ランカラ攻防〔中〕
どうも。今回は中々いい感じの戦いが書けたのではないかと思います。つまり、自信作です。アリバルボリさんがとことん不幸な目に遭っていますが、いつかいい感じに活躍させてあげたいですね。
軽く息を入れ直し、『王子』に向かって突貫する。気分は軽く、ウォーミングアップを済ませておいたおかげで体がよく言うことを聞いてくれる。まずは景気よく一撃。『王子』の細剣と私の剣が鍔迫り合い、そして全く同じタイミングで互いに一歩引き下がる。
魔力残量は余裕を持たせて見積もって残り三割。大技を使わない限り戦闘に問題は無い。だけど…
「本っ当に、硬いですね…」
『王子』が全身を覆うように纏っている魔力のせいか、それともやはり彼我の実力差には大きな隔たりがあるのか、『王子』の攻撃は重く、そして鋭い。やはり地力が違うのだろう。私も身体強化の強度は実戦を経験することで大分強い強度まで使えるようになった。苦戦を強いられるが、まだ致命的ではない。あの時と比べて見違えたと言っても過言ではないだろう。決して僅かだとしても勝機が見えた。それは、大きな進歩だ。勝機が見えたのなら、それを掴むまで立ち上がり続ければいい。
「この前とは見違えるようではないか!やはり、時は人間をより磨き上げる。我々とは違い、それこそが人間の本質よ。時に魅入られた其方らの実力、どれほどまでになったかっ!」
連戦で限界が近づいているのを感じつつ、それを魔力で誤魔化しながら『王子』との剣舞が如き戦いを演出する。一撃を細剣で受け流され、そして華麗に体を捻りながら…
「ぐっ…!」
「甘いぞ、小娘。我々は同じ土俵に立っていれど、そこは貴様らの土俵ではない。純粋なる生存競争だ。限りなく完璧に近いその肉体を以てして、生命の輝きを星へと献上するのだ!」
豪快に腹に周り蹴りを食らった。内臓が押し潰され、飛行前に摂取したカロリーバーと胃液の混合物が食堂まで上がってくる。苦しい。一度大きく息を吸い込みたい。だけど、それでは駄目だ。一瞬の苦痛からは逃れられるだろうが、その刹那の後に待っているのは永遠の眠り。『王子』は恐らく大量の魔力を持っているにも関わらず、人間らしい戦い方に執着する。カリン少佐よりもだ。魔力を使って現世に何か大きな影響を及ぼす、俗に魔法と呼ばれる技を頑なに使おうとはしない。
魔法は私も使えはするけれど、それはあくまでも他人の見様見真似。少佐のように息をするように使うことはできない。それに、何よりも今は魔力に余裕がない。それで無理をして魔力を切らしてしまえば…
待っているのは死だけ。だから、今の私には無理矢理時間と空間を捻出する力は無い。でも、どうにかしてそれらを捻出しなくてはいけない。…じゃあ、無茶をするしかない!
剣を振るうには間合いがあまりにも近すぎる。そして、この距離では細剣の方が取り回しが軽く、『王子』ならば確実に私の攻撃に合わせてくるだろう。だから、肉薄する。…肉薄して、柄頭で刺す!
「…何?」
白いタキシード越しに血が滲み、『王子』は一瞬眉を顰めるが、それが何だと言わんばかりに細剣を私にめがけて振るう。私は生まれた一瞬の隙を使って肺に新鮮な空気を惜しみなく吸い込み、攻撃を受け止める。
…次が来る!
