人は、孤独であるからして
「アレクト様、御髪を梳かしますよ」
少し遅めの朝食も摂り終えた後、私はエルに乱れた格好を整えさせられていた。どうやらカリン少佐はヴィシア大佐から受け取った命令書のことについてレーリッヒ大将に面会を求めに行く腹づもりのようだ。勿論のことながら、事前にアポイントメントは取っていない。今回もあの時のように強行突破で会いにいくらしい。できればなにか菓子折りでも持っていくのが礼儀なのかもしれないが、少佐に振り回されている今のうちはそれもいいだろう。…なぜなら、責任は全て少佐に行きますからね。
「なあエル。アレクトの身支度はそれぐらいでよくないか?」
「よくありません。カリン少佐は軍服を着ればそれでドレスコードになるかもしれませんが、アレクト様は貴族です。外でだらしないお姿でいては社交の場で一体何を言われるか…」
「…そうだったな。なら、私はもう一度コーヒーを淹れるとしよう」
カリン少佐がエルに叱られる様は、まるで、美容に節操のない夫が妻の逆鱗に触れてしまったかのようだ。エルの口から滔々と紡がれる言葉の数々を少佐は無関心を決め込むことで穏便に事態を済ます。…私も、せめて童顔でなければもう少し大人らしく見られたんだろうけどな。お父様もレーリッヒ閣下も、やっぱり私のことを子供として見ている気がしてなりません。
『…私としては、そのままのアレクトの方が好きなのだがな』
「少佐、私がどうかしましたか?」
「いや、何でもない。気にするな」
「…?」
そんなこんなで一応の準備を済ませ、私たちはレーリッヒ大将にお目見えするために参謀本部へ向かう。太陽の陽気にさられ、少し暇している憲兵を捕まえ、車を出させる。いつもよりも人通りが少なくなった道を少し走ればあっという間に参謀本部へ到着だ。少佐は慣れたように憲兵からの敬礼を受け取り、堂々と歩いている。
「カリン少佐も、やっぱりここに来ると緊張したりするんですか?」
暖房のよく効いた廊下を歩きながら、ふと気になったので質問をしてみる。参謀本部の厳粛な雰囲気は貴族のそれとは違い、威圧感を放っていてどうしても緊張してしまう。行き交う人々の背筋は皆悉くが地面に対して直角で、やましいことがないにも関わらずついソワソワしてしまう。
「緊張?いや、ここにそんな気持ちを抱いたことはないな。…まあ、確かに今のこの様を見れば奴らの自負心も威圧的にも感じなくはないが」
優しい目つきでこちらを見つめながら少佐は続ける。
「三年前の、この終わりの見えない戦いが始まった当初のことを思えばそんな表面上の見せかけだけの力は馬鹿馬鹿しく思えるようになる。彼らの慌てふためきぶりは酷かったぞ?彼らはみっともなく廊下を駆け、会議室からは怒号と悲鳴が絶えることはなかった」
「確かに、それを見ることができていれば今の状況はどうにかして平静を取り繕っているように見えて愉快なことこの上なかったでしょうね」
「…アレクト、目つきが怖いぞ?」
「あら、すいません」
道ゆく人からは時に畏敬を、時に不快感を向けられながらただひたすらに廊下を歩くと、レーリッヒ大将の秘書の姿が見えてきた。彼は名簿のようなものを眺めながら欠伸をしかけると丁度こちらに気がつき、下しかけていた欠伸を引っ込めてこちらに怪訝そうな視線を向けてくる。
「…また、あなた方ですか。もう少し計画的な犯行を学んだほうが、互いにとって有意義な関係になれるとは思いませんか?」
「いつも私はお前を驚かせることに成功しているのだ。十分、計画的な犯行だと思うんだが」
「…もういいです。閣下はいつもと違う方におられますので、お間違いなく」
「迷惑をかけるな」
「本当にです。ですから、今度からはご勘弁を」
「善処しよう」
