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異世界戦線  作者: Chira
第一部 新大陸編
28/36

後処理

アレクトの視点では書きにくい、皆の過去の関係性を仄めかしたお話です。クランハルトとカリン、二人は同じような境遇を経験しましたが、その心の持ちようの違いは一体どこから来たのか。混乱の最中であるランカラと、どうしてか変な決意を抱いてしまったカリンの心との、ダブルミーニングなタイトルに出来たと思います。

「空が元に戻ったか」


「『魔女』はいなくなってる。クランハルト、戦いは終わった?」


剣にこびりついた血を拭いながらクランハルトは頷く。司令部に滞在していた参謀や高級将校面々もようやくただならぬ事態が起こったことに気がついたようで、何やら慌ただしくしている様子がクランハルトの方までよく伝わってきた。


「ひとまず、魔導兵の戦いは終わっただろうな。しかし、さっきのは一体なんだ?アレは、あまりにも…」


クランハルトはランカラをすっぽりと覆う大きさの灰燼に帰す魔法陣(エニウェトク)が消失する直前の奇妙な一筋の閃光を見逃してはいなかった。異質過ぎる。喉から出かけたその言葉をクランハルトは心の中で反芻し、そして直感的に理解した。アレは魔力と類似しているが、何か違う。あまりにも唯一無二で、言うならば神々しい何かなのだと。


「…カリンに聞けば何か分かるか。そもそも、魔力というのは何でもありだからな」


しかし、クランハルトはそんな違和感の答え合わせを先送りにすることで己の無知と未知への恐怖を誤魔化し、よくできた軍人を装うことにした。もし本当に何かただならぬことが起きていたとしても、一介の大佐が知る必要なないことである。貴族と、そして士官としての決して短くはない彼の経歴が、彼自身のことをあくまでも世の中に流され生きていく哀れな人として定義しようと脳にストップをかけたのだ。


「クランハルト、だったら私たちから会いに行こう。少佐はラグノーブルから連戦してるから、もしかしたら魔力切れを起こしているかも」


「…エルがそう言うのならばそうしよう。魔力の残滓から、カリンが今どこにいるのか分かるか?」


「うん。あっち」


しかし、己が無知を装おうとしても、愛する人がその好奇心から未知に手を出そうとしているのならばクランハルトもその危険な旅路に同行せざるを得ない。常識的に考えても何らおかしなことではなかった。何故ならば、今の常識という言葉は魔力という存在によって再定義し損ねているのだから。そんな言い訳にもならない言い訳を脳内で出力しながらクランハルトは久しぶりの戦果に胸を張って戦果の跡を進むことにした。


「…クランハルト、かっこよかった。ネームドをあんなに圧倒することができるなんて、流石」


「そうか?だが、私なんかよりカリンの方がよっぽど様になる戦い方をしているだろう。傍から見れば雷が迸っているかのようにしか見えない戦い方は、青年に下手な憧れを抱かせるに十分なものだ」


最愛たる彼女であるエルに己の働きぶりを手放しに褒められるのは彼にとってもうれしいものだが、クランハルトは達観して言う。自分もかつてはカリンのような魔導兵になれたらなと思って魔導士官への道へと進み、そして今ではまた別の意味で彼女に憧れを抱き続けているが、そうではないのだと。誰かを守ることが出来るということは、限られた人間にしかすることのできないある意味での才能の一種である。クランハルトはそれをただひたすらに求め続けてはいるが、決してその過程である努力を褒めてもらいたいという訳ではなかった。


しかし、エルがそう口にした理由は限りなく恋慕に近しいものだからであり、決して官僚主義的な評価基準で彼の働きを計っている訳ではない。エルは自分の口下手さがあらぬ誤解を生んでいるとすぐに察し、ああでもないこうでもないと言葉を選び、彼と共に過ごせることへの感謝をあくまでも貴族らしさを保ったまま再び言葉にする。


「そうじゃない。クランハルトはとても頑張ってる。少佐が頑張っていないって言いたい訳じゃないけど、それでも、普通の人ならここまですることはできなかった」


「…どうしてそう思う?」


「ここにいてくれるから」


「そうか」


そうこうしているうちに、クランハルトとエルは戦火の跡が伺えるランカラ市街地の中でも、特に焼け焦げ、そして有機物が燃焼した臭いが充満している場所に到着した。煉瓦や地面のアスファルトが所々溶けているのを見るに、恐らくここで戦闘が行われたのだとクランハルトは察する。


