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異世界戦線  作者: Chira
第一部 新大陸編
4/36

南部戦役〔下〕

「…カリン少佐、出撃命令がきた」


「どうした?確か今日までは一応の休暇が与えられていたはずだと思うが」


ランカラ司令部のとある一室にて。部隊再編のためにめぼしい魔導兵を探していたカリン・セラント魔導少佐は、レーリッヒ大将の側仕えの魔導人形であるリャードの突然の来訪に眉をひそめていた。彼女自身はリャードのことが嫌いというわけではなかったが、いつもレーリッヒ大将閣下からの伝言を持ってくるのがリャードだったというわけで、つまるところカリンは彼女の来訪に嫌な予感を感じていた。


「…特別脅威度区分E3が戦場に出現した。カリン・セラント魔導少佐には出撃命令が出ている」


リャードはレーリッヒから拝見した命令書の内容を暗唱しながら、書類の山に顔を埋めているカリンの表情を伺う。そしてしばらくするとカリンはその山の中から気怠けそうな表情の顔をすっぽりと覗かせ、わざと大袈裟に肩を落として言った。


「…一体どこのどいつだ」


「私には軍令上そこまでの情報は伝えられてない。だけど、とある小隊が脱出に失敗しているらしい」


「現地で聞けと、そういうことか…」


カリンは一度凝った肩を大きく回すと、カップに残った代用コーヒーを飲み干し、ガタンと音を立てて椅子から立ち上がる。


「試製二式を用意しろ。この際飛べればなんでもいい」


「わかった。用意させる。太刀は使う?」


「…ああ、いつも通りの装備を寄越せ」


新大陸戦線は地獄の様相を呈している。昼夜を問わない敵の攻勢に、海上封鎖のための深刻な物資不足。おまけに地獄のランカラ防衛線はある意味で異常なし。民間人の旧大陸への退避はほぼ不可能に近く、海軍は長らく放置してきた燃料不足がついに無視できなくなりリーデンブルグとクラカッサに引きこもっている。少なくとも燃料不足については南方航路を復活させれば解決の目途は立つだろうが、大艦巨砲主義者である彼らは自慢のお船が傷つくのが相当に嫌いなきらいらしい。そこまで思考し、カリンは凝った肩を回した。デスクワークによる疲労の証拠を実感しつつ、彼女は足早に廊下を進む。


「…全く、少し前にお湯を沸かしたところだったんだぞ?」


「分かった。それじゃあ、帰ってきたらコーヒーを用意しておく」


「そういうことを言っているのではない…」


カリンは妙に噛み合わない会話をリャードと交わしながら慣れた手つきで装具を身に着ける。そして長距離飛行用の試製二型魔動力機に魔力を流し、正常に動作することを確認して一つ息を吐く。魔動力機は今日は動いた。そしてまだ予備もある。だが、国はいつまで動いてくれるだろうか?私は動こう。少なくとも、四肢がもげるまでは、太刀の柄を口に咥えて事切れるまでは帝国に奉仕するつもりだ。カリンはそこまで考えると自分が何か深淵と対峙しているような気がして考えるのを止めた。それは、政治家と帝国のありとあらゆるものを握る皇帝陛下の仕事である。例え、目の前にどれほど深い深淵が広がっていようとも。それは、私の役目ではないのだ、と。


「…戦闘区域はF6、民間人の撤退は、完了してる。カリン少佐、頑張って」


「…ああ、確かあそこはまだ要塞線の建築が完了していない場所だったか」


カリンはリャードの激励を背中で受け取りながら航空管制と通信を行う準備をし、大地を蹴った。試製二型は大型なだけあり魔力の消費は激しいが、その分生まれる推進力も大きい。たちまちカリンの体は空中に舞い上がり、曇天の空の中を長年の勘を頼りに進んでいく。そしてふと、遠くに季節外れの積乱雲が立ち込めているのを見つけた。


「…あれか。ということは、恐らく『王子』の黒騎士を誰かが踏んだということか。戦果に目が眩んだ新兵か、はたまたどうしようもない狂人か」


特別脅威度区分E3コードネーム『王子』。その名の示す通り彼の態度は尊大で、服装は戦場に見合わない純白の貴族服。魔導兵と同じようにFからAまでに区分される脅威度には収まりきらないと判断された、人間の理解できる理の外側の存在だと判断された数少ない事例のうちの一つであった。


