別れのための戦い〔下〕
更新が遅くなってしまい申し訳ありません。本当に申し訳ありませんが、恐らく、次回もこんな感じになると思います。言い訳としましては、私の中身が忙しいのと、色々書きたいことがあり過ぎて困っている事が最近の更新頻度が遅い原因となります。
…いつか、第六親衛隊の過去とかも書きたいですね。
心臓がひとつ大きな鼓動を打つ。瞳を開けると、そこには南部と中央ではなかなかお目にかかれない晴天が広がっていた。そんな風景を地面を背にしてぼんやりと眺めていると、背中がじんわりと湿ってきたので急いで上半身を起こす。
「くしゅんっ、…やっぱり、あれは夢かあ」
魔力乱流の気配はすっかり治り、私は乱れた髪を一応は整えてやりながら立ち上がる。そして辺りを見渡すと、つい義務を放棄してしまいそうになるほどの濃密な魔力がぶつかり合っているのが見えた。カリン少佐はラトヴィールとヘストリカを相手に戦況を有利に進めている。やはり、師はどこまでも師ということなのだろう。彼女たちはまだ誉となるには早かったようだ。
「でも、夢というには、随分と賑やかだったですけどね」
私の身体を奪おうとしたペイルーを説得して仲直りし、遺志を託されてお昼寝はおしまい。一度寝たおかげで気分は清々しい。けれど寝起きのせいか、それとも北極圏に近いせいか。体は小刻みに震え、白い息はより一層新大陸の厳しい現実を私に突きつけていた。けれど、そんな厳しい現実も、私が義務を放棄する理由にはならない。悴む手で鞘から剣を抜き、奥歯を噛み締めつつ魔力の心地に身を委ねながらカリン少佐の援護に向かう。
「少佐!お待たせしました!」
「…っ、アレクトか。もう、大丈夫なのか?」
あくまでも無表情を保ちつつ、けれど確かに私が目覚めたことへの安堵を示しながらカリン少佐はこちらを一瞥した。やっぱり、私には少佐が何かを抱えながら生きているような人には見えなかった。冷淡に、時代の流れに身を任せながら生きていく本来ならば静かな人だ。時代が激動を求めているからこそ、少佐は前線に立ち、部下を引き連れて少佐という立派な称号を授与されているけれど…
本来は、もっと静かな人生を送れたはずの人間だ。でも、言い換えればこの時代だからこそ私は少佐にこうして出会えることができた。そう考えれば、私も戦争によって生かされた人間なのかもしれない、あの時、列車に揺られながら少佐が呟いたのと同じように。
「問題ありません。私は、どちらの相手をすれば?」
できるだけ早くあの時の約束と、そして知りたくなかった事実をカリン少佐に共有したいが、ひとまずは私も戦いに参戦しなければならない。魔力量的にはまだ余裕はあるかもしれないけれど、頭数が多いことには越したことはないはずだ。
「ラトヴィールは私が引き受ける。お前はヘストリカの注意を引け。ただし、あまり深入りするな。あまりにも肉薄すると奴は己を巻き込んだ大規模を放ってくる」
「因みに、そうするように指導したのは…」
「無論、私だ」
「ですよねー」
カリン少佐らしい指導だなと思いつつ、私は地面に薄く敷かれた雪を蹴って跳躍する。視界は瞬く間に移ろい、ヘストリカの姿を眼前に捉えた。
「…結局、こうなってしまうのね」
「それはこちらの台詞です。こんなことをしておいて被害者面をできるほどの精神力は年上としては尊敬できますけど、帝国の裏切り者として、少しは悪気を持って欲しくはありますね」
「既得権益者の貴族が偉そうに。それに、私たちは正しいことをしているまで。タリータ様が、私たちを正しい形へと戻してくれる!」
ヘストリカが両手を空へと掲げるとそこへ魔力が集まり、それは俄かに剣の形を作り出す。
「対策はしてきた。私がまさか近接戦闘を行うなんて、少佐も想定外に決まっているるから」
ヘストリカは白い肌を赤く染め、恍惚とした表情で恐ろしい魔力を放つ一振りを眺める。恐怖を駆り立てるような邪悪な魔力を放つそれは、剣身の部分が炎を閉じ込めたような結晶で作られていた。アリバルボリ曰く、それは彼女がタリータに支配されているという何よりの証拠らしい。…『魔女』の名前に違わず、趣味が悪いですね。
「さあ、死になさい!」
ただ、『王子』と、そしてペイルーと一応は一対一で戦いを繰り広げた私にとって、それはそこまでの脅威にはなり得なかった。確かにあの魔剣のような一振が持つ魔力は強力だが、道具はあくまでもそれの使い方をよく心得た人が扱って初めてその真価を発揮する。力任せに振るわれた一撃。ヘストリカのイメージが邪悪な魔力に指向性を持たせ、一撃より重く、刃をより鋭くさせるが、受け止めるには容易い。私程度、魔力で押し切れると思っていたのかもしれないが、こんな私でも一応はA適正の魔導兵だ。使い方さえ心得ていれば防御というのは攻撃よりもずっと安く済む。全身に身体強化を施して攻撃を受け止め、ヘストリカが力技で押し切ろうとするタイミングを見計らってそれを受け流す。
