表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界戦線  作者: Chira
第一部 新大陸編
17/36

少佐と中佐と大佐と

カリン・セラントは太陽の光で目を覚ます。普段ならばこのようなことはありえないはずなのだが、一体どうしてこんな時間まで目が覚めなかったのだろうか。彼女が雲によって直視できるようになった太陽を窓の隙間からのんびりと眺めていると浮かびがった疑問は、次に思考と共に脳内を巡った頭の痛みによって答え合わせが行われた。


「二日酔い、か」


事態と、そして今自分が身につけている衣服が軍服であることを確認し、カリンは疑念を確信へと変えていく。そして、ベッドの中を眠気と頭の痛みを誤魔化すかのように蠢いた後、乱れた髪を掻き上げて、カリンは上半身を起こそうとした。


「…?」


ところが、普段ならば何者にも阻まれることなく自由の身であった彼女の肉体は、左腕の上にのしかかる重りによって行動を制限された。いや、それは重りなどではなかった。カリンは彼女の姿を見て相好を崩す。細いながらも筋肉のついた腕、見る者を虜にする銀髪の中にある流星のような金の髪束を持った聡き少女を見て。


「アレクト?どうしてこんなところに」


ここは私の私室のはずなのだが、普段ならばありえない光景を目にしてカリンは一瞬訝しむが、その答え合わせは再び脳内を駆け巡る痛みによって行われた。宴の席で意識を失った私をアレクトが運んできてくれたのだろう、カリンは貴族らしからぬアレクトの行動に感心しつつ、彼女を起こさないようそっと左腕を引き抜いた。


「…迷惑を掛けたが、何故かあまり申し訳なさを感じないな」


グラスに注いだ水を飲み干し、頭の痛みが多少は緩和されると、気の緩みからかそんな言葉が彼女の口から溢れる。どちらかと言えば、むしろ温かい。既にアルコールは抜けているというのに、心臓の周りを正体不明の温もりが包み込んでいる。


カリンは酒に弱かった。初めて飲んだ時もたった一杯で彼女は酒に呑まれてしまったのだ。その経験が彼女の中ではトラウマに近しいものとなり、以降、カリンはなんとなく酒に対して嫌悪感を抱くようになってしまった。別にアルコールが嫌いという訳ではない。ただ、少量の飲酒でも意識が朦朧としてしまう自分自身がいわば恥ずかしかったのだ。


あの時も、勿論カリンはアレクトからの奇妙な形でのハラスメントを拒否するつもりでいた。当時のカリンは乾杯の音頭に従い、一口、たった一口飲んだだけで意識は既に朦朧とし、殆ど夢の中だったからだ。


なのに、とカリンはそこまで思考し、けれど二日酔いの頭痛によって考えは遮られる。


「今は何時だ?それと今日は、いや、ひとまず食事の準備だ。色々と、やらなければいけないことはあるが…」


そして、考えることをやめた人間は動き出すしかない。カリンはまだはっきりとしない視界で時計の針が指す時刻を確認し、柄でもなく大きな欠伸を下す。


「エルも不在か。どうやら、私たちは無邪気な小悪魔にまんまと踊らされてしまったらしい」


普段は何を言われずともこちらが望む行動を取るエルまでもが、アレクトによって潰されてしまっている。どうやら、というかやはり、いくら中身が成人済みでも、あの体ではアルコールが早々に体中に巡ってしまったのだろう。たとえ偶然にも掴んだ命とはいえ、あれでは趣味もままならない。


「一応、部屋を訪ねてみるか。起きているといいんだが…」


カリンは堪え切れずもう一度欠伸を下し、最低限の身だしなみを整え、優秀な何でも屋を尋ねる準備を済ませる。そして顔を洗ってふと、アレクトの寝顔が目に入った。貴族というのは、どうして寝顔ですら整ってているのだろうか。優雅なアレクトの寝姿を見たカリンは、心の底で何かが湧き上がってくるのを感じた。