彼の得物は細剣である。特に目立った特徴の無い細剣。しかし、それと彼自身の身体は底の見えない魔力によって強化されており、非常時を除いて彼との戦闘は禁止されている。それは勿論カリンに対しても例外ではなく、彼女自身も彼と戦うことになるのはこれで三回目だった。


しかし、そんな傍若無人な彼だが、今ではほとんどその脅威に晒されることは無く、実際に約半年前からは戦場で姿を見ることはなくなっていた。それは、時折戦場に現れる鎧を纏った武人、通称黒騎士を倒すことが彼の出現条件だったからだ。『王子』は彼を試金石にし、最低限黒騎士を倒すことのできる実力を持った者だけと戦う。その際に周囲の人間が巻き込まれるのは、彼が目的のもの以外は一切気にも留めていないからではないか、というのが定説となっている。


余談だが、鎧を纏った男の名が『黒騎士』ではないのは、当初の上層部が彼はそこまでの強さは無いためにネームド足りえないと判断したからだが、識別を行う際にはやはり通称があった方が便利なために現在も正式ではないが魔導兵の間でそう呼ばれている。


『王子』は黒騎士を倒すとどこからともなく現れる。彼に目を付けられてしまった者は彼に勝たない限りは生きて帰れることはできない。踵を返して逃げればその背後を失望と共に切り伏せられ、たとえ正面から戦ったとしてもほとんどの魔導兵は彼の剣筋すら捉えることができずにこと切れる。

そんな相手に愚かにも勝負を仕掛けるのは相当の馬鹿か、もしくは碌に訓練すら行っていない新兵だろうとカリンは推測した。後者がどのようにして黒騎士に勝てるのかは、彼女の思考では答えを出すことができなかったが。


「…まあ、犠牲者は、私の望むところでもないからな」


兎にも角にも、軍人としてやれと言われたのだから、カリンに残された選択肢ははいかイエスのみ。別に、嫌なわけではないが。本心か、虚栄かすら分からない今の心情の色を言葉にしながら帝国最強の魔導兵とも評されるカリン・セラントは、空高く上がっていく積乱雲を見上げた。



自らのことを王子だと名乗った彼は確かに高身長で顔立ちも整っていて、極めつけには明らかに戦場で着るべきではない見事な彫琢の施されたタキシードに身を包んでいた。確かに、もしどこかの国の王子様だったとしてもおかしくはない格好だろう。…あ、もしかしてあの人が言っていたのってコードネームのことなのかな?


「一つだけいいですか?」


「何だ?」


一応ここは戦場なので私は貴族だぞと胸を張って言えるわけもなく、及び腰で話しかけてみることにしてみたが、どうやら正解だったようだ。そのことに対して一旦胸をなでおろしつつも、あくまでも細心の注意を払って言葉を選ぶ。


「本当の王子様というわけではないんですよね?ほら、王子様が護衛も無しに戦場に現れるなんておかしいな、と思いまして」


「左様。其方らが私のことを敬意と畏怖を以て『王子』と呼ぶので、私もそう名乗らせてもらったまで。それとも何だ?其方が私に新たな名前を付けてくれるのか?」


「いえ、遠慮しておきます…」


コードネームの名付けは、基本的に第一発見者が行うことになっている。一応どんな名前でもいいのだが、「できることならば」短く、特徴をよく捉えられている名称にしてほしいとの配慮を求められているので、基本的には彼らの雰囲気をどことなく踏襲した熟語が宛てがわれることになる。言われてみれば、確かに…と、知らない人に思わせるようなネーミングセンスが名付けには問われているのだ。


それに基本的に一度決まったコードネームが変更されることは余程のことがない限りありえない。そして彼はあろうことか、こちらが付けた『王子』という名前を気に入り、自ら名乗ってくれているのだ。本人に直接名前を確認できることが何と当たり前で、何とありがたいことかが今更ながら実感できる。


「ふーむ…其方は、まさか気まぐれに下界に降り立った女神様であられるのかな?」


「何を頓珍漢なことを言っているんですか。私は元々貴族の娘で、なぜか半年眠っていたら次の瞬間には戦場に立つことになっていた、自分で言うのはあれですけど奇妙な少女ですよ?」


何が彼の琴線に触れたのかは分からないが、『王子』は私の上から下までを少ししつこいぐらい眺めると感嘆したように溜息をついた。私の容姿はそこそこだとお父様は言っていたし、もしかして一目惚れでもしたのかな?とも思ったが、アレは多分違う。…好きにな人に刃を向けるなんて、一体どんな変態ですか。


