南部戦役〔上〕
「おかしいですね?」
「はい。おかしいです」
「どうしてこうなってしまったのでしょうか?」
「上層部の愚策、とだけ」
「エルは謙虚ですね。私がいるのですから上層部が信じられないくらい阿保だとか、それくらい言っても問題ありませんよ?」
ベルケンクル航空工廠で基礎中の基礎訓練を行なってから四日後。私はなぜか聞いていた話とは違い、ランカラ近郊を流れる大河川、ナイゼ川にて係争地の偵察任務に就いていた。ランカラに到着すると否やこれだ。話に聞いていた訓練大隊に配属されるなんてことはなかった。残念なことにヴエルフォードの予感が的中したということになる。嫌な予感というのはこれだから嫌いなのだ。経験則に基づいた根拠のない予想がこんなにも当たるのは、いくら確率がそれを約束するものではないと分かっていたとしても、理不尽さを感じずにはいられない。
「訓練すら碌に行っていない新兵など、良くて迷惑だと言っていたのは一体何だったのでしょうか」
「アレクト様の魔力量に目が眩んだのかとも思いましたが、あのやつれた様子の教導官を見るに、キャパの限界でもあったのでしょうね。大隊にも関わらず連隊規模の五十人もの魔導兵を収容していれば教える身も体が持たなかった、と考えるのが自然なのかも知れません。…弾かれたこちらの身にもなって欲しくはありますが」
流石に今回ばかりは公平性を欠いてでもエルの言葉に深く同意せざるを得ない。弾かれた身の気持ちとは言うが、言い換えればそれは弱者の気持ちでもあるのだろう。戦費捻出のために帝国の社会保障費が削減され、病院の割合負担が無くなった時のデモは圧巻の一言だった。その時はそんな元気があるならば病院に行く必要もないのにと思ったりもしたが、あれは今考えれば自分の保身と言うより、見捨てられるという孤独感から来るものだったのだろうと理解できる。
「まあ、こんなところで不平不満を垂らしていてもそれを誰かが聞き、共感してくれるわけでもありません」
「それでは、アレクト様がそれでよろしいのでしたら、私も」
「エルは今の現状に不満を持ったりはしないのですか?」
涼しい顔でそう言ったエルに私はつい、ぶっちゃけた話を振ってみる。私が半年間眠っていたせいで世間知らずなだけかもしれないが、それでもエルは我慢強すぎる。これが従者のデフォルトだと言われてしまえば主人側である私にはそれをただ鵜吞みにすることしかできないが、私はどうしてかその裏に何かがあるような気がしてならない。
「…私は普段から博士に振り回されていましたので、今更ですよ。むしろアレクト様はお優しく、私の私のことまで気にかけてくださいます。これ以上望むものがありますでしょうか」
「それでも、何かしたいことや欲しいものがあったら遠慮なく言ってくださいね。私…は何もできませんが、家の力を使えば大抵のことは叶えられると思います」
「それでは…いえ、何でもありません。ひとまず、目の前の任務を終わらせてからにしましょう。アレクト様」
エルは何か言いかけたが、すぐに首を振って当たり障りなく話を終わらせた。…恐らく長い付き合いになるであろうエルには私にも気兼ねなく接してほしいですが、やはり私はまだ信頼のおける主人として見做されていないのでしょうね。
気を取り直して、エルから装具を受け取って偵察任務を行う準備を始める。装具といっても魔導兵という体を動かす職種柄、空を飛ぶにもかかわらずパイロットのようにパラシュートに酸素マスクなどと嵩張るものを持っていく訳にはいかない。したがって、身に着けるのは最低限魔動力機と体内の魔力を同期させるための装置と魔動力機を固定するためのベルトをするぐらいだ。例え低空だとしても空は地上より寒く、そして風というより気流が吹き付ける。つまるところ、夏場はまだいいかもしれないが、冬は寒い。勿論晩秋が深まる気配を見せている今も言うに及ばず、もしかしなくても度数の強い酒を気付けに一杯煽ってくるべきだった。
「…?ああ、そういうことでしたか。なるほど、これが常識が強制的に捻じ曲げられているという違和感。死んでから半年後に目覚め、そして今こうして大地に立っているという現実の正体はそういうことだったのですね」
──この世界には、魔法がある。