「…美しいな」


そしてカリンは本能に従い、あくまでも慎重に、且つ大胆に、アレクトの前髪を掻き上げ、額に唇を重ねた。そして口を離し、くすぐったそうにしている彼女の寝顔を愛おしそうに眺める。そして間もなく体の主導権が理性に返還されたために脳は冷静さを取り戻し、状況を理解したカリンはひどく赤面した。


「何をやっているんだ、私はっ…!」



太陽の眩しさを瞼は遂に防ぎきれなくなり、脳には視覚から光という情報を受け取る。即ち、目覚めだ。そこまで考えて、私はもうあの状態には戻れないことを実感し渋々ながら目を開いた。


上半身を起こすとまず、衣擦れの音で今の自分は平穏な睡眠を行うには程遠い衣服を身につけていることが分かった。よくこんな格好で眠れていたなと昨日の自分に奇妙な感情を抱きつつ、いつまでもこうしているわけにはいかないのでまずは着替えようと思い立つ。そのためにも、とりあえず未だぼやけている視界を目を擦ってやって明瞭なものとする。


「うーん、ここは何処でしょうか?」


そして視界がはっきりとしてくると、ここは私の部屋ではないことが分かった。間取りは同じのように見えるけれど、内装が所々違う。つまり、私はあの後寝ぼけて他人の部屋に入り、そのまま寝てしまったということだろうか。そうなれば非常に不味い。これは不法侵入にあたるのだろうか。この部屋の主が話の通じる人だといいけど、そうでなかった時が怖い。


「…あ、これヴィシア大佐からもらったのだ。どうしよう、これ」


胸の前の違和感から懐をゴソゴソと漁ってみると、そういえば昨日ほとんど酔い潰れていた大佐から受け取った一つの封筒があった。この封筒の中には少佐への命令書が入っていると大佐は言っていて、そしてその内容は大佐が口を滑らせてくれたおかげで何となく把握して入る。…まさか、大佐がハーデル・ロンバルトでの出来事を知っているとは思いもしなかったけど。


C軍集団のお偉いさん方は頭が回る。さすが、新大陸という比較的自由の思想が幅を利かせる界隈でそんなリベラル派の人間達と折り合いをつけ、今はむしろ彼らを派閥の中へ取り込んでしまう手腕なだけはある。今のうちはただそんな彼らのことを強かだなあと思いつつ、後方で眺めるだけで済んでいるけれど、今後私が身の振り方を間違えてしまえばそうはいかなくなってしまう。彼らにどんな態度を取るべきなのかについては、最新の注意を払わなければならない。


そんなことを考えていると、遠くからガチャリと鍵が開く音が鳴り、いくつかの足音が耳に入ってきた。…不味い、ゆっくりしすぎたかも!


「…アレクト、起きていたのか」


「ええっと、はい。まあそんな感じです。…もしかしなくても、ここって少佐の部屋だったりしますか?」


足音の主の正体がカリン少佐だったことが判明し、胸を撫で下ろすと、同時に昨日の記憶もだんだんと思い出してきた。


確か、エルを部屋まで運んで、後はカリン少佐のみとなった時、私も気が緩んだせいか力尽きて少佐のベッドで眠りに落ちてしまったのだ。そしてそのまま目覚めることもなく、すっかり寝坊して今に至る、といったところだろう。


「そうに決まっているだろう。…それと、介抱してくれて助かった。すまなかったな」


「おはようございます、アレクト様。…昨日はご迷惑をお掛けしました」


少佐はエルを引き連れて部屋に入ると、いそいそと食事をテーブルの上に並べ始める。二人は言葉にはしていないが、きっとこの様子を見るに私と同じく寝坊をしたのだろう。


「ん、そうだカリン少佐。こちらをどうぞ」


「なんだ、これは?」


「昨日のクラブで突然来店してきたヴィシア大佐からです。話では、少佐への命令書だと」


酸っぱくて味もイマイチな黒パンに齧り付きながらながら少しよれてしまった封筒を少佐に渡す。少佐は封筒を見て顔を顰めつつも中身を確認し、そして目を見開いて驚愕し、一瞬のうちに平静を取り戻した。