蓄積した疲労を堪えるように苦々しく言う秘書を少佐は一瞥した。私は声に出さずに「ごめんなさい」と口だけを動かして謝意を伝えておく。…本当に、お疲れ様だ。
「…」
「少佐、どうかしましたか?」
「止まれ」
少佐は立ち止まると、右手で私の行く手を塞ぐ。視界の先には白髪の男性の姿がある。服装から見るに魔導兵だろう。そして、肩章を見るに階級は中佐だ。
「…カリン・セラント。どうした、何かあったか?」
「クランハルト、今のお前は狂っている。まるで、同胞でも殺し始めるのではないかと勘繰ってしまうほどにな」
「…ふっ、そうだな。お前は聡いのだから、私の考えなどお見通しか。だが、無論証拠は残さないとも。お前が心配することではない」
「…あまり、無理はするなよ」
「四十人が四十一人になったところで、今更私が壊れるとでも思っているのか?ああ、そうだな。お前からすれば四十三人だったかな?」
優雅に肩を竦めるクランハルトをカリン少佐は眉を顰めて見つめている。
「…悪いな。冗談だ」
クランハルトは少し違和感のある笑みを浮かべると、再び歩き出した。少佐は彼の後ろ姿を微妙な表情でしばらく見つめ、そして小さく息を吐く。
「彼はクランハルト・フォン・レルモルド。近衛親衛隊の第五隊長だ。いつもはもう少し冷静で、私からしても頼れる奴なんだが…」
「何と言いますか、錯乱しているようでしたね」
私の言葉に少佐は頷いた。…クランハルト・フォン・レルモルド。確か、レルモルド家はリーベ家の分家の分家みたいな家だったはずだ。新大陸開拓時代に旧大陸に残り分家となった家のさらに分家。遠い親戚だけど、個人的には関わりは無いので今回が初対面ということになる。お父様なら彼のこともよく知ってるかもしれないけど、今はとりあえず顔と名前を覚えておけば次に会ったとしても失礼にはならないだろう。
「…ならば、閣下も少々錯乱しているかもしれんな」
「そうですかね?いつまでも冷静な御仁だとお父様は言っていましたが」
自分の見える世界が全てだと思わずに、あの年齢になっても進むのを止めないあの閣下が錯乱している?…ちょっと、想像できないかな。
「カリン・セラントです」
カリン少佐は前回と違う扉を数回叩く。そして一息置いて名前を名乗った。静寂が空間を支配する。緊張のせいか、私が堪らず身震いをすると、それを待っていたかのように扉の中から声が返ってきた。
「入れ」
「失礼します」
部屋に入るとレーリッヒ大将は手を後ろに組み、窓から外を眺めていた。そして私の後ろで扉が閉まる音が聞こえると、レーリッヒは髭を撫でながらこちらに振り向き、そして驚いた。
「アレクトまでいるのか」
「当事者ですので」
「ならば問題ないな」
レーリッヒ閣下は来客用のソファに腰掛けると、私に座るように視線で促してきた。私は肘で少佐の腰を突き、座るように言われていることを伝える。
「…よろしいのですか?」
「そんなに私が短気だと思うか?新大陸で派閥を築き上げたこの私が」
「そうおっしゃられるのでしたら」
少佐はぎこちなくソファに腰掛け、次に私がその隣に座る。エルも座れるように少し詰めたのだが、どうやらエルはあくまでも私の従者でいるらしい。ソファの横でちんまりと佇んでいる。
「さて、早速だが用件を当ててやろう。ヴィシア関係だな?」
「その通りです。先日の宴会の席にて、突如来訪したヴィシア大佐からアレクト少尉が私に宛てた命令書を渡してきました」
「なぜ、本人に直接、ではなくアレクトを挟んだ?」
「…その、私が、その時既に酩酊していたためです」
少し顔に紅を刺し、俯きがちに答える少佐。そしてレーリッヒはそれをほうほうと頷きながらそのことを聞いていた。…やめて、カリン少佐が恥ずかしがってるじゃん!
