表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界戦線  作者: Chira
第一部 新大陸編
6/36

騒動

それから数日後、私の身分は根回しの結果、ようやく仕官課程を修了した魔導少尉という事になった。つまり、過程はどうあれ私は本来のシナリオと同じ境遇という事になったのだ。本来ならば貴族であることを考慮し、丁重に扱われる、なんて事にはならなかったが、及第点といったところでしょうかね。


勿論私が魔導人形の身となったことは伏せ、今はカリン少佐に気に入られて面倒を見られることになった可哀想なお貴族様という建前だ。そして、行われるのは地獄の体力作りの日々。最近はベッドの上で気絶しては、早朝になるとカリン少佐に叩き起こされるという日々を過ごしている。まさか自分がここまで朝に弱いとは思いもしなかった。毎日の睡眠が健康のための致し方ない支出から、生きるために行わざるを得ない行為に変貌するなど、半年前の私に話しても決して信じてはくれなかっただろう。


そして、今日の私はただひたすらに剣を素振りさせられている。ちなみに、昨日は本当に足が動かなくなるまで一日中走らされた。だから動かないで済む素振りは昨日よりは楽だ、と一瞬思ったりもしたが、それが案外そうでもない。昨日はとりあえずは走っているだけで良かったが、今日は正しい体の動かし方が求められている。それに、一日中走らなくてはいいといっても腕は既に限界。正直言って、どちらも今の私には到底耐えることができないほど厳しいのだ。


折角魔力なるものがあるのにどうしてこんなことばかりやらされるのか、と思い、昨日カリン少佐にこのことをそれとなく聞いてみると、少佐曰く、魔導人形は生身の人間と比べて魔力が扱いやすいのでつい魔力による身体強化に頼りっきりになってしまうのだそうだ。私も楽が出来るのならば何の考えなしにそれを使ってしまう人間なので、少佐の懸念は確かに当たっている。


そして、その対策のためにはやはり魔力を使わずに済むように肉体を鍛える必要があるのだそう…なのだが、残念なことに私は生身の頃に魔力を使った経験が無いのであんまり実感が湧かない。確かに今の体では魔力を何となく認識できているのでそう言われればそうなのかもしれないけれど、少佐にそのことを聞いても「私は魔導人形ではないから分からん」と言われてしまった。解せない。


「アレクト、今日はこれくらいでいいだろう。引き上げるぞ」


太陽が南に昇り、ようやくお腹も空いてきた頃。少佐の招集で素振りを中断し、投げられた水筒を受け取る。皮膚が剥がれていたいが、今はそれよりも喉が渇いた。普段ならば冷たすぎると感じたであろう冷水も、熱った体の前を冷やすのにはちょうどよく感じる。


「んっ、ぷはぁ。流石にお昼ですか?」


「そうだ。一度戻るぞ。エルに食事を部屋に運ぶように言ってある」


天候が悪ければ雪が散らつく気温にも関わらず、今の私の額には汗が滴っている。タオルで軽く体を拭き、最後に手に滲んでいる血も拭き取って魔力で傷を塞ぐ。…確かに、普段からこんなことに使っていると魔力ばっかりな生活になってしまいますね。これからも、日常生活ではできるだけ使用を控えるようにしましょう。


「少佐、お腹が空きました」


「だろうな。だが、ここでの食事は食材を楽しむものではないと分かっているだろう?」


そう言う少佐の眉は顰められており、ささやかながらも不服の意思が見てとれた。私もそれに同調し、軽く肩を竦める。


「わかっていますって。どうせ、今日も生野菜すら出てこないのでしょう?」


「私からすればそっちはまだいい。ただ、まともなコーヒーの配給が無いのが致命的だ。新大陸の豆は風味が飛んだただカフェインが含まれただけの泥だからな。魔導兵に書類仕事を課すのにこの程度の嗜好品すら満足に出てこないとは…いくら士官ではあるとはいえ、これではな」


