尋問
あまりにも事態が目の前で目まぐるしく変化していたが、どうやら私は助かったらしい。目の前に落ちてきた、いや、降りてきた?女性は私を見て考えるような素振りを見せると、左手に握られた太刀をたちまち霧散させ、こちらへと向かって歩いてきた。
「所属と名前を言え。一応、規則なのでな」
「兵器開発局二一九実験小隊所属、アレクト・フォン・リーベです。申し訳ありませんが、少佐殿のお名前もお伺いしてもよろしいでしょうか?」
帽子を被るとひさしはここらへんかな、なんてことを考えながらきっちりと軍隊式の敬礼をこなす。動きも不自然ではなかったし、問題は無いはずだ。
しかし、私の敬礼を受けて少佐の肩章を背負っている彼女はどうしてか困惑してしまっているようだ。…何か、失礼なことをしてしまいましたかね?
「少し待て。お前…いや、アレクト嬢は貴族なんだな?それと、兵器開発局の実験小隊だと?それに、二百番台…待て待て、お前は魔導人形でもあるのか?」
「ええと、少佐の仰られたことに間違いはありません。私は貴族であり、そして魔導人形であります」
下手に五大貴族として惰眠を貪っていたせいで慣れない丁寧語を使いながら返事をする。少佐は私の顔を凝視すると、ハッとして距離を取った。
「…ああ、失礼。カリン・セラントだ。肩章の通り、魔導少佐と、そして皇帝陛下より直々に近衛親衛隊第二隊長を拝命している」
「こんなところまでご苦労様です。まさか、セラント少佐は近衛親衛隊であらせられたとは」
近衛親衛隊とは、皇帝の身辺を護衛するために設立された近衛師団の魔導科の通称のことだ。全部で八つの部隊があり、普通の近衛師団とは違い近衛親衛隊には正真正銘精鋭の魔導兵が所属している。決してお飾りの部隊ではないのだ。そして、そんな親衛隊の隊長を務める者となれば帝国の魔導兵の中でも精鋭中の精鋭。それも、第二隊長なのだ。きっと、セラント少佐は帝国で二番目に強い魔導兵なのだろう。
そんなバツの悪そうにしながら自己紹介をしてくれたセラント少佐は、気のせいだろうか、少しだけ疲れているように見えた。無理もない、近衛親衛隊の第二隊長様なのだ。高い適性を持ち、そして熟練の魔導兵など引く手数多に決まっている。
少佐は顎に手を当て少し俯きがちになりながら思案に耽ると、ふと、こちらに視線を合わせて気まずそうにしながら言った。
「すまない、できれば名前の方で呼んでくれないか?苗字の方で呼ばれるのはあまり慣れていなくてな…」
「少佐がそう仰られるのでしたら」
「それと、その言葉遣いもだ。貴族ならばもう少し堂々としていろ。そうされると私も困る」
「…そうですかね?」
敬礼は止め、けれど姿勢は正したまま言われた通り言葉遣いを崩してみる。私としてはこうしていた方が楽でありがたいけれど、これでいいのだろうか。また別のところで怒られそうな気がしてならない。
「それと、良ければだがいくつか質問をさせてもらってもいいだろうか?」
「勿論構いません。少佐の好きなようにしてください。なんたって、少佐は私の命の恩人ですからね」
「…そ、そうか。私は当然のことをしたまでだが」
少佐は少しだけ頬を紅潮させたが、たちまちそれを帝国人特有の色白に戻して一度喉を鳴らした。すると少佐の雰囲気は真剣なものへと戻り、私を事務的な視線で見つめてくる。
「私の記憶では、この区域で兵器開発局所属の実験小隊が活動を行うという報告はなかったと記憶している。勿論守秘義務もあるだろうし洗いざらい吐けとは言わない。ただ、私の疑念を払拭できる程度の情報は教えて欲しいが…」
なるほど、つまり、カリン少佐は私を疑っているとい。いや、多分本心から疑っているという訳ではないのだろう。あくまでも事務的に、自我を押し殺して、階級差と身分差を心得ながら私のことを丁重に扱ってくれている。…だとしたら私はその配慮に報いるべきですね。
「少佐はランカラ守備隊の訓練大隊についてはご存知ですか?」
「ああ、知っているとも」
「それでは、それが数日前に解散されたことは?」
「…いや、知らないな」
少佐は首を横に振って、そして態度も少し軟化させた。
「私は本来そちらに配属される予定でしたが、生憎解散してしまっていて。そしたら上から配属そのまま偵察任務ですよ。その結果、こんなことになってしまったと言ったらお分かりいただけますか?」
偵察任務のはずが、鎧の男を撃破し、『王子』との戦闘。下手したら、いや、きっとここにいたのが私以外の誰かだったら間違いなく死んでいただろう。帝国にとっては不幸中の幸い、私は泣きっ面に蜂、と言ったところだろうか。
「本当なのか?」
「こんなところで嘘をついていると思われてしまっては、私はこれ以上どうしようもありません」
私が「心外です」と肩を竦めると、少佐も疲れ切った老人のような溜息を溢す。
「…事情は分かった。お前も中々苦労をしているんだな」
どうやら、苦労人という点で私と少佐はどうやら互いの理解者であるらしかった。まさか身分の違いを超えて理解し合うことができる日がこんなにすぐに訪れるとは。運命に踊らされる哀れな人間として互いを理解することができれば、未だ取り払えぬ貴族と平民との壁はこうも簡単に崩れ去る。…私が少し先の未来で家督を継いだら、少佐に執事にでもなってもらいましょうか。自分で言うのもアレですが、いいブレーキ役になってくれそうです。
「それと、もう一度確認なんだがアレクト嬢は魔導人形で間違いはないな?」
「少佐、私のことは呼び捨てにしていただいて結構です。貴族ですけれど、軍ではそんなもの面倒事の種でしかありませんから。そして私が魔導人形であるということについては、あまり口外するなと言われていますが、その通りです。…秘密ですからね?言いふらさないでくださいよ?」
「ああ、分かっている」
どうして二一九実験小隊に所属しているだけで私が魔導人形だと分かったのかと聞きたくはあるが、きっと、偶然機密事項を知っていたに過ぎないのだろう。そこに理由などない。ただの偶然だ。それが必然的な出来事のように感じてしまうとは、随分と私の事あるごとに妄想にふけってしまう癖は重症らしい。
それはそうと、まだ時刻が昼過ぎなのにも関わらず、今日はいろんなことが起こった。いや、起こりすぎた。私の身体は既に精神的にも肉体的にもくたくただ。まるで大学を飛び級で入学した時のような気疲れがある。…あの頃もあの頃でなかなか酷かったですけど、生命の危機という点ではやはりこちらに軍配が上がりますね。できることならエルに何か歌でも歌ってもらいながらお風呂に入りたいなあ。
「…ここで話さなければならないことはこれぐらいだな。アレクト、撤退するぞ。魔導力機はどちらも使い物にならなくなっていた。しばらくは、歩きだ」
「歩き、ですか?」
私の言葉にカリン少佐は何ともないといった様子で首肯する。…徒歩で移動。あの距離を、徒歩で?
