聖女の辞退
王妃様がマリアンヌを王室付きの聖女に推薦したらしいという噂は、瞬く間にリリィの耳にも届いた。
(どうして、マリアンヌが……聖女なんかに)
リリィには理解できなかった。その役割は、本来主人公である自分が担うべきものだったはずだ。
しかし、振り返ってみれば、ヒースと婚約してから、リリィは疫病の撃退にも、ヒースの誘拐事件にも貢献できていない。そのせいか、最近はヒースとの仲にも微妙な陰りが生じていた。
(……ゲームと現実は、やっぱり違うものね)
ゲームなら最適解は分かっている。でも現実では、会話も表情も咄嗟の判断も、全部自分でこなさなければならない。その難易度の高さたるや。
(私のせいじゃないわ。キャラクターたちが想定外の動きをするせいよ。まったく、面倒くさい)
リリィは深くため息をついた。
(でも、どうしてよりによってマリアンヌが聖女の推薦を?)
マリアンヌは所詮悪役令嬢のはずなのに。もし彼女が聖女になってしまえば、リリィが聖女への道を歩めなくなる。ヒースとの関係がさらに遠のく。
(マリアンヌ、なんて目障りなのかしら)
今まではうまく利用していたから多少は使い道があると思っていたけれど、もうおしまいよ。
(みていなさい。絶対にこのままでは終わらないわ)
そう心に決めて、リリィは動き始めた。
* * *
王妃様から下賜された品々をロクサーヌ様と選別しながら片付けていた、その時だった。
使用人の男性が部屋に現れて、私を別室へと呼び出した。通された先で待っていたのは、リリィだった。
「リリィ?」
「聞いたわよ!」
使用人が退室して二人きりになった途端、リリィは開口一番に詰め寄ってきた。
「えっ、なにが?」
「王妃様に、聖女になるように勧められたそうね」
「ああ、その話ね。でも聞いて、私は別に聖女になるつもりは——」
「ふざけないでよ!何度も私の邪魔ばかりして、自分が主人公ぶっていい気になりたいのかしら?」
「そんなつもりは——」
「私の邪魔をしようなんて、そうはいかないから!」
リリィは怒り狂って言葉を叩きつけてくる。普段は努めて冷静でいる私だったけれど、この剣幕をひたすら受け止めているうちに、じわじわと腹が立ってきた。
「——言わせてもらいますけど、私はなにも狙って聖女に推薦されたわけではありませんから!」
「はあ、なに言ってるの?」
「別にリリィの邪魔をするつもりはなかった。大人しくしているつもりだったわ。でも、必要な時に助けを借りに来たのはそっちじゃない。疫病にしても、ヒース様が連れ去られた時にしても、失敗したのはそっちでしょう。ゲームだったら、とっくにバッドエンドよ」
「——なに、それ。私に口答えするつもり?」
「ゲームシナリオ通りにしろとか、あれをしろこれをしろとは言うけれど、そもそもあなた、ロクサーヌ様と真っ向から対峙していたら今頃とっくに倒されていたわ!」
言葉が口から飛び出してから、私は自分でも驚いてしまった。こんなに勢いよく反論したのは初めてかもしれない。
リリィもきょとんとして、一瞬黙り込む。
しかしすぐに、ニタリと笑みを浮かべて迫ってきた。
「そうよ、そもそもあなたがロクサーヌと婚約なんかするからおかしくなったんだわ」
「だって、そうするようにって言ったのはあなたじゃない——」
「あなた、本当はマリアンヌじゃないのに。どうやって彼を騙したのかしら?」
「……それは、どういう意味?」
「マリアンヌとロクサーヌ様は元々許嫁だったんでしょう?ということは、ロクサーヌ様が思いを寄せていたのは本物のマリアンヌ。あなたは見かけはマリアンヌでも、中身は偽物なのに」
リリィはニヤリと笑った。
「あなた、ロクサーヌ様を騙しているわね」
(ええー……)
一瞬、思考が止まった。
(待って、それを言ったらおしまいじゃない?)