「…っ!?」
「あまり私を甘く見ない方がいいですよ。確かに、既得権益を貪っているのは事実かもしれませんが、私はその分扱かれていますからね」
炎を纏った飛ぶ斬撃を回避しながら距離を取ろうと攻撃を繰り出すヘストリカをゆっくりと追い詰める。技の一つ一つの詰めが甘い。本来ならば後方から援護をしていれば良かったのかもしれないが、その点では私と少佐の戦略的勝利だ。
「こんなことありえないっ、私はカリン隊長にも認められて、タリータ様にも力を授かったのに!」
「その炎は私からすれば祝福ではなく、呪いに見えますけどね」
「五月蝿い!お前風情に、何がわかるっ!」
ヘストリカは剣先をこちらに向けると、先端に魔力を集中させる。
「少し剣の腕が良かったとしても、それは私が負ける理由にはならない。私には、隊長も褒めてくれた魔力がある!」
ヘストリカは私でならばきっと暴発してしまうであろう量の魔力を使って魔法陣を描く。魔法陣とは本来ならば展開にとてつもない時間を要するものだ。帝国でも一応は開発は進められていて、魔導兵がネームドの迎撃用に地雷のようなものとして使ったこともある。しかし、あらかじめ魔力を封入でき、実質的に自身の魔力量を超えた量の魔力を使えるとしても、その労力に合った成果が得られるかと言われると、微妙と言わざるを得ない。
けれど、ヘストリカの魔法陣は非常に素早く展開される。魔力の軌跡は寸分の狂いなく模様を描き、彼女の一声によって故人が夢にまで見たであろう「魔法」を放つ。
「集光」
──一条の光線が大地を裂く。最後に私が知覚したのはそんな光景だった。反射的に構えの姿勢を取り、理性の制止を振り切り本能が瞼を閉じる。何かが後方で爆発する音が響いた。
恐る恐る目を開く。今朝降ったばかりであろう地面の粉雪が舞い、目の前には…
「…全く、ヘストリカには魔法を使わせるなと、ブリーフィングの時に伝わったとばかり思っていたのだがな」
カリン少佐は私を庇うように目の前に立ち、そしてジト目のままこちらに振り返った。否応にも伝わる不満の色に少しだけ顔に熱が帯びるのを感じる。
「申し訳ありません。ですが、どうしても少佐が諦めきれていないように思えてしまったので」
「…お前からも、そう見えるのか?」
背後からの敵意に呼応するように私は咄嗟に少佐に背中を預ける。
「信じてもらえないかもしれませんが、ひとつ、少佐のお知り合いから遺言を預かっています」
ペイルーは言っていた。「人」とは一体どこまでが人なのか、と。もし、死後も魂があるとして、それは本当に人と言えるのだろうか。人間とは定義がはっきりしている。この、世界で唯一直立二足歩行を行う私たちのことの俗称だ。けれど、人は?残された人にとって、故人はいつまでも人であるはずだ。当時の思い出、そして、そこまでは行かなくとも無数に記憶された記録。
私は人というのは他の人の行動を記録し、それを時には模倣し、時には反面教師として己を戒める存在だと思っている。そうすると、人というのは零から生まれた訳ではないということになる。この世界は無から生まれた。学説としてはビッグバンなるものがまことしやかに囁かれ、そしてそれらは漠然とこの世界で共通認識として君臨している。
人と人間に明確な境界線は無いとして、だけど、ひとつだけ確信を持てることがある。人は、他者を記録する。記録し、それを自分に少なからず投影して、他の人へと繋げていく。そして、人間には言語という唯一無二の能力がある。それを例え完璧でなくとも、伝えるということが今の私にはできる。
「背負っている過去を下ろしてください。その人も、いつまでも背負われているのは申し訳ないそうですよ。申し訳なさ過ぎて、私を殺そうとしてきたぐらいには」
「…どういうことだ?」
「魔力乱流です。アレのせいで、私は夢の中でペイルーと二人っきりのお茶会をする羽目になったんですよ。そしたら、私を殺そうとしてきて…カリン少佐の指導って、そんなに殺伐としているんですか?」
「そんなことは、無いと思うが…だが、そうか。ペイルーは、私を呪ってはいないのか」
過去を思い出しながら自嘲気味に微笑むカリン少佐に私はやれやれと大げさに肩を竦める。まさか、ペイルーが言っていたことは本当だったとは。そもそも、レーリッヒ大将から後方の職を用意されても断るほど崇高な自己犠牲の精神を持っていて、そして口下手なところはあるけれど部下思いな少佐がどうして嫌われるきらいがあるのだろうか。少佐はあんまりにも謙遜が過ぎる。…もしかして、私の尊敬にも気づいていなかったり?まさか、まさかそんなことってあり得ますか?