食事は兵士の士気に関わるというのに、それすらまともに用意することができなくなっている新大陸の食糧事情を嘆きながら私たちはカリン少佐の私室へと移動する。机にはヴエルフォードの研究室のように書類が乱雑に散らかっているが、量は控えめだ。重ねて置けば木の木目が確認できる。カリン少佐はあまり整理整頓が得意ではないように見えたが、それでも努力はしているということなのだろう。やろうとすらしていないヴエルフォードには是非とも見習ってほしいものである。


たとえ食べられない食事しか出ないと分かっていてもやはり食欲というものは我儘で、昨日の味のしないよく分からないスープを頭に浮かべながらも唾液線は絶えず刺激していた。硬くて酸っぱい黒パンも、今だけは恋しいように思えてしまう。そんなことを考えながら、私は散らかっている書類をひとまず一つにまとめておく。


「お待たせしました。…よいしょ」


机の上の整理整頓が大方終わったの頃、それを見計らったかのようにエルがワゴンを押して入ってきた。そしてクローシュによって覆われた皿をいくつか目の前に置くと、少しぎこちなくそれを開けた。…これは、フレーヌ式のフルコース?


「あの、エル?」


「申し訳ございません。アレクト様は軍のお食事に大変ご不満のようでしたので、食堂をあたってみたのですがこのようなものしか用意することができませんでした…」


小さな肩を落とし、少し長い耳を垂らして謝罪の言葉を紡ごうとするエルをの口をとりあえず塞ぎ、ひとまずこの料理をどこから持ってきたのか説明させる。よく見たらワゴンに載せられた皿はほとんどが前菜に続くための品々だと分かる。少佐の食事は隅に追いやられているようだったが、置いてこなかったのは及第点だろう。…いけない、後で辞書で及第点の意味を調べないと。


「士官の方々が私室で食事をとるために用意されたワゴンの中に、一際豪華なものがありましたので、それをこっそり持ってきました。おそらく、バレてはいないと思いますが…」


「ライレン閣下の食事を奪ってきただと?もはやどこから突っ込めばいいのかわからん…」


エルの話の内容を要約するようにカリン少佐は呟く。悪い意味でさっきまでの疲労感が吹き飛んだ。そして、更なる試練が私の前に立ち塞がってきた。エルに悪気がないのはその純粋な瞳を見ればわかる。名前にフォンが入っているにも関わらず、とても透き通った瞳だ。少なくとも、この暴走は善意で行なったもの。


「…これって、私の責任ですよね?」


「そうだな。エルはアレクトの従兵であって、私のものではないからな」


この際問題になるのは大将閣下から食事を盗んだことではなく、私と閣下、どちらの立場の方が上かということだ。家の家格としては名門のライレン家と、五大貴族のリーベ家。ギリギリ私の勝ちだ。…閣下がライレンの当主であることに目を瞑れば。


そして、忘れてはいけないのはここは軍であるということ。いくら帝国内で貴族の権力が強いとしても限度はある。その場所の一つがここだ。軍であるということはすなわち上下関係にも厳格ということで、かたや魔導少尉、かたや大将閣下。不味い、非常に不味い。大将閣下から食事を奪ってきたとなれば、今後の私はC軍集団に二度と顔を出すことはできなくなってしまう。


呑気なことにエルは私が料理の質自体が不満ではないとわかると胸を撫で下ろしていたが、こちらからするとどうしてそっちの方で安堵しているのか理解できない。派閥の下の人間が暴れて上が頭を悩ませることもあるとは聞いたことがあったが、まさかこんなところで経験するとは。…ああ、もう全部面倒くさい。お腹が空きました!


「とりあえず、昼食にしませんか?私、お腹が空いてしまいました」


くるりとカリン少佐の方に振り返り、貴族スマイルをお見舞いする。少佐は一瞬あっけにとられ、そして私が言わんとしていることを理解すると、阿呆を見る目でこちらを見た。


「アレクト、まさかとは思うがこれを食べる気か?」


「ええ、お腹が空いてしまっては仕方がありませんもの。それに、貴族は待てを教わらないのです」


大きく溜息をついた少佐を横目に、私はいつの間にか並べられたカトラリーを外側から取ってフレーヌ式の豪華な昼食に舌鼓を打つ。美味であろうことは分かっていましたが、まさかデザートまで用意されているとは!