さっきはあれでどうにかなったが、それで何か余計なことを考えている暇はない。まだ一つのミスを何とか取り返しただけだ。一撃防いでも次の瞬間にはまた攻撃が来る。剣に魔力を纏わせ、人の理を超越した攻撃の隙を窺い続ける。体が重い。それに気分もなんだか変な感じだ。蹴りを入れられたせいだろうか。身体のリズムが崩されたようで、ずっと『王子』の術中に嵌ってしまっているような気すらしてくる。
「よく受け止めたな。しかし、相当余裕が無いように見える。まだ死ぬなよ?」
「がはっ、まだ、まだまだこれからです…!」
正面から打ち合っては駄目だ。柔軟に、もっと応用を利かせて戦わなければ限りのある魔力を浪費して、ただ自分を追い詰めていくだけ。いつもの頼りになる魔力に頼ったごり押しは今回通用しない。けど、下手に近づいては『王子』の細剣による突きで私の肩は吹き飛んでしまうだろう。身体強化もこれ以上の強度は無理。となると…
「…どうにかして何か新しい魔力の使い方を」
身体強化とも、魔法とも違う魔力の使い方。そしてなおかつ、効果的である必要もある。身体強化は魔力による身体の補強、そして魔力は目に見えた現実への干渉方法だ。となると…
「そのハイブリットが、今の私には丁度いいかな」
それぐらいなら、残りの魔力だけでもどうにかなりそうだ。一瞬で終わらせる。身体強化があくまでも身体を強化しつつ、ネームドの次元に追いつくための守りの技術だとすれば、これはさらにもう一段階。ネームドを超え、ネームドを圧倒するための技。
「…覇気?それとも魔力闘気?まあ、何でもいいや。後でネーミングセンスがいい人に何かよさげな名前を付けてもらいましょう」
魔力を空中へと放ち、そしてそれに対して身体強化のような介入を行う。自分と、自分でないものとの境界が外側へと広がったような気がした。そして、体が軽い。軽いといっても、筋力や骨を強化する身体強化とは違い、外側から誰かに支えてもらっているような感覚だ。自分の魔力だけど、外部からの干渉を模倣する。我ながら中々良い魔力の使い方を閃いたと思う。
「…ほう?戦いの中で成長するのか。それこそ、物語の中の主人公のようではないか」
「もしそうだとしたら、最初からこんな目に遭ってはいませんよ。こんな悲劇的な主人公、悲劇でしか見たことがありません」
感心した様子で言う『王子』に、私は本心からの愚痴を吐く。私だって少しぐらい、子供らしく歴史に名を残してみたいと思ったことは無くはない。けれど、魔導兵になってそんな幻想は崩れ落ちた。これで無理なら、私には一生をかけても無理だろう。苦労を進んで引き受けるのはどうしても性に合わない。
「ならば、悲劇の死を遂げると?私は、せめて其方に英雄として伏してほしいと望んでいるがね」
「だとしたら、無駄に大きい貴方という大木、邪魔なので切断させてもらいます。乗り越えるのは疲れるので嫌いなんですよ」
「ほう、ならば私も手加減ができぬというものよ!」
改めて思うが、どうして私の周りの人間はこうも変人ばかりなのだろうか。歪な破滅願望を持ちつつも、決して破滅の気配が見えない『王子』。ぜひとも、こんな存在との出会いは二度とごめんだ。たまったものではない。だから、今ここで終わらせてしまおう。
『王子』が私の心臓めがけて刺突を繰り出す。音を置き去りにした、光のような一撃だ。細剣が魔力を飽和させ、煌めいているからなのだろう。『王子』の手加減無しの一撃。今までならば、間違いなく致命傷を免れなかっただろう。
「なっ…!?」
しかし、私が身体の周りに纏った魔力が細剣の軌道を逸らし、私の肩を掠めるに留まった。それでも皮膚は裂け、そこから血が滲むが、私は痛みを堪えながら驚いた様子でいる『王子』に余裕を持って微笑んでみせる。
「どうしましたか?差は、既にあってないようなものですよ?」
「…魔力を纏ったか。だが、それでもどれぐらい耐えられるかな?」
『王子』はすぐに細剣の軌道が逸らされた原因を予測し、そして正解に辿り着いた。そして、殺気を露にする。まるで、今までのそれらは遊びだったと言わんばかりに。彼の魔力が私を締め付けるかのような気配を発する。私はそれを押しのけ、剣を握り直す。今回は何も私を縛るものはない。ただ、目標を討てばいい。使命という名の崇高な義務が、私の背中を後押しする。