「ならば、戦後はしっかりと弔ってやらなければな。尊い犠牲だったと、共同墓地に向かって言えるように私もならなければな」
「私もそうだと思います。…さて、あまり気乗りはしませんけれど、二人のことも、石碑に刻む準備をしなければいけませんね」
「そうだな。…この時ばかりは、魔導戦での死者が塵となって消えていくことを恨まずにはいられない」
魔導兵は死者に対して別れのための決断をさせる時間すら与えてくれはしない。魔法で死ねば、私たちの生きた証はあまりにも容易く消えてゆく。だからこそ、この戦いはとても気が乗らない。かつての味方と戦い。…いけない、少佐はもう決心したんだし、私は足を引っ張らないようにしなきゃ。
「ラトヴィール、貴族の子は任せる」
「え、ヘストリカが隊長を相手にするってことか?」
「任せて。これ以上手間をかけていると、タリータ様の不興を買うかもしれないし、全力でいく」
「ヘストリカが言うなら、私はそれでいいけど…」
ラトヴィールはこちらを見て舌なめずりをした。
「…ああ、なるほど。こんなザコはとっと片付けるに限るね」
◆
「アレクト、私はヘストリカを片付ける。お前はラトヴィールを殺せ」
「わ、分かりました。ちなみに、私とラトヴィールの実力差ってどれぐらいありますか?」
「…困難を乗り越えてこそ、人間は成長する」
「それって、私だと相手にならないってことじゃないですか!」
しかし、残念なことに私の抗議はカリン少佐に届くことはなく、少佐はは颯爽と飛び立ち、直後ヘストリカの悲鳴にも、怒号にも聞こえるような声が響いた。
「…やっぱり、任せろって言ったってヘストリカじゃ数分が限界かな。まあいいや。とっとと終わらせて援護に向かわなきゃ」
ラトヴィールはそこまで言うと大きく伸びをし、肩を回しながらこちらに鋭い視線を向けてきた。
「貴族の娘なんだって?だけど、戦場じゃあ誰にも等しく死は降りかかってくるんだぜぇ!」
ジャブ代わりの軽い一撃を居合でいなすと、ラトヴィール空中で体を翻して飛ぶ斬撃を放ってきた。私はそれを最小限の動きで躱し、軽々と雪原を駆ける彼女の姿を常に視界に捉え続ける。
「そらぁ!」
私の背後に回り込んだラトヴィールは私がそちらに態勢を向けて迎撃の用意が整う前に勢いよく突撃してきた。剣を逆手に持ち変え、『王子』がやったように戦斧を受け止めて、勢いを利用して空中に打ち上がり空気中に魔力を放ってラトヴィールを吹き飛ばす。
「くそっ!」
「確か、こんな感じだったかな…?」
そして地面に戦斧を突き刺しながら衝撃をいなすラトヴィールを眼下に捉え、私は剣先を彼女へ向ける。そして魔力を先端に集め、身体強化とは違う高揚感が湧き上がるような魔法を放つ。
「集光」
太陽光を屈折させ、それを使って大地を焼き切る。建国神話に出てくる一説を引用するなんて、ヘストリカは博識なのだろう。それに、魔法という人間には到底理解することのできないであろう奇跡を行使しているというより、そう考える方がイメージもしやすいし、魔力の消費も少なくて済む。
…ただし、あくまでそれを上手く制御することができなければ魔力は指向性を持って本当に光エネルギーになってしまう。そうなると、どうしても身体強化によって保護された人間への効果は限定的になってしまう。ラトヴィールは光線によって焦げた腕を眺めると、忌々しそうにこちらを見上げた。
「それは、ヘストリカのだぞっ!」
「テュラーケルという単語は建国神話でフレーヌの神、アイヴィーが剣神アルテーヌと初代皇帝ヴェルディオルトの姿を隠すために使った呪文だとされています。なので正確に言うと、この魔法はアイヴィー様のものですね」
「…確かに、ヘストリカもそんなことを言っていた気がするけど、けど!」