カトラリーを過不足なく使い切り、最後にナプキンで口の周りを拭き取る。久しぶりの豪勢な食事だった。海上貿易が封鎖され、帝国が孤独な戦争を強いられていなければ是非毎日食べたいくらいには。


「お前…ほんとに食べたのか?」


「なかなか美味しかったですよ。フレーヌ式のフルコース」


「そういうことを言っているのではない…」


眉間に皺をよせながら泥のようなコーヒーを胃に流し込む少佐。久しぶりのご馳走で腹が満たされると、だんだんと自分が何をしでかしてしまったのかが理解できるようになってきた。お腹が満たされた事による幸福感もだんだんと薄れ、事態の収集がつかなくなったことに背筋が冷えるような感覚に襲われる。


「…私は、どうしてこれを食べてしまったのでしょうか?」


いくらお腹が減っていたとはいえ、上官の食事に手をつけるとは。どうやら私はまた判断を誤ってしまったらしい。現在進行形で背筋が冷えていくのを感じながらどうやってこれに始末をつけるべきか思考を巡らす。


「…ひとまず、ライレン大将のところへ行かなくてはいけませんね。カリン少佐はどう思いますか?」


「私か?」


この場でこの昼食取り替え事件において中立の立場であるのは少佐だけだ。できることならば、第三者視点の意見は聞いておきたい。客観的な情報を提供してもらえればどうにか対策を講じることができる。けれど、あくまでも対策を「講じる」だけなのでそれが正解というわけではないことには留意しておかなくてはならないが。


少佐は背もたれに寄りかかって天井を仰ぐと、渋い顔をしながらこちらに向き直る。


「…アレクト、今から閣下に会いに行くというならば私も行く。理不尽に不興を買うのは御免だからな」


「え、それって私を生贄に差し出すということではないですか?」


「自業自得だな」


…なんでこんな時にそんな得意そうな顔でそんなことを言えるんですか。


自業自得だと言われてしまえばそれ以上は何も言えないが、今回は私が悪いのだし素直に謝ろう。もしかしたら小指一本で許してくれるかもしれない。エルには食器を片付けるように言って、少佐と一緒にライレン大将に面会するために彼の執務室に向かう。少佐はアポは取っていないが大丈夫だと言っていたが、本当に大丈夫なのだろうか。


「…この際だ、閣下に気に入られてこい」


少佐は得も言われぬ空気の中、私に相好を崩して微笑んだ。その表情は慰めているようにも、こちらのことが面白くて笑いを堪えきれていないようにも見える。


「ライレン様とは一度幼い頃に会ったことはあります。生憎、その時の記憶は既に曖昧なのですけれど、何とかして見せますよ」


世界大戦の終戦を記念して、社交を嫌うお父様が一度だけ館で舞踏会を開いたことがあった。そして、どうやら私はその時にレーリッヒ大将と挨拶をしたのだそうだ。残念なことにその時の記憶は持ち併せてはいないが、お父様が言うのだから間違いであるはずがない。…その時のことを話題に挙げられたときは頑張って話を合わせよう。


「カリン・セラントだ。悪いが、通してもらう」


司令部の中をしばらく歩くと、廊下の一角には人の出入りを管理するためか衛兵と秘書らしき人物がいた。カリン少佐は彼らを鋭い視線で睥睨すると、秘書の前で視線を止める。秘書は度胸があるのか、それとも普段から少佐がこんな感じなので慣れているのか、名簿から目を外すと臆することなくその視線を受け止めた。


「申し訳ございませんが、閣下は只今立て込んでおります」


「そうか」


しかし、どうやら少佐は話を聞いても下がる気は無いようで、そのまま互いの瞳を見つめ合う。必要性があるかどうか疑問な静かな戦いをしばらく行った後、先に音を上げたのは秘書の方だった。


「…仕方がありませんね。その様子を鑑みますに、相応の事情がおありなのですね?」


英雄勲章を若くして持っているという栄誉か、それともカリン少佐の人望か。秘書は椅子を引いて「どうぞ」と言わんばかりに右腕を広げた。衛兵も半歩壁側により、私たちの通り道を作る。