「か、閣下?それで、どうして私たちがヴィシア大佐の件だとお分かりになったのですか?」
あの時はてっきり大佐の耳が特段の地獄耳なのかと思ってしまっていたが、もしかしたらC軍集団の上級将校のデフォルトがアレなのかもしれない。そして、優秀であるにはまず情報を得る必要がある。ということは逆説的に、彼らは情報をどこからともかく得ることができるからこそ、有能であるのだろうか。
「なに、簡単なことだ。私もあの胡散臭い大佐のことを怪しいと睨んだまでのこと。奴は何処にでもいる。奇妙なことに、新大陸の話題の悉くにな」
髭を撫でながら、レーリッヒは余裕な笑みをうっすらと浮かべる。
「では、これはどうするおつもりですか?」
「ふむ、これが件のか」
私は出発する前にこっそり懐にしまっておいた命令書もどきをレーリッヒに渡す。カリン少佐はいつの間に、と言いたげな視線でこちらを見ていたが、証拠品を持たずにこの人が犯人です。というのはただの子供の戯言に過ぎない。…んです。カリン少佐、もっとそういうところはしっかりしてください。
レーリッヒは私が差し出した命令書もどきを流し読みすると、ニヤニヤと、まるで子供の企みを見破ったかのような優越感の混じった表情を浮かべた。
「ふむ、なかなかいい案ではないか。…そうだな。だが、悩ましい。事実では、事実ではある。そして、クランハルトもそう言っていた。だが、最初からそれすら想定内だとすれば?」
「クランハルトも、ですか?」
レーリッヒはポケットを探り、そしてこちらとを何度か見比べると「すまん」と言って葉巻に火をつけた。そして控えめに煙を肺に溜め、それを控えめに吐き出す。
「…そうだ。その様子だともしかしなくとも廊下ですれ違って互いに自己紹介でもしたようだな。先程、クランハルトが押しかけてきた。そして、私の正気を疑った。勿論、私は正気だ。誰が何と言おうと、民衆が投票によって私は狂っていると決定しようとも、私は常に冷静だ」
「だから、あんなに…」
疲れていたのか。少佐は私とレーリッヒの会話の邪魔にならないようにボソリと呟く。
「彼には私の悪巧みを手伝ってもらうことになった。格別な推薦状付きでな。だが、それすらも罠だったかもしれん。今の私には、そう思えてしまう状況証拠が揃ってしまった。私は間も無く決断を迫られることになる。酷い二択だ。さて、私はどれほど長い芋蔓を引き抜くことになるのだろうか」
「その様子では、決断というものもそこまで悪いことではないように思いますが」
「それは客観視ができているからこそ抱ける感想だろう。どちらを取るか、全て自己責任というのはなかなか腰にくるものがある」
レーリッヒは腰をさすり、ソファのスプリングに身を預ける。
「それでは、閣下はこれから責任を逃れる腹づもりで?」
「馬鹿を言うな。だが、確かに不当な評価から逃れられないのならば、それ相応の対価は欲しいところではある」
「でしたら、私たちを酷使してくだされば」
「どういうつもりだ?」
葉巻を一度灰皿へ置き、レーリッヒは前のめりになる。今まで話についていけず黙っていたカリン少佐も、酷使という単語に反応してこちらの様子を窺っている。
「まずは、外敵の排除を。次にそれを以てして内憂の切除を。良いではありませんか。貴族とはそうでなくては。それとも…閣下は小心者であらせられるのですか?世界大戦の英雄でもそうなってしまうというのは、時の流れは何とも残酷でありますね」
「ほう?まさか、自分を売るつもりか?」
「売るのですから、ぜひ対価が欲しいものではあります」
「今後の何かのために融通を効かせる準備をしておけと?はっ、大きく出るではないか」
「きっと面白くなりますよ。今年の舞踏会は」
私の十八番である貴族スマイルをレーリッヒに向かってニッコリとかます。彼は驚き、そして少し打算的な思考を行い、そして不敵に笑ってみせる。
「もう、出るというのか?あんな場所に無策で飛び込めば無傷では済まないが」