「大したことではない。今から歩けば、丁度眠気覚ましのためのコーヒーが飲みたくなるぐらいの時刻には人と会えるはずだ」
◆
カリン少佐の後を歩いてはや一時間。私は既に棒となった足を無理矢理前に出して、何とか微速前進を保っていた。運動を碌にしていなかったせいで私に碌な体力が無いというのもあるが、何より少佐の歩くスピードが速かったというのもある。私が一歩歩くまでに少佐は二、三歩分先に進んでいる。少佐は途中からそのことに気づいて歩幅を合わせてくれたが、贅沢を言わせてもらうとするならば早く察してほしかった。
「少佐、ここは帝国最前線にも関わらず随分と静かですね」
ただひたすらに続く平野の景色にも飽きてきたので、少なくとも私よりは戦況に詳しいであろう少佐に初戦の感想を述べてみる。これが話のネタになれば、少しばかり気分転換をすることができるかもしれない。そう、打算的に考えて。
「全ての戦線が常時戦闘状態にあるという訳では無いからな。それに、ホドーレ・ナイゼラインはその名の通り大河川があり自然の要衝だ。碌な戦闘を行えば先に音を上げるのは自分なのだと奴らも分かっているのだろう」
「それなのに、相変わらずネームドとは厄介なものだ」と呟いて少佐の話は終わった。とても、簡潔で分かりやすいお話だった。そして、締めの言葉では第二隊長ともあろうお方ですらネームドのことを厄介に感じているということが非常に伝わってきた。私たちの苦労を、それらが組織全体で共有されているということは一体感があるが、言い換えればどこにも逃げ場はないということで、私はそこまでか考えてこれ以上の思考は無駄だと悟った。どうしようもない真理が、そこには立ち塞がっていたから。
ネームドの相手は私たち魔導兵にしか務まらない。何故なら、奴らはいくら砲弾と銃弾の雨霰を浴びせてもケロッとしていて、いともたやすく我々を虐殺するからだ。彼らの理不尽な暴力に対抗するには、唯一魔力に頼るしか道は残されていない。暴力を払いのけるための暴力。つまり、戦争を行うための環境があろうことか魔導兵にはこんなにも綺麗に整備されている。だから、やらなければならない。必要という静かな脅迫によって、私たちは無言の服従を誓わされ、妙に感じてしまうほどに整備された道の上を歩いている。
「あ、少佐、多分あれは僚機の魔導兵です」
その重みをまさに今実感しつつ、地平線の先に羽虫のような黒い点があることを確認したので少佐に報告する。他の部隊の魔導兵かとも思ったが、魔力の気配からしてアレはエルで間違い無いだろう。
「分かった、照明弾を打ち上げる。それであちらもこちらに気がつくはずだ」
カリン少佐が慣れた手つきで照明弾を打ち上げると、まもなく黒い点をしっかりと認識できるようになり、それがエルだということも肉眼で認識できるまでになった。
「アレクト様ー!」
こちらが手を振るとエルは原則のために上空を旋回しながら叫ぶ。無事でよかった。いや、エルからすればこっちのことが気が気でなかったのだろうけど、とにかくよかった。エルは教本通りの手順でゆっくりと地面に着地すると、後ろの計器でバランスを崩しそうになりながらも、こちらの足元へと駆け寄ってきた。
「よかった…怪我もしてない」
背伸びをして私の腰と背中をぺたぺたと触りながらエルはほっと一息ついた。そして次はカリン少佐と目を合わせる。エルは驚いたように、そして少佐は疲れ切った様子で、互いを見つめていた。
「…お久しぶりです、カリン少佐」
「…久しぶりだな。魔力があの時とそっくりでまさかとは思ったが、どうやら勘違いではないらしいな」
二人は短い言葉を交わす。二人は久しぶり、と言っていた。考えなくても二人は顔見知りなのだろう。だが、少佐の態度からして旧友のような好ましい関係ではなかったことも理解できる。ここは下手に口を挟むべきではないだろう、そう判断して一歩下がる。
「まさか、アレクトの僚機がお前だとは思いもしなかった。これも何かの巡り合わせか…」
「アレクト様、です」
「そ、そうか」
カリン少佐はエルの迫力のある笑みに押され、私をチラチラと見ながら諦めたように肩をすくめる。
「つまり、ヴエルフォードは遅まきながらも動き出したということだな?」
「はい。少佐も、そうなのではないですか?」
「私はただ…いや、今はそれでいい。ヴエルフォードにもそう伝えておけ」
エル曰く、作戦区域にてコードネーム『王子』が出現したため、兵器開発局二一九実験小隊には撤退命令が発令されていたらしい。しかし、私に連絡を入れても突然私の方に『王子』が現れたために魔力回路が切断されてしまい、私の身に何か起こったことを察したエルは危険を承知で目視で私のことを探していたのだそうだ。今度からは私を置いて行ってしまって構わないと伝えると…
「アレクト様を置いて私だけが先に帰るというわけにはいきません」
と言われて却下されてしまった。エルの背中の機械が歩く振動によってカチャカチャと音を立てている。どう見ても重いはずなのにエルは辛い顔一つせず黙々と歩いていた。いくら通信魔導兵だからといって、こんな小さな子にも容赦なく荷物を背負わせるのはどうなのだろうかとも思ったが、少佐に「そう言うならお前が背負え」と言われてしまってはたまったものでは無いので、こっそりと心の中にしまっておく。…エル、ごめんなさい!