「…おいアレクト」


「は、はい?」


「これはヴィシア大佐から受け取ったんだな?」


さっきまでの優しい目つきは何処へやら、私は少佐の鋭い目線の直撃を受けて硬直する。


「ええ、勿論です。少佐は私が嘘をついているとお思いでいるのですか?」


「いや、そういう訳ではない。ただ確認したかっただけだ。…厳しい言い方になってしまったのは私の癖だ。すまない、あまり気にしないでくれ」


こめかみを押さえつつ、謝罪する少佐は再び書類に目を通し、そして気持ちを落ち着けせるためかコップに注がれた水を飲み干した。


「…なるほど、つまりヴィシアは相当な道化らしい。奴め、こんな情報をこちらに渡して一体何が目的だ?」


「ええと、少佐?そんなにおかしいことが書いてあったのですか?」


「これを見ろ。アレクトならある程度は読めると思う」


少佐は封筒の中に入っていた書類を乱雑に渡してきた。私は言われた通りに内容を読み込んでみるが、残念なことに一体これの何がおかしいのかはよく分からなかった。


「『特に内容に変な部分はありませんよね?』とでも言いたげな顔をしているな?」


「へ?私、そんなわかりやすい顔をしていましたか?」


カリン少佐に溜息をつかれ、私は咄嗟に頬を押さえる。口角が上がっているのかもと思ったが、どうやらそうではないらしい。


「最初はもう少し硬い表情をしていたが、今日は特にな。すっかり、年頃の少女の顔だ」


「もう、少佐はずるいですよ。そんなこといっても、私はイエスマンの秘書として少佐を採用したりはしませんからね」


二十歳という大台を超えて余裕綽々でいる少佐に私は少しだけ悪態を吐き、少佐から渡された書類を返す。悔しいけれど、やっぱり分からなかったのだから仕方がない。味の悪いスープを飲み干し、眠気覚ましに代用コーヒーに口をつける。


「確かに一見するとこれは正式な命令書のように見えてしまう。しかし、だ。正確にはこれはリークになる。何故なら形式が正確なものではないからだ。もしかしたら勿論これが正式なもので、偶然違う形式で書かれてしまった可能性があるが、まあそんなことは奴に限って万が一にもないだろう。つまりだ。これはほとんどヴィシアの独断で本来公開されてはならない情報を公開したと考えてしまっていいだろう」


昨日クラブにて私がヴィシア大佐から聞いた話はこの書類の中にある「第四十七師団のラグノーブル撤収を囮とした奇襲作戦」の内容と合致していた。けれど、どうやら少佐曰く、これはおそらく大佐が独断で私たちに情報を流した可能性が高いらしい。そう考えるに至った根拠は私にはよく分からなかったが、長いこと上から命令を下令されていた少佐にはその僅かな違いは決定的なものとして映ったのだそうだ。


「これを受け取った時の話なのですが、大佐は私たちのハーデル・ロンバルトでの戦闘の一部始終も知っているようでした。もしかしてヴィシア大佐は、C軍集団参謀付けのエリートだったりするのですか?」


「なんだと?聞いていないぞ」


「ですから、今お話ししたんです。ほら、私と少佐は互いに今さっき目覚めたばかりでしょう?」


それから私はあの時のことを短く、正確に話した。大佐がどうやってかは知らないがあそこでささやかな宴会をしているのを何かしらの手段を講じて察知したこと。そして封筒を受け取った経緯から、私がその時彼から一体どんな話を聞かされ、何を思ったかまで。一切を隠す事なく正直に少佐に伝える。


