古巣
私とそれの関係性を鑑みれば、多くの人々がそう呼ぶであろう場所に私は帰ってきていた。肩にはこれ見よがしに肩章がつけられ、胸の位置には色とりどりの略綬が付けられている。見栄で、過去の栄光で、己を偽るこの場所に。
半年前、私は娘を失った。よくできた娘だった。いや、よく出来すぎていた。妻のネスィールからは美貌と毒舌を、私からは頭脳茶目っ気と自分で言うのもアレだが明晰な頭脳を。双方の良い部分を余すことなく引き継いだ自慢の娘だった。
──だが、それは失われた。
幸いなことに、異変に真っ先に気が付いた執事のロンターがアレクトの私室への侵入者を瞬く間に射殺したおかげで他に死者が出ることはなかったが、私の才能と従者からの愛情を一身に受け取って育ったアレクトは帰ってくることはなかった。いや、あそこまでしておいて、娘の形をしている存在に突き放したような態度を取るのは間違っているのだろう。藁に一度縋ると決めたのならば、最後までその藁は握っていなければならない。それが自身が最善を尽くしたという証明であり、今後擦り減っていくであろう心を繋ぎ止めるための最後の鍵なのだから。
どの国の特徴にも当てはまらない軍服を着た男たちがいったいどこから来たのか、そして陸軍内で独自に開発を行っていた魔導人形を彼らは一体どこから知ったのか。コバエの発生源は早いところ突き止めなくてはならない。そして、アレクトにも一度会わなくては。あの胡散臭いヴエルフォードとやらは確かに信用できなかったが、気は狂っていないようだった。ひとまずは実験体を保管しておくために兵舎を転用して住まわせているのだから、ある程度はその本性がどうであれ、彼女もまた人間であるのだろう。
「いや、まずは旧友に会うのが先だな」
世界大戦からいったい何年経っただろうか。少なくともあの時から朋の訃報は聞いたことが無い。夜通し代用コーヒーを胃に流し込みながら地図上で駒遊びをしていたにしては少し丈夫すぎる気がしなくもないが…
いや、今は彼がより老齢になろうと鋭さを失わなかったことを素直に喜ぶべきか。彼は本当に盤上で遊ぶのが好きだった。世界大戦後の不況でも帝国内の勢力の拮抗状態を上手く活用して見せて民衆の不満を逸らしていたし、私が州知事という役職で燻っていた今の今までも、よくよく考えれば上で愉悦していたかもしれないな。いや、そんなことはあり得んか。彼はそういう男ではない。帝国軍人らしく清廉潔白で、妙に不器用だった。そう考えれば、私も随分と記憶力が鈍ったものだ。あの時のことは既に曖昧で、本当に自分が為したとは思えない。…そこまで年を取ったという年齢ではないはずなのだがな。
そんなことを車窓に肘を置いて物思いに耽っていると、嫌でも目的地は視界に入ってきた。帝国陸軍参謀本部、またここに帰ってくることになるとは…
無理やり予備役に編入させて、今度は数十年ぶりに現役に復帰。元々敵を作らないように立ち回ってはいたが、それも今更だな。今となっては知らない顔の方が多い。好きの対義語は無関係だ。…つまり、今の私は若年の身勝手さの代償をこの身で払っているということか。分かっていても、腹立たしい。
車を降り、憲兵から「誰だコイツ?」と視線を向けられながら形式的な敬礼を受け取り、知人が用意した士官によって案内を受ける。ここが内地、とまでは言わないが、どうしても参謀気取りをするというのは十数年の月日が流れた今でも素直に受け入れることはできない。
私が変わらなかったように、内装もあれから十数年経ったにも関わらずあまり変わっていなかった。いや、一つだけ確かに変わったものがある。それは、自明で、かつての私が望んだものだった。たが、これでも、これなのか?