「閣下はいつもの場所です」


「そうか」


人通りの無くなった廊下を歩き、その終点にある両開きの扉の前で少佐は足を止めた。そして一度一度軽く息を吸い込み、適切な回数ドアをノックする。


「カリン・セラントです」


「入れ」


短い言葉を交わして少佐は扉を開ける。私もその後に続く。室内には記憶の中の姿と寸分の狂いもないライレン大将が書類に目を通し、メイド服を着た少女がその横でまるで人形のように佇んでいた。どこかエルと同じような気配があるので、もしかしたら彼女も魔導人形なのかもかもしれない。


「…」


そして、敵意を剥き出しにされた。理由は皆まで言わなくてもわかっている。きっと、彼女から奪ってきたのだろう。エルの忠誠心が高いことは最初は喜ばしかったが、今は振り回されてしまっている気がする。戻ったら彼女のことは主人としてしっかりと躾けなければならないだろう。


「今日は、何の用かね?」


「どうやら、私の部隊員と閣下との食事の取り違えが発生したようでして。そのことについて弁明を申し上げに」


どうやら、取り違えた食事は既に私の腹の中です、というのは私が言わないといけないようだ。貴族としての立ち振る舞いが求められなくなったせいで少しはっちゃけ過ぎたのは私も認めるが、まさか、お灸を据えられるのがその肝心の貴族からになるとは。


「なるほど、事情はよくわかった。ならば、当事者以外は下がるべきではないか?三大欲求というのはセンシティブな問題だからな」


レーリッヒはこちらに意味深な視線を向けてくる。私は一体何を求められているのか見当がつかず、微笑むことも、首を振ることもできないでいると…


「そうだろう?」


ライレン大将にギロリと睨まれ、とりあえず咄嗟に姿勢を正した。お父様よりも一回り歳をとっていると聞いていたが、これは、戦場を生き抜いてきたからこその覇気だろうか。凄まじい。


「…よろしいのですか?」


「少佐、既に察しているだろうに、わざわざ私にそれを言葉にしろと?」


「いえ、閣下がそれでよろしいのであれば」


恐る恐る、と言った様子で大将の顔色を窺うカリン少佐は、彼の言葉ですぐに詮索を止めたそして少佐はすぐに踵を返し、そそくさと退出していってしまった。私は謎の少女から殺意を向けられつつ、レーリッヒ大将にも睨まれ、姿勢を正したまま硬直することしかできない。


「…久しぶりだな」


「お久しぶりです、閣下」


久しぶり、との言葉に一瞬心当たりが無く混乱したが、幼い頃に一応の面識があったことを思い出して挨拶を返す。体を貫こうとしているのかと勘違いしてしまいそうになる視線も、私が挨拶を返すと少しだけ軟化し、私はようやく肩の力を抜くことができた。


「食事については気にするな。こんな老人よりかは、育ち盛りの少女に食べられた方が食材たちも本望というものだろう。さて、昼食についてはこれぐらいでいいだろう。ひとまず、座れ。アレクト、お前とはいくつか話したいことがある。紅茶でいいな?」


「よろしいのですか?」


大将閣下様が、あろうことかただ一人の魔導兵をこんなに贔屓し、丁重にもてなしてしまっていいのだろうか、そう思っての発言だったが、どうやら私は察しが悪いらしい。レーリッヒは深いため息をつき、問題ないと言わんばかりにソファに深く腰掛けた。


「こんなところでもわざわざ堅苦しい身分に雁字搦めにされては堪らん。互いに面識があるのだからアイスブレイクは不要ではないか?それと、ライレン呼びはナシだ。未来のリーベ家当主様にそう距離を取られてしまっては、大戦以来の友好が水の泡になってしまう。そちらがそのきならば、その時は私も然るべき対応をするだけだが」


「あら、アレで面識があると言ってもらえるなら私としても光栄です。しかし、私も今はただの一兵卒ですので。レーリッヒ閣下の思惑が不明な以上、私から下手に出て不興を買うのを避けたかったと言えば納得していただけますか?」