ラトヴィールの戦斧が俄かに光を帯びる。そしてそれはパチパチと音を立て、彼女の髪を逆立たせる。カリン少佐と一緒だ。ただ、一つだけ違うことがあるとすれば…
「火雷っ!」
その雷はたちまち辺りを照らし、刹那、炎となってその身を焦がす。そして、極寒の大地によって冷やされたはずの空気が俄かに肺腑を焼き尽くさんと乾き、熱を帯びた。咄嗟に魔力で肺を防護し、一歩踏み込めばきっと首を切断するであろうラトヴィールを睥睨する。
「お前は、結局器用なだけで何も出来はしない!」
「そうですね。私は器用です。ですから…」
私は剣を空へ掲げ、あの時の戦いでの光景を思い出す。絶対的な強者だと思っていた存在が、無法者だと思っていたあの災害を具現化したかのような暴力が渋々ながら膝を屈させるに至ったあの奇跡を。
「雷霆」
剣身に紫色の雷を纏わせる。飽和した魔力がパチパチと音を鳴らし、それがたとえ模倣だとしても、少佐の力の一端を感じているような気がしてつい息を吞んでしまう。溢れんばかりの力は頼もしいが、それと同時に恐怖心を感じる。身に余る力は身を滅ぼすと言うが、これもその一つの礼なのだろう。
「くたばれ!貴族の!!」
「…っ!」
互いに魔力を纏いながら、獲物がぶつかり合う。対象を形はどうあれ排除しようとする魔力が互いに反発し、飽和した魔力が行き場をなくして雷を形作る。空気が痛い。魔導兵のために頑丈な素材で作られた軍服が雷によって焼け焦げ、有機物が炭化する時特有のにおいが鼻腔を刺激する。
「お前に、何が分かる!私たちがいなくなってからのカリン隊長しか知らないお前が、貴族のお前がっ!」
「ええ、そうですね。私と少佐は出会ってからまだ一か月足らずの短い付き合いです」
「だったらっ、それが分かってるなら!」
「ですが」
犬歯を剥き出しにして敵意を露わにするラトヴィールに私は言い放つ。
「少なくとも、私は対話の道を選んでいます。貴女とは違い、堂々と刃先を向け、違う道を歩もうとはしていません」
「なっ…!」
ラトヴィールの戦斧を握る力が弱くなる。すると、今まで鍔ぜり合うことで保たれていた均衡は俄かに崩れ落ちた。地面へと落ちていくラトヴィール。私は宙を蹴ってその後を追いかける。
「これで、お終いです。私は貴女のことをよく知りませんが、良き相手として記憶しておきましょう」
誰にだって、出会いと別れを告げる資格ぐらいはあるはずだ。出会いは零が一になることで、別れはその逆だけれど、それは決して怠ってはいけない。未練は人を腐らせる。割り切れなかった小数点以下の過去は、例えそれが数値上どれだけ小さい数だったとしても自分の大きな足枷になる。
私はもう一度人を殺す。法と使命に守られた殺人だ。むしろ褒め称えられるまであるだろう。裏切り者に鉄槌を下した真の愛国者だと。皇帝の臣下たる貴族に相応しい行いだと。…流石にそこまでではないかな。
地面へと落下していくラトヴィールに向かって剣を振るう。一閃。胴体を狙った一撃は魔力によって鋭利になった刃によって骨ごと彼女の身体を綺麗に二つに分けた。そして、物言わぬ肉片となったそれらは地面に勢いよく衝突した。真っ白なキャンバスに血が滴り、綺麗に収納されていた臓物が体内からこぼれ落ちる。
「がはっ…」
二つに分かれたラトヴィールの体が塵となって消えてゆく。ただ、まだいきはしているようだ。私は虚な瞳で雲ひとつない快晴を眺める彼女の視界の中に割って入る。
「…どうして、手を抜いたのですか?」
「…分からない。どうして私がこんなことをしているのかが。なんで、私はお前と戦っているんだ?記憶が曖昧だ。なあ、貴族の。私は、どこで間違っていた?」