内心での絶句が露呈したのか、はたまたただの好奇心か、肩のバッジを煌めかせながら私の前を歩く若い士官はこちらの様子を窺う素振りを見せると、意を決したかのように口を開く。
「閣下は、どうして現役を退かれたのですか?あの頃の逸話は私としてもよく耳にするものであります。ここにいるだけでも、世界大戦の英雄として席が用意されたでしょうに…」
「貴族というものは、家名がそれを蹴るという決断をさせるほどに重要だということだよ。君は言葉選びは上手いが、その前にひとつ考えた方がいい。市井から秀才と呼ばれる存在は口が達者なのは前提として、彼らはその前によく考える。ただ、それにすら才能を要するのは考えものだが…少なくとも、そんな彼らもマルチタスクには手を焼くのさ」
「はっ…私には難しそうですね」
「だから褒めているのさ。どう受け取るかは好きにするといいが、皮肉と言われてしまっては、老耄としてはなかなかくるものがあるがな」
軽口を交わし、共に軽快に笑って見せる。正直なことだ。そして、お節介だ。家の事情などあるものか。元から家督は私の手にあった。娘を、ネスィールの遺志を継ぐにはそうするしかなかっただけだ。貴族は傲慢だ。それは例外なく私にも適用される。ただ、上辺を連ねて騙る人間ではない。有能の証明がしたかった。そうすればこれ以上手から護るべき存在が零れ落ちることもなかったはずだから。
「久しいな、ハーゲン」
ここまで私を案内した士官に流れるようにお茶を淹れるようにとハンドサインで指示するハーゲンの容赦の無さに感心しながら、誰に許可を求めることなく席に着く。
「まさか、あなたとこんなところで再開するとは思いもしませんでしたよ?閣下」
「閣下呼びは止めろ。今となってはお前は大将という地位を光栄なことに皇帝陛下より承っているじゃないか。陸軍は、そこまで過去に固執するか?出藍の誉れではないか。私にも素直に喜ばせろ」
「閣下が寿ぐ?何の悪い冗談ですか?」
信じられないと言わんばかりの視線を向けるハーゲンに、私は一つ溜息を下す。
「これぐらい、世辞でも何でもない。それとも何だ?お前の夢は、元帥閣下として歴史に名を残すことなのか?」
ハーゲン・ダイセル。気の抜けない男だ。貴族でないにも関わらず近衛を含むA軍集団を統括する気の抜けない奴。そして、世界大戦時の旧大陸戦線にて脆弱ながらも歴史だけはあるハルパリ帝国軍を粉砕したコルト帝国の英雄のひとり。銅像を建てる計画があると聞いた際には苦い笑みを浮かべていたことは記憶に新しい。
私の冗談に軽く笑い合っていると、ちょうどお茶が運ばれてくる。さすがに、まだ帝国にも余裕はあるのだろう。舶来の、王国経由で嗜好品を輸入するぐらいには。
ハーゲンに土産代わりという訳ではないが、葉巻を一ケース譲り、紅茶に口をつける。…最近は肺も疲れてきた。禁煙と言うには消極的過ぎる理由だが、はあ。
「それで、どうして今になって軍部に戻ってきたのですか?それも今、メリートが陥落してからもうすぐ半年という微妙な時期に」
「約束だからだ。いや、契約と言った方が正しいか」
「…その言い方だと、レーリッヒ様とのではなさそうですね」
…聡い奴め。
「簡単に言えば、スポンサーになった。お前も知らないか?兵器開発局だ」
「あー。閣下、あくまでも良き友人として助言させていただきますと、アレにはあまり深入りしない方がいいですよ。何もしていないのに、下手すれば飛び火で延焼しかねません」
とは言うが、喉から出かけた言葉を飲み込み、それを反芻する。ああ、確かにそれも事実だ。黒い噂は聞いたことがある。とは言っても、あの時の私には溺れる者で言う藁がアレだったのだからどうしようもないが、理性人としては正しい助言だろう。
「…そうだな。あくまでも、使い使われる関係が望ましい」
そんな事実は知らんと嘯きつつ、自分が追い詰められている現状に一周回って嘲笑が溢れる。
「さて、そろそろ本題に入ろうか。最近の調子はどうだ?」
「閣下はご存じですか?時代は魔導兵ですよ。戦後の機甲化改革の話は何処に行ったんだか…」