「勿論です。それでは、もし困ったことになったとしたら閣下のお力添えに期待するとしましょう」
「あくまでも善意で、か」
足を組み、天井を仰ぐレーリッヒ。私はそれを見てニコニコと微笑んでいると、隣からカリン少佐が囁いてきた。
『…つまり、どういうことだ?』
『レーリッヒ閣下は非常に悩んでおられました。クランハルトの進言と、そして閣下の分析からしても北方戦線への魔導兵の派遣は行わざるおえず、しかし、少数で、かつ強力な魔導兵は私達四〇一特別魔導大隊しかいません。派遣すれば、その間のランカラの防衛は手薄になります。怪しい行動をとるヴィシア大佐を尋問すればもしかしたら情報は判明するかもしれませんが…』
『最初言っていたように時間がない、と』
カリン少佐は分かったような、分かっていないような複雑な表情を浮かべ、腕を組んだ。私はこれが自分の罪を出来るだけ軽くして終わらせる好奇だと考え、畳み掛ける。
『ですので、私は閣下にすぐ行ってすぐ帰ってくるので北方の外憂を取り除いてきますと言いました。そして、これで貸し一ですね、と』
『大将相手に公平な取引だと?…気が遠くなりそうだ。ん?ちょっと待て』
頭を押さえて参った様子の少佐は何かに気がついたようで、悩むのを中断すると、真顔でこちらを見て言う。
『それは、つまるところ私には何も美味しい話がないということではないか!』
少佐は私の肩をがっしりと掴み、前後に揺らす。
「い、いや、少佐はいつも激務らしいのでこれぐらい大差ないかな、と思いましてえ」
「そんな訳あるか!…全く、お前は私をなんだと思っている」
「え、ええと、頼もしい隊長、ですかね?」
「くっ、この鈍感が!」
「ちょ、ちょっと、揺するのをやめてくださいー!」
私はさらに激しく揺らされ、今や世界の全てがぶれて見える。そして、少し気持ち悪くなってきた。そろそろやめて欲しいけれど、少佐はまだ怒りが収まらないようで、むしろ肩を掴む力は強くなってきている気がする。
「…あー、私は同性愛を否定する気はないが、なんだ、その。出来れば人目を憚ってはくれないかね?」
そして気まずそうにレーリッヒ大将が喉を鳴らすと、少佐の動きはぴたりと止まった。思えば途中から声も大きくなってしまっていたし、こんなものを目の前で見せられては気分もよくなはずだ。
「…も、申し訳ありません」
カリン少佐は頬を赤くしながら縮こまって謝罪をし、レーリッヒはそれに鷹揚に頷いた。非常に気まずい雰囲気だ。できれば、今すぐにでも退出してしまいたい。
「二人は今すぐ出立の準備をしろ。今回は空軍により敵地偵察は実行済みだ。仲間外れにする気はないが、速度重視がためにエルは置いていけ。差し支えなければ私が面倒を見る」
「閣下、先程の無礼と重ね重ねになりますが、発言をお許しください」
「別にその程度のこと気にしてなどおらんよ。言ってみろ」
カリン少佐が申し訳なさそうに口を開き、レーリッヒはそれを許した。少佐はこれ以上の無礼が無いように言葉でも選んでいるのか口をワナワナさせ、それでもいい言葉が見つからなかったのかため息混じりに話し始める。
「エルを、久しぶりにクランハルトに合わせて欲しいのです。ここで二人の関係を公表するのは忍ばれますが、その…」
「恋仲、か。いいだろう。一時的にアレクトがエルをクランハルトに貸し出すという程で彼に面倒を見させる」
レーリッヒの言葉にカリン少佐はこっそりと胸を撫で下ろし、チラリとエルの方を見てみると、無表情のまま頬に紅を刺していた。言わずもがな、恥ずかしいのだろう。少佐は確かに気遣いはできるのだが、肝心のやり方が下手だ。そういうところもまた魅力ではあるのだけれど、時と場所は選んで欲しい。
「さて、言ったからにはやってもらうぞ。縦断列車の一等席を用意させる。装備を準備して、今すぐ出撃しろ」
レーリッヒは声色を一段低くし、堂々と宣言した。私と少佐はそれに頷く。私達の向かう先はラグノーブル。
…氷に閉ざされた陸の孤島が、私達の次なる戦場だ。