今更ながら私はそんな非現実的な現象をようやく飲み込むことができたようで、少し眩暈がするような錯覚に陥った。戦場を肌で感じて怖気づいたとは是非、空気を読んで言わないでほしい。
先人が築き上げてきた一見完璧なように思えた法則は、魔法という突拍子もない概念によって現在進行形で破壊されている。火を付けようと思えば指先には火が点り、水を手から出そうと思えば水を出せる?魔力の身勝手さには呆れ返ってもはや言葉が出てこない。物理法則とか何とかやらが音を立てて崩れ去っているのを被害者でもあり、そして加害者でもある私は一体どんな気持ちで見ていればいいのだろうか。
「結局は、慣れなのでしょうけど…」
何事にも慣れは必要。人間はその中でも特に人との新たな出会いにその必要性を感じる。つまり、こんなことも一介の兵士として戦場を駆け回っていればいつの間にか常識に…なるとしても、やっぱりその現実を素直に受け止めたくはないですね。
それと、せっかくの機会でもあるので現状を改めて確認するべきだろう。一体、私たちの誇りであったはずのコルト帝国は何故こんなことになってしまったのだろうか。私の成り行きもなかなかに滅茶苦茶だが、今の帝国の現状もそれと肩を並べるぐらいには酷いことになっている。約三千年の歴史を持つ帝国は世界大戦を見事勝ち抜いてみせ、今や合衆国と肩を並べる覇権国家。…のはずだったのだが、だとすれば現状は一体どういうことなのだろうか。いや、むしろ私の方がその理由を説明してもらいたいぐらいだ。
とりあえず、世界大戦後の失策のことは置いておいて、私が半年間も眠っていた間の話をしようと思う。私が謎の侵入者によって殺害され、魔導人形になるこの半年の間に帝国は旧大陸で交通の要衝グテラスフルトを奪還したはいいが、一方の新大陸では前者の攻勢のために兵力を引き抜いたために敵の攻勢に耐え切れず、一大拠点であるランカラまで戦線が後退してしまった。
それだけならばまだよかったのだが、杜撰な撤退計画によって大量の小銃と輸送車両を失い、その穴を埋めるために魔導兵を碌な訓練すら行わずに前線に回しているという始末。
無論、そんなことをしていればしばらくの間はどうにかなるかもしれないが、限りのある人的資源はいずれ底をつく。そして魔導兵は元々魔力を持っているという前提条件が必要になるので、さらに動員できる人数は少ない。魔導兵は人間という最も乱雑に扱ってよい消費財から生まれるものではあるが、前述したように魔導適性を持つ人間は限られている。そのため、全成人徴兵を行った場合のような額面上だけの数をそろえることすらままならない。
魔導兵は悪化していく戦況の特効薬ではあるが、それを乱用してしまっていてはむしろ帝国にとっての毒となる。それが無くなった時、帝国は立ち直れなくなってしまうからだ。
しかし、帝国はそれに計画も何もなしに手を出してしまったばっかりに、既に戻れないところまで来てしまった。薬を求める帝国の必死具合は、今まで見向きもされてこなかったF等級の魔導適性者にもなりふり構わず恋文が送られてくるという現状を知ってもらえば理解してもらえることだと思う。もしかしなくとも、帝国から魔導兵がいなくなるのもそう遠い話ではないのかもしれない。そして、その時は帝国の終わりか、戦争の終わりのどちらかしか無い。
以上のことを勘案して現状を評価するに、今の帝国は崖っぷち。新旧両大陸で三千年の歴史を持っていた誇り高き帝国は、あろうことか今にも母なるホワロ海に叩き落されそうになっている。それを回避するためにも私たちは死力を尽くさなければならないのは分かっているけれど、やはりまともな訓練期間すら与えられないというのはもう溜息を吐くぐらいしかできない。
今の私はつまるところ、無茶ぶりをされているのだ。そして、その無茶ぶりのハードルのなんと高いことか。これで私に成果を求めるのはどうかしている。一昔前の貴族だって、流石にそれぐらいはわきまえていたはずだ。
とは言ったものの、今の私に拒否権なるものは持ち併せていない。そんなものは生前に置いてきてしまった。五大貴族の御令嬢から官僚主義の奴隷にジョブチェンジとは、随分と凋落の激しいものではあるけれど…上手く話に乗せられてしまったからにはやるしかないのだ。少しでも事態を前向きに捉えられるようにネガティブな思考を常に前向きなものに変換しながら、最低限外面だけでは平静を装う。