地面を踏み込み、蹴り上げる。防御は纏った魔力に任せ、『王子』の首を狙って剣を構える。心臓が大きく拍動する。視界は晴れ、思考は明瞭。ランナーズハイのようなものだろうか、とても、とても、気分がいい。
「これは…高揚感?」
距離を詰める私を『王子』は完全に視界に捉えつつ、彼はその身の全身全霊を以てして細剣を振るう。互いの剣が交差する。細剣は私の頬を深く抉り、そして、私の剣は…
「がはっ…」
『王子』の胴体を切り裂いた。彼は血を吐き、細剣を地面に刺して地面に倒れ込む。勝負に決着がついた。私は身体強化と魔力を纏うのを止め、切り傷の治療に注力しながらゆっくりと『王子』のへと歩みよる。
「私の負けだ。その覚悟と、その技術こそが、私を上回り、そして其方の勝因となった。誇るがいい。私は、希望を見た。いや、古則からの逸脱を望む超越者よ。…私は古の決闘に則り、その神聖の前に屈したのだ」
「ちょっと?私はそんなことをした覚えはありませんよ?」
そういえば、この人?と初めて会ったときもこんな感じだった。女神様だとか、何だとか。なぜか聞いてるこちら側の方がヒヤヒヤさせられ、そしてその後すぐに別の意味でヒヤヒヤさせられた。
「…そうだろうな。既に其方は己が神聖を天に返還しているつもりでいるのだろうから。だが、それでも魂に根付いた神聖は多くの者の目に留まっている。其方は気がついていないだろうが、かの戦姫は其方の軍門に降るつもりでいるようだぞ?」
「神聖、貴方も私を見てその話をするんですね。ですが、私は神様でもなんでもありませんよ?確かに生まれが五大貴族であることには誇りを持ってはいますが…でも、それだけです。ただの、たまたま魔導適性が高かっただけの貴族です」
一体私が誰であるのか、まるでそれを知っているかのように言わないでほしい。私は私なのだ。それ以上でも、それ以下でもない。もし本当に何か特別なものを持っていても、もし私の魂なるものが本当に高潔なものだったとしても、何も変わらない。人間は全てを知りたがる。それを否定する気はないけれど、押し付けられるようなことは御免だ。それの言葉の主がたとえ、人ならざる存在だとしても何も変わらない。
『王子』はそんな私を見て、「はっはっは」と愉快そうに笑った。けれど、馬鹿にしているようには感じない。言うなれば私の言葉に納得してくれた、そんなように受け取ることができる穏やかな笑いだ。
「…そうか、やはり如何なる存在も楔を打ち込まれるのは好まないか。確かに、今までの私の行いは烏滸がましかったな。過去に決別しようとするのを無責任と言うのは、それこそ傲慢であるか」
「まさか貴方の口から傲慢なんて言葉が出てくるとは思いませんでした。私からすれば、貴方はどこまでも愚かで、そして傲慢な存在なんですよ?」
「貴族である其方が何を言う。憎みつつ、そして優越感に満ちているではないか。そして、今の己に劣等感を抱き、現状を捻じ曲げようと急いている。…私からすれば、人の身から外れた魔導人形というのも存外悪いものではないと思うのだがな」
人間はおおよそ「自由」だ。しかし、あまりにもその「自由」が過ぎれば追放されてしまう。ルールが曖昧になる前線こそ、真の意味で自由なのかもしれないけど、今の『王子』が言いたいことはそういうことではないのだろう。
「えーっと、つまり私にもっと落ち着けと、そういうことですか?」
「そうだ。今の其方の全てを否定するわけではないが、あまりにも元の形に戻ろうとしているのではないか?現実を直視していないように思える。認めなければ、出力される情景は全て幻想、幻にすぎない。幻にしてはあまりにも濃いかもしれないがな」
「むう、私に負けた癖におせっかいですよ。もう少し苦しんだらどうですか。『道化』…アリバルボリは少し怪我しただけですぐに喚いたんですから」
『王子』は、意地悪だ。私のことを何にも知らないくせに、私の思っていることを寸分の狂いもなく言い当ててみせる。何でもない、むしろ敵なのにも関わらず、だ。
「…つまり、貴方は私にどうしてほしいんですか」