「ハーデル・ロンバルトの軍を南下させて南部の敵軍の側背を突く、か。アレクトは世界で初めての女性将軍になるべきかもしれないな」


そして、私が考えた作戦案をカリン少佐は気に入ったようだった。相変わらずの代用コーヒーのクオリティーに顔を顰めながらお世辞なのか本心なのか分からない言葉を溢す。


「えっと、それでカリン少佐はヴィシア大佐のことをどう思ったんですか?今の所、彼はグレーなのでしょう?」


つまりどういういことですか?、と私が結論を急がすように聞くと、少佐は静かに首を横に振った。


「いや、アレクトの話を聞いて確信した。彼女は黒だ。確実にな」



アレクトが丁度乾杯の音頭を取っていた頃のC軍集団総司令官の執務室にて。


「ほう、ヘルモルクも中々思い切ったことをする。そして、ここにきて奴の影が見えてきたな。…なるほど、奴は一体何をしでかす気だ?」


クランハルトは大陸縦断列車の最終便に押し掛けで乗り込むことに成功し、何とか今日中にレーリッヒにお目見えることに成功していた。無論、最悪な旅であったが、クランハルトはそのことを表情には出さず、レーリッヒがヘルモルクが認めた手紙読んで表情をコロコロと変えるのを黙って見ていた。


「さて、お使い大変ご苦労だった。生憎にも対価として支払えるものはこれぐらいしかないが…」


そう言って机に置かれた葉巻のケースをクランハルトは黙って受け取る。自分で使うことはないだろうが、それ以外にも嗜好品であるならば何か使い道はあるだろう。そう考えて。


「考えを聞こうか。どうやら中佐は大分奴に気に入られていたそうではないか。ならば、ぜひ私にランカラにいる我々が次に打つべき一手と、ヘルモルクの奴にいったい誰の息がかかっているのかをご教授願おうか」


「知恵比べですか?私としては構いませんが」


クランハルトは顎に手を当て考え事をするポーズをとる。しかし、彼がレーリッヒの求めている答えを探そうにも、どうしても脳裏に浮かんでしまったのは、何故こんなことになってしまったのかという疑問だけだった。


生来、クランハルトは大層な努力家であった。ただし、努力家というのは俗に言われる才能の産物ではなく、頂点に天才を据えた容赦の無いピラミッドのところで言うところの中の下。つまり、クランハルトは手足となるばかりで、己から積極的に大局を見据えようと考えたことは無かった。


そうは言うが、これもまたクランハルトにとっては難儀なことで、手足の役割には組織の中で頭脳担当の存在の御機嫌取りも含まれていた。部下という存在は上司の胡麻をするためだけに苦汁をただひたすらに耐えている訳であってして、上官の機嫌を損ねるようなことなどあってはならない。そんなことがあれば、自分自身が手足として役目を果たすことすらままならなくなってしまうのだから。


「ヘルモルク中将はあのような言動を取ってはいますが、とても計算高いお方です。第四十七師団をバルトニークまで撤退させる際にも、迅速な撤収が可能だと、そう判断したのです。…ですから」


そこまで言葉にしてクランハルトはふと思い出す。確か、この手紙は撤退の際に無防備となる背中を守る何かしらの策となるとヘルモルクは言っていたな、と。そして殿も務まり、尚且つごく少数で、むしろ反攻ですら行えるであろう兵科はただ一つ。魔導兵だ。空軍による援護も確かに有効ではあろうが、彼らは使い勝手が悪く効果も限定的。現在進行形で撤退中である四十七師団に必要なのはまさに自分のような魔導兵なのだと、クランハルトは確信する。