私は自分を魔導人形にしてほしいとお願いした覚えは無いけれど、お父様に振り回されるということは昔から経験してきたのである程度は慣れている。慣れているつもりでいた。それは一種の自負であり、自信でもあった。けれど、今は言わばイレギュラーに見舞われている。きっとお父様もこれからどうするかと頭を悩ませているに違いない。あそこで私があろうことか射殺されるなど想定外のはずだから。…もしそれすら考慮していたとしたら流石に気持ち悪いと評価せざるを得ませんからね。
生き残らなければならない。リーベ家という無駄に長い歴史とお父様の名声により支えられている家名の後ろ盾を再び得るまでは独力で。戦場で死ぬのは一昔前の貴族ならば忠義を果たしたと一定の評価が下されたのかもしれない。だけど、今ではそんなことがあればお笑いものだ。私の葬儀は皆内心では私のことを小馬鹿にしながら開催されることになるだろう。死ぬことも、そしてそんなことになるのも私は御免である。
そして、いくら戦況が悪化の一途を辿っているとはいえ、最初から困難であろう任務が回ってきたわけでもない。そう、まだ私は死ねと言われている訳ではないのだ。今回は飛行訓練も兼ねて哨戒任務を行うだけ。飛び方を間違えて地面に真っ逆さまにならない限りはそうそう怪我をすることすらないであろう安全な任務だ。ひとまずは、そう思い直して携行食料を貴族らしさのかけらもなく豪快に一口で飲み込み、乾いた口に水を注ぐ。
「近場の指揮所から救援要請が来ていますが、どうしますか?戦闘区域に救援として駆けつけることも出来なくはないですが」
「いいえ、私たちの任務はあくまで偵察だけです。遊撃ならばともかく、そもそも戦場に行ったとしても実戦経験の無い部隊はよくて足手まといが精一杯だと言い訳のように何度も反芻しているではないですか。今は大人しくしておきましょう。無理をして私たちまで窮地に陥っては元も子もありませんから」
地上部隊に一々魔導兵が駆けつけていたらそれこそ本当に戦争が終わるまでそれを続けることになってしまう。魔導兵の役目はそうではない。目には目を歯には歯を、魔導兵は魔導兵らしく高脅威目標であるネームドを探して殲滅する。どこかの魔術師さんみたいに対歩兵用の便利な術式を持っていれば別だが、残念ながら私にはそんなものは持ち併せていない。自分にできることを少しずつ、謙虚な心構えでいこう。だから、今回は偵察任務だ。一応と支給された剣を抜く必要もない。
「まあ、それについてはそうするとして…」
最後にもう一つ不満を言わせてもらうとするならば、私たちの所属されている小隊の欠員具合には苦言を呈さなければならない。定員六名の正体に配属されたのは何と私とエルだけ。上級魔導兵は人手不足とはいえ、これはいただけない。エルは私の分隊員としてよくやってはいるがこれで小隊です、と言われるのは相変わらず上の思考を疑うばかり。
「アレクト様、どうぞ」
「ありがとうございます」
エルから筒状の鉄の塊、魔動力機を受け取りそれを指定の手順でベルトに繋ぎ合わせる。三式魔導動力機関乙型…幸いにも、試作段階の魔動力機が今回の私の相棒になった。携帯性を重視し、飛行しない場合は折り畳めるように設計されたが、その代わりに量産性は悪化。エース部隊にのみ提供される予定だったが、そこはヴエルフォードが気を利かせてくれて倉庫に眠っていたものをいくつか拝借してきてくれた。「私は兵器開発局の局長です。これくらい、上は目こぼししてくれますよ」とは本人の談。
「順番に点火していってください。…点火という言い方が正しいのかはわかりませんけれど」
魔力を流すと排気口から青白い光が漏れ出し、体が宙へ浮かぶ感覚に思わず息を飲む。
「アレクト様、もう少し魔力を絞った方がよろしいかと」
「ええと、こうですかね?」
エルに言われた通りに体内から魔動力機へ回す魔力の量を減らしてみると浮遊感が少なくなった。先ほどまでのように勝手に体が浮いてしまうようなことはないだろう。
エルは背中に背負っている通信機のようなものからヘッドセットと計器を取り出し、触れる針をしばらく眺めてからこちらに目配せしてきた。
「…それでは、ぼちぼち偵察任務をはじめましょうか」