単純接触とでもいうのだろうか。いや、単純接触と言うには大分殺伐としていたけれど、とにかく、今の私と彼は好きの反対では無い、と思う。我ながらちょろいとも思うが、仕方がないのだ。世間知らずの箱入りお嬢様だった私には、ここ最近の出来事はあまりにも刺激が強すぎる。
「なに、私なりのおせっかいだ。…それを持っていけ」
そう言って『王子』は地面に突き刺さった細剣を指差す。残留している魔力のせいか、剣身が淡く光っている神々しい細剣。私を二度に渡りおいつめ、しかし最終的には敗れることになった私にとっても思い出の一品だ。
「これを、もらってしまってもいいんですか?」
「それは元々私のものではない。とある街の館で、丁寧に飾られていたのを見つけたまでだ。当時は鈍だったが、優しく語りかけてやるとすぐに息を吹き返した。おませな細剣だ。それを持って帰り、私を討った証拠にでも、二本目の獲物にでもするがいい。もとより放棄されたものだ。本来の持ち主はいれど、それを咎めることはしないだろう」
剣を鞘に納め、細剣を引き抜く。私が柄に手をかけると細剣はたちまち光を失い、本来ならばこれが普通なのだが、ずっしりとした重たい感触が手に伝わってくる。そしてなぜだろうか、私はこれを以前どこかで見たことがあるような気がする。
「敗者となったからには、私も潔く散るとしよう。小娘、さらばだ」
「ええ、もう二度とこの世界で生きて考えないでください。貴方の好奇心が、本当の意味で人を殺すんですから」
「ふっ、なかなか手厳しい評価だな」
『王子』は血の赤色で滲んだスーツを見て少し気を落としつつ、高潔な気配を纏ったまま立ち上がり、そしてこちらに向き直る。
「私の名はカリフ。高潔を引き継いだ、古則よって定義された自由を背負いし眷属の名」
そして、最初からそこには何もなかっただと言わんばかりに貴公子は無に帰した。あの糊の利いたスーツも、華美とまでは言わないが、しっかりとアクセントの利いた装飾も。どうしても本心から憎むことのできない敵だった。
「…これも、魔法ですか?」
まったく話の通じない古き存在の姿はもうどこにもない。ただ、残ったのはこの奇妙な細剣だけ。投げ捨てられた鞘を探し、そして納める前に少しだけ魔力を流してみる。
「…まさか、私の魔力でも淡く光るなんて」
とんでもないものを貰ってしまった。『王子』は拾い物だと言っていたが、こんなものが一体どこに転がっているというのだろうか。もしかしたら、剣を集めているコレクターに売れば高く売れるかもしれない。いや、そんなコソコソしなくたって、オークションに売り出せば大金になるだろう。
「いやいや、そんな下賤なことを考えたって、今は命あっての物種なんですから。ひとまず、これからどうしましょうか。とりあえず…?」
そこで、私の頭脳は何も導き出さない。おかしい、いつもなら何かしら妙案が閃いたりするはずなのだが、今回はさっぱりだ。
「…あ」
闇雲に一歩前に歩こうとして、感じるのは途方もない倦怠感。細剣を支えにし、何とか膝立ちで堪えるが、よく耳を傾けてみると、なんと、心臓まで早鐘を打っている。
「…不味いな。早く、どこか休憩できるところに移動しないと」
こんなところで倒れていては凍え死んでしまう。だけど、今の私の体には立ち上がる余力すら残っていない。むしろ、意識が段々と朦朧としてきて…
「も、もう無理…」
私は地面に倒れ込む。何だか既視感のある光景だけど、毎回シチュエーションが違うのはこれも何かの運命なのだろうか。
「おやおや、ここで誰かが倒れている、そんな気配を感じて駆けつけてみましたが、どうやらその通りだったようですね。大丈夫ですか?」
ぼやけた視界の先に、誰かがいる。それが肝心の誰なのかはわからないが、魔力を纏っていると言うことを考えるとおそらく魔導兵なのだろう。
「黄金の流星に、人を惑わす美しい容姿。間違いありませんね。貴女がアレクト様ですね?」
「…そういう、貴方は…?」
「私はハイドリート。ヴエルフォード博士の名により、貴方を回収しに来たしがない魔導人形です」
◇