浅い呼吸を繰り返しながらなんとか言葉を紡ぐラトヴィールに、私はなんと言葉をかけてやるべきか分からず、眉をハの字にすることが精一杯だった。ラトヴィールはそれをキョトンとした表情で見つめると、無理矢理笑みを作って枯れかけの喉を使って笑う。
「…貴族のお前にも分からないことがあるんだな。てっきり、なにか説教じみたことを言われるのかと思ってたけど、確かに、カリン隊長はお前のことを気にいるだろうな」
「何か、遺言とかはないのですか?ほら、その、カリン体調とか、ご家族にとか」
「私の家族は死んだ。それに、隊長には言うまでもない。…いや、そうだな。じゃあ、お前に遺言を残すとするか」
「私に、ですか?」
ラトヴィールはコクリと頷いた。
「カリン隊長の期待を裏切るなよ。きっとお前は、隊長に残された最後の精神の支柱だろうからな。…ああ、くそ。空が青い。せめて、もう少し大人になってから死にたかったな…」
ラトヴィールは一雫の涙をこぼし、穏やかな表情を取り繕って瞳を閉じだ。そして、彼女は二度と言葉を発することはなかった。唯一残っていた彼女の遺品である戦斧を微風に吹かれて飛んでいく塵の傍に置き、冥福を祈ってからできるだけ静かに立ち上がる。
「カリン少佐、こちらは終わりましたよ。…そちらは、どうですか?」
◇
「そんな、ラトヴィール!」
周囲に漂っていた濃密な魔力の気配が霧散し、そしてヘストリカの悲痛な叫びで一つの戦いが終わったことを察する。せめて、剣神に一人の剣士として認められるよう心の中で十字を切りながら私は別れの覚悟を決めた。
「許さない…!せめて、お前だけは同じ所へ送ってやる!」
幾重にも重ねられた魔法陣から光線が放たれる。私はそれを太刀で弾きながら一歩一歩距離を詰める。ヘストリカも後退って距離を取ろうとするが、恐怖の為かその一歩は小さく、そして震えていた。
ヘストリカが創造した両手剣は魔力が常に放出され続けていた。どう考えても体格に合ってはいないが、魔法陣を展開する速度が向上しているのを見るに、魔力の制御を容易にさせる能力が備わっているのだろう。
「最期ぐらい、潔くなったらどうだ」
「私はただでは死なない!カリン隊長、あなたもここで死に絶えるの!」
ヘストリカは剣先を私の喉元に向けると、自身の魔力を解放した。髪がたなびき、そして、地面と空には私を囲むように巨大な魔法陣が浮かび上がった。
「…っ、これが狙いか」
「私だって、無策で隊長に挑むほど馬鹿じゃない!」
ヘストリカはその闘志を瞳に映しながら魔法陣を完成させる。それらは私を取り囲み、魔法陣から一歩でも外へ出ようとすれば赫怒の炎によって私は苦しみながら死ぬのだろうと、なんとなくだが察することができた。
「猛火円環」
「よくできている。これならば、お前でも十分前線で戦うことができるだろう。だが…」
一人では隙を見せてばかりだったヘストリカもこうして策を弄し、成長した。だが、決して喜ばしいことではないが、ならば私も前に進まなければならない。それは、別れだ。決して再び相見えることのない別れを私は、彼女に告げなければならない。
魔力を放出し、ただひとつだけ、祈りを込めて呪文を紡ぐ。これは模倣だ。決して褒められたことではない。ただ、それらは私の必要に適ったのみ。…いや、だからこそ、私は偶然に感謝し、必然を呪わなくてはならない。
「魔力封鎖」
「なっ…!?」
絡まった糸を解くように組み立てられた魔法陣を解いていく。『道化』の魔力封鎖とは違うかもしれないが、魔力は無効化された。太刀が重い。身体強化ができなければ、結局私もこの程度に過ぎないということだ。後は老いていくのみの一人の人間。断じて英雄などではない。だが、今だけは…
「私の勝ちだな」
紅く灰燼となった魔法陣の下を歩き、呆然とした様子のヘストリカへと歩みを進める。
「…私を恨むなよ」
