私にこんな仕打ちをしてくる人物に心当たりがなかった。転生してからというもの、私はゲームシナリオに沿ってリリィとヒース様を妨害したこと以外に、悪事らしい悪事を働いた覚えがない。
そんなことを考えていた時——不意にあたりが一層暗くなったかと思うと、遠くから恐ろしい咆哮が響いてきた。
「ギャオッ——!!」
空を裂くような、悲鳴にも似た咆哮だった。なにか巨大なものがこちらへ近づいてくる気配がして、私は青ざめながら必死にあたりを見渡した。
東の空に目を凝らすと——なにかが一直線に向かってくるのが見えた。
「ひっ……!」
視界に捉えた瞬間、恐怖で体が凍りついた。
大きな両翼、鋼の鱗、鋭く尖った爪と牙。硬い岩だって砕いてしまいそうな、巨大な黒い影。それは空を切り裂くようにしてこちらへ旋回してきた。
(く、喰い殺される……!)
万事休す——ぎゅっと目を瞑って死を覚悟した次の瞬間、大きな地響きとともに、何かが私の傍らの地面に降り立った。
(……ん?)
いくら待っても、衝撃はやってこない。恐る恐る薄目を開けると、目の前に巨大な蹄があった。見上げれば、鱗に覆われた太い脚の先に、かがみ込むようにして魔物がこちらを覗き込んでいる。
「ひ、ひい……!!」
「マリアンヌ、無事か!?」
悲鳴をこらえるのに必死になっていると、不意に背後から聞き覚えのある声が降ってきた。
「ろ、ロクサーヌ様!!」
振り返って目を疑った。そこにいたのは、ロクサーヌ様だった。魔物の背から飛び降りるようにして地面に降り立った彼は、すぐさま私の方へ駆け寄ってきた。
「ロクサーヌ様、どうして……」
「夕方になって君が失踪したと城内で騒ぎになった。それで探しに来た。怪我はないか?」
そう言って、ロクサーヌ様は岩に繋がれていた私の鎖を魔法であっさりと断ち切り、立ち上がらせてくれた。
「私は大丈夫です。ところで……これは、ロクサーヌ様が……?」
頭上で私を見下ろしている巨大な影に、おそるおそる目を向ける。
「心配いらない。私の使い魔だ」
(ドラゴン……)
確かにゲームでは、ロクサーヌ様が繰り出す最終兵器として巨大な黒いドラゴンが登場する。ヒース様とリリィが協力してこれを打ち倒すことで、ロクサーヌ様を退けてハッピーエンドを迎えられるのだ。
(ゲーム最強の敵が、こんなに間近に……)
呆気にとられて見上げると、ドラゴンはロクサーヌ様の眷属らしく、凶暴な見た目に反してただ大人しく座っていた。敵としてではなく味方として現れてくれて、心の底から良かったと思う。
「助けていただきありがとうございます。でも、どうしてここが分かったのですか?」
「——それは、今は言えない。でも、間に合って良かった」
ロクサーヌ様はその問いをはぐらかした。安堵でいっぱいだった私は、それ以上は追及しなかった。
「とにかく、君が無事で良かった」
そう言って、ロクサーヌ様はおもむろに私を両腕でしっかりと抱きしめた。突然のことに驚いたけれど、それ以上に、助けに来てくれたのだという安堵感が胸いっぱいに広がって、私はされるがままになってしまった。