クランハルトとエルはあろうことかレーリッヒの専用車を半ば無理矢理徴収し、人混みを掻き分けランカラ防衛司令部に到着していた。C軍集団司令部では高級士官が慌てふためいていたが、こちらからはむしろ諦観のようなものが感じられた。異様に静かな廊下を勘を頼りにして進み、少し迷った後にクランハルトは使われた形跡があるが、異様に静かな会議室を発見した。
『…クランハルト、何かあった?』
『おそらく、な。ここだけ他と雰囲気が違う。まるで、取り込み中なので入室は控えてくださいと言わんばかりのようだ』
クランハルトは右手で剣の柄に手をかけつつ、左手でドアノブを捻ってゆっくりと入室する。
「…っ!」
そこには、見窄らしい容姿の痩せこけた男と、一見女性のようにも見える赤髪の華奢な男性が胸倉に風穴を開けた将校服の彼を囲んでいた。左から順に『道化』、バルトウィク、ヴィシアといった様子である。ヴィシアはクランハルトに気がつくと一瞬の驚愕の後に愉快そうに表情を歪め、一方の『道化』は「どうしてここがわかった!?」と言わんばかりに顎をがっくりと外した。
「初めまして、クランハルト・フォン・レルモルド君。君は私のことを知っていると思うが、一応自己紹介をしておこう。互いに誤解があると、途端に会話の質は低下してしまいますから。ヴィシアと申します。申し訳ありませんが、家の名前は諸事情から捨ててしまいまして。士官学校の名簿を辿ればかつての名前はあるでしょうが…」
「そこまでだ。次、そこの汚いの。お前は誰だ?」
クランハルトは長ったらしく話を始めようとするヴィシアを黙らせ、そしてある程度見当はついているが、確認も兼ねてもう一方の人物に発言権を与える。
『道化』はクランハルトに殺気の籠った視線を向けられ、それから逃れるようにたちまち天を仰ぐ。しかし、そこにあるのは航空爆弾にも耐えられるようにコンクリートで作られたされた丈夫な天井だった。『道化』は己の命運を半ば諦めつつ、こうなったら仕方がないと潔く言葉を組み立てる。
「アリバルボリだ。お前らは俺のことを『道化』とつまらない名前で呼ぶが、こんな俺にも本名ぐらいはあるんだ。ヨロシクな」
「今すぐここから失せろ。ヴィシアを置いてな。さもなくば、見逃してやらんこともない」
「それは無理な相談だぜ、クランハルト。せっかくのランカラ強襲作戦がここまで上手くいったんだ。四〇一の北部誘引に、『王子』による残存魔導兵主力の撃破。後はどうしてか最適解を導き出したバルトウィクの奴を殺してランカラ防衛計画を発動させないようにしつつ、ここにいれば任務は達成だ。もう決着はついたようなもんだ。お前こそ、ここから失せた方がいい。ここにいたら、遅かれ早かれ死んじまうだろうからな」
『道化』はその臆病な本心を隠しつつ、何とか口角を鋭く上げてニヤリと笑ってみせる。しかし、その言葉を聞いてもクランハルトの態度が一切揺らぐことが無いのを目にし、『道化』はたまらず良心から今ランカラがどういった経緯でこうなっているのかを説明する。
「帝国には悲劇的な負け方をしてもらわなくてはならない。ただ、『魔女』の灰燼に帰す魔法陣で諸共死んでもらっちゃ、俺たちはただの悪者だ。いや、お前らからすればその事実には何も変わらないのかもしれないが、俺たちからすればそれじゃあいけない。もっと、帝国には苦しんでもらう必要がある」
「だから、帝国は兵站で死んでもらう。何か手を打つ暇を与えず、軍は飢え死に、新太陸の開拓の歴史はここで終わり。後は、旧大陸の方でゆっくりと息絶えるのを待つだけで、剣神の国は終わる」
最後のいい所をヴィシアに奪われ、少し機嫌を崩しつつも、『道化』は「そうだ」とヴィシアに同調する。
「…それを簡単に受け入れるとでも?」
「んあ?今更何をしても無駄だぞ?」
「いや、そういうわけではない。確かに、今の私にできることは何もないだろう。ただ、そんなことすら予測することができない帝国だと思っているのか?と純粋に聞いてみただけだ」
『道化』は帝国の崩壊を望んでいる。帝国は堅牢な城だ。絶対的な皇帝を臣民が無条件に信用し、すり潰されることによって歴史を紡いできた。『魔女』の魔法によってランカラが壊滅的な被害を受ければ、それはただの悲劇になる。しかし、まだ抵抗でき得る戦力が残っているにも関わらず、敵軍によって栄光ある帝国軍すり潰されたら?