一方で、私の脳内では二度目の死の感覚が脳裏によぎっている。自殺志願者でもないんだし、戦わなくていいなら今すぐここから離れたい。一応話している途中にも何回か魔力通信を行おうと試みたが、やはり空気中の魔力が乱されていて繋がらなかった。今更にはなるが、あの時声を無視して飛んでしまえばよかったという後悔が脳裏をよぎる。逃げられたかは怪しい所だが、きっとその時は、文明人としての死を迎えることができただろう。


「私と戦うがいい。相応の実力を示せば、其方を認めてやろう」


「私が戦わないで尻尾を巻いてここから逃げるとは思わないんですか?」


「それができるとでも?」


『王子』は今までの柔らかい笑みを不敵なものに変え、細剣の剣先をこちらに向けてた。尖った細剣の先端は私の喉元を捉えていて、思わず固唾を飲み込む。結局戦うことになるのなら、最初からそうして欲しかった。そうすればなんとか和解しようと頭を悩ませる必要もなかったのに。結局、アレは前座だった。互いの譲れないものが分かっているというのに、無駄に時間を浪費する、美しくも合理的とは程遠い行い。


「其方も分かっているだろう。体の中を巡る力の奔流は既に自身がその肉体を人間たらしめるものではなくなっていることに。神に選ばれたのだ。そして同時に神になるのだ。我々はそのために立ち上がっている」


「もしかして、私を殺したのは貴方だったりします?」


「何?」


回りくどい言い方と、すらっとした体型から、もしかしたらあの時私を拳銃で殺したのは『王子』なのか?と思って聞いてみたが、反応を見るにどうやら違うらしい。『王子』は一度眉を顰めたが、やがて決意を心に抱いた顔つきでこちらに向き直る。


「まさか、すでに目をつけられていたとは。ならば、不本意ではあるが力を以てこちらの軍門に降ってもらう他あるまい」


この調子だったら戦わずに済むかも、そんなことを考えていた一瞬前の自分を殴ってやりたい。『王子』は再び敵意を露わにし、剣を煌めかせた。周囲に漂う強烈な死の気配は魔力のせいなのだろうか。呼吸ができないような錯覚に襲われ、本能が彼は生物ではないと訴えかけている。


…不味いかも!!


内心でそう思った時には既に手遅れだった。『王子』は私に向かって細剣を振りかざし、私は咄嗟に剣を抜いてそれを受け止める。だが、さっきの戦闘とは違って手に伝わる衝撃が桁違いだ。この軽い一振りだけで鎧の男の一撃以上の威力がある。恐らく魔力を使っているからなのだろうが、そもそも剣の技量からして勝てている気がしない。勝機は無くなるかもしれないが、ひとまず守りに徹して攻撃をいなす。


「ふむ、聡いな。だが、それでは結局時間の問題だぞ?」


「ですが、私はその時間ですら、惜しいと思ってしまうのです」


心臓を狙った刺突を身を翻すことで避け、一見隙が生まれたように見える背後へ潜り込む。魔力を使い過ぎているせいか、心臓の鼓動が苦しい。血管が今にも千切れてしまいそうで、肺は血液に酸素を供給し続けるためにただひたすら空気を吸い込ませるように脳に命令を出している。このままではもう長くは持たない。…だけど、この程度のことすら耐えられなければ私の命はここで終わってしまう。


「惜しいな」


しかし、『王子』の後頭部には三つ目の目でもついているのか、私の背後からの一撃を細剣は軽々しく受け止めた。そして彼の手によって無造作に振るわれた一撃が私の肩を掠める。斬られた部分から血が滲み、肉が斬られた感覚に足がすくむ。


「くっ…!」


「その程度か?」


一度剣を地面に突き刺し、空中で身体を捩じって地面から『王子』を抉る。雨が降らず固まっていた大地も身体強化が施された肉体からすればいとも簡単に耕すことができるが、肝心の『王子』には僅かに避けられてしまった。しかし、私の攻撃はどうやら『王子』の意表を突くことができたようで、スーツに付着した土埃を彼は不愉快そうに掃った。


「やるではないか。だがっ」


『王子』は私の構えを斜め下からの斬撃で崩すと、そのまま空中で一回転。横薙ぎだ、私は直感でそう判断し、迷いなく体を後ろへ仰け反らせる。曇天の空の下を一筋の閃光が煌いた。衝撃波に近しいものがその後に続き、私の前髪を乱すが、今はそれで済んでいるならば問題ない。致命傷にならなければ、まだ戦闘は可能だ。