「クランハルト、あそこ」


「…屋上か。そこにカリンがいるのか?」


エルはその小さい体で必死に指を指すのを見てクランハルトは脚部に身体強化を施す。


「エル、両手を上げろ」


「…私も身体強化ぐらいはできる」


「せっかく二人っきりなんだ。こんな時ぐらい私に甘えてくれ」


エルはクランハルトの言葉に頬を紅潮させると、おずおずといった様子で控えめに両手を上げた。クランハルトはそんなエルの様子に相好を崩しつつ、そっと両脇に手を通す。


「一応口は閉じておけ。舌を噛むぞ」


「わかった」


そうして短い言葉を交わし、クランハルトは跳躍する。最低限の力で二人は十メートルは跳んでみせ、クランハルトはあくまでも優雅さを保ちながら屋上へと降り立った。


「中々に酷い惨状だな。エル、カリンの魔力を探知できるか?」


「今やってる。…あそこ。ついてきて」


クランハルトはガラス状になって滑りやすくなった床に細心の注意を払いつつ、エルをそっと床に降ろした。クランハルトは魔導適性が低いのもあり、魔力で誰かを識別することはできないが、エルの歩みに迷いが無いのを察し、大人しくその後を追う。


「エルか。…それに、クランハルト」


エルが途中から駆け足になって向かったその先には、貯水槽に背中を預けながら浅い呼吸を繰り返すカリンの姿があった。カリンが呼吸に合わせて肩を上下させているのを確認したクランハルトは一度客観的に彼女の外見を確認する。


ほとんど焼け焦げている軍服と、それに対して一切外傷の無い表皮。クランハルトはカリンが欠損した部位を無理矢理復元するために魔力を使い、その結果魔力が枯渇状態になったのだと長年の経験から判断した。


「クランハルト、カリン少佐の魔力が…」


「言わなくとも分かっている。カリン、立てるか?ひとまずは後方に下がって魔導医に診てもらおう」


「…無駄だ。理由は言えないが、体内に存在する私ではない魔力が暴走状態にある。その影響で私の残り少ない魔力も制御を失い、つまるところ魔力乱流の状態にある」


「だとしたらそれこそ魔導医に診てもらうべきだろう。掴まれ。出来るだけ早くしなければ手遅れになるぞ」


「無駄だと言っている。クランハルト、お前は私の魔力が通常のものではないと知っているだろう?それに、時間が経てば時期に魔力乱流も鎮まる。…放って置け」


カリンは濁った瞳でクランハルトを力強く睨みつけ、そしてその後は力を使い果たしたかのように俯いた。


「クランハルト、どうする?」


「…決まっている」


クランハルトはエルの上目遣いに深く頷き返し、項垂れているカリンの目の前に立つ。光が遮られたことに気がついたカリンはゆっくりと首を上げるが、そんな弱々しいカリンの様子を一蹴するかのように、クランハルトはカリンの胸倉を掴み、彼女の後頭部を貯水槽の支柱に打ち付けた。


「目を覚ませ。お前は、もう一度全てを失うつもりか?」


それは、クランハルトの胸の内から絶えず湧き上がり続ける自責の念であり、彼の本心。もう、こんな失敗をすることはできない。だからこそ、そして、同じ経験をした同志だからこそ、クランハルトは有無を言わさぬ形相でカリンと目を合わせる。


「私は、そんなつもりはない。彼女は、アレクトは、お前にとっての何なんだ?ただの部下とは言うまい。命を賭すに値する存在ではないのか?そうだろう?だから、一度の喪失から再び立ち上がり、ここでこんな姿になるまで戦っていたはずだっ!」


クランハルトは胸倉を握る拳をいっそう硬く握りしめる。その際に炭化した軍服が砕け、無理矢理持ち上げた上半身の女性の特徴的部位の感触が手の甲から伝わるが、クランハルトはただ戦友を再び後悔はさせないとの念で誤魔化し、今だけは気づかないふりをする。


「…クランハルト、よせ。お前の声は頭に響く」


「ああ、ならば私も貴族の外聞を殴り捨てて声を張り上げた甲斐があった。それで、どうなんだ?私の声は頭には響くが、心までには達しないか!」


「クランハルト、どうしてお前はそんなに怒っている。私は最善の行動をした。一切恥じる行いをしたつもりはない。帝国最強を背負うに相応しいとまではいかないかもしれないが、及第点ではあっただろう?」


カリンが濁った瞳を控えめにクランハルトへ向け、そこでようやくクランハルトは自分が何か大きな思い違いをしていることに気がついた。彼女は、カリンは、大きく道を踏み外そうとしているのだと、人をただ純粋に愛してしまったが故に二度と戻ることのできない修羅の道へと片足を踏み込もうとしているのだと彼は理解し、それと同時に体の奥底から涙と感情の奔流が湧き上がるのを感じ取る。


「本っ当に、貴様はどこまで不器用なんだ!」


長い事門閥貴族である陸軍上層の表層ばかりを見てしまっていたせいか、はたまたカリンがどうしようもなく鈍感なだけかは分からないが、彼女はクランハルトの言葉を全て、その悉く誤解していた。そうではない、どうしてそうなると彼が心の中で、そして言葉にしても、彼女とはどうしてか話が噛み合わない。これが貴族と平民との差なのだろうか。クランハルトは奥歯を噛みしめ、悔しさに身を震わせる。