そうなればたとえ同じ結末を辿ったとしても、「客観的」に見ている聴衆からすればそれは失策となってしまう。「物分かりの良い」聴衆は、それ故に無知でもある。兵站など、一兵卒に至るまでが万全な状態でいるのか否かなど言うことは、最初から思考にない。数が全てなのだ。常備兵五十万よりも、徴募兵百万の方が正義。普遍的な価値を持つ数字こそが、彼らにとっては唯一の尺度となる。
とすれば、『道化』の策謀が成功したとしたら間違いなく帝国は大きな衝撃を受けることになる。その後の結末は、例外なく瓦解だ。何故なら、悉くがそうなるとコルト帝国は世界大戦で実践してみせたのだから。東の連合王国に、西のハルパリ帝国。戦後の彼らは国の在り方を変え、穏やかな帝国の経済的植民地に成り下がった。
つまり、今回の帝国に言い換えれば、滅亡である。誇りが失われるという点で、前者と後者に違いはない。形の無いものに固執し、それを支点として跳躍してきた人類は愚かにも精神的支柱を是としたが為に、限りなく物質的な彼らに踏み潰されようとしている。
「幸いにもこの時代には英雄と呼ばれるに相応しい方々が揃っている。戦略面でも、戦術面でもだ。しかし、私は愚かであるが故に、そちら側ではない。だから、崇高なる御仁の思考の一端しか、私は窺い知ることができない」
「ほう、それで?」
「私は確信している。貴様らの愚かな企みは、美しく粉砕されることになると。だが、そう確信しているが故に、私はそれをより確実に近づけなくてはならないということだ」
しかし、人間はしぶとい。あまりにも柔軟に、形を変え、打算的に抗う。だからクランハルトは確固たる未来への一筋の光明へと歩むために剣を抜く。所詮、少将閣下の死は一つの戦術の失敗に過ぎない。己が自分を信ずるならば、私は帝国への最善を尽くそうとクランハルトは己の心を奮い立たせる。こうすることでどこまでも明瞭な形で忠誠を示すことができるのならば、どこまでも身を粉にして戦場に立って見せようと。
「エル。女もどきの方は任せた。『道化』の相手は私がする」
「わかった。でも、そんなに時間はいらない」
エルは懐から拳銃を取り出し、容赦無く引き金を引く。トグルアクション方式の少し古めかしいそれはヴエルフォードから護身用のために渡された骨董品で、エルも一応の取り扱いと整備方法は心得ていた。
拳銃を片手で撃つ。普通の人間ならば正確性に欠き、この机を挟んだだけの距離であったとしても狙った部位への命中は期待できないだろう。ましてや、今のエルは幼女の体型だ。しかし、そんなヴィシアの無知が故の慢心は一瞬で破られることになる。
「がっ…!?この、小娘っ!」
右耳が貫かれる。しかも、まぐれではなく、確実に狙ったものだ。そう判断したヴィシアは痛みを怒りへと変換し、とっさに銃弾をエルに向かって放つが、後手に回った時点で彼の勝機は限りなく望めないものとなっていた。クランハルトが引き抜いた剣によって弾丸は真っ二つに切断される。
「エル、殺せ」
そしてクランハルトの一声によってエルは喉元、心臓、眉間の順にヴィシアの身体を撃ち、ヴィシアはたまらずその命を引き取った。肉塊が地面へと乱雑にぶつかり、部屋の雰囲気も最初と比べると大分血生臭くなってきた。
「おいおい、容赦ねえな…」
「さて、次はお前だ。私も無能ではないということを示さなければいけないからな」
有無を言わせぬようにクランハルトが『道化』に向かって剣を振うと、たちまち彼の細い体躯は吹き飛ばされ、地面を滑る。頑丈なコンクリート製の司令部も魔力の前では無力で、豪快な一撃が戦いの狼煙となった。
「おいおいおいおいっ、嘘だろ!?」
『道化』は魔力でナイフを創造しつつ、口内の血と無機物との混合物を痰で包んで吐き出す。衝撃波すら魔力を纏う、非常に精度の高い魔力操術。…あの程度の魔力量で一体どうやって!?『道化』は己の弱気が露呈しないよう細心の注意を払いつつ、二本、三本とナイフを複製する。