「…ああ、勿論知っているとも」
私の内心を知ってか知らねか、わざわざ魔導兵の名を挙げながらハーゲンは旧大陸の地図を広げる。様々な内容が加筆されているのを見るに、ハーゲン自身が個人的に使っているものだと分かる。
「おい待て。いったいどういうつもりだ?」
「助言をください。わざわざ時間を取らせたんです。これぐらいしてくださいよ。折角の後輩が偉くなったんですから」
「まったく…」
あくまでも渋々といった形で地図を眺める。本来ならばさっさと情報を洗いざらい吐いて欲しかったが、まあ、これぐらいならばいいだろう。
「どうです?」
「…もし帝国に理性があるというのならば、今すぐ講和の席を準備しなくてはならない」
そんな軽い気持ちで見てはみたが、その内容には目を見張るものがあった。グテラスフルトが陥落してクラカッサが半包囲状態だと?冗談じゃない。その二つの要衝を落とされてしまえばリーデンブルグは目と鼻の先だ。アント・ザーヘンとメルナが一応大規模な都市として存在はしているが、工業地帯が戦禍に包まれればそれこそ帝国は終わりだ。講和はできれど復興はできまい。それこそかつてのハルパリ帝国のように。
「ですが、それができないことは閣下が一番理解しているでしょう?」
私の思考を見透かすかのように、ハーゲンは言った。かつての部下は確かに成長していたようだが、己の悪い癖すら継いでしまったのは少し残念でもある。地図から一度顔を上げて、懐から葉巻を取り出し、慣れた手つきで火をつけて煙を燻らせる。…懐かしい感覚だ。これならば、特に抵抗もなく肺を痛めつけることができる。
「共和国への遠征軍はどうなっている」
「バスタジニア攻略の五師団のことですか?」
「私ならばグテラスフルト包囲のために今すぐにでも南下させる」
ハルパリ帝国の後釜である共和国はその国力からは考えられないほど頑強に抵抗を続けているが、同盟や防衛協定を結んでいない以上こちらがその奮戦を応援してやる必要もない。そも、本来ならば地政学的にどうしても敵対する定めにある二つの民族がこうして一切背後からの奇襲を恐れることなく形式上の共同戦線を張っているのは冷酷にも言ってやれば巡り巡って自国を守るためだ。南下作戦の橋頭保としての価値は既に共和国にはない。その理由が他ならぬ南方地域からの本格的な撤兵というのが、そのどうしようもなさを醸し出しているが。
「皇帝領に足を踏み入れさせるわけにはいきません」
「くそっ、あの家はどこまでも…」
ハーゲンからの進言で私とハーゲンとでこの事態の認識に差があったことにようやく気が付く。…ああそうだ。共和国が消滅すれば皇帝領に傷が付く。それは何もかも無駄に歴史だけはある皇帝ヴィルフリード家に帰結する。奴らは「何故か」いつまでたっても清廉潔白であるのだ。だから、この三千年間、民衆の心が皇帝から離れたことは無かった。神の子孫である以上、挿げ替えることもできない、厄介な存在だ。
だからそんな皇帝家の直轄領を汚らしい異民族に軍靴で踏ませるわけにはいかない。彼らと民衆には必要性が理解できない。領土を守ることが手段ではなく目的になってしまっている。まったく、いったいどこの哲学者だっ。
「上から共和国領内に予備兵力を展開し、共和国軍諸共殲滅するという強硬的な案すら出てくる始末です。そんな余力があれば、南方も難なく守れたであろう事は明らかなのですが…」
「委員会はこちらのことをただの暴力装置だと思っている節が大戦時からある。まるで、それを運営しているのが人間であると知らないかのようにな」
沈痛な空気が充満する。懐かしい。たしかハルパリ帝国がオルゼン進駐を強行した時も参謀本部はこんな空気だったはずだ。国家総力戦にも耐え得る強靭な帝国を作り上げる為の委員会が勝手な声明を発信して世界は世界大戦から逃れられなくなった。帝国と連合王国、そして海を挟めば王国が。地獄を顕現させたかのような三正面作戦だった。だが、あの頃のことを考えれば今はまだ比較的どうにでもなるであろうという楽観的な気持ちも同時に生まれる。
「…私にひとつ考えがある」