「大義で小義を補おうとするな!そうして貴様は後悔したのではないか!?それとも、なんだ。これは私の思い違いだとでも言うのか!笑わせる。ならば、こうしてなどいなかったろうに!」


「私達は縛られている。クランハルト、貴様こそそれがあまりにも非現実的で忘れてしまったか?義務が私達を定義し、そして生かすのだ。人並の生活を望むのならばそれこそ合衆国にでも行けばいい。あそこには無責任という名の自由が蔓延っているぞ?」


「人間が無意識のうちにあらぬものに固執しているのは認めよう。だが、ナショナリズムに縛り付けられ、両手に杭を打たれた末の思考がそれか?笑わせるな。今、貴様はその濁りきった瞳で何を見ている?」


国家の存亡に関わる状況において、人は限りなく抽象的な人でなければならない。個性や独自性などは戦場で死に、工場に奉仕する場合には一切不要となる。それが平時においての、人格を否定された者の末路を基準として整備されていることについては一考の余地があるかもしれないが、それでも強さとは、自己をできる限り薄めることに他ならない。人の命を奪い、塹壕で砲弾が至近距離に着弾するのを聞いて一々思考を巡らして何か詩を創作するかのような感情を抱いていては、人間という生き物はもう少し前に滅んでいたに違いないのだから。


「…帝国の、三千年続いた帝国が延命されたのが見える。誇らしいと同時に、自分のちっぽけさもよく感じられる」


「そうだろう。ならば何故、どうして貴様はそんな己より小さいであろうアレクトに対して何も思わないのか!?」


「…思う、だと?そんなもの、ただただ畏れ多いだけだ。アレクトは私が手を伸ばすことを許された存在ではない。例え手を伸ばしたとしても、一蹴されるだけだろう」


「なっ…」


「クランハルトもよく分かっているだろう?私は平民の出だ。つまるところ、どんなに上手く取り繕っても私とアレクトは違う。元から分かり合える存在ではないのだ」


クランハルトは拳を握る力を緩め、カリンを開放した。彼女は貯水槽の支柱に再び体重を預けると、先ほどよりも少しだけ穏やかな呼吸をしながら今度はクランハルトの後ろで佇んでいるエルの方へと視界をやる。


「カリン少佐。少佐はどうして、せっかく軽くなった背中にもう一度重い荷物を背負おうとしているの?」


「どうして、そう思った?」


カリンはあくまでも平静を装って言葉を返すが、何かが胸の奥底で拍動したのを感じ取った。重く苦しい、今まで忘れていたはずの抽象的な経験の塊が、彼女の知らぬうちに限りなく表層に近いところまで上がってきていたのだ。


「責任と、それは違う。何故なら、それは決して過去と向き合っている訳ではないから。ただ過去を凝視し、戻れないにも関わらず反芻しているに過ぎない。終わらない反省会。だって、カリン少佐は独りでいるのを望んでいるから。もう二度と、失わないために」


「…ああ、そうだ」


エルの言葉にカリンは頷く。


「どうして?」


「私が弱いからだ。何か強い芯となるものを外に持っていなければまともに立って歩くこともできない。そんな弱々しい人間が私だ。」


「でも、アレクトには強いところを見せてる。見栄を張ってる」


「…ならば、私にどうしろというんだ?」


「正直になって」


カリンは目を見開く。そしてエルはかつての姿を想起させるように、艶やかな笑みを浮かべた。


「アレクトは十七歳。来年で十八になる。貴族の結婚は早い。こんなところでうじうじしてると誰かに奪われちゃうかもよ?」


「…どうしてそう思う?」


「貴族だから。クランハルトも、私もそういうのには理解がある」


「おい、私を巻き込むな」


クランハルトはエルの頭を乱雑に撫で回す。エルはクランハルトの硬い手を両手で握り返し、髪が乱れたことに機嫌を崩しつつも、満足げにカリンの方を見返した。


「…クランハルト、手を貸せ。それと、背中もだ」


「手の方はいいが、背中だと?」


カリンはクランハルトから差し出された左手を握り返して立ち上がり、困惑した様子でいる彼の後方へと回り込んだ。そして有無を言わさんと言わんばかりに両腕を前に回し、耳元で囁く。


「私もせっかくの我儘を覚えたんだ。おぶっていけ」


「全く、どうして毎回この役回りをさせられることになるんだ…」


クランハルトは図々しいカリンに不満を零しつつ、しかし再び前を向く気になった彼女につい表情を崩す。そして、別の女にボディタッチを許したことによって、自分の一歩後ろを黙ってついてきてくれる最愛の少女からは冷たい視線が向けられるが、それもまた一興だと、彼は心の中で受け止めてみせた。

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