「エル、私に魔力通信と同じ手順で魔力を細く、長く巻け。一応の予備策だ」
「分かった。…私はじっとしていればいい?」
「元よりヴィシアの話し相手にでもなっていれば十分と思っていたところだ。まさか、あんなにも手っ取り早い方法で片付けるとは思いもしなかったがな。上出来だ」
クランハルトは魔力の結晶を握り締め、地面をると同時に結晶を砕く。空中に魔力が放出しかけるが、クランハルトはそれを丁寧に剣の柄に流す。
「一式、白鳥の騎士っ!」
三対の翼のような剣がクランハルトの周囲に集う。それらはクランハルトの意思に従い、自由に空を駆けながら各々が独立して『道化』を追い詰める。
「マジかよっ、こっちはまだ準備ができてないっつうのに!」
『道化』は複製したナイフを使い、飛剣を迎撃する。数本は無惨にも『道化』の胴体を貫通するが、彼は歯を軋ませ、むしろ不気味に笑ってみせる。
「へっ、この程度、まだ全然耐えられるぜ…」
そして虚勢を張りつつ、『道化』は複製したナイフを構えてようやくクランハルトと落ち着いて対面する。
「厄介だな。もう少し簡単に終わると思っていたが、やはりそう簡単に事は進まないか」
クランハルトは首を鳴らし、引きずっていた剣を構え直す。
「そう簡単に終わっちゃあ、俺も特別脅威度区分には指定されないぜぇ…!」
きっと、俺があの脳筋共と同じだということにされているのは戦闘ではなく、工作活動の方なんだろうな…と思いつつ、『道化』はクランハルトの一撃を貰わないように慎重に立ち回る。最初こそ大した魔力を持たない奴だと油断していたが、そんな楽観的な先入観は既に崩れ落ちた。
…確固たる信念に、揺るぐことのない決意。
「ああ、クソッ。どうしてこんなにも、俺に不利なマッチばっかり組まされるのか…」
『道化』がとてつもなく嫌いな芯のある人間。つまり、仕事ができる人間のことだ。彼らは、どうしようもなく義理堅い。そして、そういう人間に限って話が通じない。
「…やるか。俺は、本来消極的な性格なんだけどな」
瞬時にナイフを四本杭代わりに打ち込み、魔力封鎖を展開。魔力を打ち消して、どうにか逃げるか仕留めるかする。
「覚悟しろよ。七変化野郎」
『道化』はナイフを逆手持ちにし、クランハルトの攻撃を逸らす。間一髪でなんとか交差し、しかし、一切隙を見せないクランハルトに『道化』は牽制のためにナイフを飛ばす。
「小賢しいな」
「それは、お互い様だな」
クランハルトは手に届く範囲のナイフを切断しつつ、建物を蹴ってまだ態勢の整っていない『道化』を強襲する。クランハルトの動きは魔導兵としては平均的な動きだ。しかし、彼が普通の魔導兵と異なる点は、それを最低限の身体強化で行っているという点で、他と一線を画す。
クランハルトの魔力は良くも悪くも平均的。そんな彼が実力主義の際たるものである魔導兵の世界で第五隊長の座に君臨し続けるには、唯一無二の特技が一つや二つは無ければやっていけない。その一つがこれだ。クランハルトは生身の身体では耐えられるか耐えられないかの一線を見極め、そして必要と判断した場合でも僅かな部位にしか身体強化を施さない。
例えば、アレクトやカリンは才能に恵まれている存在である。しかし、世の中は才能のある人材だけで回していけるほど、残念なことに甘くはない。だからこそ、才能と同じぐらい努力は評価される。クランハルトももちろんその中の一人である。
「痛てえ…」
「…!?」
だとすると『道化』もまた、別方向を向きつつも、確かに努力家ということになる。彼は、三千年を怠惰に過ごしてきた。そして、それが破られた今でもそれを守ろうと消極的に奮起する。
『道化』は骨を強化し、クランハルトの一撃を受け止める。クランハルトが咄嗟に剣を引き抜き、その時に僅かにぶれた刃が断面にもう一度傷をつける。
「へっ、今更遅い!一発勝負だ、魔力封鎖!」
