家主が不在の間
ある日突然、私の部屋を訪れたロクサーヌが、こんなことを言い出した。
「私は、しばらくこの屋敷を不在にする。
その間は好きにしていいが…変な気は起こさないことだ」
ロクサーヌさまは、紫陽花色の瞳を細めて威嚇するように言い放った。
その目つきは、まるで私を試しているかのようにも聞こえた。
「はい、それは結構ですが、一体どちらへ行かれるのですか?」
「所領内を視察しに行く。数日で戻る予定だ」
「そうなのですね。どうぞ、いってらっしゃいませ」
もともと、変な気など起こすつもりもない私は呑気に答えた。
すると、ロクサーヌは怪訝そうに眉を潜める。
「……戻ってきた時に、君が屋敷にいなかったら。
どうなるか分かっているだろうな」
強い視線とともに投げかけられた言葉は、ほとんど脅しとも取れる。
そうして私の動向を試すつもりなのだろうか。
そんな風にきつくいい咎められなくとも、私にはもとより行くところなど無い。
「私は他に行くあてもありませんので、ご心配なく」
私の反応が予想外だったのか、ロクサーヌさまは拍子抜けしているようだった。
そ言うわけで、彼は私を残して、次の日の朝に屋敷を発っていった。
* * *
主人のいない屋敷に取り残された私。
しかし、私の生活は普段通りで、これと言って変わりはない。私は今日も一人、いつもと変わらず温室へ足を運ぶ。珍しい薬草を育て、採集することに、時間を費やしていた。
あの日から私は、部屋の外に出て、自由に屋敷の敷地内を散策することを許可されていた。
庭には、この温室のほかにも果樹園やバラ園などが点在していた。
屋敷の外へ出ることはできないものの、この屋敷の敷地面積はあまりにも広大で、一日ではとても回りきれないほどの広さがある。日がな一日、好き勝手に過ごしていても、退屈することはない。わざわざ外にでる必要も感じないほどだった。
薬草の手入れをして、余分な枝葉をハサミで剪定しながら、ふと冷静になって考える。
普通の物語展開なら、ここは"逃げ出す絶好のチャンス"なのかもしれない。ロクサーヌさまのいない今なら、こっそりリリィに連絡を取って現状報告をすることもできるかも知れない。けれど、私を裏切ったリリィにこれ以上協力する気は毛頭なかった。
となれば、お兄様に連絡を取って助けに来てもらうか_。
これも気が進まない。ロクサーヌさまは本来は危険な人物だ。一方でお兄様もそこそこ強敵として知られている。もし二人が接触するようなことがあったら、それこそ一触即発。私のせいでお兄様までも危険な目に合わせたくない。
(それに、囚われの身とはいえ。
こうして好き勝手に暮らさせてもらえるのも正直悪くないのよね__)
と、わたしは思い始めていた。
私は、不思議なことに転生してから初めて、ここで穏やかな日々を過ごしている。
囚われの身ではあるのもの、私にあてがわれた客間は、なぜかヴァロア公爵家で暮らしていた自室よりも広くて豪華だった。
ロクサーヌさま本人を未だ信用することは出来ないけれど、屋敷の使用人たちは甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。なかで最も私を興奮させたのが、毎食並ぶ料理たちだった。
ここで味わう料理は、思わず唸ってしまうほど美味しい。
屋敷付きの料理人達は、毎回趣向を凝らした料理を振る舞ってくれる。
畑で取れた新鮮な野菜のスープやサラダ、そして多分この地方で名産となっている珍しい魚や、肉類のメイン料理も絶品だった。
(とりわけ、ここで出される焼き立てのパンが最高なのよね……)
思い出しながら、わたしは一人でほくほくしてしまった。
なにより、今まで酷使され、いいように私のことをこき使っていたリリィが、そばにいないこと。それが、私の精神を驚くほど安定させていた。
以前は、ヒースへの妨害のために、やりたくもない悪事をいくつもやらされていた__。
そのせいで、学園の生徒たちからの信用も、すっかり失ってしまったのに。
…とはいえ。
ロクサーヌが、いつ心変わりして、私に危害を加えるかわからない。この屋敷から追い出されるかも知れない。彼はそもそも悪役キャラで、何をしでかすかわからない人物だ。
一時の穏やかな生活に、甘んじているわけにはいかないことは自分でも分かっていた。
油断をしないように、と自分に言い聞かせながら。私は庭仕事へと戻っていった。
* * *
夕方、屋敷に戻る道すがら、ふと頭上を仰ぎ見ると
茜色の夕焼け空のはるか上空に、巨大な黒い翼の生えた魔物が、大空を滑空しているのがみえた。
(あれはきっと、ドラゴンだわ__)
このゲームの世界には、ドラゴンといった西洋風の魔物が登場する。
それらは、いずれもゲームの後半で、ロクサーヌさまがリリィ達に差し向ける刺客として登場する。
なかでも、ラスボスとして登場するのが、ロクサーヌさまが使役する最強最大の魔物、黒い翼を持つ、ブラックドラゴンだった。
(このままゲーム通りに進んだら、いつかリリィはあんなドラゴンと対峙することになるのかしら__)
あるいは、リリィが目指すように、ロクサーヌさまとリリィが戦わない選択肢はあるのだろうか。どちらにせよ、あまりにもスケールの大きな話に、私は想像しただけでも見もすくむ思いだった。
** *
数日後、ロクサーヌが屋敷へと帰還した。
「おかえりなさいませ」
私がひょっこりと顔を出すと、ロクサーヌはわずかに目を見開いた。
「……まさか、本当に逃げ出さなかったとは驚きだな」
紫陽花色の瞳がきらりと光る。
どうやら彼は本気で、私が屋敷を抜け出すと思っていたらしい。
もっとも、私に他に帰る場所があれば、そうしていたかもしれないけれど。現状、他に行く宛てはない。
「不在の間、何か変わったことはなかったか?」
ロクサーヌさまは、今度は傍に控えていた執事に問いかける。
「はい。万事つつがなく……」
よそ行きのコートを受け取りながら、執事は不在中に起こったことを手短に報告した。
「ところで、マリアンヌ、君は一体どこで何をしていたのだ。」
ロクサーヌさまは、今度は視線を私の方へと向ける。
その声色には、何か怪しい動きはしていなかったか、とでもいいたげな雰囲気が滲み出ていた。
「私はいつものように温室での薬草栽培に精を出していました。
つい最近、私の育てた大マングローブの薬草が花を咲かせたんですよ_。」
疑われるようなことはしていないし、それを隠すつもりもなかったので素直にそういった。
そうやって私が自慢の薬草について嬉々として語りだすと、ロクサーヌはなんだか拍子抜けしたような顔をしてこちらを眺めていた。