腹筋に魔力を流し、無理矢理仰け反った上半身を起こす。チャンスだ。『王子』は右肩をこちらに向けていて反撃することはできない。もちろん、彼が今の私の姿勢から何か有効打を出すことができないと判断してなのだろうが、甘い。魔力を使えば、本来ならば問題ない攻撃の後隙も致命傷なものとなる。


「っ…!」


「詰めが甘いぞ。その証拠に、最初から視線は合っているだろう?」


しかし、決定打になるだろうと思っていた剣による刺突は、再び視界を横切った閃光によって遮られた。いつの間にか、『王子』は剣を逆手に持っている。ナイフならまだしも、細剣を、こちらが認識できない速さで。


剣が空中に放り出される。そしてしばらくの間宙を舞うと、地面に突き刺さった。取りに行こうと足を一歩踏み出したが、今度は一瞬の閃光ではなくしっかりと形の捉えられる細剣よって道を遮られ、視界を上げる。


私は咄嗟に自決用の拳銃を取り出し、迷うことなく安全装置を外して『王子』に向けた。…きっと、彼の実力ならば放たれた弾丸も真っ二つにしてしまうだろうけど。それでも!


「態度は満点だが、その瞳に殺意がない。それでは虚勢を張っているようにしか見えないぞ?」


「…私としてはできるだけ必死にやっているんですけどね。足りないですか?」


「そうか」


『王子』は寂しそうに一言だけ呟くと、その後は何をするでもなくただこちらを見つめていた。アイアンサイトの奥にぼやけた『王子』の姿が見える。


「偽りの見栄を張ったとて…いや、たとえ形だけでも戦って死のうとしている誉れ高い騎士にそのような言い方をするべきではないな。ならば、手向けの代わりに見せてやるとしよう。これが、魔力の真髄というものだ」


細剣が天に向けられ、曇天の空にもかからわずそれは一瞬眩い輝きを見せた。『王子』の髪が逆立ち、空気が震え始める。嫌な予感がする。いや、予感ではない。これは確信だ。私は今まさに死に一歩足を踏み込んでいる。理由もわからずに殺されるという不条理が、この世の何事よりも耐え難いのは一度目の死で知っている。だから、私は心の底から湧き上がってくる「何か」が、恐怖ではなく怒りであると理解している。


『王子』はどこか誇らしげに剣を鞘に納めた。そして、私はどこからともなく吹いてきた風に促されるようにして上を見上げる。そこには、彗星のように尾を引いて大地に降りるいくつもの白銀の筋があった。美しく、そして残酷な二度目の死は、既に私の喉元に突きつけられ、今まさにそれは貫かれようとしていた。



「高度六〇〇、バイタル、体流魔力共に異常なし。カリン・セラント、これより突入する」


『ちょっと待ってください!高度六〇〇ですよね!?もっと手順を踏んで降下してくださ…』


突入連絡ために開いた魔力回廊を切り、一気に高度を下げる。少しだけ温い空気をなっていくのを肌で感じ、視界を地面へ向けると邪悪な魔力の気配と微弱ながら性質の違う魔力の二つが地上から確認できた。


「…パージ。武装に異常は無し。身体強化は正常に作動。魔力集積も正常。…だが、既に大規模魔法の兆しがあり。大規模な魔法を打ち消すのはあまり得意ではないのだがな。やるしかないか」


試製二式魔導動力機を切り離し、魔力を込めた太刀を抜刀する。標的は特別脅威度区分に指定された『王子』だが、やることはいつもと変わりはない。殺すか追い返して自分はきちんと帰還する。護衛対象がいるのが少しばかりネックだが、たまにはそれくらいのスパイスがあった方がいいだろう。


「雷霆」


私が太刀に魔力を籠めながら囁くと、辺りは俄かに紫色の光に包まれた。太刀は紫電を纏い、私は一度落ちる身体を捻って背中を地面に向ける。ふと魔力の奔流を上空から感じたので見上げてみると、そこには雲を突き破るようにして三つの白銀の筋が地上に降りてきていた。『王子』の得意とする大規模魔法だ。名前は…何だったか。奴と剣を交えたのも大分前なのですっかり忘れてしまった。


…『王子』と最後に戦ったのはおよそ一年前。丁度、このような季節の時だったはずだ。そう考えると、どうして下にいる魔力の片方が『王子』だと確信を持てた?もう少し正確に波長を調べるべきか、いや、まさかな。あのような魔力を纏った存在など魔導兵にはそうそう存在しない。ないし、こちら側にはめぼしい魔導兵もいなかったはずだ。私の杞憂だろう。