憂鬱な気持ちを押し殺して地面を蹴り上げると私の体は見事に空に浮かんだ。鳥が見る景色はこのようなものなのかと感嘆の溜息を零しながら身体を前に傾ける。すると、眼下に見える景色が目まぐるしく変わり始めた。ひとまず、飛行テストは成功だ。
「バイタルにも異常はなし、と」
特に魔力に乱れが無いことを確認しつつ高度を八十まで上昇させる。そして今度は速度をエルの指示に従って巡航速度に指定されている百十四キロまで上げる。そして一応ないとは思うが、上空をチラチラと確認して友軍機に誤認されないように胸の前で十字を切る。しばらくは空の旅になる。少し高度が高すぎて足が竦みそうになるけれど、ガマンガマン…
「アレクト様、地上に魔力反応が確認できました」
しばらく川沿いを優雅に飛行し、ホドーレ川とナイゼ川の接合部に差し掛かってきた頃。私がそろそろ方向転換をするべきかなと思っていると、計器と睨めっこしていたエルが私に接近して不吉な内容を呟いてきた。
魔力反応が計測された、単純に言えばこの近くに敵がいるということである。そして、こんな小型の計器で魔力の波長が計測されたということは、その魔力の主は相当の実力を持っているということになる。帝国にとって際立った脅威となる存在だと認定されたネームドか、それともそれに準ずるものか。
「波長で識別はできますか?」
「少し待ってください……あれ?おかしいですね、どうやら未登録の個体のようです。警戒度は不明。アレクト様、気をつけてください」
「まさか初戦からネームドクラス程度の実力者と思われるアンネームドとの戦闘ですか。…つくづく私たちには運がないですね」
エルが指定した座標から感じる微弱な魔力と今の位置を目測で確認し、方向を緩やかに変更する。…館での銃撃、そして約束と違う配属先、終いにはネームドクラス。…一刻も早く家に帰らせてください!そして、柔らかいベッドで、安らかな眠りを!
「エルは司令部に戦闘開始の報告を入れてから私の援護に回ってください。ですが、無線機を積んでいるのですからくれぐれも無理は禁物ですよ?」
「了解です。少しの間だけ離脱します。ご武運を!」
二人だけの編隊から離脱し上昇していくエルを横目で眺めながら、私は魔動力機に逆向きの魔力を流して減速させながら、ゆっくりと降下していく。
「…よし、これぐらいの高さからなら大丈夫かな」
装備をパージして重力に身を委ねる。高速で移動していた身体は地面を滑り、最近雨が降っていなかったせいか少し乾いた地面からは砂埃が舞った。そして威力をいなしつつも姿勢を制御しながら剣を抜き、標的に視界を定める。護衛の対象はいない。実戦には少し早いかもしれないが、剣技は幼い頃からお父様に一般教養として叩き込まれてきた。一応、最善は尽くしてみよう。体に魔力を流し込んで身体強化を施し、目一杯大地を蹴り上げる。
「…大きいな。黒く見えるのは、鎧を着ているせいかな?」
標的は背中に背負っている自身の身長より長いのではないかと思える両手剣を引き抜き、軽々しく構える。純粋な質量による攻撃は、きっといとも容易くこちらのことを磨り潰すことができるだろう。けれど、その代わりにこちらには速さがある。当たらなければどうということは無いのだ。そう、当たらなければ。
速度を保ったまままずは一撃。両手剣の間をすり抜け鎧の男の懐に潜り込んだが、鎧によって剣は弾かれ、戦場にカンと甲高い音が響くにとどまった。支給された剣は貴族が決闘用に使う細剣より太く、そしてもちろん重い。それでも、鎧に対してはどちらも傷をつけることしかできないのには変わりはないけれど…ズザッ、と地面を滑走し、標的と向かい合う。私を攻撃するならば減速した今が好機のはずだが、あちらはあまり自分から攻撃する気は無いらしい。表情は分からないが、先ほどと変わらず両手剣を軽々と構えている。その余裕が羨ましい。
「鎧を叩き割るには無理がある。だけど、鎧の隙間を狙うにも剣が太くて無理…」
もう一度懐に入り込むことを試みる。振り下ろされる両手剣を身を翻させて回避し、兜の隙間を狙って刺突をお見舞いする。…が、やはり剣身が太いせいで本体を直接攻撃するのには無理があった。何度も繰り返せば金属が披露して隙間ができて狙えるようになるかもしれないが、どちらかといえば徒労に終わる可能性が高い。そもそも、今の私には同じ部位を何度も狙って攻撃するようなことができる技量がない。鎧の男は先ほどより頭部への攻撃を警戒して剣を高めに構えている。次は無い、というところだろう。