「精鋭の魔導大隊を投入してはいかがでしょうか。彼らならば非常に柔軟に機動戦が行えますし、場合によってはそれを指揮するネームドの撃破も狙えるかと」


「そうなればランカラの防衛はどうなる。小を拾うために大を捨てるなど、あってはならないぞ?」


「まさか。北とは違いきちんと数を揃えられている南部軍がたった数十名の魔導兵の不在によって壊滅するのですか?」


「ほう…言うじゃないか。いいだろう。だが、派遣する魔導兵は彼ら、ではなく彼女らだ」


顎髭を撫で、満足そうに頷いたレーリッヒを見てクランハルトは肩の力を抜いた。久しぶりに頭を使ったせいか、彼は後頭部の方が少し熱くなるのを感じる。


「それで、中佐はヘルモルクの背後に誰の影を感じた?」


「私は派閥の前に一人の帝国軍人であります。ですから、ヘルモルク中将の御英断に無用な詮索をするべきではないかと」


「ほう、ある程度は察しているだろうに、中佐は口が硬いな。だが、それも一理ある。否定はせんよ。中佐」


「上手く躱したな?」と言いたげなレーリッヒの視線に当てられたクランハルトは「恐縮です」と肩を竦める。しかし、その考え自体はクランハルトの本心からのもので、そして彼が今の軍部に辟易している理由でもあった。


クランハルトは穏やかな愛国主義者である。三千年続いた皇帝による善政と、その成果として存在する新大陸と旧大陸の広大な領土は彼の考えを確固たるものとした。


ただし、ここ最近はどうだろうか?帝国は歴史上類を見ない大勝利を前にして爛れてしまっている。それは三年前から始まったこの終わりの見えない戦いを前にしても変わることはなく、帝国の中の三大派閥は軍を巻き込んで緩やかな内輪揉めを始める始末。


クランハルトはその原因の全てがレーリッヒにあると考えているわけではないが、しかし、確かに彼もその片棒を担いでいるというのは事実であろうと確信するところではあった。レーリッヒは優秀で、そして人並みに欲もあった。つまり、彼は貴族ながらも門閥主義に迎合することはなく、むしろ連合王国を打ち破ったという名声を以てして新大陸で己が牙城を作り上げたのだ。


各々がそれぞれ別の小さな正義を抱いていることはクランハルトも認めていた。しかし、その結果皇帝陛下の御心が乱されるようなこととなってしまったら?クランハルトはどうしてもそれを認めるわけにはいかなかった。たとえそれが杞憂に終わったとしても、リスクとしてそれが存在している以上、人はその他の生物とは一線を画す頭脳にて懸念せざるを得ない。


「…まあ、いいさ。そこまで言うならば、それはこちらで片付ける。だが、それはいいとして、これは中佐も同意の上でのことか?」


レーリッヒは机に置いた手紙をトントンと指で突く。


「それは…ああ、私の同意の上でのことであります。『魔女』も帰るようだし、お前も荷造りをしろ、と。四十名余りの遺志を鞄に詰め込んで持って帰るのは中々に骨が折れましたが」


「…そういえば、中佐は新大陸派遣魔導連隊の連隊長だったか。前線勤務、ご苦労だったな。暫くは後方でゆっくりするといい」


短くなった葉巻を灰皿へ放り、レーリッヒは続ける。


「ここだけの話だが、あの栄養しか取れない不味い飯には品質的に問題ないと判断された飼料用のカブが入っている。勿論、士官のはそれよりかは幾分かマシなものだが…」


「閣下、知恵比べの次は暴露大会ですか?」


今度ばかりは溜息を隠し切れないクランハルトにレーリッヒは愉快に言う。


「そうだとも。私が佐官では知ることのできない知識を中佐に授けてやる。まず一つ目だ。ランカラ防衛司令部の参謀にヴィシア大佐という非常にグレーな奴がいる。赤髪の、よく頭の回る奴だ。早速だが、中佐には奴と接触してもらう。そして可能ならば始末しろ」


レーリッヒの有無を言わさない態度にクランハルトは一瞬それを了承しかけたが、違和感を感じ既の所で開きかけた口を閉じる。


「閣下?私の勘違いでしたら良いのですが、何か物騒な単語を話されましたか?」


まさか、と思いつつクランハルトは恥を忍んで確認を取る。排除、などと物騒な言葉を決して使ってはいないと確信を取るためにも、そして、そんな厄介事を任されるのは勘弁だと思いつつ。


「うむ。勿論勘違いなどではないさ。ヴィシア大佐の排除は既に決定事項だ。今更引き下がれん。まあ、そうだな。つまるところ、中佐はあの飯で言うところのカブだ。少しの間成長の機会をやる故、その後は精々私にこき使われるといい。これぐらいで十分か?」