一瞬脳裏に浮かんだ疑念を振り払い、私はその三つにめがけて斬撃を飛ばす。魔力の籠った斬撃は空間を歪ませながら目標目がけて飛んでいき、命中すると派手すぎる爆発を上げた。バランスを崩しかけたが、ギリギリで踏ん張り、頭を下げる。


「…後は、本体だけか」


身体強化によって透き通るような視覚で地面を見下ろす。幸い、『王子』はこちらの気配に気が付いたのか戦闘を止めているようだった。開放した魔力は眩い紫色の光となって私を呑み込もうとするが、気合でそれを必死に抑えつけ、割れ始める空間を是正する。


『…なさい』


「くっ、またか…!」


魔力が高まると何故かどこからともなく声が聞こえてくる。身体強化によって聴覚は抑制しているので、恐らくは魔力を使って私に声をかけてきているのだろうが、できることなら静かにしていてほしい。ただでさえ空間の是正のために集中しなければならないのに、ちょっかいをかけられてはたまったものではない。


『…を』


「五月蠅い!」


煩わしい、気持ち悪い、目障りだ。そんな怒りを半ば八つ当たりのように『王子』へと向ける。ストレスの効率的な解消法は手の届く範囲にいるものにそれを振るうことであり、届かない遠い人間へいたずらに手を伸ばして無を掴むことではない。そんな言い訳をしながらも太刀は正確に『王子』の身体をめがけて振り下ろされ、同時に紫色の斬撃が飛んだ。


斬撃によって砂埃が吹きすさぶ地面に着地する。視界は晴れないが、『王子』の魔力の波長によって大体誰がどこにいるのか理解できる。太刀を魔力の先に向け、視界が晴れるのを待つ。


「「え?/へ?」」


だが、晴れた視界の先には少し疲れた様子の少女が私の方を見て怯えていた。確かに魔力は捉えていたはずだ。邪悪な、まさに特別脅威度区分E3の名に恥じない魔力を。


「あ、あの…」


だが、私の目の前にいるのは怯えた目でこちらを見る少女がひとりだけ。それも、帝国の軍服を着ている。恐らく、脱出に失敗した小隊の分隊員の一人なのだろう。ならば、『王子』は…?


咄嗟に後ろに振り返る。ならば。『王子』は一人しかいない。旧大陸の方には二人でひとつのネームドを共有する存在も確認されると聞くが、そんな例外のような存在は滅多にいないだろう。たとえ交戦履歴の少ない『王子』だって、そちら側ではないはずだ。


「久しいな。帝国の戦姫よ」


視界が晴れると『王子』は不敵な笑みを浮かべつつも帝国式の軽い挨拶をこちらに向けて行った。彼の細剣は鞘に戻っており、おそらく敵意が無いことの証明なのだろう。


「この少女は譲ってもらおう」


まずは話の主導権を奪うためにも強めの口調で『王子』に言い放つ。彼は明確な意志がある人間には何かを強要するようなことはしない。つまり、堂々としていればいい。剣先を向け、確固たる信念で行動しているのだと態度で示す。


「私が嫌と言ったらどうするつもりだ?」


そして、いつもと一言一句違わない言葉が返ってきた。これの返答に迷いを見せてはいけない。一見脅しのようにも受け取れるが、そうではないことは彼の姿勢を見れば明らかだ。どちらの手も剣に触っていない。つまり、奴は分かっているのだ。私が一度決めたことは決して譲らないことを。…分かっているのならば、黙って退いてくれればよいものを。


「その時は、叩きのめすまでだ。王子だろうと、他のE3が相手だろうと変わらん」


「変わらないな。その心の刃を、決してなまらせるなよ?」


「貴様に言われる筋合いはない」


「そうかもな」


太刀が空気中の魔力を感じ取って淡く光ると同時に、『王子』は姿を消した。どうやら、あの瞬間移動は魔力を使っているようだ。もしかするとそう遠くない未来で魔導兵も瞬間移動ができるようになるのやも、そんな絵空事を考えながら太刀をしまう。


「…後始末が、面倒くさくなりそうだ」


何故か普段ならば絶対に口にすることのないであろう口が零れ落ちる。ほんのわずかな休暇が台無しになったことを怒っているのか?とも考えたが、そんなことはないだろう。…分かっている。見逃しかけたが、確実に忘れないであろう違和感が、私に対して警鐘を鳴らしているということぐらいは。


…あの少女は、いったい何者だ?

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