「なら…」
今度は素直に何度か打ち合ってみる。もしもその両手剣を避けることができなければ私はすぐさま真っ二つだろうが、幸いにも彼の動きは鈍重で、攻撃も大振りだ。身体強化によってより鋭敏になった反射神経によって間隙を縫うようにして攻撃を躱し、鎧の同じ部分を執拗に攻撃する。だが、いや、やはりと言うべきだろうか、私の貧弱な肉体では鎧を叩き割ることは相当な無理難題であると、少し打ち合っただけですぐに理解することができた。今のところ鎧には傷しかつけられていない。筋肉量の絶対量が足りないのだろう。無理に身体強化を行うという手もあるが、それは二度と正常な感覚を取り戻せなくなってしまうかもしれないリスクを孕んでいる。
しかし、できるだけ限界を知るという意図も兼ねて、私は少しずつ身体強化の強度を上げていくことにした。蛇口を少しずつ捻って慎重に水圧を上げていくのと同じような感覚で、無理はしないと決めて。魔力を肉体に流していくと、それらは肉体を構成する一部に変わっていき、度心臓は早鐘を打ち、脳は冴えていき、呼吸は苦しくなっていく。
「くっ…」
「…」
しばらくして、装具が斬られてしまうという危険な場面はありながらも、私と鎧の男はいつの間にか互いに距離を取り合っていた。私も、そして彼も、下手すれば肌と肌が触れ合うような近距離戦ではいつまでたっても決着がつかないという結論に至ったということだろう。互いに見合って隙を伺う。このままでは埒が明かない。だけど、恐らくだがこれ以上身体強化を行ってしまえばもとに戻れなくなってしまうと本能が警鐘を鳴らしている。今はこれが限界だ。血管が痛い。少しでも気を緩めてしまえば体の穴という穴から血が噴き出してしまいそうだ。
…でも、やるしかない。ここは、一度冷静になろう。体にいくら身体強化を施しても、結局それは鎧の男と真正面からぶつかりあっているということにしかならない。私の手札はこの使い方の分からない大量の魔力だけ。魔力、そう、魔力がある。人が一度捨てた、夢の塊である魔力を。
「ふぅーっ」
「…?」
身体強化の代償として乱れる心身を落ち着かせながら、一度剣を鞘に納める。目の前の鎧の男はそんな私の様子を見て少しばかり動揺したようだったが、それが抜き打ちをしようとしているのだと悟ると両手剣を構え、こちらへ殺意を向けてきた。どうやら彼は正面から攻撃を受けきるつもりらしい。今までならばそれでよかった。だけど…
魔力というものはその御伽話に登場しそうな名前の通り、現実ならば不可能な現象を見事に現実で出力することの出来る、まさに奇跡だ。水を出そうと思えば魔力と引き換えに手から水が溢れ、花を咲かせようと思えば荒れ地ですら一瞬で一面の花畑にすることができる。
つまり、魔力というものは自分のイメージの具現化を手助けしてくれるもの。とすれば、私が今思い描くべき光景というものは既に決まっている。無闇矢鱈に強めていた身体強化の強度を弱め、今度は剣に向かって魔力を流す。魔力を体外へ放出するのは今回が初めてだったが無事に剣へと魔力を流すことができた。剣は魔力を流されたことで淡く光を放ち、少し軽くなったように感じる。
「よし…!」
確かな実感を胸に、地面を蹴って鎧の男へと跳躍する。私が接近しているというのに鎧の男の男は微動だにせず、刃をこちらに向けて堂々と仁王立ちをしていた。
「シッ…!」
「…!」
タイミングを見計らって剣を抜き、大剣の根元に向かい剣を振るう。今までは確かにそれは障壁だった。だけど、今はもう恐れることは無い。剣にさらに魔力を注ぎ込む。イメージするのはただひたすらに鋭さ。いかなる盾を切断する最強の剣。魔力を流し込み、ながら剣と剣とを間に挟んで鍔迫り合っていると、ふと、パキ、という音が鳴った。私の刃は彼の両手剣を砕いた。根本から切り落とすつもりがバラバラに砕けてしまったのは想定外だが、とにかく、この状態ならば纏っている鎧は既に脅威ではない。私は動揺の色が隠せていない鎧の男に追撃を仕掛ける。