「それを言ったら、リリィだって——」
「私はいいのよ。ヒース様とは学園で初めて会ったんだから、元のリリィなんて彼は知らない。でもあなたは違う。マリアンヌとロクサーヌ様はあなたが転生する前から交流があった。ロクサーヌ様が婚約したのは、本物の悪役令嬢マリアンヌの方——あなたは彼を欺いて、たぶらかしているのよ」
言われて、私は言葉が出なくなってしまった。
確かに、リリィの言うことには一理ある。もしロクサーヌ様が想い慕っているのが、本物のマリアンヌの方だったとしたら——?
「……確かに、そうかも知れないわ」
やっとのことでそう白状すると、リリィは勝ち誇ったような笑みを向けてくる。
「ほらね。あのロクサーヌを騙すなんて、最低だわ」
「うっ……どうしたらいいの?」
「大事になる前に婚約を破棄するに決まっているでしょう?」
「……わかったわ」
気が重かった。自分ではまったく意識していなかったけれど、確かにこれはロクサーヌ様を欺いていることになる。猛反省した。
「そうよ、人を弄ぶ最低な人間なの。まあ、悪役令嬢だしちょうどいいんじゃない?」
リリィは私の肩に馴れ馴れしく手を回して、続けた。
「そんなあなたには聖女なんて務まらないから。まずはその不相応な役割を自分から辞退してよね?」
私は頷いた。
* * *
「王妃様、昨日ご提案いただいた聖女への推薦の件ですが——やはり私には分不相応に思います。大変光栄ではあるのですが、今回は辞退させてください」
翌日、謁見の間にはロクサーヌ様、ヒース様、リリィ、そして王妃様と面々が集まっていた。
昨夜一晩、考えた。リリィにロクサーヌ様を騙していると指摘された罪悪感もある。でもそれ以前に、もともと私は聖女の役目など望んでいない。ゲームのシナリオでは聖女になるのはリリィのはずだし、自分には不相応だという結論は変わらなかった。
「せっかくお声をかけてくださったのに、ご期待に添えず申し訳ありません」
「そうですか……。あなたが王室を支えてくれると心強いと思っていたのだけれど——残念ね」
王妃様は残念がりつつも、私の意向を受け入れてくださった。
「とはいえ、あなたがこの国に残してくれた功績がなくなるわけではないわ。差し上げた褒美の品々は、どうかそのまま受け取ってちょうだいね」
「王妃様……ありがとうございます」
王妃様の温かいお心遣いに、私は胸が熱くなった。
「私もマリアンヌさんが聖女になってくだされば、とても心強いと思っていましたのに……残念ですわね」
ここで、リリィが白々しく声を上げた。昨日のやり取りなどなかったかのように、私が辞退したことを心から惜しむように振る舞っている。
「マリアンヌが聖女にならないとすれば、当初の予定通り——リリィ、君が目指すべきということになるだろうね」
ヒース様がリリィを励ますように声をかけた。
「まだ目立った活躍は出来ていないものの、リリィは婚約した当初から聖女を目指して特訓を重ねていた。君が努力を実らせることを、私も願っているよ」
「はい、これからより一層修練に励みますわ」
ヒース様の激励に、リリィも張り切って応じる。
私はその様子を眺めながら、なんとも言えない気持ちで頷いた。
* * *
謁見を終えて廊下を歩いていると、隣のロクサーヌ様が私を見下ろして声をかけてきた。
「マリアンヌ、本当に良かったのか?君のこれまでの活躍をもってすれば、聖女の称号を手にするにふさわしいと思うが」
「いいえ、これで良いんです。私は地位や名声が欲しくて人助けをしたわけではありませんから」
「そうか。お前は欲がないな」
「それに、ヒース様を魔物から助け出したのも、婚約宣言の催しで魔物を撃退したのも、私ではなくロクサーヌ様です。むしろロクサーヌ様の方がよほどふさわしいのでは?」
そう言って見上げると、ロクサーヌ様はふっと鼻を鳴らした。
「私はヒースたちに貸しを作ってやっているだけだ。この場での名声など、なんら興味はない」
確かに。元々国王陛下や王室政府と敵対している彼が、今更王室の称号に固執するはずがない。私は小さく微笑んだ。
――――
そんな二人のやり取りを、物陰からじっと眺める人影があった。
廊下を去っていくマリアンヌの背を鋭い目で睨みつけていたのは、リリィだった。
(——絶対に、このままでは終わらないから)
射るような視線が向けられていることに、私は気づくはずもなかった。