しばらく歩いていると、生憎にもナイゼ川が私たちの前に立ち塞がってきた。まあ、行くときに眼下には少し濁った大河川が見えていたので想定はしていたことだけれど、いざ地面に足をつけて見てみると、その大河川ぶりには自然と息を呑んでしまう。
「どうしますか?私、あんまり泳げないんですけど…」
泳ぎ方は分かるけれど、お風呂の時以外私は水を肩まで浸かったことがない。それに、川の流れは一見緩やかなようにも見えるが、実際に浸かると私はなす術もなく流されてしまうだろう。そして、恐らくここは放棄された土地。橋頭堡を築かれないために主要な橋は落とされているはずだ。一体どれだけ上流に遡れば帝国領内になるだろうか。けれど、カリン少佐は落ち着いた態度でエルに指示を出す。
「必要ない。エル」
「アレクト様、私が魔動力機で二人を運びます。失礼します…」
そんな私の心配を他所に、カリン少佐とエルは短く言葉を交わすと、私はエルに両脇を掴まれてそのまま宙に持ち上げられた。魔力というものはすごい。こんなに小さい見た目のエルが私の体を軽々しく持ち上げることができるのだから。けれど、カリン少佐はもっとすごかった。視界の端に何か影のようなものが見えたので川の方に目をやってみるとなんと、少佐が水の上を歩いていた。それも涼しい顔で。
「…なんだ」
「どうやってやったんですか?」
「大したことはない」
「やめてください少佐。アレクト様にはしたないことを教えようとしないでください」
私がカリン少佐に目を輝かせながらどうやって水上を歩いたのかを聞こうとすると、エルに止められてしまった。貴族の私からしてもいったいどこがはしたなかったのかは分からないが、エルは私よりしっかりしているのでそういうことなのだろう。…なにがそういうことなのかは、よくわからりませんけど。
「カリン少佐はエルと知り合いなのですか?」
ただ黙って歩くだけでは流石に飽きてきたので、面白い話を聞けないかなと思いつつ少佐に聞いてみる。ただ、互いに気まずいのか進んで話そうとしない。二人は慎重に目配せをしあうと、やがて諦めたように少佐が口を開いた。
「知り合い…まあ、広義ではそうなるな。ヴエルフォードが私に接触してくるようになってから自然と、な」
「少佐は帝国最強の魔導兵。博士が興味を示すのも無理はない」
エル曰く、カリン少佐は前々から私が予想していた通り、帝国最強とも評されるようなエース中のエースなのだそうだった。新大陸でも旧大陸でも真っ先に前線へと向かい、ネームドを撃破する。そんなことを三年間ほど行っていたらいつの間にか「リーデの戦姫」という二つ名でも呼ばれるようになったそうだ。私のような魔力量だけで判定されたなんちゃってA適正ではなく、魔力も実力も兼ね備えた本物のA適性だ。
それだけでも十分すごいのだが、カリン少佐は授与されれば上級将校でも頭を下げるようになると言われているローツェルドル英雄勲章をヴィルフリード皇帝陛下から直々に授与されている。つまるところ、カリン少佐は皇帝家からの覚えもめでたいということだ。私の知る限りでは平民の出でありながら皇帝陛下から直接勲章を授与された人間は聞いたことがない。恐らくカリン少佐は初めての人間なのだろうが、意外にもそう語る少佐の顔は明るいものではなかった。
「…何とか大学を卒業し、仕事に就くか両親から夫となる人を紹介されるかの二択だと思っていたが、存外にも世界は広いらしい。今や戦場で化け物を殺して回ることが私の役目だ。あの時の私には想像もできなかっただろうな」
乾いた笑みを浮かべながらそう独白した少佐をエルと私は黙って聞いていた。エルは気持ち顔が下を向いている気がする。思うところがあるのだろう。若く、後ろ盾がないにも関わらずお父様ですら音を上げる軍の上層部との関わり合い…
年下の私が言うのも何だが、カリン少佐には同情してしまう。二人の暗い空気に流されつつ、私は晩秋の風に体を震わせながら放棄された塹壕跡を飛び越える。するとようやく、遠くに野砲陣地のようなものが見えてきた。人がいる。私たちはやっと人類の生存権まで帰ってくることができた。ここまでくれば、後は車で楽に移動ができるはずだ。…用意してくれるかは、分からないけれど。
砲弾と、千切れた有刺鉄線が散乱している荒れ地を進む。所々砲弾で掘り返されていて、そのを覗いてみるとたまに人間の死骸のようなものが横たわっていた。妙に湿っぽい空気が肺に充満して気持ち悪い気分になる。そんな、残酷な現実と、しんみりとした空気にカリン少佐は耐えかね、たまらず私に話題を振ってきた。
「アレクトはどうして魔導兵になったんだ?適性検査に引っかかるようなことが稀にあるのはまだしも、実戦前に魔導人形になったような前例は聞いたことがない。生前は何か重い病気でも患っていたのか?」
辛く苦しい現実から目を逸らすように、少佐は話題を過去のことへと見事にスライドさせる。無理に笑顔まで作り、その様はさながらそういう時期のごっこ遊びのようだ。
「…私は死にました。大体半年前に銃で撃たれて。そして次に目が覚めた時には私は魔導人形になっていました。その後はテンポよく話が進んで、いつの間にか戦地ですよ。ですから、先ほどの失態についてはどうかご容赦を。彼…『王子』とは、本来ならば戦ってはいけない相手だったんですよね?」
