リーデンブルグ港にて
「アレクト様、カリン少佐が目覚めたって」
そろそろ下船のための準備が必要かなと思った頃、エルが私の部屋を訪ねてきた。
「本当ですか?」
「はい。医務室まで来るようにと言われましたので、アレクト様にもお知らせに来ました」
私が声のトーンを一つ高くして聞くと、エルも嬉しそうに首を縦に振った。普段からあまり表情を変えない彼女だが、今回は流石に気持ちが表情に漏れている。
「ありがとうございます。今すぐ向かいますね」
髪の手入れを中断し、エルに連れられて船の医務室へと向かう。そしてすっかり見慣れてしまった船内をしばらく歩き、方向感覚が段々と失ってきた頃、ようやくエルの足が止まった。エルはドアをノックし、爪先立ちになりながら扉を開ける。
「少佐!…って、なんだか、紫色じゃなくなりましたね」
「…ああ、アレクトか」
どこか気怠げな雰囲気の少佐は、今まで紫がかっていた髪を完全な黒髪にしていた。私が恐る恐る近づき、傍らの椅子に腰掛けると、少佐はこちらを見て微笑んだ。とりあえず、元気そうだ。しばらくすればいつもと変わらない調子に戻るのだと、医療知識のない私でもなんとなく理解することができた。
「これでは、この前の光景と逆だな」
「そうですね。ですが、あの時と同じように無事でよかったです。…待たせられる側というのは、こんなにも心細いのかと気づかされました」
「そうだな。次からは一人にはしないと、約束しよう。そしてアレクト、お前も私に誓ってくれ」
「はい。これからは死なない程度に努力しようと思います」
少佐は、ベッドから白い足を露わにし、靴を履いた。そして乱れた髪を軽く整え、いつものような鋭い目付きに戻り、こちらを睥睨した。…これが少佐の普通だと分かっていても、やはり慣れませんね。
「リーデンブルグへはそろそろか?」
「はい。間も無く接舷するとのことです」
「なら、厄介になる前にここから去ろう。アレクトもそれでいいな?」
「私もできればそうしたいのですが、その、一つ問題がありまして…」
私はクランハルトとの会話の内容を簡潔に少佐へ話す。そして、私が推測を話さなくとも、少佐は私が懸念していることを理解してくれたらしい。少し眠たげに腕を組んで、表情を苦々しいものへと変貌させた。
「だが、私にできることはおそらくクランハルト以下だ。私にはお前の護衛としてついていくのが精一杯だぞ?」
「え、いいんですか!?」
少佐が自分のことをどう思っているかわからないが、帝国最強の魔導兵が私の護衛をしてくれるというのは、私からすればこれ以上頼りになるものはない。私は少佐の提案を快諾し、少しはしゃぎすぎだとエルに嗜められた。
少佐を連れて荷物を片付け、途中でクランハルトと合流しながら船を後にする。そして、間も無く私は外のあまりの寒さに身を震わせることになった。そういえばすっかり忘れていたが、帝国の首都リーデンブルグは世界の中で最も北側にある首都なのだ。ここの晩秋の寒さはランカラの真冬並みで、少なくとも何かもう一つ羽織らなければ、すぐに凍え死んでしまう。
「少佐、トレンチコートの余りはありませんか?」
「すまないが、これ以上の持ち合わせはない。しばらくすれば慣れるだろうから、少しくらい我慢しろ」
「もう、少佐の意地悪ー」
灰色の空に、雪がチラチラと降る桟橋を身を震わせながら進む。気分は重く、白い吐息はまるで一寸先すらわからない私たちの未来を暗示しているかのようにも見えた。
「ひとまず、陸軍総司令部に向かうとしよう。あそこに行けば、親衛隊長の一人や二人、暇をしているはずだ」
「…そうだな。久しぶりに帰ることになるが、欠員が出たのは久しぶりか」
欠員というのは、おそらくペイルーのことだろう。彼女はかつての第六隊長で、そして今までは生死判定がなされないままの行方不明だった。そして、私があの時彼女を殺したことで彼女は統計上死んだことになった。
「もしかして、私が責められたりしますか?」
「そんなことは万が一にもないだろう。我々に求められているのは結果だ。別に、経緯を聞かれている訳ではない。ペイルーは理由はどうあれ帝国を裏切った。だからお前の行動は正しいんだ」
そう言う少佐の顔は、少しだけ寂しそうに思えた。私だけでなく、少佐もそうやって自分に言い訳をしていなければ理性を保ったまま殺し合いなどしていられないのだろう。そう思うと、自分の心も少しだけ楽になったような気がした。同族意識とはちょっと違うけど、とにかく、一人ぼっちではないことに安心することができた。
灰色の港は私が思っていたよりも人通りが多く、そして賑やかだった。トラックが荷台に大量の荷物を積んで走り去り、その一方では水兵のような服装の人が数人歩いている。それと、これはあまりいいことではないのかもしれないが、寒さにも慣れてきた。爪先と耳は感覚が無くなり、手のひらも赤い。ランカラでの戦いから魔力は完全には回復しきっていないが、身体強化で体を温めてしまってもいいのだろうか。
「…待て」
突然、クランハルトが私たちに向かってそう言った。そして、剣の柄に手をかける。カリン少佐も何かを察知し、魔力から太刀を創造する。私も一応背中に背負っている二本の剣のうち、いつもお世話になっている方に手を添える。…一体何が始まろうとしているのかは、さっぱりですけど。
『何故かわからないが、とにかく囲まれている。アレクト、最悪の場合はエルを連れて脱出しろ』
『わかりました。…とりあえず、今の状況で一番怪しいのはヴェントリス家ですね。まさか、こんな強引な手段で来るとは思いもしていませんでしたが』
少佐は私の言葉に頷くと、太刀に魔力を流し始めた。すると同時に、物陰から数人、いや、十数人ほどの人間が現れる。彼らは海軍式の軍服に身を包んでいて、そして悉くが拳銃をこちらに向けている。
「ヴェントリス家の姫君、この仕打ちは、我々が皇帝陛下に仕える身である近衛親衛隊であることを知ってのものか?」
「…ええ、ええそうですとも!私は、最初からその覚悟でこの場を用意しましたわ!」
クランハルトの声に呼応して、私より一回り小さい少女が物陰からひょいっと姿を現した。そして、彼女の後ろに困った様子でいる執事らしき人物がついていることから、彼女が貴族であり、そしてこれを主導した人物であるということがわかった。
「あなたたちのお義姉様の独占、目に余るものがあります。覚悟してください!」