太刀を振り上げ、そして落とす。刃はいともたやすくヘストリカの肉を切り裂いた。ヘストリカは一度血を吐くと膝から崩れ落ち、彼女の体は先端から塵へと帰していく。
「カリン、隊長…」
「…どうした」
「私は、どうして、こんな…」
「後悔するのはやめろ」
「…!」
薄く積もった粉雪から顔を覗かせるヘストリカに視線を合わせ、体を動かしたせいか少し汗の滲む髪を撫でてやる。
「隊長、寂しいよ…」
「心配するな。私はまだそちらには行けないが、先にラトヴィールが待っているからな」
「…そう、そうね。なら、私もラトヴィールを待たせないためにも早くいかなきゃ…」
穏やかな表情で事切れ、風に吹かれて消えていく彼女の魂を見送り、私は北極からの容赦のない冬の気配に身を震わせた。やはり、知人を手にかけるのはいい気分ではない。もうこんなことは御免だ。…ペイルーが二人のことを後悔したように、私も、いや、ならば私はアレクトを守らなければならないな。
「…っ、こちら四〇一特別魔導大隊。応答を願う」
そして、戦いにもひと段落ついて空気中の魔力濃度が低くなると、管制塔からの通信が入るのも、今更ながら懐かしく思えてしまう。旧大陸では管制塔から指令を受け取り、東奔西走するのが日常だった。この広大な新大陸ではそんなことをしていれば心身ともに身が持たないためすっかり忘れてしまっていた。
「四〇一特別魔導大隊、ラグノーブル方面への展開を撤収させ、直ちにランカラ方面へ急行せよ。ランカラ防衛司令部からの緊急要請である。繰り返す…」
「通信感度は良好、復唱の必要はない。だが、どういうことだ?ランカラに急行しろだと?」
私の疑問に管制官は一度大きく息を吐くと、冷静に、されど心臓の鼓動を早めながら言った。
「ランカラに、『魔女』『王子』両名が出現。即応戦力が両名に対し頑強な抵抗を続けていますが、戦況は好転せず。カリン少佐は直ちにランカラに急行するようとバルトウィク少将が…」
「ここでバルトウィクがでてくるのか…」
C軍集団司令部名義ではなく、ランカラ防衛司令部名義な時点で薄々察してはいたが、どうやらランカラは相当な窮地に陥っているらしい。ランカラ防衛司令部はランカラの緊急時にC軍集団司令部に対して例外的に命令の優越権を持つ。これは、世界大戦での命令系統のゴタゴタを解消するために行われた施策だったが、まさか、実際にお目にかかることになるとは…
備えあれば憂いなしとはよく言うが、この言葉は備えとして使われる側がどうなるかについては言及されていない。恐らく、このままランカラに急行すれば死守命令の下『魔女』と『王子』に悪戦を強いられることになる。
「…了解した。今すぐランカラに向かうと伝えてくれ」
「ランカラは既に高密度の魔力で覆われ、通信がつながらない可能性が高いと思われますが…」
「有線でも無線でも何でもいい。とにかく、司令部に伝言を伝えてくれ。…多少なりとも朗報を伝えてやらねば、彼らの努力が報われん」
魔力通信を切り、そして僅かにぬくもりを残すばかりとなった血だまりを見下ろして浅く息を吐く。額には汗が滲み、ヘストリカの最期の表情が脳裏に焼き付いて離れない。
「…やるしかない、な。消極的な積極性。それが、私が動くための原動力なのだから」
帝国も、そして私も。決してそれを望んでなどいないが、渋々力強さを実践している。そうだ、守るためだ。アレクトを、そして、名前は知らないが未来のために命を燃やす若き兵卒のためにも、私は一騎当千を実践せざるを得ない。
「…最後に立つのはこの私だ」
後ろに救いを求める人々がいるからこそ、私は帝国一の魔導兵であり、英雄であり続けられる。だから、進み続けなければならない。
…その道がどんなに歪で、その先に待つものがいかなる絶望だとしても。