「…その件については気にするな。お前にヴエルフォードの息がかかっているということは、奴がそうさせるように仕向けたのだろう。恐らく、エルの周期表にも『王子』と黒騎士の波長の情報が意図的に抜かれているはずだ。一度確認してみろ」
「まさか…」
エルは波長とモニター上に浮かび上がる文字を見比べ、その二つの情報が無いことを確認するとがっくしと肩を落とした。
「…後で私に連絡を寄越せ。正規品を手配してやる」
「少佐、お気遣いはありがたいですが、それは不要です。後で博士にしっかりと説明させます。まったく、あの人は…」
「アレクトは知らないかもしれないが、ヴエルフォードはあまり信用するべき人間ではない。全てを信じるなとは言わないが、警戒は怠るな」
「命の恩人だとしてもですか?」
私の言葉で二人はもう一度口を塞いだ。エルにもカリン少佐にも私に思うことはあったのだろう。少佐は一度口を開きかけたが、すぐにそれをきつく結び、眉をしかめた。どうやって答えてあげればいいのか決めあぐねている、そんなところだろうか。
龍の歯を乗り越え、塹壕の合間から銃口がこちらに向けられているのを気にせず前に進む。カリン少佐は涼しい顔をしているが、エルは相変わらず私のことになると厳しい。両手を握りしめ、頬を膨らませながら敵意の象徴を臆することなく睨み返していた。
塹壕の中に入ると、残念なことに私たちはあまり歓迎されていないように思えた。兵士たちがこちらを見ている。何も言わないが、いや、恐らく余計なことをしないようにしているのだろう。彼らからは恐怖心を感じない。面倒ごとは上に任せる、そういう魂胆なのだろう。もしくは、彼らの経験からネームドはこんなにも大人しくするわけがないという判断をしたのかもしれないが。
「魔導兵諸君、名前と所属を言え」
しばらくすると奥から他の兵士と比べて身なりのよい人が現れた。おそらく下士官だろう。肩には肩章が付いている。私が言うのも何だが、貴族らしい傲慢さが口調と態度から見て取れる。身近な貴族サマがこんな態度を取っていれば、貴族全体に対しての印象が下がるのも仕方だがないだろう。是非、彼には私の柔軟さを見習ってほしい。
「カリン・セラント、魔導少佐だ。大隊長に通せ」
「なっ、」
彼は一瞬驚いたような表情を見せたが、後ろに控えていた従兵は私たちの服装と装備を見ると、上官であろう男の指示を待つことなく、すぐにどこかに走っていった。
「失礼する。行くぞ」
カリン少佐はそれを見ると、下士官の肩に優しく手を乗せてその後を追うように塹壕の中を歩き始めた。塹壕はギリギリ二人が横に並んで歩けるぐらいの幅しかなく、開けている場所も野砲と多数の薬莢が転がっていて歩きにくい。だが、汚くはなかった。私が想像していた塹壕風景よりはずっと清潔で、秩序がある。そして、煙草の匂いと、遠くから楽しそうな声も聞こえてくる。最前線であるにも関わらず、だ。地面に一枚布を敷いて寝ている人はいれど、死臭はしない。これも、帝国だからこそのものなのだろうか。
「アレクト様にこのようなところを歩かせるなど…」
一方でエルは同じ景色を見ているにもかかわらず少し不満げにしていたが、私が頭を撫でてやると「くすぐったいです」と言って手を持ち上げた。その後は照れくさそうにしながらも機嫌を戻してくれたので私は前方に視界を戻す。塹壕は入り組んでいて、少し目を離しただけですぐに少佐とはぐれてしまいそうになる。
前方指揮所はトーチカの中に置かれていて、そこでは下士官や尉官が地図に駒を置いてああでもないこうでもないと議論を交わしていた。そしてその渦中の人物…ホルツェ大佐は突然の来訪に一瞬眉をしかめそうになったが、その来客の隙の無い佇まいにすぐに襟を正した。誰でもない、その人物というのが戦場の女神とも評されるカリン・セラント魔導少佐その方だったからだ。
「カリン・セラント魔導少佐だ」
「ホルツェ・タローシュ大佐です。カリン少佐、今回はどうなさいましたか?」
「『王子』が前線に出現した。だが、既に撃退済みだ。心配には及ばん」
「あれは『王子』が出現したからでしたか…」
ホルツェは彼女の正体に未だ気づかず不満そうにしている旧貴族階級の人間に同情しながら少佐が地図上で示した地点を確認する。そして彼女と最低限の言葉を交わし、黒雲の発生位置との位置関係を計算して、彼女が決して嘘を言っているわけではないということを彼は確信した。
正直なところ、ホルツェは腰が抜けるような思いだった。魔導適正の無いホルツェからすればネームドとはそれだけで天災そのもの。そして、そんな恐怖を煮詰めて鍋底に残った塊が意思を持ったような存在と交戦しておきながら、涼しい顔をしているカリンも、ホルツェからすれば十分に非現実的で、敬意と畏怖を抱くべき存在だったのだ。