あまり話したくはないが、という前提は置いておいて、最善を選択し続けなければならない我々としては考えなければならない作戦が一つ。どう考えても国は荒れるだろう。だが、これしかない。皇帝領を外敵に晒すことなく、帝国にとって重要なメルナとアント・ザーヘン二つの工業地帯を手放さずに済む手段は。
「それで、その考えとは」
「私は国が荒れるのは嫌いだ」
「ですが、時には小を捨てなければいけないことがあるのでしょう?」
まったくやりにくい男だ。昔の口癖が憎たらしい。だが、事実ではある。資本主義の蔓延は人間を生への執着から解き放ったが、代わりに才能というものは使えなくなった。運だ。私がここにいるのも結局のところ運でしかない。最善を選択し続け後は運に身を任せる。いざ自分の番になってみればなかなか受け入れ難いものだったがな。
「第八七号作戦というものがあった」
「第八七号…時期的にはリデの戦いの少し前ぐらいですか?」
「そうだ。何せ、リデの戦いの勝利によって白紙となった作戦案だからな」
世界大戦が始まってから初の春を迎えた頃、陸上での二正面作戦の無謀さを感じ取った参謀本部…いや、当時の私たちは渋々ながらもとある一策を講じることにした。正式に発令されたわけではないので数字での呼び名だが、第八七号作戦と。結果として使われなくなったその作戦は呼ばれている。
「リデの戦いで必要なくなった作戦…新大陸での連合王国に対する強襲作戦、とかでしょうか」
「それは第二次ポリス作戦のことか?」
どうやら図星だったようで、ハーゲンは葉巻に火をつけると一度気を落ち着かせるために一服決め込んだ。…常在戦場とよく言っていた彼も、年を取って些か老けたものだな。
世界大戦以降、軍部は内部闘争を世間の冷ややかな視線を浴びながら行い、膿と、長いこと首を絞めていた真綿を取り除くことに成功した。今や帝国の敗北に恐怖する者はいれど、身の保身に走るような人間は存在しない。そういう奴らは既に貴族界という名の政界に身を移した。ではなぜ帝国がこんなにも劣勢に追い込まれているのか。それは私から言わせてもらえばただ運が悪いだけだ。
帝国が列強としているには力が必要不可欠だ。言い換えれば、それは軍事力である。合衆国のような広大な土地と生産力は持ち合わせておらず、また王国のように恵まれた海軍国家ではない。だが、別に国民も国が強くあれと願えど、世界を征服せよと思っている訳ではないのだ。自分が少なくともイデオロギーと民族の諍いに巻き込まれるようなことがなければ。何とも身勝手に思えるが、そうある限り国を動かす側の人間からすれば多少好きに動くことができる。
…おっと、随分と話が逸れてしまっていた。ハーゲンはちょうど葉巻を口から離し、私の次の言葉を待っている。
「本来ならば、二正面などという愚策は行うべきではない」
「そうでしょう。ですが、それは帝国の地理的条件を見れば避けられない宿命のようにも思えますが」
帝国は新大陸へ進出し、そこに元々いた連合王国と競い合うようにして未開拓地を奪い合ってきた。本来ならばギーバルハ王国のように南洋諸島に向かうべきだったのかもしれないが、それこそ今更というものだ。
だから、帝国は新大陸を手放すようなことは今まで諸外国からどのような圧力をかけられたとしてもしてこなかった。旧大陸はハルパリ帝国によってこれ以上西に領土を進めることはできない。苦渋の決断をいつまでもずるずると引き摺ってきた結果だ。ただし、ホシオから始まった産業革命が世界全体に浸透した今ならまだしも、昔は領土が大きいことが国の威信に直結したということも最後に付け加えることとする。悲しいかな。人間は目に見える大きさに心を惹かれてしまうのだ。
「ならば、新大陸を捨ててしまえばいい。勿論、本当に手から離すというわけではないさ。かつての新大陸植民の最初の足掛かり、ヘルベッチを除くすべての領土を放棄し浮いた戦力を以てハルパリ帝国を打倒する。…結局、リデの戦いに大勝したことによってその心配も杞憂に終わったがな」
ハーゲンは珍しく絶句していた。この程度…本当に委員会の奴らに揉まれたのか?