息を溢しながらレーリッヒの対面に座る。やはり名門貴族というだけあって、物腰は優雅だ。それに時間の経過が累積して、奥深さを醸している。素直に言い換えれば威圧感だ。お父様がかつて下に就くことを選んだだけはある。有能、良い意味で能力主義者で、非常に現実が見えている。これこそが、レーリッヒが大将たる所以なのだろう。きっと、この人なら新大陸の戦況もどうにかしてしまうのではないか、そう思わせてしまうカリスマを纏っている。


「勿論だとも。社交界で同じ空気を吸っていただけで、貴族というのはお友達になれるのだ。こんなにも簡単に良き隣人を作ることができる環境は世界中を探してもここ帝国ぐらいだろうな」


「それでは改めまして。お久しぶりです、レーリッヒ閣下。世界大戦を終わらせた英雄様に、再びお目見えすることができて光栄でございます」


私が既に忘れかけていた貴族の作法で礼をすると、レーリッヒは驚いた表情を見せ、そしてすぐにそれを寂しそうなものへと変えた。


「光栄、か。まさかあの化け物の娘にそんなことを言われるとはな。そこまで謙る必要はない。それに、あまり家の事情に口を出したくはないが、将来家督を譲られるであろうにも関わらずそう下手に出ていてはリーベルトが積み上げてきた威信が崩れ落ちるぞ?」


「あら、閣下は淑女はお嫌いですか?」


私がニコリと笑うと、レーリッヒはたいそうお気に召したようで、むしろわざとらしく思えてしまうほど豪快に笑った。…なるほど、閣下はあんまり下手に出過ぎない方がいいんですね。


「全くお前は面白い奴だ。だがな、確かに私も一度はお淑やかな娘は欲しいと望みはしたが、どうにもこちらの家庭は男子しか生まれん。しかも、どいつもこいつも脳筋ばかりだ。…遺伝子が強いのも考えものだな。妻のような美人も一人は欲しかった」


「それはそれは。ですが、そう気を落とさずに。それでも、こちらよりは幾分もマシではありませんか。元々女児ばかり産まれる家にも関わらず、母は私を産んで間もなく亡くなってしまい、父は第二婦人を娶る気配もありません。どうして私が家を継がなければならないのでしょうか。家格がもう少し高ければ父は暴君まっしぐらでしたでしょうね」


お父様はお母様が私を産んで亡くなってから、特に第二婦人を娶ることもなくあんな年齢になってしまった。そして、分家にもお父様のお眼鏡にかなうような優秀な男児はいない。だからお父様はリーベ家を私に継がせる気でいるのだ。女性である私が五大貴族であるリーベ家を継承する。そうなれば、どう考えても面倒なことになる気しかしないのだが、残念なことにお父様の中では決定事項らしい。


「はっ、今の皇帝家が暴君でないと?いや、この話はよしておこう。陛下のお耳は帝国中のあらゆる話を聞いていらしているからな。私だってこ知らない罪状で軍法裁判にかけられ、ふざけた罪状で裁かれたくはない」


「あら、英雄様にも畏れるものはあるのですね。てっきり、何に対しても臆することはないとばかり…」


「私はあくまでも英雄だかなら。物語に出てくる勇者でもない限りは、そんな風には振る舞えんよ」


ニッコリとお貴族スマイルをして笑い合う私たち。この感覚も懐かしい。最近は魔導兵として貴族としての意識をすっかり忘れてしまっていたが、やはり染み付いた癖は中々抜けないらしい。表情の機微から感情を読み取る動作なんかも既に懐かしく感じられる。


「…魔導人形になったことはヴエルフォードから聞いている。仕方が無かったとはいえ、残念だったな」


そして皇帝家の悪口から逃れるように話題は移り、今度は私の話になった。流石はC軍集団最高司令官というだけあって、機密情報のこともある程度は把握しているらしい。ヴエルフォードが恭しく態度を取る光景は少し想像できないが、レーリッヒならば上手く手玉に取っていそうでもある。