だめだ、直視していては気が保てない。ホルツェは一度視線を奥にやり、カリンの後ろに立っている二人の少女に注目する。いや、一人はどちらかといえば幼女とでも言った方が適切だろう。軍服を見ただけでは階級が分からない。年齢を見るからに彼女らは適性検査によって無理やり徴兵されることになってしまった民間人のようだった。本来の義務を超えてまで帝国に献身的に貢献している彼女らに対してはホルツェは敬意を払おうと思ったが、階級が分からないようではどう言葉をかけてやったらいいか分からず、ホルツェは開きかけた口を閉じた。
「少佐、そちらのお二方は?」
結局、ホルツェは何も知らないふりをして少佐に話を振ることにした。司令部からは注意するようにといった旨の連絡は来ていないので、何かしらやましいことがあるというのは分かるのだが、どうしても自分自身が憲兵の真似事をする気にはなれなかった。
「彼女らは脱出に失敗した小隊員だ。戦闘の余波で魔動力機が使い物にならなくなってな。できるのならば車を用意してほしい」
「なるほど…かしこまりました。今すぐ用意させます」
そして返ってきた当たり障りのない返答でホルツェは確信する。これが、一端の現場指揮官が首を突っ込んではいけない事案であるということに。ならばやることは決まったようなものだった。ホルツェすぐに部下の袖を掴み、そっと耳打ちする。
『大佐、我々がまともに使えるような移動手段はそれこそ数頭の馬しか残されていませんが…』
『アレがあるだろう。将校用クラスのアレが…!』
そして相変わらず察しの悪い部下にどこで育て方を間違えたかと自省しつつ、ホルツェは「今回だけだぞ」と前置きをして答え合わせを行う。
『師団司令部にあるだろう!アレを使って彼女らを輸送しろと言っている!』
『そ、それは…』
ああ、とホルツェはそこで察した。彼は察しが悪いのではない。ハイリスクにはハイリターンがつきものであるということを理解していないのだと。軍というのは規律に縛られた組織である。しかし、そこで頭角を現すにはそれを少しばかり横紙破りをしてでも出し抜いてやる必要がある。事後承諾でも構わない。一瞬グレーゾーンに片足を突っ込んだとしても、その上から大量の白色のインクをかければそれは白なのだ。今回はその典型例だ。カリン魔導少佐は第一に第二近衛親衛隊隊長であるが、次に四〇一特別魔導大隊の大隊長でもある。つまり、C軍集団司令部の直属。そんな彼女に便宜を利かせることができれば、程度に差はあれど名前を多少は覚えてもらえることができる。
『責任は私が取る。…この言葉が聞きたかったのだろう?』
「まさか部下がここまで打算的だったとは…」そんな本音をホルツェは心にしまい、前線帰りの淑女御一行に彼は何事もなかったかのように見事な応対を行う。そして、彼女らが前線司令部から退出したのを確認すると、彼は一つ大きなため息を下し、地図に向き直った。
「これでは、次回の限定的な攻勢も中止だな」
そして、そんな言葉がホルツェの口からは零れた。ホドーレ・ナイゼ川沿いの防衛線は、外見上はまともだが、内面は市井の住民の、そしてC軍集団司令部の考えている以上に困窮していた。
銃は二人に一つ。ペアを組み、銃を持っていないもう一方には代わりに文明人の象徴であるシャベルが与えられる。中々に酷い惨状であったが、それは全体と比べてしまうとつい何処からか仕方の無いことのような気がして、見逃されてしまう程度には数字では比較的平穏な数値を示していた。相対的には恵まれているが、絶対的に見るとどん詰まりというのがホドーレ・ナイゼ川沿いの防衛線の現状であった。
新大陸は工業化も進み、そして広大な土地で行われる大規模農業はその大量の労働力のための食料庫として機能していたが、肝心の工場での生産品は民需中心だった。世界大戦後の好景気を利用した民間による需要を満たすための供給場所。それが帝国新大陸領なのだ。
それでは、新大陸百三十万の軍勢が扱う大量の銃火器は一体どこで作られているのか。それは帝国第二の工業地域、メルナ工業地域からである。メルナ工業地域は旧大陸にあり、軍需製品の約七割がそこで生産されている。そして、旧大陸と新大陸を繋ぐパナーヴ海の制海権は海軍が自慢のお船を失うことを恐れて港に縮こまったせいで喪失して久しい。つまるところ、新大陸はじり貧ということである。少ない物資をやりくりしながら人類に与えられた演算機能によって終わりの時を少しでも遠ざけるというのが、今のホルツェを含めた兵士に与えられた役割であった。
ホルツェはつまらない判断ミスによって出世コースから外れた身だ。しかし、その優秀さは自他ともに認めるところであり、部下からも慕われていた。彼は帝国がさらに困窮すれば己にも当たり障りのないポストが用意されるだろうと考えていたが、彼には野心に裏打ちされた向上心があった。それを野心と言うにはあまりにも崇高で、そして貴いものであったが、それでも冷静で物事を俯瞰してみることができる彼は、それが野心なのだと確信を持っていた。
「ふむ…」
そこで、ホルツェは思考する。一度は腐敗を嘆いて派閥から抜けたが、この状況を変えるには一度古巣に戻り師を訪ねるしかないのか、と。
「大佐…?」
「ああ、すまない。少し考え事をしていた」
「心中お察しいたします。最近の魔導兵の傲慢さには目に余りますからね。指揮所に突然現れたかと思えば無礼な立ち振る舞い。現場の士気にも悪影響です」