「決断が必要だ。肉を断ち、相手の肉体と骨が区別がつかなくなるまで強烈に粉砕するか、それとも青白くなっていく手足と顔を見ながら真綿によって絞殺されるか。答えは二つに一つのようなものではないか?」
私の提示した二択はどちらも間違いなのかもしれない。もしかしたら、他にすべてを救うような策が転がっているのやも。けれど、今の段階でそれが誰の口からも出てくることはなく、そして議論を重ねて導き出そうとする気配もない。時間切れだ。
「私は過去に時には小を捨てなければならないこともあると言ったな?」
「ええ、そうですね」
想定外の提案にただ手をこまねくことしかできていないハーゲンに追い打ちをかける。
「ハーゲン、お前は私の知らないうちに随分と弱くなったな。だが、それを悪いとは言わない。貴族連中とつるんでいると自然とそうなってしまうのも理解できる。だから、見ておけ。師の戦い方をな」
…それに、このままアレクトを新大陸で活動させていればいつ二つ目の命が消えるかもわからない。ヴエルフォードは人間ではあるようだが、信用できるかは話が別だ。それに、新大陸からの撤兵は帝国に多大な混乱をもたらすことを除けば十分に合理的で納得のいく作戦だ。つまり、ウィン・ウィンというわけだ。私と、帝国とで。
「…できることならば、もう一度」
「どうした?」
部屋から立ち去ろうと思い立ち上がったその時、ハーゲンは私に向かってか、はたまた虚空に向かって言ったのかは分からないがそう呟いた。後ろを振り返ると昔のように獰猛な目をしたハーゲンと目が合う。
「三大軍集団の一つを担う人間として、私も帝国を護ってみせます。ですからまた後日面会の場を用意してはくれませんか?既に大将となってしまい昔のように教えを乞うこともできませんが…」
「やってみろ。私は拒みはしない。…それとも、ついてくるか?」
「まさか。私は大将ですよ?」
軽口を叩き合いながら、各々の役目を確認する。まずは時間稼ぎだ。グテラスフルトは敵の手に落ち、クラカッサもどうにかしなくてはならない。それについては名声と無駄に名だけが売れている私にできることではない。そこはハーゲンの仕事だ。私が裏で手を回しているうちにリーデンブルグ防衛戦が始まるとなっては私は死ぬに死にきれないが、まさかそんなことは万が一にもあるまい。時間稼ぎ、言っては悪いが時間稼ぎだ。若者の命を燃やして帝国は未知の軍勢に対抗するための意志を燃やす。何せ、本当の絶滅戦争なのだ。占領地の話は知らないが、もちろんこちらの国際法は通用しないだろう。
ならば、やるしかないだろう。あの時だって今のように先行きが全く見えなかった。まさかあれから十年間も戦争が続くことになるとは思いもしなかったが、つまるところ今回もきっとそうなるであろうことは目に見えている。
「レーリッヒに一度知らせを入れておくか。アレクトのことは奴も気に入るだろうが…」
それと最後に娘の心配をひとつ。きっと上手くやっていることだろう。なんとなく、そういう理由のない自信が湧き上がってくる。信頼か、それとも親バカなだけか。レーリッヒに聞けば笑いながら父親だからと答えるだろう。
私は内心で苦笑しながら再び車に乗り込んだ。ハーゲンにはアレで伝わっただろう。後は海軍か…
あそこはキャリア主義の巣窟だ。言ってしまえば陸軍以上に面倒な。だが、せめてパナーヴ海の制海権を。アレすらなくては帝国は何もできない。
「やるしかない、か」
車は無情にも動き出す。これも身勝手にも表舞台から退いた私への罰なのだろう。そう考えれば悪い気はしなかった。そうだ、このぐらいのハンデがなくては。そのほうが、この老耄の人生も彩るというものだ。