「…かしこ、まりました」


けれど、クランハルトは首を縦に振る。彼は、彼もまた、軍人であるが故に。今更、人を一人二人殺すことに躊躇いは無い。無い…が、ヘルモルクが言っていたことはこういうことだったのか、と。クランハルトはせめてもの抵抗と言わんばかりに心の中で悪態をついた。



ランカラ防衛司令部にて。二人の男は地図を挟み、その上に置かれた駒を動かしては正解の無い口論を行っていた。彼らの表情は余裕が無く、一方の手元にある灰皿にはこれでもかと吸い殻が積み重なり、もう一方には山積みの甘味がある。


ランカラの新大陸における重要性はその経済規模がランカラ都市圏だけで帝国旧大陸領全土に匹敵すると言えば分かってもらえることだろう。旧大陸にはない広大な平野を利用した大規模な一次産業と二次産業。そしてその人口に下支えされた第三次産業による繁栄ぶりは世界大戦後の好景気により一層顕著になった。そして、その劇的な経済成長を目にした臣民と軍部は確信する。今や帝国にとってランカラは決して不可分の領土であると。今や新大陸の方が帝国を支えている。歴史の旧大陸、経済の新大陸。図らずも、今の帝国は程よく分業が行われていた。


「いくら『魔女』が大規模破壊魔法を使うとしても、たった一人でランカラ防衛用の軍隊を壊滅させらる訳ないでしょう?ですから、その場合はむしろハーデル・ロンバルトに駐留している第二軍主力を南下させて南方を叩きます。兵站が何だというのですか。それは、必要が解決してくれます。今考えるべき事案ではありません」


「阿保か、ヴィシア。そうすればランカラに留まっている非戦闘員はどうなる。そんなことをすれば一瞬で灰燼に帰すことになるぞ?だから、全力で迎撃する。そうしなければ帝国陸軍としての示しがつかない」


ランカラ防衛司令部の設置は、つまるところ世界大戦での反省を受けたものだった。連合王国軍による急速な展開と、それに対応することができなかった帝国軍の失態による危機。結果的にランカラ防衛戦と呼ばれたそれは当時の秀才の手によって食い止められたが、このようなことが二度と起こらないように、起こさせないようにという戒めをこめてランカラ防衛司令部は設置された。


「魔導兵の絶対数が足りないのにも関わらず、普通科が出しゃばっただけでは刹那が一瞬になる程度の違いしかありません。魔法が使えなくては彼女の土俵に上がることすらままならないのですから、その場合兵と臣民に一体何の違いがあるというのですか?」


「我々は、あくまでも国に奉仕しているに過ぎない。清らかな精神の上に積み上がる犠牲だ。軍人はそれを見せなければならない。戦果を用意することができない以上、戦争の責任者は遠からず我々だ」


「これが、この生存競争を閣下は戦争と呼ぶのですか?でしたら、これを生き抜くことができた暁にはさぞ大胆な領土割譲と、国家予算何十年分もの賠償金が手に入るのでしょうね。そうでしたら、楽しみです。遂に帝国は世界帝国となるのですから」


両手を広げ、挑発的な笑みを浮かべるヴィシア。それを吸い殻の主、バルトウィク少将は大きな溜息を以てして一蹴する。


「ああそうだとも。国際法で定められた『未奪還領域』の項目にもそう書いてある。賠償金については、ヴィシア。お前が現地に行って金山でも掘り当ててくるといい。そうすれば、破綻待ったなしの帝国の財政も急速に回復するだろうな」


「…まさか、帝国が金山一個で財政が回復するような国だとは思いもしませんでした」


「それについては、私も同感だ」


ヴィシアは今ではすっかり最高級の嗜好品となってしまった砂糖をふんだんに使った焼き菓子を頬張り腕を組む。答えの見えない口論。つまるところこれは、必要のない、切り捨てることができる時間の浪費である。だが、それは彼らのプライドが許さない。ひとつ解決する方法があるとすれば、それはどちらかが妥協すること。互いに責任を負うことで多少の横暴が見逃されてきたこの地位を、みすみす他人の幸せのために投げ捨てることだけだ。