ホルツェには才能があった。コネと運があれば下手すれば中将になっていてもおかしくなかったほどには。コネで一階級、運で一階級と言ったところだ。彼が秀才として衆目を集めるようになったのは彼の師…上司がそれこそ天才と呼ぶに相応しい時代を変えた麒麟児だったからである。いや、あの年齢で麒麟「児」と呼ぶと彼は怒りそうだ。ホルツェは珍しく人前でコロコロと表情を変え、それに部下は内心で心配した。ついに疲労が祟り、大佐の精神は壊れてしまったのではないか、と。
ホルツェが未だに内心で尊敬する師の名はリーベルトという。リーベルト・フォン・リーベ。年老いても未だ失せぬ逸話の数々に包まれた彼は、水面下でホルツェがその下を訪れる間でもなく動き始めていた。
◆
夕刻、私たちはようやくベルケンクル航空工廠に戻ってくることができた。夕日に照らされながら滑走路の横にある一見放棄されたように見える地下壕の重い扉を開き、相変わらずフィラメントが切れかけている電球が点されている地下室に入る。
「お疲れ様ー…あれ、お客様かい?」
すると、ヴエルフォードはこの前会った時と変わらない態度で私たちを迎えてくれた。最初の頃のマッドな気配はどこへやら、何か読み物でも読んでいたのだろう、背中が机に向かって曲がっている。
「博士、カリン少佐が来た」
「そうかい!それで、どうしたんだい?もしや、私の実験に付き合ってくれるのかい!?」
エルの言葉にヴエルフォードはとてつもない勢いで椅子を放り出し、両手をあげて飛び跳ねる。その姿はさながらお土産を持って帰ってきた父のを歓迎する娘のようだ。その一方、カリン少佐はそんなみっともない様子でいるヴエルフォードをみて眉目を寄せている。予想していたことだが、やはり少佐は彼女のことをあまりよく思っていないようだ。
「五月蠅い…その気はないと前々から何度も言っているだろう」
少佐は誰に言われるまでもなく席に座り、私に対して目配せをしてきたので私もその後に続く。そしてエルは装具を壁に立てかけると、何かしらの実験器具でお湯を沸かし始めた。机からは少し薬品の匂いがする。ヴエルフォードは席に着くと開いていた本にしおりを挟み、机に散らかっていた書類を乱雑にどけた。
「アレクト様も出撃お疲れ様。まさか訓練大隊が解散になるとはねえ。流石に私からも運が悪かったねと労うことしかできないよ」
「ヴエルフォード、話を逸らすな。お前のことだ、何故私がここに来たかぐらいは把握しているのだろう?」
わざとっぽく私に視界を向けてきたヴエルフォードの顔をカリン少佐は強引に戻し、ジト目になって言った。そして頬をぐにぐにと指で摘まんで伸ばす。
「ほへほへー」
「何を言っているんだ。もっとはっきり喋れ」
少佐はしばらくヴエルフォードの頬を伸ばしたり縮めたりしていると、ようやく自分が矛盾した行動をしていることに気付いたようで、眉間に皺を寄せながらも渋々手を離した。ヴエルフォードはそんなカリン少佐に文句の一つでも言うのかと思ったが、つねられて赤く染まった頬をなんともないように撫でながら話し始める。
「んー、私の研究に協力してくれるわけではないとなると…もしかして、新兵装でも作ってほしいのかい?少佐は英雄勲章を貰った時の太刀を大層気に入っているように見えたけど、今回の戦いで折れてしまったとか」
「皇帝陛下から下賜されたものを誰がそう簡単に使い潰すか。それこそ私は帝国にいられなくなってしまう」
「少佐なら王国とか合衆国でもやっていけると思うけどね」
「合衆国語は話せない。王国でならどうにかなるかもしれないが、国教府が目を付けてくるだろう。彼女ら狂信者の目に怯えながら過ごすのは御免だ」
雑談に花を咲かせる二人のことを机に頬杖をつきながら眺めていると、エルが気を利かせて私に紅茶を用意してくれた。お礼にエルの頭を軽く撫でてやると、エルはすぐったそうにしながら戻っていく。…かわいい。
カリン少佐は私の方をちらりと見て一瞬だけ同情の色を浮かべると、すぐにヴエルフォードに向き直った。そして、静かに、けれどはっきりと聞こえる声色で言葉を溢す。
「…なぜ、一度止めたはずの人形作りを再開した?」
「…やっぱり、そういう話になるかい。いいだろう、私と君との仲だ。だが、ここで私がぶちまけた内容は他言無用で頼むよ」
ヴエルフォードはエルからティーカップを受け取り、一瞬の後に態度を真面目なものに変貌させた。今までのどこかおちゃらけた態度は今の彼女からは見受けられない。少佐はヴエルフォードが態度を変貌させるときつく結んだ眉目を少しだけ緩め、腕を組み聞く姿勢を取る。
「新しいスポンサーが現れてね」
「何だと?」
ヴエルフォードは何ともないように言ったが、少佐に睨まれると一度咳払いをして椅子を引いた。私も少佐の剣呑に近い雰囲気に当てられ自然と背筋を伸ばしてしまっていた。戦争を肌で感じているうちに研ぎ澄まされた精神の鋭利さとでも言うのだろうか、そんな厳しさを少佐の目つきからは感じられる。
「それこそアレクト様のお父上、リーベルト様さ。別に、私も昔のことは反省してる。けれどね?スポンサーの意向には逆らえないわけだよ。もちろん、『アレ』を忘れた訳でもないがね」
「…そうか」