「どうせ私は今まで通りお父様の手のひらの上で踊るのです。踊れるならば、この体が人間だとしても、訳のわからない魔導人形だとしても、そこに何も違いはないと思いませんか?」


蝶よ花よ、とは少し違うが、お父様に大人しく従っておけば最低限衣食住に困ることはない。いや、恐らく平民からすれば一生遊んで暮らせるだろう。私は正しい選択ができると思う。ここにいるのももちろんそのおかげだ。だから、私は踊る。まだ私は一人で羽ばたくことができないから、それまでは一つの便利な駒としていられるように振る舞うのだ。


「ふむ…やはり聡いな。私の息子たちもそれぐらい聡明ならばよかったのだが…」


「閣下、お父様には決して言わないでくださいよ?私、軍大学は御免です」


「もちろんだとも。あそこは将校を育成するところではないからな。親の威を借る馬鹿しかいない。資料を少しばかり見に行くことですら憚られるぐらいにはな」


まあ、ゆくゆくはある程度お世話になるであろうことは目には見えているが、それは今考えるべきことではない。大事なのは、この後私がどうなるのか。私は一応A適性の魔導兵だけれど、もちろん新大陸には余裕が無い。もしかしたら、私は時間稼ぎのために無茶な浸透作戦を実行し、戦場で尽き果てることになるやも。そんなことは御免だ。せめて、名誉の戦死でなくては。


「それで、これからどうするつもりだ?カリンには気に入られているようだが、一応今のアレクトは魔導少尉、ということになっていたな。A適性という高い才能があれば旧大陸で新兵装に身を包ませてやることもできなくはないが…」


「私に選択の権利があるのでしたら是非とも、少佐の下で働いてみたくはありますが」


上司として、そして戦友として、少佐ほど優れている人は帝国にはいないだろう。そのカリスマ性は言わずもがな、そして見たところ書類仕事もある程度は心得ているようだった。あの人の下で働きたいと思う条件のほとんどを少佐は満たしている。


だが、私の回答に閣下は渋い顔をした。まるで、いや、私もその光景を実際に見たことがあるわけではないが、腹を痛めて産んだ子が音楽で食っていくと言った時のような、主体性を尊重したいが平穏を願う側からすれば首を縦には振りたくない。そんな顔だ。


「…あそこに長居していると、遅かれ早かれ死ぬことになるぞ?」


「それは、どうしてですか?」


「奴は…セラント魔導少佐の魔力は特異だ。アレクト、お前は魔力を使って空を飛べるか?」


「やったことはありませんけど、たぶんできますね」


魔力は脳内のイメージを出力するための媒体のようなものだ。『王子』との戦いでは魔力を剣に流すことで切れ味が良くなったので、魔力を私の周囲に散布して重力をいい具合に制御するか、それとも自分自身は飛べるんだと錯覚させるか。いくらでもやりようはある。


「少佐の魔力は空間を切り裂く。それは彼女に制御できるものではなかった。少なくとも、今の人類には早すぎた。そうだな…戦闘詳報を見た限りでは、『王子』との交戦中に少佐が救援に駆け付けたはずだ。彼女の魔力は、紫がかっていなかったか?」


たしかに、『王子』の大規模な魔法を破壊しながら飛んできた少佐は紫色の軌跡を描いていた。けれど、あれがどうかしたのだろうか。私は首を傾げる。


「彼女が魔力を使用すると周囲の物体が『斬れる』。比喩ではない。本当のことだ。少佐曰く、あの光は狭間から漏れる光だと言っていた。他人を傷つけない為にも彼女は独りでしか戦うことができない。…かつて、彼女のカリスマに惹かれた人間は何人かいたが、今となってはほとんどが共同墓地に埋まっている」


「それは、なかなか聞いただけでは実感ができませんね」


「そうだろうさ。少佐には見る目があるんだがな、後方で教官職を用意すると大分前に話してはみたが、案の定断られた。彼女も、知らないうちに戦争屋になってしまったようだ」