「…仕方が、ないですね」


大麦か、はたまたどこの雑穀かが歯に詰まったのを楊枝で押し出しながらヴィシアは決断を下す。上司が、どうしてもと言うのならば部下はそれに引き攣った笑みを浮かべならが首を縦に振るのみ。ランカラ防衛司令部総司令官様がそう言うのならば。最善とは程遠い結果となったとしても、それは彼が私の選択は間違っていたのかと歯噛み、自分の思考が正しかったとヴィシアは答え合わせをするだけ。別に、分のいい賭けではないか。彼はそう考え、並べられた駒を後方へ押し除ける。


「…いいのか?」


「ええ、もちろんです。答え合わせは後々行われるでしょうし、何せ、本当にそれが必要になる時が来るかも知れません。その場合は、確かに死体を積み重ねる必要があるでしょう。…『魔女』が操る業火を前に、死体が残るのかは甚だ疑問ではありますが」


「それについては同感だが、お前はそれでいいのか?」


「はて、私は司令部参謀であります。作戦の最終決定権は総司令官殿がお持ちでは?」


「それはそうだが、優れた案を閃くかどうかは、身分の高低で決まるものではない」


「答えが出ないのにも関わらずこれ以上私を席に着かせたいのでしたら話は別ですが、閣下の言い分に納得してしまった自分もおります。貸し一つ、ということにしていただけるのでしたら幸いです」


「…計ったな」


バルトウィクは地図を見下ろしながら、気が緩んだことによる眠気を誤魔化すためにコーヒーを啜る。脳が一気に活性化し、そして今まで無理をしてきた代償に体の限界をほんのり感じられた。


「計りましたとも。そして、早速ですが、その貸しを返してもらおうと思います」


「計画的な犯行か。言ってみろ」


ヴィシアは机に身を乗り出すと、ジャムの乗ったクッキーをバルトウィクの口に捩じ込む。


「むぐっ…!?」


「ランカラ防衛の要である四〇一特別魔導大隊の御三方ですが、急遽、ラグノーブルへ向かってもらうこととなりました。ですので、閣下はランカラにタイミングよく『魔女』が現れないことを祈っておいてください」


バルトウィクはコーヒーの香ばしさと砂糖の甘みを口内で交互に味わいながらクッキーを噛み砕き、そして唇に重ねられた人差し指を払いのける。


「きっ、聞いていないぞ!?」


「何せ、今まで言っていませんでしたから。それでは私はまた何処からか情報を仕入れてきます。閣下も、一度寝た方がよろしい。そのままでは過労で次目覚めた時は病床ですよ」


まるでまた明日、と言わんばかりに朗らかに手を振って退出するヴィシア。バルトウィクはそんな彼の後ろ姿をただ茫然と見つめていた。そして扉が閉まった音でようやく我に帰り、猛烈に重たくなった頭を咄嗟に机に肘をついていた左手で支える。


「…駄目だ。今日は一度、泥のように眠らなければ」


ここ最近の情勢は自分を殺しにかかっている。何とも迂遠で、そして計画的な犯行なのだろうか。これでは私の死因は過労死になってしまう。いいや、それだけは駄目だ。バルトウィクは机の上に並べられた駒の内の一つを弾く。


「ああ、衝撃が、衝撃が欲しい。機動防御など、作戦畑の連中はそんなに荷物運びが大好きかね」


頭を使わずとも、敵を圧倒する精強な軍隊を。戦術の次元での勝利が、戦略を揺るがしてくれと、バルトウィクは夢想する。


「さあ、ひと眠りするか。誰かが私の様子を見てブランケットでも羽織ってくれればいいが…」


それが惰眠を貪っていると言われたとしても、その時は自分がやればよろしいとでも返してやろう。バルトウィクはもはや何日間起こしていたかわからない瞼を閉じ、ランカラの上に伏した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