片目を閉じてやれやれといった風に肩をすくめるヴエルフォードの姿からはどこかお父様の面影を感じる。だが、カリン少佐はそんなヴエルフォードの様子に納得がいかないようで、一つ一つ紡がれる言葉には力がこもっている。
そして少佐は『アレ』という単語に強い反応を示していた。何か動揺した様子でも、目を見開いたわけでもないが、一瞬だけ雰囲気が変わった気がした。けれど、残念なことに『アレ』がいったい何なのかは私には分からない。だが、示し合わせたように代名詞を使ったということは何か人に知られたくないやましいことなのだろう。…今度会った時にお父様に聞けば、もしかしたら何か知っているかもしれませんね。
「それで、どうだったかい?少佐から見て二人は」
「どう、とは?」
ヴエルフォードはどう見ても作り笑いの笑みを浮かべながら紅茶を啜る。そして未だ怪訝な様子のカリン少佐を見てヴエルフォードは私にニヘラと笑いかけた。
「少佐から見て二人の腕前はどうだったかい?ということさ。アレクト様は死ぬ前はA適性だったから、魔導人形になっても相当の魔力量を有していると思うが…」
「ああ、そういうことか。だが…」
少佐は私の方を見て少しだけ悩んだ様子を見せる。
「言葉を選ぶ必要はありませんよ。魔導兵としては私は新兵ですかね。少佐の正直な感想を教えてください」
『王子』はおそらく手加減をしていてくれたようだったが、それでもある程度は戦えていた。もしかしたら、少佐の目にもある程度腕の立つように見えていたり…そんなことを考えていると、少佐は口を開いた。
「訓練をしていないのもあるが、正直言って使い物にならないな。特に魔力の使い方なんかは話にならん」
「うぐ…」
少佐の容赦のない評価にそんな声が口から溢れた。この感覚はなんだか久しぶりな気がする。…ラクーシャ、元気にしてるかな。
「だけど、少佐はそんな子を調教するのが趣味じゃないのかい?」
「語弊のある言い方をするな。私はただ、才能のある奴に剣術と魔力の使い方を教えているだけだ」
「それならいいじゃないか。アレクト様の戦いを見てそんなにいい評価をするってことは、何か光るものでもあったのだろう?」
「…」
少佐は黙り込む。私からすれば聞くに耐えない内容に思えたが、ヴエルフォードからすればそこまでのものではないのだろうか。「正直言って使い物にならない。特に、魔力の使い方に至っては言い難いほどだ」…こんな感じの内容だったと思うけど、普通、人を褒めるために使うような言葉は見当たらない。気の弱い人だったら泣いてしまうかもしれないほどの酷評だ。私だって、か弱い乙女なんですからね!?
「そこでだ。二人を君の部下にしてやってはくれないかい?」
「一体どういうつもりだ」
少佐は今までで一番厳しい視線をヴエルフォードに向ける。そしてまもなく、少佐の髪が静電気を帯びているかのように宙に浮かび始める。この感覚には既視感があった。『王子』が魔力を放っていた時と同じだ。全身に何かが纏わりついて体を拘束しているような感覚。
対して、ヴエルフォードは相変わらず飄々としていた。そして、妙に余裕がある。まるで、駄々をこねる赤子を叱りつける母親のような余裕が。
「なに、良心だよ。そこまで訝しまないでも君に隠し事など、ね?話を戻そうか。君も知っているように新大陸はまさに地獄そのもの。リーベルト様はそれでも娘ならどうにかすると思っているようだが、私からすれば見通しが甘いと言わざるを得ない。まったく、こんな小母さんが言うのも何だが、年頃の子に一体何が出来ると思っているのか。精々行方不明ということが分かればよし、遺体が帰って来れば上々といったところだ。それに、右も左も分からぬ少女が戦場で土に還るというのは少佐からしても思うところがあるんじゃないか?」
ヴエルフォードの言葉にカリン少佐は眉を動かした。私としてはその光景を固唾を飲んで見守ることしかできなかったが、少佐はヴエルフォードの話が終わりに向かうにつれてその態度を軟化させていった。ふわりと浮かんでいた髪は段々と落ち着き、少佐の威圧感もなくなる。
「どうだい?二人を兵器開発局の試験小隊としておくのもまあ別に、そこまで面倒というわけでもないが…」
「仕方がないな…二人は私が引き取ろう。だが、そうすると貴様がサンプルを得られなくなると思うが」
それを聞くとヴエルフォードはヒラヒラと手をふった。
「いいさ、それぐらい。それに元々アレクト様には戦況が安定したら一度家に戻ってもらおうと思っていたからね。生憎、今のメリートは敵の手に落ちてしまってはいるけど。アレクト様もそれで構わないだろう?」
「え?私ですか?」
「当り前さ。いくら魔導人形と言えど、アレクト様はリーベ家だし、リーベルト様もその後の影響を憂いて未だ死亡したことは公表していない。今私が対面しているのはあの畏れ多い五大貴族に名を連ねるアレクト・フォン・リーベ様さ。ああなんと光栄なことでしょうか。どうか、どうか陸軍兵器開発局を何卒!…エ、エル?どうしたんだい?そんな膨れっ面をして」
そこまで言うと、ヴエルフォードはエルによって席から引きずり降ろされた。どうやらさっきのでもエルからすればアウトだったらしい。トップ同士の仲が良くてもその部下が不用意な不和を生むとは聞いたことがあるが、まさしく今はそれなのだろう。おお、こわやこわや。