レーリッヒ閣下は一度そこで言葉を切り、少し冷めているであろうコーヒーに口をつけた。その一方で、私と閣下が親しい間柄であることが分かってから少女は少し俯きがちになって微動だにしていない。まるで立ったまま死んでしまっているかのようだ。そしてふと、もしかしたら彼女も魔導人形なのではないか、そんな考えが頭をよぎった。実験段階で自己意識がほとんどなくなってしまったプロトタイプ、有り得なくはない話だ。


「ところで、アレクト嬢よ。これは貴族としての話なのだが、リーベルト様は息災か?」


気まずくなってしまった空気を換気するためか、今度は閣下が私に話を振ってきた。名前の後に嬢と加えられたことで、これは真面目な話なのだと襟を正す。


「ヴエルフォードから聞いた限りではお父様は私のことを家に戻そうと奮戦なさったようですが、肝心の家との連絡はついていません。私も特に不自由を被っているわけでもありませんので現状に不満があるというわけではありませんが…」


私の言葉はそこで止まった。はて、私は不満があるわけではないが何なのだろうか。考えながら言葉を紡いでいたせいでいったいその時に何を思っていたかが分からない。けれど、そんな私の姿を見て閣下はどうやら誤解をしてしまったらしい。今の言葉の内容だけを考えれば「本当は家に帰りたい」そんな風にくみ取られる可能性も十分にある。というか、おそらく閣下はそう捉えてしまったのだろう。


「いえ、本当に不満はありませんよ。ただ、せっかく親身になってくれた閣下に対してお役に立つことができないのが残念だというだけで」


「なに、気にするな。今回は私も無神経が過ぎたな」


そうして再び部屋は気まずい空気によって支配された。閣下はカップの中のコーヒーを飲み干し、懐から葉巻とマッチを取り出そうとしたが、こちらを見て少し逡巡した後それをしまった。こちらのことを配慮してくれたのだろう。確かに、煙草と葉巻、それからキセルの煙は私の体からするととてもじゃないが耐え難い。あの煙が一度肺に入ると咳と涙が止まらなくなってしまう。


「…少佐には、お前が配属を希望しているということを伝えておこう」


「よろしいのですか?」


長い沈黙に耐え切れなくなったレーリッヒ閣下は重苦しい口調でそう言った。


「ああ、構わないとも。ただし、やるからには大胆にだ。戦争において最も重要なのは何か、それは衝撃だ。衝撃なくして勝利はあり得ない。次に少佐がどこの戦線に配属されるかは聞いているか?」


「いえ、一兵卒に伝えられる情報には限りがありますので」


「中央戦線だ。カリン少佐の所属する四〇一特別魔導大隊にはハーデル・ロンバルトに強行突入後、主要なネームドを蹴散らしてもらう予定となっている。…大隊と銘打ってはいるが、今の予定では実質少佐一人でだ」


中央戦線、それは名前の通り新大陸の中央部の戦線のことだ。険しい山々と針葉樹林がひたすらに広がっていて、主要都市としてはハーデル・ロンバルトがある。古くから存在する俗にいう古都のひとつで天然の要衝に囲まれた新大陸の交通の中枢だったのだが、ここも戦力不足を理由にだいぶ前に手放してしまっている。


つまり、奪還するにはそれ相応の戦力投射が必要になるのだが、そんなことができるような戦力は新大陸にはない、はずだ。寄せ集めで時間稼ぎをするのか、それとも本気なのか。けれど、どの世界の作戦畑の人間が失敗することを前提に誰が作戦を立案するというのか。失敗への不安は少なくとも今のレーリッヒ閣下には見えなかった。


「その作戦は成功するのですよね?でしたら問題ありません。兵士が作戦を信用せずして一体どうしろというのですか」


だから、私も少しだけ気丈に振る舞ってみせる。貴方のおかげで私の気分は晴れた。そう表現するには目に見えて元気になるのが一番だ。


「気前がいいな。どおりでカリンがお前のことを気に入るわけだ。せいぜいしごかれてくるがいい。そこまで悪い経験にはならないだろうしな。なに、私が言うのだから信用していいとも」