しかし、鎧の男は両手剣は砕かれたが、彼の心に宿す戦意は未だ砕けていないようで、ほとんど柄だけとなった両手剣を投げ捨てると、勢いそのまま私に殴りかかってきた。私は鈍重ながらも確かに質量のあるその一撃を躱し、返す刀で彼の右腕を切り落とす。それによって鎧の男は体勢を崩した。私はそのままためらうことなく彼の首を斬り落とす。おそらく何かしらの金属で作られているであろう鎧も魔力の前では無力で、研ぎたての包丁で魚を捌くかのように彼の肉体は切断された。首を刎ねたことで巨大な胴体は重力に従い大地に伏し、宙を舞った首はしばらく地面を転がると、やがて動かなくなった。
「私の勝ちですね」
「…」
宙を舞った首のところまで歩み寄り、気まぐれにそれを持ち上げてみる。首は確かに斬った感覚はあったが、何故か血が一滴も滴っていないことが不思議だったのだ。兜の中身を覗き込む。…そこは、深淵だった。真っ暗な、人の奥底に眠っている恐怖心を掻き立てる闇がそこにはあった。
「…まあ、いいか。とりあえず、状況終了っと」
無意識のうちに止めてしまっていた呼吸を再会し、剣を鞘に納める。エルの姿は見えないが、しばらくすれば戻ってくるだろう。初戦にしては上々の出来ではないだろうか。交戦したコードネームの脅威度が未定義だったのは残念だが、A適性保持者の魔導兵として決して恥ずかしくはない戦功ではあるはずだ。
『アレクト様!お時間よろしいでしょうか?』
酷使した筋肉を緩めるためにも背伸びをしようとしたその時、エルから短波での魔力通話が飛んできた。わざわざ波長を合わせないでの連絡は送り主に相当な負担がかかるはずだ。それなのにわざわざそれを選択したということは、何か緊急事態が発生したことに他ならない。急いで逆探知をし、こちらも短波で音声を送る。
「どうしましたか?まさか、航空機に捕捉でもされました?」
まさか敵機が高度一〇〇〇メートル以下まで下がってくるとは思えないが、ここは戦場だ。ならば、そういうことがあったとしても何ら不思議ではない。
『いえ、こちらは問題ありません。ただ、司令部に戦闘開始の報告を送信したところ、今すぐ戦闘区域から脱出するようにお達しが来まして…あ、そういえばアレクト様はご無事ですか!?』
「こちらは問題ありません。戦闘はありましたが、軽傷ですんでいます。退避命令が来ているのでしたら、エルはそのまま戻ってください。私もすぐにその後を追います」
脅威度が未登録であるならば、原則として一度交戦するのが規則だったはずだ。この場合はすでに撃破してしまっているので何とも言えないが、ひとまず、脅威も片付いたのでとりあえず言われた通りに一度戻るべきだろう。地面に落とした魔導動力機を探して装着する。撃破して戻ったと言えば、結果的に命令に背いていたとしても多めに見てもらえはするだろう。
『アレクト様を置いて私だけ先に帰還するというわけにもいきません。二人だけとはいえ、一応アレクト様は小隊長なのですから』
「…エルがそれでいいのなら構いません。ですが、命令は既に下令されています。危険があったらすぐに戦場から離脱してくださいね」
『はい。アレクト様も…』
「エル、エル!?」
そして、魔力の乱れによる通信の妨害。この時点で私はとてつもなく嫌な予感がしていた。よくわからないが、とにかく不味い。どうにかしてどうにかしなければ、きっとまた死ぬことになる。そう思わせるのに十分なほど。
いつの間にか天候は急激に悪化し、遠くの方から雷の音まで聞こえてきた。気温はまるで低気圧が直撃したかのように数度下がり、少し肌寒い。高濃度の魔力が充満したことによる天候の急変。つまるところ、私の近くにさっきよりも高脅威のネームドが、こちらに殺意を持って現れたということだ。
「お前か。私の傀儡を倒し、試練を突破したものは」
周囲を見渡していると、私の背後から整った声色の声が聞こえてきた。咄嗟に剣の柄に手をかけて振り向き戦闘態勢を取る。物騒な内容の声掛けをしておいて、まさか味方ですということはどう考えてもないだろう。考えたくもないがエルの最後の通信の内容を鑑みるに、恐らく彼が離脱しなければならない現況を作った張本人。
「ええと、どちら様ですかね?」
ぎこちない笑みで私は貴方に敵意はありませんよと言ってはみるが、彼の右腕で煌めく一振りの細剣が視界に入り、嫌な予感はまさに今確信に変わる。
「人は私のことを『王子』と呼ぶ。其方も、私のことをそう呼ぶといい」
その若々しい外見に反し少し古臭くも感じる言葉遣いの貴公子は、私に対して堂々とそう名乗った。