二人の光景に苦笑していると、自然と少佐と目が合った。今思えば、車に乗ってから一度も喋っていなかった気がする。少佐が貴族である私とのコミュニケーションを避けているのは感じていたが、私も少佐とどうやって話せばいいのかわからない。貴族として上から目線で喋るべきなのか、それとも魔導兵としては新兵なのだから佐官であるカリン少佐には敬語を使うべきなのか。
「カリン少佐、これからよろしくお願いします…?」
「カリンで構わないが、まあ、好きに呼べ。早速だが、移動しよう。地下室は相変わらず奴の趣味全開で適わない」
さっと席から立ち上がるカリン…私も少佐の後をついていく。エルも私たちが移動し始めるとヴエルフォードを床に放置したまま私に向かって小走りで向かってきた。…やっぱり、少佐を呼び捨てにするのは少し気が引けるな。…よし、これからも少佐呼びでいこう。呼び捨ては魔導兵としての実力が対等になってから。実際にできるかは、分からないけど。
「それでは、短い間ですがお世話になりました」
少佐はすぐにでもここから去りたいようで、椅子から立ち上がるとまっすぐ出口の鉄扉へと向かっていく。私もその後をついていきながらヴエルフォードに向かって別れの挨拶をする。マッドサイエンティストチックで正直に言えば変な人だったが、悪い人ではなかった。少なくとも私からすれば。悪事をしているのならば後できっちりと裁かれてほしいが、ひとまずはお世話に、それも命を救ってもらったのだから礼はしなくては。
「んー、ああ。お達者でー」
気の抜けた返事を背にして開かれた鉄扉を通り抜けた。エルは慌てたようにこちらに向かって来る。エルが外に出てくるまで鉄扉を開けておくとエルが頭をペコリと下げて礼をした。晩秋の冷たい風は私たちの別れを…
「寒いですね…」
「さもありなん」
別れを惜しむのもほどほどにし、私たちはすぐに車に入った。暖房をつけるにはまだ早いが、人が集まればちょうどいいぐらいの温度だ。エルが助手席に乗り込むと運転手はすぐに車を走らせた。態度からしてこういうことに慣れているのだろう。憲兵であったならもう少し面倒くさかったはずだ。彼らは機密事項であったとしてもすべてを知ろうと介入してくる…とはお父様の談。
「今までどのような生活をしていたかは分からないが、兵舎…いや、官舎に部屋を用意させよう。佐官用の部屋であれば問題ないか?」
「今までは佐官用の空き部屋を使っていましたので問題ありません。アレクト様は寛大なお方ですから」
「…少尉が佐官用の部屋か。たとえ内装がほとんど変わらないとしてもある程度反発はあるか。だが、まあ、その時はアレクトの権威を前面に押し出してどうにかするとしよう」
そんなこんなでスムーズに話は進んでいった。部屋の手配はすぐに終わり、使用している武器と魔動力機の型式の確認。そして、階級の確認。
「カリン少佐、ひとつ質問してもよろしいですか?」
「少佐で構わん。それで、どうした?何か疑問に思うところでもあったか?」
「確か、魔導兵には陸軍学校で士官課程を修了している必要がありませんでしたか?」
「本来ならばな。だが、今の新大陸でそんな贅沢なことをしている余裕はない。魔導適性のある人間は幼児と高齢者を除いて全員が前線行きだ。士官課程は、それを生き残ってからだな」
「新兵である私たちが教導官も無しに前線に放り出された時から新大陸では何か異常なことが起こっているとは思っていましたが…」
まさかここまでとは。となれば、私たちが偶然にもカリン少佐に拾われたのは幸運だったのだろう。全くの想定外だったとはいえ、良い方向の偶然は大歓迎だ。
「それと、アレクトが死んで魔導人形になったことについてはお前の父のリーベルト様だったか?がヴエルフォードのバックについている以上心配はないだろう。こちらが何かをする必要は無い。だが、ライレン大将閣下には話を通しておくか」
「ライレン閣下とは、もしやあのレーリッヒ・フォン・ライレン様のことですか?」
「そうだ。…まさか、アレクトは閣下と知り合いなのか?」
「いえ、お父様のかつての上司だったというだけで、知り合いというわけではありません」
「…そういえばアレクトは五大貴族だったな。立ち振る舞いが全く貴族らしくないせいですっかり失念していた」
少佐は私に何か言おうとしたがどうやらすぐに納得したようで、座席に深く腰を据えて考え事をするように腕を組んだ。太陽はちょうど少し眩しすぎるぐらいに輝きながらパナーヴ海へと沈んでゆく。
「そろそろだ。官舎に到着したら今日はひとまずゆっくり休め。必要ならばカウンセリングも受けろ。初陣だからな。お前が弱っている姿は想像はあまり想像できないが…」
私はカリン少佐の言葉に頷く。そうだ、死ぬのは御免だ。まだ家の皆にすら再会できていない。恐らくお父様の手のひらの上で踊っているに過ぎないのだろうが、とにかく死ぬわけにはいかない。一度踊るのならば最後まで。無茶なアドリブを入れるのは良くないだろう。それこそ、太陽が東から昇って西に沈むように。私は車窓から見える景色を見ながらそんなことを思った。