心労が溜まっている証拠でもある眉間に刻まれた深い皺を緩めてレーリッヒ閣下は笑った。これによって、私は人間になった。随分と短い人形生活だったが、真につらいのはこれからだ。物は人間様が勝手に価値を付け、蝶よ花よと世話をしてもらえるが、人間自身は自らの手で価値を示さなければならない。有能の証明をするのだ。戦場で見捨てられないために、二度目の死が訪れないように。


「それでは私はこれにて失礼しますね。今度はもう少し、落ち着いた場所で」


きっちりと貴方との繋がりは個人として持っておきたいですよということを伝えながら席を立つ。


「少し待て」


けれど、丁度扉を開けようとしたところで閣下から声をかけられた。ドアノブに手をかけたまま後ろに振り返る。


「どうかしましたか?」


「…いいや、何でもない。貴官の武運長久を願っている」


「光栄です」


思案顔になった閣下にニッコリと貴族スマイルで対応してそそくさとその場を後にする。中々有意義な時間だった。久しぶりに知り合いに会うことができたという事実は足取りを軽くし、私の軍靴はカツカツと軽快に床を踏み鳴らした。



「……聞いていたな?リャードよ」


「はい。後日改めて文字起こしを行います」


レーリッヒ大将は再び深く刻まれた眉間を親指と人差し指で挟むとそれをぐにぐにと押し込んだ。頭痛がする。リーベルトの娘であるアレクト、彼女も道家だったと評価を改める。少なくともパイプという双方にとって利益のある話だからこそ今回はどうにかなったが、二度はない。次は間違いなく飲み込まれてしまうだろう。


ぎこちない歩きでこちらに寄るリャードを優しく撫でてやり、そして相変わらず硬い表情を見てレーリッヒは肩を落とした。魔導人形の初期型。自律的な行動が制限されていて、そのおかげで情報が漏れる心配がないというのは高評価だが、コミュニケーションができないというのが何とも物寂しい。それでも愛着があるので捨てることはないが、それで不満を漏らさないかと言えば嘘になる。


「自分の動向ぐらいならば娘に伝えていると思ったが、あの様子では知らないだろうな」


彼が、あの無駄を嫌って軍から身を退いた彼が、なぜ今になって戻ってきたのか。とある筋からの情報では昔馴染みと接触しているようだが、ではなぜ新大陸から離れる際に私に声をかけなかったのか。疑問が残る。どう考えても意図してのものだろうが、だからこそ怖いのだ。レーリッヒはリーベルトの上司である。世界大戦の際には新大陸にて共に連合王国を打ち破り、その名声を欲しいがままにしたのだ。


「ただ…」


彼が何か企んでいるときはそれ相応の被害が周りにも発生するのだ。刃物を持って敵を追うのだが、近くにいれば切り傷がつけられるのは避けられない。できることならば、奴がどこに向かって走るのかぐらいは知っておかなければならない。正面に立つことになれば、それこそ再起不能になる傷を負うのかもしれないのだから。


しかし、情報収集を行うには新大陸ではいささか無理がある。そして、レーリッヒ自身責任と地位に絡まってここから動くことができない。旧大陸に赴こうと思っても、下手に動けば新大陸の防衛を諦めたと捉えられてはたまったものではない。


「…天に全てを任せるしかないか」


最善を尽くすレーリッヒからしても、今の状況には天を仰ぐしか無かった。自身がどんなに最善を尽くしたとしても、最終的にはサイコロを振ることになる。そして、その出目の責任は自分にのしかかる。勿論、四五六賽などというイカサマなどできるはずもなく、結局は六分の一、いや、それよりもっと分の悪い賭けに乗らなければならなかった。


「ハーデル・ロンバルトの奪還。ひとまずは、これで時間稼ぎはできるだろうが…」


冬が来るまでには有利な戦況にしておかなければ舞踏会にもおちおち参加することはできない。何とか最低限の人数と火砲は用意した。後は…


「リーデの戦姫よ、せめて、戦友(とも)を守りたまえ」


未だ本当の戦争を知らない無垢なる少女に戦姫の加護が在らんことを、そう、彼は祈ることしかできなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