こんな小細工をすることにどうして慣れてしまったのだろうか、『道化』はそんなことを心の中でそっとぼやきつつ、しかし躊躇うことなく魔法を発動した。適当に散らばしておいたナイフが範囲を指定し、薄い障壁が二人と世界を隔てる。
「…っ、エル!」
クランハルトは魔力封鎖の効果で剣を持つ手が重くなるのを感じ、咄嗟に叫ぶ。
「分かった」
そして、短い言葉を交わしてエルは魔力の糸を具現化させる。『道化』も想定していなかった外部からの魔力供給は彼の祈りも虚しく魔力封鎖の障壁を貫通し、糸は現世に姿を現す。クランハルトは身に纏った糸をほどき『道化』との緩衝材にすることで、『道化』の攻撃をクランハルト自身に届かせないようにした。
「有りかよ、そんなのっ…!」
「すまん、少し魔力を借りるぞ」
『いいよ、クランハルト』
クランハルトは繋がれた糸で思念を送りつつ、魔力の主導権をエルから奪う。出来るだけ優しく、そして手早く魔力を掌握したが、エルから苦しそうな思念が伝わり、クランハルトの額に一筋の汗が滴る。
「二式、雷霆」
クランハルトが掌握した魔力を使って石を砕くと、剣はたちまち紫電を纏う。一瞬、全て一瞬の判断だった。クランハルトは行き場を失い飽和する魔力を斬撃と同時に放つ。至近距離、いや、超至近距離では避けようもない、まさに文字通り必殺の一撃だった。
「がはっ…」
『道化』の胴体が焦げる。彼の意思に関係なく肉体が塵へと化し、彼はこのままでは残りの命はそう長くはないと察する。
「くそっ、どいつもこいつも、とんだ規格外野郎だ!クソガっ!」
『道化』の視界には赤い空。そして、己の鮮血。
「マジかよ、ここまでか…?…いや、まだだ、まだこんなところで…!」
死ぬのは御免だ。そう思った時、彼に一筋の光明が差す。
「…いいや、まだだ。まだ、こんなところで終われねぇ!」
後でしこたま怒られるんだろうなあ…そんな呑気なことを考えつつ、『道化』は空中の魔法陣へと意識を移す。そして、ほんの少しだけ、彼が肉体を再生するに足る最低限の魔力を掌握し、今の肉体を脱ぎ捨てる。
「暫くは人間が苦手になりそうだぜ…」
そう呟き、『道化』はニヤリと微笑んで肉体を手放す。この時ばかりは、長く生きていて良かった。そう思いながら。
◆
「クランハルト、お疲れ様」
「ああ。流石特別脅威度区分に指定されているだけはあった。『魔女』ほどではないが、厄介な相手だ」
「…その様子だと、倒せなかったの?」
不思議そうに首を傾げてクランハルトを見上げるエル。
「おそらく、そう簡単には死なないということだろう。策を弄せばどうにかなる相手だが、しぶといのは本当に厄介だ。…ただ、今回は最悪を回避することはできた。ひとまずは良しとしよう」
きっと、ヘルモルク中将やレーリッヒ大将はこんな時のための策ぐらいは用意している。クランハルトは根拠はないが、そう確信していた。特にヘルモルク中将。彼の動きはあまりにも計画的過ぎるように感じていた。間違いなく、この時のために動いている。そう考えるに足りうる違和感をクランハルトは感じ取っていた。
「よかった。これで、帝国は無くならない」
「そうだな。だが、帝国への最低保証だけだ。まだ、この状況からの最善ではない」
確かに、ここまで来れば帝国は滅びはしないだろう。しかし、それは帝国が求めるところの最低保証。新大陸を完璧な形で防衛するには、まだ足りない。
「それじゃあ、どうするの?」
「エル、上を見ろ」
クランハルトにとっては日常で、エルにとっては格別な非日常。赤い空が、いや、深紅の魔法陣が、はるか大空の上に展開されている。
「灰燼に帰す魔法陣をどうにかしない限り、帝国にとっての最善は手に入らない。だから、祈ろうじゃないか」
「…剣神様に?」
「それでもいいが、より我々に近しく、そして確実に祈りを受け取ってくれる人がいるだろう?」
クランハルトは目を凝らし、邪悪な魔力の中に、一つの希望が浮かんでいるのを捉える。
「リーデの戦姫、カリン・セラントに私は祈るとしよう。圧倒的な戦勝をな」




